冥王の名を騙る者
リオナはホッとして、その場に膝をついた。全身から力が抜けていく。
アリアーゼに駆け寄りたかったが、立てなかった。代わりに、アリアーゼの方が歩いてきた。
「きいい! あの男、逃げ足だけは速いですわ!」
アリアーゼは怒りとも、悔しさともとれる表情でつぶやく。
それから、いつもの柔和な表情に戻ると、リオナに向かって手を差し出した。
「リオナ。よくやってくださいましたわ。あなたがいなかったら、危なかったですわ」
「いえ、そんな。わたしは、ただ夢中で……」
リオナは照れたような笑顔を見せると、アリアーゼの手を取って立ち上がった。
アリアーゼは、ネクロマンサーの消えた場所をしばらく見つめていたが、やがてリオナに振り返った。
「ねえ、リオナ」
「はい」
「わたくしたちの剣、今回は効きませんでしたわね」
リオナは、難しい顔で小さくうなずいた。
「……そうですね。先に倒した魔族もそうでしたが、浄化の力では太刀打ちできませんでした」
「瘴気の森では、あれで追い詰められましたのに」
アリアーゼは、自分の手のひらを見つめると、グッと拳を固めた。
「明らかに前よりも力をつけていたようですわ」
リオナは、返す言葉が見つからなかった。
前回相まみえた時も、その闇の魔力に圧倒された。今回はその魔力がより強く、濃くなっていた。おそらく、世界樹の生命力を吸い取っていたことと、関係があるのだろう。
前回も、そして今回も、アリアーゼ様の剣技では圧倒することはできた。でも、とどめを刺す事はできず、逃がしてしまっている。
もし、何らかの方法で、あいつがこのまま力を増していくというのなら、いつかアリアーゼ様の剣でも倒せなくなってしまうかもしれない。
リオナの心に不安が影を落とした。
◇
ルリとエルセルリオンも二人の元へとやってきた。
エルセルリオンは傷が癒え、動く元気を取り戻したようだった。アリアーゼに向かって口を開く。
「なんとか終わったようだな」
「ええ。逃げられてしまいましたけれど」
「仕方あるまい」
エルセルリオンは小さくうなずくと、窪地の底を見回した。黒い線は、もうどこにも見当たらない。地面から立ちのぼっていた靄も、薄くなっていた。
「……世界樹への影響は止まった、ということでよいのだな」
エルセルリオンはそう言ってリオナを見た。
リオナはエルセルリオンを見返しながら、力強くうなずく。
「……世界樹から流れ出していたものは、止まったとみて間違いありません」
その瞬間、エルセルリオンの肩から、力が抜けた。
「そうか。間に合ったか」
その声は、かすれていた。
ルリが、その背中をぽんと叩いた。
「よかったのう、長」
「……ああ。わたしの代で世界樹を枯らすのではないかと冷や冷やしたよ」
エルセルリオンの眉間から皺がなくなり、笑顔になった。しかし、すぐにまた難しい表情に戻る。
「それにしても、あやつは何者なのだ」
エルセルリオンは腕を組んだ。アリアーゼとリオナを交互に見ながら口を開く。
「ネクロマンサーとか言ったな。お前たちから聞いた話だと、アンデッドを操り、瘴気を扱うそうだな。剣の腕も魔力も、相当なものだった。あれほどの力を持つ者が突然現れるとは、どういうことだ」
「あいつは、千五百年、と申しておりましたわ」
アリアーゼが答えた。
「瘴気の森で会った時も、同じことを申しておりましたの。この千五百年を無駄にはできぬ、と」
エルセルリオンの眉間に再び皺が寄った。
「千五百年前といえば、冥王との戦いの時代まで遡る」
その言葉に、誰もすぐには口を開かなかった。
「……あやつの目的は何なのじゃろうな」
ルリが唇に指をあてながら疑問を口にした。
「世界樹の力を吸って、それからどうするつもりじゃ」
その問いにも答えられる者はいない。
その時、アリアーゼが思い出したようにポンッと手を叩いた。
「そういえばあいつ、去りぎわに名乗っておりましたわ」
他の三人が一斉にアリアーゼへ振り返る。
「近いうちに世界は我が名を知るであろうとかなんとか言って」
アリアーゼは、記憶を辿るように視線を上げた。
「確か……ゼルード……だったかしら」
◇
エルセルリオンの動きが、止まった。
「……それは誠か。確かに、そう名乗ったのか?」
