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婚約破棄された最強令嬢は、花嫁修業で世界を救います。でも、聖女の恋心には気づけません。〜アリアーゼの花嫁修業〜  作者: 遠崎カヲル
第四章 花嫁修業3 お掃除修業

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ポンコツ長老

 四人が世界樹の前へ戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。

 残っていた里の者たちが駆け寄ってくるが、皆一様に青い顔をしている。


「エルセルリオン様、世界樹が……」


 エルセルリオンが世界樹を見上げる。その場にいた全員が、言葉を失い、動けなくなった。


 ――あの光沢が、消えている。


 朝、ここに立った時は、一歩進むごとに色が変わった。白銀、翠、薄紅がかった金。同じ色を二度見ることはなかった。


 それが今は、灰色がかった一色に沈んでいる。どの角度から見ても、同じだった。


 頭上の葉は、透けるほど薄かったはずだ。それが色を失い、力なく垂れ下がっている。足元には、黒い葉が幾重にも降り積もっていた。朝には、数えるほどしかなかったのに。


「そんな……」


 エルセルリオンの眉間に、深い皺が刻まれた。


「半日だぞ。たった半日で、ここまで」


    ◇


 リオナはすかさず世界樹に駆け寄った。

 幹に両手を当てる。目を閉じた瞬間、リオナは息を呑んだ。


 生命力の流れは、まだあった。膨大で、底が見えない。それは変わらない。

 だが、その中に黒い筋が幾本も混ざっていた。ゼルードが繋いでいた、あの冷たい線ではない。もっと細かく、もっと広く、生命力そのものに絡みついている。


 ――浸食されている。


 リオナは、その一本に意識を集中した。


「大いなる光よ、集え。闇を祓いて、その身を浄めよ」


 光が流れ込み、黒い筋がほどけていく。筋がひとつ、消えた。


 ――浄化できる!


 そう思った次の瞬間だった。

 筋が消えた場所のすぐ隣から、新しい黒い筋が滲み出した。一本が二本に分かれ、二本が四本になる。リオナが一本を祓う間に、その倍が生まれていた。


「……嘘」


 リオナは、意識を集中して、次々と浄化の光を流し込んだ。次々と黒い筋を祓う。汗が顎から滴り落ちた。指先の感覚が消えていく。それでも手を離さなかった。


 しかし。


 どれだけ祓っても、黒い筋は減るどころか、増え続けていった。


    ◇


「リオナ!」


 肩を掴まれて、リオナは我に返った。振り返ると、心配そうなアリアーゼの顔が見えた。


「もうおよしなさい。顔が真っ青ですわ」


「でも、まだ……」


「リオナ! これ以上はあなたが持ちませんわ!」


 その声に、リオナは膝から力が抜けて、そのまま地面に座り込んだ。両手が、震えていた。

 エルセルリオンが、そばに膝をつく。


「リオナ殿。何が起きている。教えてくれ」


「……浸食されています」


 リオナは、うつむいたまま答えた。


「闇の魔力が、世界樹の生命力そのものに糸のように絡みついて、内側から広がっているんです。闇の魔力はもう接続されていません。それなのに、浸食だけが独りでに進んでいます」


「祓えぬのか」


「祓えます。でも、間に合いません」


 リオナは、顔を上げた。目に涙が滲んでいた。


「わたしが一本祓う間に、二本増えます。二本祓えば、四本になります。追いつかないんです」


 エルセルリオンの喉が、鳴った。


「では、どうなる」


 リオナは、答えるのをためらった。言わなければならないことは分かっていた。それでも、この人に向かって言うのは、あまりにも酷だと思った。


「リオナ殿。頼む。正直に言ってくれ」


「……持って、三日です」


 その言葉に、里の者たちがざわめいた。


「三日で、世界樹は枯れます」


    ◇


 誰も、動かなかった。


 風が、頭上を渡っていく。葉の鳴る音がした。かつては、ざあ、と大きく響いた音だ。それが今は、乾いた音を立てている。

 エルセルリオンは、幹を見上げたまま立っていた。その背中は、ひどく小さく見えた。


「……わたしの代で、か」


 掠れた声が漏れた。


「神話の時代から、ずっとそこにあったものを。たかだか数百年しか生きておらぬわたしの代で、失うというのか」


 誰も、答えられなかった。

 アリアーゼが、そっとリオナの背に手を置いた。リオナは、その手の重さに気づかないほど、打ちのめされていた。


 ――自分の力が、足りないからだ。


 そう思った。思わずにはいられなかった。


 しばらくの静寂が続いた。


 やがて、エルセルリオンが振り返った。


「……ひとつだけ、思いつく方法がある」


 その声に、全員が顔を上げた。


    ◇


「我らの神話に、こうある」


 エルセルリオンは、世界樹の幹に手を触れた。


「その昔、この地に一本の若木があった。それは、ただの木だった。それに命を吹き込み、世界樹たらしめたのが、聖獣アズリウスだと」


「聖獣、アズリウス様……」


 リオナが呟いた。

 神殿でも、その名は教わった。四体の聖獣のうちの一体。癒しと、生命を司る青き龍。


「世界樹は、アズリウスの力そのものから生まれた。ならば」


 エルセルリオンは、拳を握った。


「アズリウスの力があれば、これを癒すことができるはずだ。少なくとも、我らの中で、それ以外に思いつく術はない」


「では!」


 リオナが、立ち上がった。


「アズリウス様に、お願いすれば」


「……そこだ」


 エルセルリオンの肩が、落ちた。


「アズリウスの居場所がわからんのだ。今いる里の者は誰も会った事がない。千五百年前に、冥王を打ち倒した戦い。あれを最後に、アズリウスが人前に姿を現した記録は、ただの一度もない」


