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婚約破棄された最強令嬢は、花嫁修業で世界を救います。でも、聖女の恋心には気づけません。〜アリアーゼの花嫁修業〜  作者: 遠崎カヲル
第六章 花嫁修業5 伝説のレシピ

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エルクード殿下

 エルクード殿下。


 リオナは、その名前を頭の中で二度繰り返した。


 ゼリアス王国の、第一王子。

 エルクード・フォン・ゼリアス。


 この国で知らない者はいない名前だ。

 そして、リオナはグランベル王国で暮らしていた時ですら、その名前を耳にしていた。

 聡明で、民に気を配り、いずれゼリアス王国の良き王になるだろうと。


 その人が、いま、丘の上の家の土間に立っている。エプロンをつけた自分の、三歩先に。


 リオナの視線は、さらにその半歩うしろへ動いた。

 黒髪を一つに結った、無表情の女性が、伏し目で立っている。


(思い出した。図書館の、司書さんだ)


 あのとき、貸出カウンターで声をかけてくれた人だ。古代文字が読めることに驚いて、聖女修行の話を聞いてくれて、頑張ってくださいと言ってくれた。


 司書ではなかったのだ、とリオナは悟った。悟った瞬間、背筋がすうっと冷たくなった。


「うふふ。先触れも無しにいらっしゃったのは大目に見て差し上げましょう。せっかくおいでくださったのですから、お茶でもいかが?」


 アリアーゼの、まるで近所の人を迎えるような声が響いた。


    ◇


 四人で、テーブルを囲むことになった。


 リオナとアリアーゼが並んで座り、向かいにエルクードとサリエナが腰を下ろす。

 二人と一匹が暮らすには余裕のある家だが、王子様をお迎えできるような屋敷ではない。王子の膝と、リオナの膝の距離は、両手を広げるほどもなかった。


 リオナは湯呑みを配りながら、手が震えないように必死だった。


 なぜ王子がここにいるのか。隣にいる女性は何者なのか。自分は何か粗相をしていないか。というより、この人たちの前に出していい茶葉なのか。


 リオナは緊張して喉がカラカラになった。


 アリアーゼ様は侯爵令嬢であり、グランベル王国の元騎士団長だ。それに比べて、自分はしがない商家の娘であり、紛うことなき平民である。


 自分がこんな所に同席して良いものかと考えていると、アリアーゼが口を開いた。


「それで、この国の王子様が、どういったご用件かしら?」


「ふふ」


 エルクードが、肩を揺らして笑った。


「堂々と会いに来ればいい。そう伝言を残したのは、あなたではないか。我々の監視に気づいていたんだろう?」


 エルクードの言葉に動揺することもなく、アリアーゼはにこりと微笑んだ。


「監視には気づいておりましたけれど。まさか相手がエルクード殿下だとは思いませんでしたわ」


 リオナは、湯呑みを取り落としそうになった。


(――え? 監視されてたの? いつから、どこで、誰が???)


 隣を見上げるが、アリアーゼは涼しい顔で茶をすすっている。


「もっとも」


 アリアーゼは言葉を続けながら湯呑みを置いた。


「リオナに危害を加えるようなら、後悔させてやろうと思っておりましたのよ。まあ、大丈夫そうだったので、逆に護衛として利用させていただきましたわ。図書館ではお世話になりましたわね」


