なかなかの歯ごたえでした
と、いうわけで、二人は火炎龍と対峙することになった。
「――餌の分際で」
火炎龍が、ゆっくりと首を下ろした。金色の目が、二人を見下ろす。
「俺に歯向かうとは、いい度胸だ」
喉の奥が、赤く光りはじめた。
「ちょうど小腹が空いていたところだ。こんがりと焼き目をつけていただくとしようか」
「あら? 私たちを お料理する気でいらっしゃるのね」
アリアーゼが、小首をかしげた。
「ご自分がお料理される側だとは考えないのかしら」
「ちょ、ちょっと! アリアーゼ様!」
龍を挑発するアリアーゼを、リオナは必死に止めようとする。
火炎龍は愉快そうに目を細めた。
「ククク。随分と生意気なことを言うではないか。俺のブレスを受けて、絶望の中で焼け焦げるがいい!」
灼熱のブレスが、放たれた。
岩場が、一瞬で赤く染まる。轟音とともに、炎の奔流が二人へ向かって押し寄せた。
リオナはとっさに両腕を前に構えた。防御の魔法を唱えようとする。
しかし、それを制するようにアリアーゼが前に出た。腕に固定したまな板を前へ構える。
――板の表面が、白銀に輝いた。
炎が、その手前で二つに割れる。左右へ流れ、背後の岩を焼くが、二人のところへは一筋も届かなかった。
やがて、熱風が収まった。
アリアーゼの髪が風になびく。髪は、一本たりとも焦げていなかった。
「まあ!」
アリアーゼが、目を輝かせた。
「本当に耐えましたわ! エルセルリオン様のおっしゃった通りですわね!」
「……はあ」
リオナは、構えかけた手を下ろした。
さすがにぶっつけ本番で、灼熱のブレスをまな板で受けるとは思わなかった。ちょっとだけ ヒヤリとしたが、どうやら、自分の出番は、なさそうだった。
「な、なんだと……」
火炎龍は驚きの声を上げて後ずさった。
「そ、それは、まさか、神話に出てくる伝説の……」
「まな板ですわ!」
「まな板ァ!?」
火炎龍の声が、裏返った。
「そうか。それが、伝説のまな板か……って、そんなん聞いたことないわ! なんで俺のブレスが防がれたのォ?」
「ええ。世界樹のまな板ですのよ」
アリアーゼは、誇らしげにそれを掲げた。
「立派でしょう? 作っていただいたばかりですの」
「世界樹……の、まな板……」
火炎龍は、しばらく黙り込んだ。それから、ぶんぶんと首を振った。
「ふ、ふん! だが、それがどうした! 俺のブレスを防いだからと言っていい気になるなよ」
火炎龍はぐっと胸を反らし、自らの鱗を叩いてみせた。
「よく聞け、人間。俺の鱗の硬さは、あの暗黒龍にも匹敵する。並の刃物では容易に傷つけることはできん。オリハルコンの刃物でもない限り、俺を倒すことは――」
ぷすっ。
「痛っ!」
火炎龍が、飛び上がった。
脇腹の鱗に、小さな刺し傷ができていた。
「え、なにそれ」
火炎龍は、アリアーゼが持つ刃物をまじまじと見つめた。
「これは包丁ですわ!」
アリアーゼは鈍色に輝く包丁を天高く掲げた。
「え……? ただの包丁がなんで俺の鱗に簡単に刺さるの?」
「だって、オリハルコンの包丁ですもの」
「…………」
「グラニス族の里で、打っていただきましたの。伝説の包丁ですわ!」
「……なんでえええええェ? お前、なんなのおおおおおォ?」
可哀想なことに、火炎龍はしっかりとお料理されました。
◇
ゼリアス王国、王宮執務室。
机の上に、大きな地図が広げられていた。北の山脈のふもとに、赤い印がひとつ打たれている。
「街道はこの三本です。いずれも龍の巣から半日の距離にあります」
騎士団長のカーゾフが、地図の上を指でなぞった。
「主力を東の街道に配し、南から弓兵を回します。開けた場所へ誘い出すのが要かと」
「巣の中では戦えぬか」
「岩場です。隊列が組めません」
エルクードは、腕を組んだ。
「犠牲は、どの程度と見る」
「……正直に申し上げます」
カーゾフは、一度言葉を切った。
「少なくとも三割は覚悟していただきたく」
エルクードは、それには答えなかった。
火炎龍は、この十年でも三度、街道を焼いている。放っておけば、いずれ里まで下りてくる。分かっていながら、手を出せずにいた。国庫が許さなかったからだ。
今年、ようやく予算が下りた。各地から手練れを集め、作戦を三度練り直した。
「編成は、いつ整う」
「本日中には」
「そうか」
エルクードは、地図の赤い印を指先でなぞった。
「皆、無事に帰ってきてほしいものだ」
「御意」
その時、執務室の扉が静かに開いた。
「失礼いたします」
サリエナが姿を見せた。恭しく頭を下げる。
「殿下。ご報告がございます」
「なんだ。今は火炎龍討伐の件で立て込んでおるぞ」
「……その、火炎龍の件でございます」
エルクードは、顔を上げた。
「なんだ? 申してみよ」
「火炎龍が討伐されたとの報告が入りました」
室内が、静まり返った。
「……は?」
