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婚約破棄された最強令嬢は、花嫁修業で世界を救います。でも、聖女の恋心には気づけません。〜アリアーゼの花嫁修業〜  作者: 遠崎カヲル
第六章 花嫁修業5 伝説のレシピ

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ご利用は計画的に

 グランベル王国の王宮執務室にて、シュレム王太子は紙の束を前にして苦々しい表情を浮かべていた。


「……なんだ、これは」


「追加予算の要望書でございます」


 執務官が答えた。


「各部署より上がってまいりました、本月分でございます」


「……どういうことだ?」


 シュレムは束を手に取った。思ったより重い。


 一枚目、東部街道の補修費。二枚目、王都南門の警備増員。三枚目、王立倉庫の修繕費。四枚目、五枚目、六枚目。


「追加、追加、追加! ふざけるな!」


 シュレムは束を机に叩きつけた。


「予算とは、年のはじめに組むものであろう。無駄遣いではないのか!」


「……恐れながら」


 大臣のひとりが、額の汗を拭った。


「すべて精査いたしました。いずれも、必要なものばかりでございました」


「本当に精査したのか」


 シュレムは大臣をジロリと睨んだ。


「三度、精査いたしました」


 大臣は、そう言って口をつぐんだ。


「なぜ、急に追加予算の請求が上がってくるようになったのだ!」


 シュレムは怒気を孕んだ声を出して大臣たちを見回す。


 大臣たちは言えなかった。


 東部街道の損傷は、これまで年に二度の巡視で早くに見つかり、小さな修繕で済んでいた。その巡視の計画を、今まで誰が組んでいたのか。


 南門の警備が薄いと指摘し、交代の時間割を編成していたのは誰だったのか。


 王立倉庫の湿気について、大きな修繕が必要になる前に対策を施していたのは誰だったのか。


 この部屋にいる者は、全員知っている。シュレムを除いて。


「……国庫はどうなっている」


「厳しい状況でございます」


 執務官の声は、どこまでも平坦だった。


「昨年の同じ時期と比べまして、支出が一割五分ほど増えております。加えて、東との交易路の混乱により、関税の収入が落ち込んでおりまして」


「交易路の混乱だと? まだ片付いておらんのか」


「魔獣の討伐が、思うように進んでおりません」


「騎士団は何をしている!」


 誰も答えなかった。


 その時、執務室の扉が開いた。


「シュレム殿下!」


 ナターシャだった。


 侍女を二人従えている。ゆったりとした衣装の腹は、遠目にもはっきりと分かるほどふくらんでいた。


 シュレムの顔から、たちまち険が消えた。


「ああ、ナターシャ。どうしたんだい」


「あのね、殿下。わたくし、考えましたの」


 ナターシャは腹に手を添えて、小首をかしげた。


「お子のために用意されたお部屋ですけれど、陽当たりがよろしくないのですわ。占い師にうかがいましたけれど、運気も下がる配置らしくて。なので、新しいお部屋を増築されてはいかがかしら? 大切なお世継ぎのためですもの!」


