ご利用は計画的に
グランベル王国の王宮執務室にて、シュレム王太子は紙の束を前にして苦々しい表情を浮かべていた。
「……なんだ、これは」
「追加予算の要望書でございます」
執務官が答えた。
「各部署より上がってまいりました、本月分でございます」
「……どういうことだ?」
シュレムは束を手に取った。思ったより重い。
一枚目、東部街道の補修費。二枚目、王都南門の警備増員。三枚目、王立倉庫の修繕費。四枚目、五枚目、六枚目。
「追加、追加、追加! ふざけるな!」
シュレムは束を机に叩きつけた。
「予算とは、年のはじめに組むものであろう。無駄遣いではないのか!」
「……恐れながら」
大臣のひとりが、額の汗を拭った。
「すべて精査いたしました。いずれも、必要なものばかりでございました」
「本当に精査したのか」
シュレムは大臣をジロリと睨んだ。
「三度、精査いたしました」
大臣は、そう言って口をつぐんだ。
「なぜ、急に追加予算の請求が上がってくるようになったのだ!」
シュレムは怒気を孕んだ声を出して大臣たちを見回す。
大臣たちは言えなかった。
東部街道の損傷は、これまで年に二度の巡視で早くに見つかり、小さな修繕で済んでいた。その巡視の計画を、今まで誰が組んでいたのか。
南門の警備が薄いと指摘し、交代の時間割を編成していたのは誰だったのか。
王立倉庫の湿気について、大きな修繕が必要になる前に対策を施していたのは誰だったのか。
この部屋にいる者は、全員知っている。シュレムを除いて。
「……国庫はどうなっている」
「厳しい状況でございます」
執務官の声は、どこまでも平坦だった。
「昨年の同じ時期と比べまして、支出が一割五分ほど増えております。加えて、東との交易路の混乱により、関税の収入が落ち込んでおりまして」
「交易路の混乱だと? まだ片付いておらんのか」
「魔獣の討伐が、思うように進んでおりません」
「騎士団は何をしている!」
誰も答えなかった。
その時、執務室の扉が開いた。
「シュレム殿下!」
ナターシャだった。
侍女を二人従えている。ゆったりとした衣装の腹は、遠目にもはっきりと分かるほどふくらんでいた。
シュレムの顔から、たちまち険が消えた。
「ああ、ナターシャ。どうしたんだい」
「あのね、殿下。わたくし、考えましたの」
ナターシャは腹に手を添えて、小首をかしげた。
「お子のために用意されたお部屋ですけれど、陽当たりがよろしくないのですわ。占い師にうかがいましたけれど、運気も下がる配置らしくて。なので、新しいお部屋を増築されてはいかがかしら? 大切なお世継ぎのためですもの!」
「ふむ、そういうことなら」
シュレムは少し考えた後に口を開いた。
「いっそのこと、新しい館を建ててしまおう。さっそく優秀な設計士を手配するよ」
その瞬間、大臣たちが揃って顔を上げた。
「殿下、今はそれどころでは――」
シュレムはナターシャに向かって大きく頷いた。
「世継ぎのためだ。相応の住まいを用意してやらねばな」
「まあ、嬉しい!」
「お、お待ちください殿下! 現在の国庫では、新たな造営など」
「では、どこかを削ればよかろう」
シュレムは、紙束を顎で示した。
「その追加とやらを見直せ。街道など、少々穴が空いていても人は通る」
「し、しかし」
「言っておくが」
シュレムは、机を指で叩いた。
「この普請の予算だけは減らすなよ。王家の血を継ぐ子のためのものだ。ここを削るような真似をすれば、余が許さん」
「…………」
大臣たちは、それ以上何も言えなかった。
ナターシャが、侍女に支えられて部屋を出ていく。
扉が閉まった後、執務室にはしばらく、誰の声もなかった。
「……この国は」
大臣のひとりが、ぽつりと漏らした。
「どうなってしまうのでしょうな」
答える者は、いなかった。
◇
一方、こちらはゼリアス王国のラカの村。
エルクードがはじめて丘の上の家を訪れてから、ちょうど一週間が過ぎていた。
その日、リオナが洗濯物を干していると、坂の下に見覚えのある馬車が止まった。リオナは危うく、籠を取り落としそうになった。
「ア、アリアーゼ様! 殿下が! エルクード殿下がいらっしゃいました!」
「あら、あら。いつも急にいらっしゃるのね」
台所から顔を出したアリアーゼは、まるで隣の家の子どもが遊びに来たかのような声を出した。
「本当にまたいらっしゃるなんて、お暇ですのねえ」
「そういうことはおっしゃらないでください!」
リオナは叫びながら、急いで迎える準備を始めた。
◇
「やあ、こんにちは。リオナ殿もお元気そうだ」
戸口に立ったエルクードは、先日と同じ、人好きのする笑みを浮かべていた。うしろにはサリエナが控えている。
「本日は、公務でうかがった」
「あら。公務ですの」
「そうとも。今日はゼリアス王国第一王子として来ている」
