大切な花嫁道具
「まったく、役に立たん奴らめ。時間を稼ぐことすらできんのか」
窪地の底から、呆れたような声が響いた。
「もう少しだったのだがな。まあ、仕方あるまい」
ネクロマンサーは、ゆっくりと立ち上がった。土に沈めていた両手を引き抜く。手のひらから伸びていた黒い線が、ぶつりと切れて地面へ消えた。
リオナは目を見開いた。
世界樹へ続いていた闇の魔力の線が感じられなくなった。
「アリアーゼ様! 流れが止まりました!」
リオナは叫んだ。
「そう。よかったですわ」
アリアーゼは、窪地の縁に立ったまま答えた。
ネクロマンサーは、装束についた土を払っている。慌てる様子はなかった。四人の魔族が倒れているというのに、視線を向けようともしない。
やがて、フードの奥の目がこちらを向いた。
「仕方がない、遊んでやるか。未来の我が妻と、再び剣を合わせるのも一興よ」
「あら」
アリアーゼが、小さく首をかしげた。
「あなたに、その資格がおありかしら?」
◇
アリアーゼは剣を抜くと、剣先をリオナに向けた
「リオナ! お願いしますわ!」
「お任せください! 大いなる光よ、集え。剣を覆いて、加護となれ」
リオナが詠唱する。剣身が、淡い光を帯びた。前回の戦いと同じ、剣に直接浄化の力を乗せたものだ。
アリアーゼは一つ息を吐くと、斜面を駆け下りた。
距離が半分になったところで、ネクロマンサーの手が動いた。黒い靄が、その手の中で細く長く伸びる。やがて、剣の形になった。
二つの刃が、窪地の中央でぶつかった。
音が、遅れて届いた。
アリアーゼが、間髪をいれず踏み込む。
一撃。二撃。三撃。ネクロマンサーの黒い剣が、防ぐ動きだけで手一杯になっている。
四撃目が、その肩を斬り裂いた。
「――ほう」
ネクロマンサーが目を細める。
五撃目で、装束の胸元が大きく開いた。
リオナは、思わず息を止めた。
アリアーゼ様が押している。それも、圧倒的にだ。
瘴気の森で見た、あの舞のような剣技。あれが今、目の前で再現されていた。
「そこですわ!」
アリアーゼの刃が、ネクロマンサーの胸を捉えた。
◇
アリアーゼの刃は、ネクロマンサーの胸に突き立っている。
確かに刃は装束を裂き、その下の皮膚を切り裂いた感触があった。
しかし―― 刃はそこで止まった。それ以上、前に進まない。刃が、肉まで届いていない。
「あら?」
アリアーゼの口から、場違いな声が漏れた。
ネクロマンサーは、フードの奥から剣を見下ろした。
「くくく。相変わらず良い腕だ。前と変わらぬ」
その声には、焦りの色はなかった。余裕すら感じられる。
次の瞬間、ネクロマンサーの手が動いた。開いた手のひらが、突き立ったままの剣身へ叩きつけられる。
パキィン!
