長くて青い
あまりにも突然の告白に、誰も、何も言えなかった。
エルセルリオンも、リオナも、ルリ自身でさえも、しばらく動かなかった。
ただ一人、アリアーゼだけは、キラキラした目でルリを見つめていた。
やがて、エルセルリオンが声を絞り出した。
「……ル、ルリ様? あの、それは、どういう意味でしょうか……」
「言葉どおりの意味じゃ。わしは、聖獣アズリウスの化身、ルリじゃ。すっかり忘れておったわ」
ルリは、あっけらかんと頷いた。
「いやあ、長く生きすぎるとダメじゃな。細かいことは忘れてしまうものじゃ」
ルリは、口元を押さえて笑った。
「あ、あの……ルリ様?」
リオナが問いかけた。心なしか、声が裏返っている。
「ルリ様が……アズリウス様、なのですか?」
「そうじゃ。さっきから言っておろう」
ルリは、何でもないことのように頷いた。
その言葉に、リオナは眉を寄せて目を細めた。ジト目である。
「……本当に?」
「本当じゃ」
「……聖獣の?」
「そうじゃ」
「……アズリウス様?」
「じゃから、そう言っておるじゃろ!」
ルリは得意げに胸を張った。
リオナは、しばらく黙っていた。そして――
「…………ポンコツなのに?」
「そこは関係なかろうがああああ!」
ルリは眉を吊り上げたが、リオナは怯まなかった。
「ご自分が聖獣だってこと、普通、忘れます? ポンコツ以外のなにものでもないじゃないですかっ!」
「じゃって、普段は使わん知識じゃもん」
「はあああああ? ちょっと、いい加減にしろよ!」
つい、素が出てしまった。リオナはそのまま頭を抱えた。その隣で、アリアーゼだけが、ぱちぱちと手を叩いている。
「まあ! それでは、世界樹は助かりますのね!」
「うむ。任せておけ」
ルリは、胸を張った。
「わしの力なら、この程度、なんとでもなるわい」
そんな愉快なやり取りの隣で、エルセルリオンはまだ口を開けたまま立ち尽くしていた。
数百年。この方を長老と呼び、里の相談役として敬い、時には呆れ、時には小言を言われてきた。その相手が、伝説の聖獣だった。
「……そんなことが」
エルセルリオンは、ふらりとよろめいた。
「……そんなことがあってたまるか!」
木の幹に手をついて、なんとか身体を支える。
ルリがその肩に手を添えた。
「長。しっかりせい」
「あんたのせいだろうがあああああ!」
エルセルリオンも素が出た。
「聖獣様って、どうしてこう、変わった方ばかりなのでしょうか……」
リオナは、深いため息をついた。
「フェニックス様も、テラトータス様も、みんなどこかおかしいんです。神殿の皆様に教えてさしあげたいです」
「一応、やめておけ」
エルセルリオンはさらに深いため息をついた。
◇
「さて」
ルリが、ぱんと手を打った。
「無駄話はここまでじゃ。三日しかないのじゃろう? ならば、始めるとしようかの」
ルリは、世界樹の前へ歩いていった。振り返って、全員を見回す。
「少し下がっておれ。巻き込まれると厄介じゃ」
その声が、少しだけ低くなった気がした。
全員が、言われるままに後ろへ下がる。里の者たちも、遠巻きに息を呑んでいた。
ルリは、両手を軽く広げた。
風が、巻いた。
地面に落ちていた黒い葉が、いっせいに舞い上がる。ルリの銀の髪が、下から吹き上げられるように広がった。
その体が、青白い光に包まれていく。
光は、見る間に膨れ上がった。人の形を押し出すように、上へ、横へ、際限なく広がっていく。
リオナは、両腕で顔を庇った。指の隙間から、それを見た。
――長い。
光の中で、何かが伸びていく。うねりながら、空へ向かって。
やがて光が、ゆっくりと薄れた。
そこにいたのは、青き龍だった。
体は、世界樹の幹をぐるりと巻いてなお余るほどに長い。鱗の一枚一枚が、深い青に光っている。角度が変われば、群青にも、藍にも、翡翠にも見えた。
頭には、二本の角。長い髭が、風もないのに揺れている。
その目は、深い青だった。ルリの瞳と、同じ色だった。
「――さて」
声が、降ってきた。
