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婚約破棄された最強令嬢は、花嫁修業で世界を救います。でも、聖女の恋心には気づけません。〜アリアーゼの花嫁修業〜  作者: 遠崎カヲル
第六章 花嫁修業5 伝説のレシピ

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ずっとそばにいて

 坂の途中で、緑の屋根が見えた。白い壁が陽の光を反射して輝いている。


 半月ぶりの我が家だ。煙突は少し傾いたまま、窓は閉めたまま、洗濯物を干す縄だけが風に揺れている。出ていったときと何も変わっていない。


 リオナの足取りが少しだけ速くなった。


 神殿にいた頃は、場所を借りているような感覚だった。実家は、いつしか帰りたくない場所になってしまった。


 けれど今は、帰りたい場所がある。一緒に帰る人がいる。

 それが、リオナには嬉しくてたまらなかった。


 リオナはふと、隣を歩くアリアーゼを見た。すると、アリアーゼもこちらを見ていた。

 目があってしまい、リオナはとっさに目を逸らしてしまった。なんだか照れくさかった。


 そんなリオナの気持ちを知ってか知らずか、アリアーゼが口を開いた。


「うふふ。ようやく帰ってきましたわね」


 その声は心なしか弾んでいるように聞こえた。

 リオナも頷いた。


「そうですね。まな板も手に入ったし、無事に帰ってこられて良かったです」 


 毎度のことだが、本当に無事でよかった。リオナは今回の旅を思い出して、ちょっとだけ身震いした。


 その時、二人に呼びかける声が聞こえてきた。


「おーい! おっかえりーっす!」

 

 我が家の方から、まるっこい鳥がパタパタと飛んでくる。

 鳥は、二人の目の前までくると、ポワンという音とともに、赤髪でへそを出した服装の可愛らしい女の子に変身した。


「ただいま帰りましたわ、アッチム」


「ただいま戻りました。お留守番、ありがとうございます」


 二人が声をかけると、アッチムは満足そうに頷いた。


「うんうん。二人とも元気そうっすね。無事に帰ってこられてよかったっす」


 アッチムは言い終わると、アリアーゼの背中に視線を向けた。


「おおー! 立派なまな板! 手に入ったんすね!」


「ええ! 世界樹のまな板ですのよ!」


「立派っす! すっごい立派っす!」


 アッチムが背伸びしてまな板を見上げる。滑らかな表面の、立派な一枚板だ。木目は白銀に近く、角度を変えると薄く緑がかって光る。


「間違いなく世界樹っすね。よく手に入ったっすね!」


「ええ、快くわけていただけましたのよ」


「へえー……」


 アッチムは感心しながら、リオナをちらりと見た。

 リオナは小さく首を振って、困ったような笑顔を見せた。


「……そうっすか! とにかく、まずは旅の疲れを癒すといいっすよ。お疲れ! 《《リオナも》》本当にお疲れっした!」


 アッチムはリオナにだけわかるようにそっと片目を閉じた。

 リオナは小さく苦笑いを浮かべたのだった。


    ◇


 三人はお茶でくつろぎながら、旅の話をしていた。


「じゃあ、アッチム様はルリ様のことをご存知だったのですね?」


 リオナが驚いた声で言った。


「そりゃ、聖獣仲間っすからね。前にエルセリルの森に行ったのは五百年……、いやもうちょっと前かな? その時にも会ってるっす」


 アッチムは遠い記憶を探るように答えた。


「ルリ様はアッチム様のことを忘れておいででしたよ。それどころか、自分が聖獣の化身だってことも忘れていました!」


「ああ……あいつ、昔からそうなんす。忘れっぽいんすよ」


 アッチムは呆れたように肩をすくめた。


「まったく、いくら化身の方が楽だからって、千五百年も化身のままで、自分のことも忘れるなんて。聖獣の面汚しっすよ」


 アッチムは悪態をついているが、声には懐かしさを楽しむ雰囲気があった。

 リオナは、思わず笑みをこぼした。


「――ところで」


 アリアーゼが湯呑みを置いた。


「アッチム。世界樹で、あの男に会いましたのよ」


「あの男?」


「瘴気の森の地下で会った死人占い師。ネクロマンサーですわ」


 アッチムの表情が固くなった。


「……あいつっすか」


「ええ。世界樹の生命力を吸っておりましたの。餌だと申しておりましたわ。それと、前に会ったときより、明らかに力をつけておりましたわ。浄化の魔法を乗せた剣も、通りませんでしたの」