甲高い音が、窪地に響いた。アリアーゼの剣は、その半ばから折れて、刀身を失っていた。
「くっ!」
アリアーゼの表情がわずかに歪む。
その隙を見逃さず、ネクロマンサーは黒い剣を振り上げた。
「アリアーゼ様!」
リオナは、考えるより先に手を突き出していた。両手を胸の前で合わせる。
「大いなる光よ、集え。刃となりて、その身を解き放て!」
光が、細く鋭く伸びた。その光が、ネクロマンサーの腕を貫く。
「ぬう」
振り上げた手が、止まった。フードの奥の目が、リオナへと向く。
「聖女め。邪魔をするな」
ネクロマンサーは、剣を持たない方の手を突き出すと、魔法の矢を放った。黒い矢が空を裂き、リオナへと迫った。
リオナが身構えるより早く、足元の地面が盛り上がった。太い根が、幾本も跳ね上がる。黒い矢は根に突き刺さり、乾いた音を立てて砕け散った。
「わしを忘れるでない!」
斜面の上で、ルリが手をかざしていた。
◇
アリアーゼは飛び退いてネクロマンサーから距離を取ると、リオナに向き直った。
「リオナ! 助かりましたわ。ルリもありがとう!」
言い終わると、折れた剣を見つめた。
「これではもう役に立ちませんわね。今までありがとう」
柄だけになったそれを、そっと地面へ置く。そして、しばらく動かなかった。
ネクロマンサーは嘲るような表情を見せた。
「くくく。武器がなくなったな。それでは戦えまい。どうする? 素手で我に挑んでくるか?」
ネクロマンサーはそう言って、両手を広げた。
リオナは、はらはらしながらアリアーゼを見つめていた。自分が助けなければ、と思った。改めてアリアーゼの表情を伺う。
すると――アリアーゼは笑っていた。
「……うふふ。一度、暗黒龍で試し切りを済ませておきましたものね」
アリアーゼが、顔を上げた。
腰の後ろへ手を回す。革の鞘から、それを引き抜いた。
――包丁だった。
窪地に差し込む光を受けて、刃が白く光る。
「…………」
リオナは、口を開けたまま固まった。試し切りで討伐された暗黒龍の事を思い出す。
――あれは可哀想だったとしか言いようがなかった。
「アレはなんじゃ?」
「まさか、アレで戦うのか?」
ルリとエルセルリオンが同時に声を上げた。
◇
「さあ、第二ラウンド開始ですわ。準備はよろしくて?」
アリアーゼは、包丁を正面に構えた。実に堂々としていた。
ネクロマンサーは困惑の表情を浮かべた。
「……それで、我に刃向かうつもりか?」
「うふふ。これでもわたくしの相棒ですのよ」
アリアーゼが、駆けた。
黒い剣が振り下ろされる。それを、包丁の腹が受けた。
折れない。刃こぼれ一つしない。包丁は黒い剣を完全に弾き飛ばす。
「なにぃ!」
ネクロマンサーの声に、初めて焦りの色が混じった。その一瞬に、アリアーゼは踏み込んでいた。短い刃が、下から跳ね上がり、装束が裂けた。
今度は、皮膚では止まらなかった。刃が肉を割り、そのまま抜けていく。
「――ぐああっ!」
悲鳴が、窪地に響き渡った。
ネクロマンサーが、大きく後ろへ跳んだ。傷口を押さえる。指の間から、赤黒い血が滴っていた。
「その刃……まさか、オリハルコンか!」
「あら。よくご存じですのね」
アリアーゼは、包丁を構え直した。
「グラニス族の里で打っていただきましたの。わたくしの大切な花嫁道具ですわ」
◇
「アリアーゼ様! わたしも支援します!」
リオナは、両手を合わせた。
「大いなる光よ、集え! 刃となりて、その身を解き放て!」
光の刃がネクロマンサーへと走る。
ネクロマンサーは、身をよじるが、完全にはかわせなかった。装束の肩が、大きく削げ落ちた。
その着地点へ、アリアーゼが迫っている。包丁の刃が、光を反射した。
「……ふん。ここまでにしておくか」
ネクロマンサーは、そこで動きを止めた。構えを解き、手の中の黒い剣が霧散していく。
そのまま両腕を前に突き出した。強烈な風圧が生じ、アリアーゼの動きを押しとどめた。
「もう十分に吸った」
黒い靄が、その足元から立ちのぼり始める。
「この場に留まる理由はない」
「お待ちなさい! また逃げますの?」
アリアーゼはそう言ってネクロマンサーを睨みつける。
「目的は果たしたと言っておるのだ」
靄が、腰のあたりまで上がってきていた。
「女。ますます気に入ったぞ。その気の強さも、その腕も、実に我好みだ」
ネクロマンサーはアリアーゼに向かって目を細める。
「女。名はなんと申すのだ?」
「……アリアーゼ・フォン・ローレンスですわ」
「アリアーゼか。いつか必ず、お前を手に入れてやる。せいぜい、それまで生き延びるがよい」
靄が、その姿を包み込んだ。
「我の名はゼルード。近いうちに世界は我が名を知るであろう。では、またな」
「お待ちなさい!」
アリアーゼが踏み込んだ時には、そこには何も残っていなかった。
ネクロマンサーの撃退には成功しました。しかし、世界樹は無事なのでしょうか?
次回――世界樹を救う方法とは。