低く、よく響く。あの子どもじみた甲高さは、どこにも残っていなかった。
「千五百年ぶりじゃ。わしが、聖獣アズリウスじゃ」
誰も、声を出せなかった。
エルセルリオンは、膝をついていた。両手を地につけ、頭を垂れている。里の者たちも、次々とそれに倣った。
アリアーゼは、目を輝かせながら、顔の前で小さく手を叩いてる。
リオナは立ったまま、その姿を見上げていた。
「……きれいです」
気づけば、そう漏らしていた。
「あまりにも、きれいです」
アズリウスの目が、リオナへ向いた。
「……こらこら」
「はい?」
「あまり褒めるでない。照れるじゃろうが」
その口調は、さっきまでのルリのものだった。
「ああ、ルリ様だ」
リオナは、思わず笑ってしまった。
「なんじゃ、その顔は」
「いえ。中身は変わらないんだなと思いまして」
「当たり前じゃ。姿が変わったところで、わしはわしじゃ」
アズリウスは、ふんと鼻を鳴らした。長い髭が、ゆらりと揺れる。
その様子を見て、リオナの肩から力が抜けた。
あの日、泉で赤い実を差し出してきた人と、同じだった。滝を見せて、勘違いするなと念を押した人と、同じだった。
姿は変わっても、隣にいるのは、ルリだ。
◇
「そうじゃ」
アズリウスが、思い出したように首を巡らせた。
「さっき、アッチムとか言うておったな」
「あ、はい」
「鳳凰、フェニックス。あやつの化身の名じゃったな」
「ご存じなのですか?」
「うむ。同じ聖獣仲間じゃ。……今、思い出したがの」
リオナは、額を押さえた。
「今、ですか?」
「この姿に戻ると、頭がはっきりするのじゃ。器が大きいからの」
アズリウスは、事もなげに言った。
そういえば、アッチムも言っていた。化身の状態は器が小さいので、長い記憶は保持できないと。だから、大昔のことを忘れるのは仕方がないのだろう。
(――それにしたって、自分が聖獣だということは忘れないよね。やっぱりポンコツだわ)
リオナは心の中でそっとつぶやいた。
「フェニックスの奴は、元気にしておるのか?」
「はい。……少し前に闇落ちしそうになっておりました。今は静養中です」
「そうか。久しぶりに会いたいのう」
アズリウスはかっかと笑った。
◇
「さて、遊びはここまでじゃ」
アズリウスは、世界樹へ向き直った。
長い体がうねり、幹に沿って上がっていく。頭が、黒く変色した枝のあたりで止まった。
しばらく、動かなかった。
「……ふむ」
やがて、低い唸りが漏れた。
「思っていたよりも、悪いな」
その言葉に、エルセルリオンが顔を上げた。
「アズリウス様。救えるのですか」
「救える。じゃが、このままでは無理じゃな」
アズリウスの頭が、黒い枝の一本へ近づいた。
「この枝どもは、もう手遅れじゃ。中まで闇が回っておる。いくら力を注いでも、器が壊れておっては意味がない」
「では、どうすれば」
「切り落とそう。剪定じゃな」
その声には、迷いがなかった。
「闇に食われた枝を、すべて落とす。そのうえで、わしが力を流す。そうすれば、残った部分は元に戻るよ。大丈夫じゃ」
アズリウスの言葉に、リオナは世界樹を見上げた。簡単そうに言うが、黒くなった枝は、かなりの数があった。どれも太く、長い。
「あの、アズリウス様……ルリ様! こんなにたくさんあるのに、どうやって……」
リオナが疑問を口にするが、アズリウスの表情は変わらなかった。
「心配するな」
アズリウスの目が、ゆっくりと下を向いた。その視線の先に、アリアーゼが立っていた。
「アリアーゼ。できるよな?」
アリアーゼは、腰の包丁に手を触れた。それから、にっこりと微笑んだ。
「おまかせくださいな」
アリアーゼはそう言うと、リオナへ振り返った。
「リオナ。手伝ってくださる?」
「……はい。足場は、わたしが作ります」
リオナも、その隣で頷いた。
「よし」
アズリウスの髭が、満足げに揺れた。
「では、始めるとしようかの」
ついに姿を現した青龍アズリウス。しかし、中身はやっぱりルリ様でした。
次回――いよいよ世界樹を救います。