リオナの案内で、四人は前回と同じように席に着いた。
エルクードが目配せをして、サリエナが手にしていた箱を卓の上に置いた。
その蓋が開けられた瞬間、リオナは、ひゅっと息を呑んだ。
箱の中身は金貨だった。それも、ぎっしりと。
「火炎龍討伐の報酬だ」
エルクードが言った。
「あの龍には、我が国も長年手を焼いていた。騎士団長のカーゾフが、半年がかりで討伐作戦を練っていたくらいでね。それを貴方がたは、あっさりと片づけてくれた」
「ええ。そうですわね」
「本来なら、もっと大きな褒賞を出すべきなのだがな。爵位なり、領地なり。だが、あなたはそういうものを望まなそうだ。いかがかな?」
「よくご存知ですわね」
「八年の付き合いだよ」
エルクードは肩をすくめた。
「だからと言ってはなんだが、せめて、これだけは受け取ってほしい。国として、けじめをつけさせてくれ」
リオナは、隣に立つアリアーゼを見上げた。
金貨の山を前にしても、アリアーゼの表情は少しも動いていなかった。
「お気持ちは、ありがたく頂戴いたしますわ」
そして、箱の蓋を、そっと閉じた。
「けれど、受け取りませんの」
「……理由を聞いても?」
「わたくし、お金には困っておりませんの。家もございますし、畑もございますし、卵は毎朝二個いただいておりますし」
「しかし……」
「それに」
アリアーゼは、箱を指先でエルクードのほうへ押し戻した。
「そのお金があるのでしたら、ゼリアスの民のためにお使いなさいな。そのほうが、ずっと役に立ちましてよ」
エルクードが、目を見開いた。サリエナの視線も、わずかに動く。
「……アリアーゼ殿」
「なにかしら?」
「あなたは、それを本気で言っているのか」
「あら。冗談を申し上げているように見えまして?」
エルクードは、しばらくアリアーゼの顔を見つめていた。
それから、ゆっくりと椅子に座り直した。
「……では、聞かせてほしい」
王子の目が、静かに変わった。
「あなたなら、この金を何に使うだろうか?」
◇
リオナは、お茶を淹れなおしに台所へ立った。湯を沸かしながら、卓のほうを見る。
アリアーゼ様とエルクード殿下、お二人の雰囲気は前回とは明らかに異なる。その表情は、まぎれもなく為政者としてのそれだった。
「ゼリアス王国の一番の困りごとは、何かしら」
「……食料だな」
エルクードは、隠さなかった。
「恥を晒すようだが、我が国はグランベル王国と比べて、国力に劣る。その原因は収穫量だ。人口を養うのが、年々苦しくなっている」
「その原因は、ビアウィスキー川ですわね」
アリアーゼのその言葉に、エルクードの眉が、ぴくりと動いた。
「……その通りだ」
エルクードは苦々しい表情で、つぶやくように言った。
「アリアーゼ殿はもう存じておるようだが、雨季になると、あの川は頻繁に氾濫を起こす。それが、肥沃な土地を直撃する。せっかく農地に適した平野が広がっているというのに、十分に活用できんのだ」
「ええ、そのようですわね」
アリアーゼはそう言って、お茶をひとくちすすった。
「毎年だ。植えては流され、また植えては流される。あの流域が安定するだけで、ゼリアスの収穫は大きく変わるのだがな」
エルクードは、湯呑みを両手で包んだ。
「川の西側には岩山が連なっている。東側には、農地に適した平野が広がっているのだが……その岩山の一部が、川を遮るように東へ張り出している箇所がいくつかある」
「そのせいで、川が平野側へ蛇行しているのですわね」
「そうだ」
エルクードは頷いた。
「蛇行している箇所でも、特に川幅が狭くなっている場所。そこでは雨季に水量が増えると、川に収まりきらなくなった水が、そのまま農地へ溢れるのだ」
「そのようですわね」
アリアーゼは静かに頷いた。
エルクードは難しい顔をしたまま言葉を続けた。
「川があふれる場所は三つある。どれも岩盤に阻まれて流れが折れ曲がり、なおかつ川幅が狭い場所だ。三つとも堤で押さえねばならん」
「莫大な費用がかかりますわね」
「そうだ。この箱の金貨の何十倍あっても足りん。先々代からの懸案でな。誰も手をつけられずにいる。川の問題が解決すれば、国の収穫は大きく変わる。それがわかっていてもだ」
エルクードは、首を横に振った。
「それに、堤の工事には予算だけでなく工期も必要だ。雨季が来る前に工事を終えねばならん。それが難しい」
「うふふ」
アリアーゼは、小さく微笑んだ。
「それについて、わたくしにアイデアがございますの。アリアーゼ流治水術。聞いてくださいます? これも花嫁修業の一貫ですのよ」
(どこらへんが?)
リオナは心の中でそっとツッコミを入れた。
グランベル王国と、ゼリアス王国。どうやら二つの国のお金の使い方が分かれそうです。
次回、アリアーゼ様、恋愛はポンコツでも、政務はポンコツではないのです。