「千五百年も……」


 リオナは、言葉を失った。


「どこへ行ったのか。何をしておるのか。生きておるのかどうかすら、分からん。我らの記録にも、人間の伝承にも、手がかりは一切残っておらんのだ」


 場を沈黙が支配した。


 リオナは、ふと顔を上げた。


「そうだ……!」


 三人の視線が、一斉にリオナへ集まる。


「同じ聖獣様に聞いてみるのはどうでしょうか? フェニックス様なら、ご存じかもしれません!」


「フェニックスを知っておるのか?」


 エルセルリオンが目を見開いた。


「はい! アッチム様に聞けば、きっと何か手がかりが――」


「待て。アッチムとは、誰だ?」


「フェニックス様の化身です。わたしたち、一緒に住んでいるんです」


「……なんと!」


 エルセルリオンは思わず声を上げた。


「聖獣と共に暮らしておるというのか……!」


 希望が差し込んだのも束の間、エルセルリオンの表情はすぐに曇った。


「手がかりは掴めるかもしれん。だが、間に合うのか」


「あ……」


 リオナは口をつぐんだ。


 シオイナ山までは、どれほどの距離があるだろうか。ここから里まで三日。里から王都まで、さらに数日。そこからラカの村へ。往復で、半月はかかる。

 三日しかないのに。


「……ごめんなさい。無理ですね」


 リオナは、力なく座り直した。

 その横で、ルリが首をかしげた。


「アッチム?」


 ぽりぽりと頬を掻く。


「なんじゃろうな。その名前、聞いたことがあるような、ないような……」


    ◇


 日が、木々の向こうへ沈もうとしていた。

 

 誰も言葉を発しなかった。


 エルセルリオンは、幹に額を押し当てたまま動かない。里の者たちは、声のかけようがなく、ただ立ち尽くしている。


 リオナは、膝を抱えて座り込んでいた。何か方法があるはずだ。そう思って考え続けたが、何も浮かばなかった。


 アリアーゼが、その隣に腰を下ろす。何も言わずに、リオナの手を握った。


 ただ一人、ルリだけは落ち込んだ様子もなく、全員を見回すと口を開いた。


「まあ、仕方がないよ。なるようにしかならんじゃろ」


 その声は、あまりにも軽かった。

 リオナが顔を上げると、ルリが伸びをしていた。


「枯れたら枯れたで、その時はその時じゃ。また芽が出るのを待てばよかろう」


 その言葉に、リオナの中で、何かがぷつりと切れた。


「……ルリ様」


 立ち上がる。


「どうして、そんなひどいことを言うんですか」


「ひどいことじゃと?」


 ルリは、きょとんとした顔をした。


「だって、事実じゃもん」


「事実だとしても!」


 リオナは、叫んでいた。


「言い方ってものがあるでしょうが! エルセルリオン様が、どんな気持ちでそこに立っておられると思ってるんですか!」


「なんじゃと」


 ルリの眉が、跳ね上がった。


「口のききかたに気をつけよ。わしは長老じゃぞ」


「いいえ、言わせてもらいます!」


 リオナは、一歩踏み出した。


「このポンコツ!」


    ◇


「なんじゃとおおお!」


 ルリが、飛び上がった。


「リオナ! めんこい顔をしている癖に、何てことを言うんじゃ!」


 ルリの怒声にもリオナは怯まなかった。


「ポンコツだから、ポンコツと言ったまでです!」


「くうう! 言わせておけば! わしを馬鹿にするでない!」


「馬鹿にされるようなことをおっしゃったからです!」


「わしは長老じゃぞ!」


「知ってます!」


「ルリ様じゃぞ!」


「それも知ってます!」


「わしはな! 青龍アズリウスの化身じゃぞ!!!」



 ――その瞬間、風が止まった。



 リオナの口が、開いたまま止まる。エルセルリオンが、幹からゆっくりと顔を上げた。アリアーゼだけが、きょとんと首をかしげている。


「……なんて?」


 リオナが、掠れた声で言った。


「じゃから、わしは長老で、ルリ様で、青龍アズリウスの化身で……」


 ルリの動きが、止まった。


「…………」


 目が、ゆっくりと見開かれていく。


「…………あっ!」


 ルリは、両手で自分の頬を挟んだ。


「思い出したああああ!」


 その場にいた全員が、ルリを凝視していた。


「そういえばわし、青龍アズリウスの化身じゃったわ」


残り三日。絶望的な状況の中、まさかの人物が名乗りを上げました。


次回――青龍アズリウス、登場!

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