 アッチムは険しい顔で眉を寄せた。

 リオナは湯呑みを両手で包んだまま、言葉を継いだ。


「オリハルコンの包丁でなんとかなりました。アリアーゼ様のおかげで、撃退はできましたが、討てたわけではありません」


「……そうっすか」


 アッチムの表情がより険しくなった。

 アリアーゼはリオナの方を向きながら、口を開いた。


「リオナの光る魔術も効きましたわね。それと――」


 アリアーゼはアッチムに向き直った。


「去り際に名乗ったのですわ。我の名はゼルード、と」


 アッチムが顔を上げた。


「ゼルードっすか? 千五百年前に討たれた冥王の名っすね」


「ご存知でしたのね」


「知ってるも何も、あの戦いにはうちも参加したっす」


 リオナは湯呑みを取り落としそうになった。


「ええっ? そうなんですか?」


「冥王と人類の戦いに、聖獣たちも力を貸したっす。そんで、たしかに冥王は討たれたっすよ」


「……そうなんですね」


 リオナは少しだけ表情を柔らかくすると、お茶をすすった。


「でも、聞くほどに怪しい奴っすね。冥王の名を語り、何を企んでいるのか」


 アッチムは湯呑みを置いて、腕を組んだ。


「ま、うちらにできることは限られてるっすよ。居場所も分からない、何をしたいかも分からない。次に出てきたら、またぶん殴ってやればいいっす」


「まあ、そうですわね。次にお会いしたら、今度こそ逃がしませんわ!」 


 アリアーゼは湯呑みを高々と掲げた。


「さてと」


 アッチムが椅子から立ち上がった。


「二人とも疲れてるっすよね? 今日はゆっくり休むといいっすよ。風呂、沸かしといたっす」


「まあ、アッチム」


 アリアーゼの顔が、ぱっと明るくなった。


「さすがフェニックス様は気が利きますわ」


「へへへ。んじゃ、ごゆっくりー」


 アッチムはひらひらと手を振って、物置小屋へ戻っていった。


    ◇


 半月ぶりの自宅の湯殿である。


 宿の湯も、里の温泉も、それぞれに悪くはなかった。けれど自分の家の湯は違う。床の木目も、桶の傷も、湯気の匂いも、全部知っている。


 その安心感の中で、リオナは身を固くしていた。原因は、後ろの人物だ。

 風呂に入るなり、アリアーゼはいつものように「リオナを洗ってあげる」と申し出てきた。一緒に風呂に入るのはいつものことだが、洗ってもらうのはどうにも慣れそうになかった。


 ……というより、慣れてはいけないと思わせる手つきだった。


「まあ。リオナ、また少し焼けましたわね」


「そりゃ、半月も外を歩いていましたから」


「ここは白いままですわ」


「変な所を触らないでください」


 アリアーゼは聞いていない。石鹸の泡を手のひらに広げ、リオナの背中を撫でていく。


 すべ。

 すべ、すべ。


 容赦のない手つきだった。生真面目で、丁寧で、どこにも遠慮がない。肩から背骨に沿って下り、脇腹を回って、また上がってくる。


「あ、あの、いつも言ってますけど、自分で洗えますってば」


「これも修業ですわ」


「何の修業ですか」


「殿方の背中を流すのも、お嫁さんの務めですもの」


「わたし、殿方じゃないですけど」


「練習ですわ」


 いつもの答えだった。リオナは諦めて前を向く。抵抗するだけ無駄なのは分かっている。


 湯気が立ち上っている。窓の外はもう暗い。

 すべ、と手のひらが動いて、そこで止まった。


「ねえ、リオナ」


「はい」


「いつもわたくしの夢に、無理に付き合わせてしまって、ごめんなさいね」


 一瞬、静寂が落ちた。雫の跳ねる音が、やけに大きく聞こえた。


 リオナは振り返らずに答えた。


「……そんな、無理にだなんて思ってません」


 その声は、自分で思うよりもずいぶんと小さく出た。


「わたしは、アリアーゼ様のお役に立てているのなら、むしろ嬉しいです」


 背中の手が、また動き出す。さっきより、ずっとゆっくりと。


「そう言ってくださるのなら、わたくしも嬉しいですわ」


 アリアーゼの声はいつも以上に優しかった。


 そして。


「リオナ。これからも、ずっとそばにいてくださる?」


 アリアーゼの手の平が、リオナの肩にそっと置かれた。


 リオナの頭の中が、真っ白になった。言葉がすぐには出てこない。一生懸命に考えているうちに、アリアーゼの言葉が続いた。


「例えわたくしが、誰かのお嫁さんになっても」


 リオナは答えなかった。答えられなかった。

  

 リオナは、肩に置かれたままのアリアーゼの手に、そっと触れた。濡れた指が、その手の甲を包む。


 アリアーゼの手を、きゅっと握った。それだけだった。


 アリアーゼは、それ以上は何も言わなかった。

 湯の音だけが、静かに響いていた。

久しぶりの我が家でいい感じに寛いでいると思ったら。

アリアーゼ様、それは言ってはいけないやつです。


次回、花嫁修業を頑張る二人の元へ、思わぬ来訪者が!

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