まな板狂戦士
窪地の底で、ネクロマンサーは顔を上げなかった。手を土に沈めたまま、こちらを見ようともしない。
「さて、客人たちよ。悪いが我は手が離せぬのだ。あと少しだからな。遊んでやる暇はない」
その声には、焦りなどまるでなかった。
「代わりと言っては何だが、こいつらがお前らの相手をしてやる」
その声を合図に、枯れ木の陰から四つの人影が現れた。
黒い装束。背丈は人間と変わらない。だが、フードから覗く額に、短い角が生えていた。瞳には瞳孔がなく、一様に赤く濁っている。
「魔族か……!」
エルセルリオンが呻いた。
◇
こちらが身構える間もなく、細身の魔族が踏み込んできた。
速い。
エルセルリオンが剣を抜いた時には、すでに間合いの内側にいた。刃を合わせようとするが、間に合わない。
「――くっ!」
エルセルリオンは、とっさに身をかわした。刃が脇腹をかすめる。
鮮血が飛び、エルセルリオンの身体がよろめいた。
「――ぐっ」
エルセルリオンは膝をついた。
致命傷ではない。だが、立ち上がろうとしても、力が入らなかった。
「長!」
ルリが叫んだ。
エルセルリオンは、脇腹を押さえている。指の間から、赤いものが滲み出しているのが見えた。
魔族は足を止めずに、返す刀で再び剣を振り下ろした。
エルセルリオンは、とっさに腕を上げたが、間に合わない。その時。
――キィン!
金属の弾ける音が響いた。
アリアーゼが、間に立っていた。刃を受け止めたまま、微動だにしない。
「ほう。受け止めるとは、おまえ、なかなかやるな」
魔族が、初めて声を出した。
「うふふ。よく言われますわ」
アリアーゼは、そのまま刃を弾き返した。魔族が跳び退る。
その後ろから、もう一人が回り込んできた。今度は大柄で、両手に鉄塊のような得物を提げている。二人が、アリアーゼを挟む位置についた。
「アリアーゼ殿。あの者たちは相当な手練れだ。わたしにかまうな」
エルセルリオンは苦しそうに息を吐いた。
「そうはまいりませんわ。エルセルリオン様、動けますの?」
「……情けないが、無理だな。立ち上がることさえできん」
「では、そのまま座っていればよろしいですわ」
アリアーゼは、剣を構え直した。左足は、エルセルリオンを背にした位置から一歩も引いていない。
「アリアーゼ殿。すまぬ」
エルセルリオンは顔を歪めると、地面に視線を落とした。
「謝る必要はございませんわ。これで大きな恩を売れますもの! 恩は返していただかないと!」
アリアーゼの声色はどこか楽しげだった。
エルセルリオンは、言葉に詰まった。
(……この娘、どこまで本気なのだ)
◇
リオナとルリは、別の魔族と対峙していた。
「リオナ!」
ルリの声が飛んだ。
二人の魔族が、リオナへ向かってくる。一人は手に杖を持ち、もう一人は素手のまま、地を蹴って距離を詰めてくる。
「お任せをっ!」
リオナは、詠唱に入った。
「大地の水よ、集え。滲み出て姿を現し、即座に凍ってつなぎ止めよ!」
魔族の足元の地面から水が湧き上がり、その足を絡めとるように凍っていく。
「小癪な」
魔族の一人が、杖を掲げた。杖の先端に黒い光が集まっていく。
リオナは、その動きを見た。構えが違う。魔力の練り方も、詠唱の運びも、これまで戦ってきたどの相手とも違っていた。
――魔術師だ。
本格的な魔術師と対峙するのは初めてだ。背筋が、冷たくなった。
「よそ見をするでない!」
ルリが、リオナの前へ躍り出た。
地面が、盛り上がる。太い根が幾本も跳ね上がり、黒い光を横から叩き落とした。
「ルリ様……!」
「わしが前じゃ。お主は後ろから撃て。守ってやるから、安心して撃つがよい」
ルリは、振り返らずに言った。
リオナは、一瞬だけ目を見開いた。それから、力強く頷いた。
「はいっ! お任せをっ!」
◇
エルセルリオンは、地面に膝をついたまま、目の前の戦いを見上げていた。
アリアーゼが、二人の魔族を同時に相手にしている。
細身の一人が左から斬りかかる。それをいなした瞬間、右から鉄塊が振り下ろされる。アリアーゼは剣の腹で受け、体ごと流した。地面が抉れ、土が跳ねる。
敵の攻撃をかわしながらも、アリアーゼのいる場所はほとんど変わっていない。
(……わたしを守ることを最大限に優先している)
エルセルリオンは悟った。しかし。
(……このままでは)
エルセルリオンは唇を噛んだ。このままかわし続けられるとは、とても思えなかった。
エルセルリオンはもう一度アリアーゼを見た。そして、目を見開いた。
アリアーゼは笑っていた。
「うふ」
鉄塊が肩をかすめた。装束が裂ける。それでも、笑みは消えなかった。
「うふふ」
むしろ、深くなっていく。
「うふふふふ」
エルセルリオンは、思わず息を呑んだ。
目が、笑っていない。口元だけが、限界まで吊り上がっている。土ぼこりにまみれたまま、アリアーゼは、追い詰められるほどに楽しそうな顔をしていた。
(この娘……戦闘狂か! まるで狂戦士ではないか!)