カーゾフが、間の抜けた声を出した。
「三日前のことです。近隣の村の者が、複数目撃しております」
「待て。三日前だと? 誰がやったのだ」
「アリアーゼ様です」
「…………」
エルクードは、しばらく動かなかった。
やがて、椅子の背にゆっくりともたれかかると、天井を見上げた。
「……そうか」
「はい」
エルクードはサリエナに視線を向けた。
「そうか」
「はい」
エルクードは、地図に視線を落として黙った。
「サリエナ殿! それは、いったいどういうことですか!」
カーゾフが、机に手をついた。
「この十年間、手を出せなかった相手ですぞ! 我らは半年かけて準備を進めてきたのですぞ! それを、たった一人で!」
「落ち着け、カーゾフ」
エルクードが声をかけるが、カーゾフは興奮が収まらない。
「落ち着いていられますか! いったい、どうやって!」
「サリエナ」
エルクードは、上体を起こした。
「討伐の状況は分かっているのか」
「目撃者によりますと」
サリエナは、抑揚のない声で報告を続けた。
「アリアーゼ様は、板のようなものを構えて炎を防ぎ、その後、短い刃物で龍を細切れにしたと」
「板」
「板です」
「……刃物」
「短いものだったと」
二人のやりとりを聞いたカーゾフは、茫然とした表情で、声を絞り出した。
「板と、短刀で、火炎龍を討伐したというのですか……」
サリエナは小さく頷いて、続けた。
「目撃者は通りがかりの村人が五名。いずれも同じ証言でございます。それと、味は鶏肉に近かったとのこと。近くの村に肉が振る舞われたそうで」
「……え? 食べちゃったの? 龍」
カーゾフは、力なく椅子に腰を落とした。
◇
「盗賊団の壊滅から始まり……」
エルクードが、指を折った。
「フェニックスの浄化。暗黒龍の討伐。アンデッド事件の解決」
そして、最後の一本。
「火炎龍の討伐か」
「五度目でございますね」
サリエナが淡々とした声で頷く。
「五度目だな」
エルクードは、深く息を吐いた。それから、ふっと笑った。
「やはり、アリアーゼ殿は我が国を救ってくださっている」
「殿下?」
「偶然が五度も続くものか。これはもう、明確な意思だ。我が国に対する、好意と言ってもいい」
エルクードの目に、隠しきれない熱があった。
「討伐隊は解散させよ。カーゾフ、皆に詫びておけ。報酬の一部は支払ってやれ。手間を取らせた詫びだ。……それと、残りの予算は残しておけよ」
「は? 討伐が行われないのにですか?」
「行われたではないか。我が国の外で、我が国のために」
エルクードは、立ち上がった。
「渡す相手が変わっただけだ。以上だ」
◇
「……あの、殿下」
カーゾフが執務室を去ると、サリエナが口を開いた。
「まだ何かあるのか」
「ご報告が、もう一件」
その声が、わずかに硬い。
エルクードは、この女官が言い淀むところを、この十年で数えるほどしか見たことがなかった。
「言ってみろ」
「先日、王都の図書館にて、私自身がアリアーゼ様に直接接触いたしました」
「ほう。それは初耳だ」
エルクードが、身を乗り出した。
「どうだった。何か掴めたか」
「……あの方は」
サリエナは、一度、深く頭を下げた。
「こちらの監視に、気づいておいででした」
エルクードの動きが、止まった。
「……なんだと!?」
「間違いございません。すれ違いざまに、直接、そう言われました」
「お前の正体にも気づいたのか?」
「面目次第もございません。詳しい身分は掴まれていないと思いますが、監視の一環だと見破られました」
サリエナは、頭を下げたままだった。
エルクードは腕を組んだ。
サリエナの優秀さは誰もが認めるところだ。失態を犯したとは考えにくい。
ということは、やはり相手が只者ではないということだ。
「アリアーゼ殿は、監視にいつから気づいていたと思う?」
「おそらくは、最初からかと」
「最初からか……」
エルクードは、額に手を当てた。それからサリエナに向き直る。
「それで、アリアーゼ殿は何と?」
「伝言を預かっております」
「伝言だと?」
エルクードは目を見開いた。
「はい」
サリエナは、顔を上げると、アリアーゼの言葉を伝えた。
『逃げも隠れもしませんわ。こそこそせずに堂々と会いに来ればよろしいですわ』
エルクードは、天井を見上げ、しばらくの間黙っていた。
やがて、その肩が小刻みに震えだした。
「くくっ」
「……殿下?」
エルクードは、口元を押さえた。
「くくく……はっはっはっは!」
執務室に、笑い声が響いた。
「殿下!?」
「いや、失礼。いや、これは」
エルクードは、目尻を拭った。
「なるほど。なるほどな」
そして、机の上の地図を、無造作に畳んだ。
「サリエナ」
「はい」
「そこまで言われて、行かぬわけにもいくまい」
エルクードの口の端が、持ち上がっていた。
「支度をせよ。アリアーゼ殿に会いに行こうではないか」