エルセルリオンは掠れた声で言った。
「確かにゼルードと申してましたわ。ご存じですの?」
エルセルリオンは答えなかった。代わりに、リオナが小さく声を上げた。
「……ゼルードって、まさか」
その顔から、血の気が引いている。アリアーゼは不思議そうにリオナを見た。
「リオナも、ご存じですの?」
「はい。神殿で、神話として教わりました」
リオナは、自分の記憶を確かめるように、ゆっくりと言葉を選んだ。
「千五百年前、この世界を闇に沈めようとした存在です。多くの国が滅び、数えきれないほどの命が失われたと。それを打ち倒したのが、勇者と聖女と、四体の聖獣だったと教わりました」
「ふーん」
アリアーゼが感心したように頷いた。
「まあ、それはそれは大変な騒ぎでしたのね」
エルセルリオンが、額に手を当てた。
「……お前はっ! そんな風に軽く流せる話じゃないんだぞ?」
「わたくし、そういうお話には疎くて。剣ばかり振っておりましたので」
悪びれる様子もなく、アリアーゼは胸を張った。
エルセルリオンは、それ以上何も言う気が起きないという顔で、深く息を吐いた。
「我らエルヴスにとっても、その名は特別だ。神話の中でしか語られん。畏れ多くて、口にする者すらおらん名だ。しかし――」
エルセルリオンは言葉を切って、目を閉じた。
「……冥王ゼルードは滅んだ」
エルセルリオンは、はっきりとそう言った。
「千五百年前、確かに滅ぼされた。それは我らの記録にも、人間の伝承にも残っておる。あやつが本人ということは、まさかあるまい」
「では、なんですの?」
「……冥王の名を騙る魔族、ということだろうな」
エルセルリオンは、そう結論づけた。
「力ある魔族が、恐怖を煽るために神話の名を使う。もしかしたら、冥王に成り代わろうとしているのかもしれん。ありえん話ではない」
「あらあ」
アリアーゼが、こともなげに首をかしげた。
「迷惑な方がいらっしゃいますのねえ。わたくしの花嫁修業の邪魔だけはなさらないでほしいですわ」
アリアーゼは小さくため息をついた。
「やれやれだ」
「やれやれです」
エルセルリオンとリオナも同時にため息をついた。そのため息は、どちらかと言えばアリアーゼに向いていた。
◇
「……ゼルードか。嫌な名じゃな」
ずっと黙っていたルリが、ぽつりと漏らした。
「初めて耳にするが、なんだか心がざわつくわい」
その言葉にリオナは首を傾げた。
「ルリ様も、ご存じなかったのですか?」
「知らん」
ルリは、腕を組んだまま首を振った。
「知らんが、なんじゃろうな。胸のあたりが、どうにも落ち着かん」
リオナは、思わず口を開いていた。
「あの、長老なのにご存知なかったのですか?」
「なんじゃとっ!」
ルリの眉が、跳ね上がった。
「知らんもんは知らんのじゃ! わしとて、なんでも憶えておるわけではないわ!」
「す、すみません」
「まったく。近ごろの若い者は、年寄りに気を遣うということを知らん」
ぷりぷりと怒るルリを、リオナは慌ててなだめた。
エルセルリオンが、その様子を横目で見ながら小さく息を吐く。
「……とにかく、あやつが何者であれ、もう現れないという保証はない。備えは必要だ。だが、ひとまず危険は去ったとみてよかろう」
「あ、あの! エルセルリオン様!」
リオナが、顔を上げた。
「その事なんですが。ゼルードの名を聞いてから、嫌な予感がするんです。闇との繋がりが切れたのは間違いないのですが、ひとまず世界樹へ戻りましょう。今すぐに」
「ああ、そうだな」
エルセルリオンが頷いた。
「流れは止まったのだろう。念のため、確かめておくに越したことはない」
リオナは、それには答えなかった。答えられなかった、と言った方が近い。
さっきから、胸の奥に引っかかっているものがある。
世界樹に触れた時に感じた、あの膨大な流れ。生命力の流出は言うまでもないが、逆に、何かが世界樹に流入するのも感じられた。
いやな予感がどんどんと膨らんでいく。
リオナは思った。一刻も早く世界樹に戻らなければ、と。
ネクロマンサーは去りましたが、その正体は謎のまま。しかも、なにやら嫌な予感がするようです。
次回――世界樹に戻った四人が目にしたものとは。
お楽しみに!




