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婚約破棄された最強令嬢は、花嫁修業で世界を救います。でも、聖女の恋心には気づけません。〜アリアーゼの花嫁修業〜  作者: 遠崎カヲル
第六章 花嫁修業5 伝説のレシピ

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もやもやリオナ、再び

「アリアーゼ殿と初めて会ったのは、八年前になるか」


 エルクードが、懐かしそうに目を細めた。


「会談で、グランベルの王宮に招かれたときだ。案内に立ったのが、少女のような騎士でね」


「まあ。ずいぶん昔の話ですこと」


 アリアーゼは静かに微笑んだ。


「あのときすでに、アリアーゼ殿は、いずれ立派なお嫁さんになるのだと息巻いていたよ。まあ、シュレム殿と婚約を結んだ直後だったけれどね」


 リオナは手の平で包んだ湯呑に視線を落とした。


 八年前といえば、リオナ自身はまだ神殿で、祈りの言葉を覚えていたころだ。


 その頃、アリアーゼ様は十六歳。婚約者がいて、これからお嫁さんになるのだと信じていて、それを初対面の他国の王子に話していた。


 この人は、そのアリアーゼ様を知っている。


 エルクードは言葉を続けた。


「それきりかと思えば、その後も何かと顔を合わせることになった」


 エルクードが指を折る。


「アリアーゼ殿は、十八歳のころには騎士団長まで上り詰めていたからね。会談、式典、国境の視察。わたしが数えているだけでも、片手は超えるね」


 リオナは、膝の上で指を組んだ。


 エルクード殿下はそんなにも前からアリアーゼ様と交流があった。

 自分がアリアーゼ様と過ごしたのは、まだ三ヶ月だ。


「そういえば」


 エルクードが、にやりと笑った。


「三度目の顔合わせの時だったか。手合わせを願って、一本取らせてもらったことがあるね」


「あら」


 アリアーゼの眉が、ぴくりと動いた。


「あのときは油断しておりましたのよ」


「一本は一本だよ」


「殿下が、いきなり足元の砂を蹴り上げたからですわ」


「戦場では誰も待ってくれない。そう教えてくれたのは、あなただろう」


 二人が、声を上げて笑った。


 リオナは、湯呑みの中を見つめていた。

 こんなふうに笑うアリアーゼを、はじめて見た気がした。


    ◇


「さて、アリアーゼ殿」


 ひとしきり笑ったあと、エルクードがあらためて姿勢を正した。


「まだ、結婚のお相手は決まっていないのだろう?」


「ええ! 今はまだ、修業中の身ですもの!」


「そうか」


 エルクードは頷いて、それから、なんでもないことのように言った。


「じゃあ、そのお相手にわたしが立候補してもいいのかな?」


 かたん、と音がした。リオナの手から滑った湯呑みが、テーブルの上で倒れかけて、かろうじて止まる。


「あら。ご立派な方が名乗り出てくださって光栄ですわ。でも、わたくしはまだ修業中の身ですの。理想のお嫁さんになるために、今はだれの求婚も受けている暇はございませんのよ?」