その時、アリアーゼの唇が動いた。
「……まな板ですわ」
「は?」
「守りきって、まな板を手に入れるのですわ」
アリアーゼは、剣を振るいながら呟き続けている。
「これは好機ですわ。もっともっと恩を売る好機……ええ、そうですわ。ここで守りきれば、さすがにあの頑固な長も」
「おい」
「さあ、かかってくるのですわああ!」
アリアーゼが吠えた。魔族の二人が、わずかに退いた。
エルセルリオンは、その背中を見上げたまま動けなかった。
(……まな板狂?)
◇
「ルリ様、右です!」
「わかっておる!」
根が跳ね上がり、黒い光を弾いた。
リオナは、その後ろから光を放ち続けていた。氷で足を止め、光で撃つ。撃つ。撃つ。
光は何度か魔族に直撃している。だが、倒れない。
浄化が効かない。アンデッドとは違う。この相手には、光は「痛みを与える」だけだった。
(……なら)
リオナは、詠唱を切り替えた。
「大気の風よ、集え!」
風が渦を巻く。
「巻き上げよ!」
地面の砂と、砕けた氷の破片が、一斉に舞い上がった。魔術師が腕で顔を庇う。詠唱が、途切れた。
「ルリ様っ! 今です!」
「うむ!」
ルリの足元から、根が奔った。
地を割り、真下から突き上げる。魔術師の体が宙に浮いた。そこへ、二本目、三本目が巻きついていく。
「――ぐ、が」
根が締まった。杖が、音を立てて折れる。
残った一人が、氷を砕いて跳びかかってきた。
「リオナ!」
「お任せあれ!」
リオナは、下がらなかった。
リオナは、魔力の流れを変えた。光の魔力を一点へと集め、細く、鋭く絞り込んでいく。
聖女修行では、禁術として教えられていた使い方だ。けれど。
(神殿から離れてるし……ま、いっか)
リオナは両手を胸の前で突き出し、手の平を合わせた。
「大いなる光よ、集え! 刃となりて、その身を解き放て!」
至近距離で、光の刃が魔族の腹を貫いた。
魔族の体が、後ろへ吹き飛ぶ。倒れたところへ、ルリの根が覆いかぶさった。
◇
「エルセルリオン様!」
「長! しっかりしろ!」
リオナとルリが、エルセルリオンのもとへ駆け寄った。
ルリはエルセルリオンを守るように根で囲い、リオナが傷口に手を当てる。
「大いなる光よ、集え! 傷を閉じ、その命を繋ぎとめよ!」
光が、傷口へ流れ込む。皮膚の縁が、内側から寄っていった。
「……すまん。助かった」
「動かないでください」
リオナは、傷が塞がるのを確かめると、アリアーゼに向かって叫んだ。
「アリアーゼ様! こちらはもう大丈夫です。遠慮しないで、やっちゃってください!」
◇
アリアーゼの目から、あの笑みが消えた。
「そう」
剣を、持ち替える。
「では、お待たせいたしましたわね」
次の瞬間、アリアーゼの姿が消えた。
風が鳴った。細身の魔族の体が、上下に分かれて崩れ落ちる。振り向いた大柄な魔族が、鉄塊を振り上げた。
その腕が、肘から落ちた。
残った腕を伸ばそうとして、その手首も落ちた。膝が折れる。地に伏せる。
音は、三つだけだった。
それきり、窪地の縁には誰も立っていなかった。
「…………」
エルセルリオンは、口を開けたまま、その光景を見ていた。
先ほどまでの苦戦は、何だったのか。
答えは、分かっている。守るという制約がはずれたからだ。
「アリアーゼ殿、助かったよ」
エルセルリオンは、ようやく声を出した。
「うふふ」
アリアーゼが、振り返った。にっこりと微笑む。
「わたくしのおかげですわね?」
「……そうだな。間違いない。だが、まな板は――」
「わ、た、く、し、の、おかげですわね?」
「…………」
エルセルリオンは、それ以上何も言えなかった。
「まあ、まだ全部は終わっておりませんので、後ほどですわね」
アリアーゼは、あっさりとそう言うと、窪地の底へ向き直った。
剣を、握り直すと、ネクロマンサーを見据えた。
「さあ、今度こそ覚悟なさい!」
アリアーゼ様、大暴れの回でした。エルセルリオン様は無事でよかったですね。
次回――いよいよネクロマンサーと対決です!




