やっぱりそうなるのね
赤黒い鱗に覆われた巨体が、岩場を埋めている。
火炎龍。
暗黒竜と並び、人間を好んで食す極悪龍のうちの一匹である。
広げた翼は、見上げるほどの高さがあった。喉の奥が、ごうごうと鳴っている。熱気が、風になって吹きつけてきた。
リオナは、その姿を見上げていた。恐怖を感じて然るべき場面だが、それよりも状況に呆れる感情の方が上回った。
その隣では、アリアーゼが楽しそうに笑っている。その腕には、大きな木の板がベルトによって固定されていた。
「うふふ。いよいよ、試せますわ!」
「…………」
リオナは、答えなかった。答える気力が、もう残っていなかった。
(……どうして、こんなことに)
リオナは少し前の事を思い出していた。
◇
世界樹の前で、青い光が収まっていく。
巨大な体が縮み、長い首が消え、鱗が肌に変わっていった。光が晴れたとき、そこに立っていたのは、いつもの銀髪の少女だった。
「ふう。やはり、この姿の方が楽じゃな」
ルリは、肩をぐるりと回した。
「あの図体はいかん。肩が凝って仕方がない」
「あのう……ルリ様」
リオナが、じっとルリを見た。
「なんじゃ?」
「もう、忘れないでくださいよ。自分が聖獣だってこと」
「さすがにすぐには忘れんわい」
ルリは、むっとした顔で腕を組んだ。
「思い出したばかりじゃぞ。そう簡単に忘れてたまるか」
「……本当ですか?」
「本当じゃ。いいか、わしらの記憶はな、古いものから順に忘れていくのじゃ。千五百年前のことなど、いちいち憶えてられん。それだけの話じゃ」
「では、また忘れることも?」
「そうじゃな……」
ルリは、少し考えてから頷いた。
「千年ばかり経てば、あるかもしれんな」
「……とりあえず大丈夫そうですね」
◇
里へ戻るまでの三日間は、来た時よりも足取りがずっと軽かった。
世界樹が救われたという報せは、すでに先に届いていたらしい。すれ違う里の者が、次々と足を止めて頭を下げてくる。
道中でリオナとルリは並んで歩いていた。
「のう、リオナ」
ルリが、前を向いたまま口を開いた。
「はい」
「わしがな、リオナに惹かれた理由がわかったわい」
「……はい?」
「わしはアズリウス。生命と癒しの聖獣じゃ。そりゃ、聖女の力には惹かれるわ」
ルリは、こくこくと頷いた。
「しかも、リオナの聖女の力はそうとう強い。だから、共鳴したのじゃ。ようやく合点がいったわい」
「そうだったんですね」
リオナは、なるほど、と思った。あの異様な構われ方にも、ちゃんと理屈があったのだ。
――が。
「じゃ、じゃがの」
ルリの足が、少しだけ遅くなった。
「聖女の力を差し引いても、わしはリオナのことは、その」
声が、小さくなっていく。
「気に入っとるよ」
リオナは、思わずルリの横顔を見た。
耳の先まで、真っ赤だった。
「……可愛い聖獣様ですね」
「か、からかうでない!」
◇
里に着くと、エルセルリオンはすぐに職人の家へ二人を連れていった。
「こやつが、里で一番の木工だ。腕は保証する」
紹介された老エルヴスは、布に包まれた枝を受け取って、それを開いた。
「……長。これはもしかして」
「世界樹の材だ。本物だぞ」
その言葉を聞いて、職人の手が震えだした。
「わたしの一族は、代々この仕事をしております。わたしの父も、その祖父も。ですが」
枝の表面を、そっと撫でる。
「世界樹の材に鑿を入れた者など、誰ひとりおりません」
「では、お前が最初だな」
エルセルリオンは、あっさりと言った。
「切り出してから七日のうちに仕上げねばならん。残りは四日だ」
「四日……!」
「やれるか」
「やりますよ。職人冥利につきます!」
職人は、顔を上げた。目が据わっていた。
「一生に一度あるかどうかの仕事です。全力を尽くします。それで、何をお作りになりますか?」
職人の問に、アリアーゼはにっこりと微笑んで答えた。
「まな板をお願いいたしますわ」
「……えっと?」
職人の口が、半分開いたまま止まった。構わずにアリアーゼは話し続ける。
「大きめでお願いしますわね」
「大きめ、と申されますと」
「そうですわね。たくさん切れた方が便利ですもの。このくらいかしら」
アリアーゼは、両手を広げた。
「あの、アリアーゼ様!」
リオナが、慌てて割って入った。
「それ、少し大きすぎませんか? 台所に置けないと思います!」
「まあ」
アリアーゼは、心底残念そうな顔をした。
「では、少しだけ小さくいたしますわ」
そう言って、両手の幅を、ほんの少しだけ狭めた。
リオナは、それ以上言うのをやめた。
「それと、もうひとつ」
アリアーゼが、指を立てた。
「裏側に、溝を二本入れていただけますかしら」
「溝、でございますか?」
「大きいと、持ち運びが大変なので、ベルトを通せるようにしたいのですわ。背負えるようにしておけば、どこへでも持っていけますでしょう?」
「まな板を、持ち歩かれるので?」
「もちろんですわ」
職人は、しばらく考えた。それから、深く頷いた。
「かしこまりました。承ります」
深く考えるのをやめたのだ、とリオナは悟った。
◇
三日後、まな板は完成した。
「まあ……!」
アリアーゼが、両手を口元に当てた。
「まあ、まあ、まあ!」
駆け寄って、その板に触れる。指先で表面を撫でて、うっとりと目を細めた。
「なんて立派なのかしら……!」
「アリアーゼ様」
リオナが、恐る恐る声をかけた。
「あの、これ、やっぱり大きすぎませんか?」
「そうかしら? ちょうどよろしいと思いますけれど」