「ふむ、そういうことなら」


 シュレムは少し考えた後に口を開いた。


「いっそのこと、新しい館を建ててしまおう。さっそく優秀な設計士を手配するよ」


 その瞬間、大臣たちが揃って顔を上げた。


「殿下、今はそれどころでは――」


 シュレムはナターシャに向かって大きく頷いた。


「世継ぎのためだ。相応の住まいを用意してやらねばな」


「まあ、嬉しい!」


「お、お待ちください殿下! 現在の国庫では、新たな造営など」


「では、どこかを削ればよかろう」


 シュレムは、紙束を顎で示した。


「その追加とやらを見直せ。街道など、少々穴が空いていても人は通る」


「し、しかし」


「言っておくが」


 シュレムは、机を指で叩いた。


「この普請の予算だけは減らすなよ。王家の血を継ぐ子のためのものだ。ここを削るような真似をすれば、余が許さん」


「…………」


 大臣たちは、それ以上何も言えなかった。


 ナターシャが、侍女に支えられて部屋を出ていく。

 扉が閉まった後、執務室にはしばらく、誰の声もなかった。


「……この国は」


 大臣のひとりが、ぽつりと漏らした。


「どうなってしまうのでしょうな」


 答える者は、いなかった。


    ◇


 一方、こちらはゼリアス王国のラカの村。


 エルクードがはじめて丘の上の家を訪れてから、ちょうど一週間が過ぎていた。


 その日、リオナが洗濯物を干していると、坂の下に見覚えのある馬車が止まった。リオナは危うく、籠を取り落としそうになった。


「ア、アリアーゼ様! 殿下が! エルクード殿下がいらっしゃいました!」


「あら、あら。いつも急にいらっしゃるのね」


 台所から顔を出したアリアーゼは、まるで隣の家の子どもが遊びに来たかのような声を出した。


「本当にまたいらっしゃるなんて、お暇ですのねえ」


「そういうことはおっしゃらないでください!」


 リオナは叫びながら、急いで迎える準備を始めた。


    ◇


「やあ、こんにちは。リオナ殿もお元気そうだ」


 戸口に立ったエルクードは、先日と同じ、人好きのする笑みを浮かべていた。うしろにはサリエナが控えている。


「本日は、公務でうかがった」


「あら。公務ですの」


「そうとも。今日はゼリアス王国第一王子として来ている」


 リオナの案内で、四人は前回と同じように席に着いた。


 エルクードが目配せをして、サリエナが手にしていた箱を卓の上に置いた。

 その蓋が開けられた瞬間、リオナは、ひゅっと息を呑んだ。


 箱の中身は金貨だった。それも、ぎっしりと。


「火炎龍討伐の報酬だ」


 エルクードが言った。


「あの龍には、我が国も長年手を焼いていた。騎士団長のカーゾフが、半年がかりで討伐作戦を練っていたくらいでね。それを貴方がたは、あっさりと片づけてくれた」


「ええ。そうですわね」


「本来なら、もっと大きな褒賞を出すべきなのだがな。爵位なり、領地なり。だが、あなたはそういうものを望まなそうだ。いかがかな?」


「よくご存知ですわね」


「八年の付き合いだよ」


 エルクードは肩をすくめた。


「だからと言ってはなんだが、せめて、これだけは受け取ってほしい。国として、けじめをつけさせてくれ」


 リオナは、隣に立つアリアーゼを見上げた。

 金貨の山を前にしても、アリアーゼの表情は少しも動いていなかった。


「お気持ちは、ありがたく頂戴いたしますわ」


 そして、箱の蓋を、そっと閉じた。


「けれど、受け取りませんの」


「……理由を聞いても?」


「わたくし、お金には困っておりませんの。家もございますし、畑もございますし、卵は毎朝二個いただいておりますし」


「しかし……」


「それに」


 アリアーゼは、箱を指先でエルクードのほうへ押し戻した。


「そのお金があるのでしたら、ゼリアスの民のためにお使いなさいな。そのほうが、ずっと役に立ちましてよ」


 エルクードが、目を見開いた。サリエナの視線も、わずかに動く。


「……アリアーゼ殿」


「なにかしら?」


「あなたは、それを本気で言っているのか」


「あら。冗談を申し上げているように見えまして?」


 エルクードは、しばらくアリアーゼの顔を見つめていた。


 それから、ゆっくりと椅子に座り直した。


「……では、聞かせてほしい」


 王子の目が、静かに変わった。


「あなたなら、この金を何に使うだろうか?」


    ◇


 リオナは、お茶を淹れなおしに台所へ立った。湯を沸かしながら、卓のほうを見る。


 アリアーゼ様とエルクード殿下、お二人の雰囲気は前回とは明らかに異なる。その表情は、まぎれもなく為政者としてのそれだった。


「ゼリアス王国の一番の困りごとは、何かしら」


「……食料だな」


 エルクードは、隠さなかった。


「恥を晒すようだが、我が国はグランベル王国と比べて、国力に劣る。その原因は収穫量だ。人口を養うのが、年々苦しくなっている」


「その原因は、ビアウィスキー川ですわね」


 アリアーゼのその言葉に、エルクードの眉が、ぴくりと動いた。


「……その通りだ」


 エルクードは苦々しい表情で、つぶやくように言った。


「アリアーゼ殿はもう存じておるようだが、雨季になると、あの川は頻繁に氾濫を起こす。それが、肥沃な土地を直撃する。せっかく農地に適した平野が広がっているというのに、十分に活用できんのだ」


「ええ、そのようですわね」


 アリアーゼはそう言って、お茶をひとくちすすった。


「毎年だ。植えては流され、また植えては流される。あの流域が安定するだけで、ゼリアスの収穫は大きく変わるのだがな」


 エルクードは、湯呑みを両手で包んだ。


「川の西側には岩山が連なっている。東側には、農地に適した平野が広がっているのだが……その岩山の一部が、川を遮るように東へ張り出している箇所がいくつかある」


「そのせいで、川が平野側へ蛇行しているのですわね」


「そうだ」


 エルクードは頷いた。


「蛇行している箇所でも、特に川幅が狭くなっている場所。そこでは雨季に水量が増えると、川に収まりきらなくなった水が、そのまま農地へ溢れるのだ」


「そのようですわね」


 アリアーゼは静かに頷いた。

 エルクードは難しい顔をしたまま言葉を続けた。


「川があふれる場所は三つある。どれも岩盤に阻まれて流れが折れ曲がり、なおかつ川幅が狭い場所だ。三つとも堤で押さえねばならん」


「莫大な費用がかかりますわね」


「そうだ。この箱の金貨の何十倍あっても足りん。先々代からの懸案でな。誰も手をつけられずにいる。川の問題が解決すれば、国の収穫は大きく変わる。それがわかっていてもだ」


 エルクードは、首を横に振った。


「それに、堤の工事には予算だけでなく工期も必要だ。雨季が来る前に工事を終えねばならん。それが難しい」


「うふふ」


 アリアーゼは、小さく微笑んだ。


「それについて、わたくしにアイデアがございますの。アリアーゼ流治水術。聞いてくださいます? これも花嫁修業の一貫ですのよ」


(どこらへんが?)


 リオナは心の中でそっとツッコミを入れた。


グランベル王国と、ゼリアス王国。どうやら二つの国のお金の使い方が分かれそうです。


次回、アリアーゼ様、恋愛はポンコツでも、政務はポンコツではないのです。

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