 アリアーゼはさらりと言った。


 空気が、わずかに張り詰めた。サリエナの視線が動く。エルクードは、笑みを崩さなかった。


「なるほど。リオナというのは、そちらの女性か」


 エルクードがリオナに向き直り、背筋を伸ばした。


「はじめまして。ゼリアス王国第一王子、エルクード・フォン・ゼリアスです」


「ひゃい!」


 リオナは椅子から跳ね上がりそうになった。


「あ、あの、リオナ・シェストロームです。えっと、その、こ、光栄です」


 舌が回らない。王族と口をきいたことなど、生まれてこのかた一度もない。


「そう硬くならないでほしい。今日は私事で来ているのだから」


「は、はい」


 ならないでほしいと言われて、ならずに済むものか。

 リオナは膝の上で指を組み、それから思い切って口を開いた。


「あの。そちらの女性は……」


「ああ」


 エルクードが、うしろの女性を示した。


「これは、わたしの補佐を務めているサリエナ・フォン・エイラノールだ」


「サリエナと申します」


 サリエナは抑揚のない声で名乗った。頭を下げる角度まで、測ったように正確だった。


 リオナは、何と言えばいいのか分からなかった。


 あなたは司書ではなかったのですね、とも、あのとき話したことは全部報告されたのですね、とも、聞けるはずがなかった。


「監視の件は、詫びさせてほしい」


 エルクードが、あらためて頭を下げた。

 王子が、村の家の食卓で頭を下げている。リオナは息を呑んだ。


「褒められたやり方ではない。それは分かっている。でも、理解してほしいのだよ。あれだけ派手に動かれたら、為政者としては無視するわけにはいかない」


「あら」


 アリアーゼが、きょとんと首をかしげた。


「そんなに派手に動いたつもりはございませんけれど?」


 エルクードの動きが、一瞬止まった。


「……その言い回し、あなたらしいよ。アリアーゼ殿」


 二人のやり取りを聞きながら、リオナは、そっと天井を見上げた。


 考えてみれば、目立たないほうがおかしいくらいだったのだ。


 盗賊団の砦を一晩で壊滅させ、聖獣を浄化し、暗黒龍を討ち、王都のアンデッド騒ぎを解決し、つい先日は火炎龍を料理した。


 この三ヶ月で。花嫁修業として。


 リオナは思い返してため息をついた。

 エルクードはそんなリオナをちらりと見た後、湯呑みを置いた。


「さて、では本題に入ろう」


 笑みはそのままだが、目の色が少し変わった。


「失礼だが、アリアーゼ殿の噂はわたしの耳にも入っている。シュレム殿と婚約を破棄されて、国を出たと」


「ええ、そのとおりですわ」


 アリアーゼは、なんでもないことのように頷いた。


「このゼリアス王国に来てくれたのは、嬉しい限りだ。だから率直に聞こう」


 エルクードが、まっすぐにアリアーゼを見た。


「我が国に、仕官を希望されているのか?」


 リオナは息を止めた。部屋が静かになった。


(え? 仕官? アリアーゼ様が、この国に仕える? アリアーゼ様は優秀だもの。仕官だってきっとできる。だったら、この家を出ていく?)


 リオナは、隣に座るアリアーゼを見た。


(――わたしとは、一緒にいられない?)


 アリアーゼはふわりと微笑むと口を開いた。


「そんなこと、これっぽっちも考えておりませんわ」


 即答だった。


(――ですよね)