アリアーゼは、きょとんとしている。
リオナは、その板を持ち上げようとしたが、両手でやっとの重さだった。
「重っ!」
「あら。そうですの?」
アリアーゼは、片手でひょいと持ち上げた。それから、くるりと回してみせる。
「軽いですけれど」
「アリアーゼ様は、やっぱりお化物様でいらっしゃいますね」
リオナは呆れた声を出した。
「これを持ち運ぶのですか?」
「そうですわ。背負えばよろしいのですわ」
アリアーゼは、用意されていた革のベルトを溝に通し、慣れた手つきで背中に回した。留め具を締める。
背に巨大な板を背負った侯爵令嬢。その姿を見て、リオナは何とも言えない気持ちになった。
「いかがかしら?」
「……似合ってます」
それしか言えなかった。
◇
ふと、リオナは作業台の隅に目を留めた。
削り出した際に出た端材が、いくつか残っている。どれも細長く、まだ十分な長さがあった。
「余った材料がなんだかもったいないですね」
リオナの言葉に職人が頷いた。
「そのようですな。余りは、どういたしましょう。お持ち帰りになりますか?」
リオナは、少し考えた。あと一日で加工を済ませないと、加工が不可能な端材が残るだけである。用途のない端材など貰ってもしょうがない。
「あの、わたしからも一つ、お願いできますか」
「何をお作りで?」
「麺棒があるといいなって。練った小麦粉を伸ばす丸い棒です」
リオナは、手ごろな端材を指した。
「もったいないので」
「承知いたしました」
職人は、その場で削り始めた。
半刻もしないうちに、一本の麺棒ができあがった。リオナが受け取って、軽く握ってみる。手によく馴染んだ。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」
リオナは世界に一つしかない、世界樹の麺棒を手に入れた。(テッテレー♪)
◇
出立の朝、里の外れには、大勢のエルヴスが集まっていた。その中にはルリもい
た。
「リオナ」
ルリが、歩み寄ってきた。
今日も髪をきれいに梳かしている。耳のあたりに、白い小花の飾りが挿してあった。
「なんでしょう?」
「その……たまには、遊びに来てくれんか」
ルリは、視線を逸らしながら言った。
「べ、別に、寂しいわけではないぞ。ただ、里は退屈でな」
「はい。ぜひ、伺います」
リオナが笑うと、ルリの耳が赤くなった。
「うむ。待っておるからの。では、気をつけて帰れよ」
ルリが下がると、エルセルリオンが前に出た。
「世話になったな……いや、世話をしたのはこちらの方か。いや、どうだろ。うん。」
「うふふ。お互いさまですわ」
「二度と来るな――」
言いかけて、エルセルリオンは咳払いをした。
「とは、言わんよ。うん。いつでも来るがいい。歓迎する。たぶん」
「まあ。よろしいんですの?」
「ただしっ!」
エルセルリオンは、アリアーゼの背中の板を指した。
「世界樹の材は、もうやらんぞ」
「あら、残念ですこと」
アリアーゼはいたずらっ子のような表情で微笑む。
エルセルリオンは小さくため息をついた。
「まったく、世界樹のまな板など、聞いたことないぞ。安定後の世界樹の材は特別だ。刃物を通さんし、三日ほど火にさらして、ようやく燃えるほどだからな」
エルセルリオンは遠い目をしてどこかを見つめた。
「大切にするんだぞ。世界樹の材は火炎龍の炎の息にも耐えるんだからな」
エルセルリオンの言葉に、リオナは一瞬で顔が青くなった。
(げっ!? またこのパターン? なんでみんな、最後に余計な一言を付け加えるの?)
リオナは覚悟を決めて、恐る恐るアリアーゼを見た。
予想に反して、アリアーゼの表情に特に変わった所はなかった。
「エルセルリオン様、ありがとう。まな板として、大切に使わせていただきますわ」
アリアーゼはにこにこしながら答えた。
リオナの肩から力が抜けた。心の底から良かったと思った。
その時、人だかりの中から、小さな影が飛び出してきた。セイラスだった。リオナの足元まで駆け寄ってきて、両手で袖を掴む。
「お姉ちゃん、ありがとう。またね」
「……はい。またいつか」
リオナは、その頭を撫でた。
◇
アリアーゼとリオナはエルヴスたちの里へ背を向けた。
エルセリルの森に滞在したのはおよそ二週間。だが、リオナにはもっとずっと長い期間に感じられた。
いろいろあったが、無事に世界樹のまな板を手に入れることができた。隣を歩くアリアーゼはずっと上機嫌だ。リオナも、手に持った世界樹の麺棒に視線を落として微笑んだ。
(さあ、ラカの村に戻って、アリアーゼ様のお料理の練習にゆっくりとおつきあいすることにしましょうね)
そんな風に思っていると、二人は街道の分かれ道に着いた。
ラカの村は左の道だが、アリアーゼは迷わず右の道へと歩いていく。
「アリアーゼ様! 道が違ってますよ?」
リオナは急いでアリアーゼに駆け寄った。
「いいえ。間違ってはおりませんわよ?」
アリアーゼが不思議そうに振り返る。
「え? だって、ラカの村は向こうですが」
「リオナ。何をおっしゃっているの? まだ、ラカへは戻りませんわよ?」
リオナはわけがわからず、眉を寄せた。
「はい? どこに向かうんですか?」
アリアーゼはにっこりと笑うと、振り返って背中のまな板をリオナに見せつけた。
「ほら、世界樹のまな板の性能を確かめないといけませんでしょう?」
ついに完成した伝説のまな板。そして、リオナは本当にお気の毒さまです。
次回、「伝説のまな板編」、完結です!