 アリアーゼは、いつもと変わらぬ口調で答えた。


「ふふ。じゃあ、その修業とやらが終わるまで、勝手に待たせてもらうよ。かまわないだろう?」


 エルクードはそう言って、アリアーゼをじっと見つめた。

 アリアーゼもエルクードを見返した。二人の間に沈黙が落ちた。


 やがて、アリアーゼは静かに口を開いた。


「ええ、構いませんわ。ご自由になさって」


 リオナは二人のやり取りを黙って聞いていた。口を挟むことなど、できるはずもない。


 リオナはサリエナにちらりと視線を向けた。サリエナは背筋を伸ばし、無表情のまま前を向いていた。


 気がつけば、もう昼時だった。


「どうせですから、お昼でも召し上がっていかれます?」


 アリアーゼがそう言い出したとき、リオナは心の中で悲鳴を上げた。


 王子様に出せるものなど、この家にはない。焼いたばかりのパンと、錦糸卵と、村でわけてもらった野菜のスープくらいのものだ。


「では、いただこうかな」


 エルクードは、即答した。


    ◇


 結論から言うと、食事の内容について心配する必要はまったくなかった。

 王族にはふさわしくないような質素な食事を、エルクードはおいしそうに食べた。


 食事の合間に、エルクードは王族としての苦労や失敗談などを、ユーモアを交えて話してくれた。アリアーゼもリオナも、いつしかその話に引き込まれ、笑い声をあげていた。


 思いがけず楽しい時間となり、リオナの緊張もすっかりほぐれていった。


 昼食の時間が、穏やかに過ぎていく。

 そんな中で、一人だけ会話に加わらず、黙々と食事を続けている人物がいた。


 サリエナである。


 背筋をぴんと伸ばし、姿勢は美しい。食器の扱いも丁寧で、料理をこぼすことも、音を立てることもない。


 ただ、食べる速度だけが異常に速かった。


 リオナがエルクードの話に耳を傾け、笑っている間にも、サリエナの皿から料理が消えていく。


 気がつけば、皿は空になっていた。それに気づいたリオナが声をかけた。


「……あの、お代わりはいかがですか?」


「いただきます」


 サリエナは無表情で即答した。


 リオナが料理をよそう。

 サリエナは、それを受け取ると、また黙々と食べ始めた。


 見る見るうちに料理が減っていく。

 リオナがエルクードの話に笑い、ふと手元に視線を戻すと――また、皿が空になっていた。


「……お代わり、いかがですか?」


「いただきます」


 またしても即答だった。


 リオナは、空になった皿とサリエナの顔を交互に見た。サリエナは無表情のまま、次の料理を待っている。


 どうやら、まだまだ食べられるらしい。


「サリエナはよく食べるのだよ」


 エルクードが、笑いながら錦糸卵を皿に取った。


「その細い身体のどこにそんなに入るのか聞いたら、食事は別腹だと返された。意味が分からなかったな」


「殿下。お口が過ぎます」


 サリエナは変わらない口調で淡々と言った。


「今日は私事だと言っただろう」


 言いながら、エルクードは錦糸卵を摘まみ上げた。ふわふわの黄色い糸が、箸の先で揺れる。


「ふむ。この料理は初めて見るな。これは、卵焼き……を刻んだものかな?」


「何かおっしゃりたいことでも?」


 アリアーゼはエルクードをじろりと睨んだ。


「いや。卵焼きをわざわざこんなに細かく刻む必要があるのかと思ってね」


「なら、召し上がらなくてよろしいですわ!」


 アリアーゼが皿を引き寄せようとする。エルクードが、その手を笑ってかわした。


「いや、そう言わずにいただくよ」


 口に運ぶ。ゆっくりと噛んで、飲み込む。


「……うん」


 エルクードが頷いた。


「味は悪くないね。だしの加減がいい」


「そうですの?」


 アリアーゼが、ぴんと背筋を伸ばした。口元が、隠しきれずにゆるんでいる。


「まあ、当然ですわね。わたくし、毎朝練習しておりますもの」


 得意げに胸を張るアリアーゼに、リオナの頬も緩んだ。


 今朝のアリアーゼの姿を思い出す。

 上手に卵焼きが焼けたと飛び跳ね、それを細かく切り刻んで笑い転げていた。


 そのことを知っているのは、自分だけだ。そう思うと、少しだけ、胸のつかえが軽くなった。


「それと、このパンだが」


 エルクードが、パンを手に取った。


「これは見事だ。宮廷の晩餐会でも、ここまでのものはそうそう出ない。……これもアリアーゼ殿が?」


「いいえ。それはリオナですわ」


「ほう」


 エルクードの視線が、まっすぐにリオナへ向いた。


「見事だ、リオナ殿。これほどのパンは、久しく口にしていない」


「は、はい。えっと、ありがとうございます」


 リオナは頭を下げた。


 褒められて、嬉しいはずだった。実際、悪い気はしない。けれど、どんな顔をすればいいのか分からなかった。


 顔を上げると、隣のアリアーゼが、我がことのようににこにこしていた。


「リオナのパンは絶品ですのよ。今朝の焼き立てものなんて、わたくし、言葉を失いましたもの」


 アリアーゼは弾むような口調で言った。


(――アリアーゼ様、嬉しそう)


 自分の焼いたパンが褒められて、アリアーゼ様が喜んでいる。その様子に、リオナの胸は一杯になった。


    ◇


 日が傾きはじめたころ、エルクードとサリエナの二人は腰を上げた。


「今日はありがとう。久しぶりに、腹の底から笑わせてもらったよ」


「お粗末さまでしたわ」


 アリアーゼとリオナは戸口まで見送りに出た。坂の下には、供の者と馬車が待っていた。


 エルクードが、ふと振り返った。


「アリアーゼ殿。また遊びに来てもいいかい?」


「まあ」


 アリアーゼが、目を丸くした。


「ゼリアスの王子様は、そんなにお暇なのかしら?」


「ふふ」


 エルクードは、まったく動じなかった。


「時間を作るのは、有能な証明だと思ってほしい。ではまた!」


 片手を上げて、坂を下りていく。サリエナが一礼して、その後に続いた。

 そのまま二人は振り返ることもなく、馬車に乗って去っていった。


 馬車が見えなくなると、アリアーゼは、ふんす、と鼻を鳴らした。


「……ちゃんとした卵焼きを食べさせられなかったのが悔しいですわ。感想も、悪くない、止まりでしたわね」


「アリアーゼ様?」


「見ていらっしゃい、リオナ」


 アリアーゼが、ぐっと拳を握った。


「もっともっとお料理の練習をして、次こそはあいつをぎゃふんと言わせてやりますわ!」


 リオナは、隣で口を開きかけた。けれど、言葉が出てこなかった。

 いいですねとか、頑張りましょうとか、そう言えばいい。いつもならそう言っている。


 でも今は、なぜか声が出なかった。


    ◇


 物置小屋の屋根の上に、アッチムが座っていた。膝を抱えて、遠く去っていく馬車を眺めている。


 アッチムはその視線を、戸口に立つ二人へ移した。


 拳を握って意気込んでいるアリアーゼと、その隣で戸惑うような表情のリオナ。


 ぽつり。


 アッチムの鼻先に、冷たい雫が落ちてきた。顔を上げると、いつのまにか空は灰色に染まっていた。


「おや?」


 アッチムは、目を細めた。


「雲行きが怪しくなってきたっすね」

エルクード殿下のまさかの立候補。リオナさんは内心穏やかではないようで……。


次回、雨降りの日。リオナさんはちょっと元気がありません。

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