 リオナは、止めていた息をそっと吐いた。


「……ふむ」


 エルクードが、わずかに眉を寄せた。


「では、質問を変えよう。あなたはこのゼリアスに、すでに五度も恩恵をくれた。これは事実だ」


「まあ、五度もですの?」


「ああ。五度だ」


 エルクードは指を五本立てて、それから組んだ。


「仕官を望んでいるのでなければ、いったい何をしているのか。それが知りたくて、わたしは今日ここに来たのだよ」


 アリアーゼは、ぱっと顔を輝かせた。

 リオナは反射的に目をつぶった。


「花嫁修業ですわ!」


 その瞬間、エルクードの目が点になった。


「……えっと?」


 なんとかそれだけを絞り出した。


    ◇


「ちょっと待ってくれ」


 エルクードが片手を上げた。


「一つ一つ確認しよう。まず盗賊団。三ヶ月ほど前、国境近くの砦にこもっていた盗賊団を、あなたが壊滅させてくれたね?」


「ええ! あの盗賊団は悪さをしますから、懲らしめてやりましたのよ」


 リオナはあの日のことを思い出していた。

 亡くなった妻の形見を奪われたと泣く商人の前で、アリアーゼは静かに怒っていた。そして、たった一人で盗賊団に乗り込んだのだ。


 正義の人、アリアーゼ・フォン・ローレンス。紛れもない事実だ。


 エルクードはひとつ頷くと、言葉を続けた。


「では次だ。シオイナ山のフェニックスを浄化してくれたね?」


「最高の卵のためですわ! 最高の卵焼きには、最高の卵が必要でしたの!」


 エルクードが頷きかけて、止まった。


「おかげさまで、毎朝二個いただいておりますのよ。ねえ、リオナ」


「……はい」


 エルクードの笑顔が引きつった。


「……卵のために、か。では、暗黒龍の討伐は?」


「包丁の試し切りですわ」


「試し切り? 包丁の?」


「新しい包丁がどれほど切れるものか、確かめておきたかったのですわ。おかげで、後々とても役に立ちましたわ」


 リオナは、そっとアリアーゼを見た。

 あの時、暗黒竜が何か言っていたけれど、言い終わる前に首が飛んだのを思い出した。


 エルクードは目を閉じた。こめかみがピクピクと痙攣している。


「……ならば、瘴気の森のアンデッド騒ぎの解決は?」


「お掃除の修業ですわ!」


「お掃除とな……」


「王都の掃除屋さんのお仕事を、見学させていただきましたの。免許皆伝もいただきましたのよ」


 エルクードが、額に手を当てた。その隣で、サリエナは無表情のまま、微動だにしない。


「……最後だ。先日の、火炎龍討伐は」


「まな板の性能を、確かめたかったのですわ」


「……それは嘘だよな?」


「嘘つき呼ばわりは心外ですわね! 正真正銘、まな板ですわ!」


 アリアーゼが、台所のほうを指さした。


 四人の視線が、壁に立てかけられた一枚板に集まる。人の背丈ほどもある、白銀がかった巨大なまな板。角度によって、薄く緑に光る。


 エルクードは、しばらくそれを眺めていた。


「……サリエナ」

 

 エルクードはサリエナに向き直った。

 サリエナは小さく首を振った。その手には水晶玉が置かれていた。


「ヴェリタスの瞳に反応はございません。殿下」


「そうか」


 エルクードが天井を見上げた。長い息を吐く。


「つまり、アリアーゼ殿は本当に」


「花嫁修業をしておりましたの」


「……その、花嫁修業で、我が国は五度救われたと」


「あら、あら」


 アリアーゼは、心外だという顔をした。


「救ったつもりはございませんけれど」


 リオナは、静かに茶をすすった。


 (――ですよね)


    ◇


 エルクードの肩から力が抜けた。そのまま両手で頬杖を付いた。


「いったい、どうして花嫁修業をしているんだい?」


 エルクードの声から堅苦しさが消えた。明らかに雰囲気が変わったのがわかった。


「それはもちろん、立派なお嫁さんになるためですわ!」


「誰の?」


「それは、これから決めるのですわ!」


 エルクードは頬杖を離すと、額に手を当ててうつむいた。

 リオナは、心の中でそっと同情した。


 (――そりゃ、そうなりますよ)


 ところが。

 うつむいたエルクードの肩が、小刻みに震えはじめた。


「くくく……」


「殿下?」


 サリエナが声をかける。エルクードの震えが大きくなった。


「くくく……あっはっはっは!」


 エルクードが、顔を上げて笑った。天井を仰いで、腹を抱えて、遠慮のかけらもなく笑った。


 リオナは目を丸くした。王族というのは、こんなふうに笑うものなのか。


「いや、失礼。失礼した」


 目尻を拭いながら、エルクードが息を整える。


「アリアーゼ殿は、昔とちっとも変わっていないな!」


「昔?」


 リオナは思わず口を挟んでしまった。


「初めて会ったのは、八年前になるか」


 エルクードが、懐かしそうに目を細めた。

王子様、突然の家庭訪問。そして五度の恩恵のほとんどが、花嫁修業のためでした。


次回、王子様とお昼ごはん。錦糸卵、出しちゃいます。


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