世界樹
世界樹調査のための一行は、エルセリルの森の奥へ向けて出発した。
エルセルリオンとルリ、そしてアリアーゼとリオナ。それに、荷を運ぶ里の者が数人。道らしい道はとうになく、里の者が先頭で草木を払いながら進んでいく。
世界樹までの道程はおよそ三日。夜は野営が必要だった。
火を囲んで、干した果実と堅焼きのパンを分け合う。ルリはようやくリオナに慣れてきたのか、毎晩のようにリオナの隣を陣取った。
あれほどリオナに対してそっけなかったのが嘘のように距離が近くて、リオナは逆の意味で戸惑った。
◇
「そろそろだ」
四日目の昼過ぎ、エルセルリオンがそう告げた。
森には巨木が立ち並び、奥へ進むほどに太さを増していた。見上げても梢は見えない。幹はどれも苔むして、大人が何人がかりでも囲めそうにない。
その巨木の列が、不意に途切れ、開けた場所に出た。
差し込む光の中に、一本の木が立っていた。
「……え?」
リオナは、思わず声を漏らした。
小さい。
いや、小さいというのは語弊がある。王都の城門にある物見の塔をゆうに超える高さがある。枝の一つ一つが、普通の丸太よりも遥かに太い。
だが、たった今くぐり抜けてきた巨木たちと比べれば、あまりにもささやかだった。
「あの、エルセルリオン様」
リオナは、遠慮がちに尋ねた。
「念のためお聞きしますが、まさか、あれが世界樹ということは……」
「そのまさかだ。」
エルセルリオンはひとつ頷いて、その木を指した。
「あれが正真正銘の世界樹だ」
「……え」
リオナは、もう一度その木を見た。
◇
拍子抜けしたような気持ちのリオナだったが、その木に近づくにつれ、考えを改めた。
他の木とは明らかに違う。
森の巨木の表皮は、どれも皺が刻まれ、苔に覆われ、年を重ねた荒々しさを持っている。だが、この木の幹は、まるで磨き上げたように滑らかだった。継ぎ目も割れ目も見当たらない。まるで磨き上げた石のようだ。
そして、光っていた。
輝いているわけではない。表面が、日の光を柔らかく撥ね返している。その光沢が、一歩進むごとに色を変えた。
白銀。
角度を変えれば、淡い翠。
さらに歩けば、薄紅がかった金。
リオナは、木の周りを半分ほど回ってみた。その間、同じ色を二度見ることはなかった。
「……きれい」
言葉が、勝手に漏れていた。
枝は空へ広がっている。葉は、一枚一枚が透けるほど薄い。その葉脈にまで光が通っていて、頭上一面が、緑の硝子細工のように見えた。
根元には、草花が密生していた。ここだけ、草の丈が違う。花も咲いている。何種類あるのか、リオナには数えられなかった。
息を吸うと、胸の奥が軽くなった。
三日歩き通した足の疲れが、いつのまにか引いている。
「……これが、世界樹……」
「そうだ。世界樹だ」
エルセルリオンが、静かに言った。
「大きさで測るものではない。生命そのものが、ここに立っている」
その言葉に、リオナは改めて世界樹を見つめた。
さっきまで「小さい」と思っていたことが、ひどく恥ずかしくなった。
ふと、隣にいるアリアーゼに目を向けた。
「素晴らしいですわ……」
アリアーゼは、うっとり幹を見上げていた。
「なんて美しいのかしら……」
アリアーゼは、しばらくその光沢に見入っていた。それから、こくりと頷いた。
「これなら、さぞ立派なまな板が――」
「取らせんと言っておるだろうが!」
エルセルリオンが、即座に返した。
「きいぃ! まだ何も申し上げておりませんわ」
「ほとんど言ってたじゃないか!」
◇
リオナは、幹の反対側へ回り込んだ。そこで、足が止まった。
光沢が、途切れている。
幹の一面に、黒い染みが広がっていた。滑らかだった表皮が、そこだけひび割れている。色は変わらない。どの角度から見ても、ただ黒かった。
その上へ視線を送って、リオナは息を呑んだ。
黒い枝が見えた。
一本ではなかった。染みの伸びた先から分かれた枝が、根元から先まで変色している。その隣も、さらにその隣も。数えていくと、十本近くあった。葉は、どれにも一枚も残っていない。
黒く枯れた枝と、光を通す葉をつけた枝が、同じ木の上で入り混じっていた。
「……エルセルリオン様」
リオナが呼ぶと、後ろから足音が続いた。全員が、同じものを見上げた。
「こ、これは……」
エルセルリオンはそれだけをつぶやいて、言葉を失った。
「なんと! これほどまでに病んでいる世界樹は、わしも見たことがない!」
ルリも目を丸くしている。
リオナは、ふと足元へ目を落とした。草の間に、葉が落ちている。
透けるほど薄かったはずの葉が、黒く変色し、縁のあたりで炭のように縮れていた。
「これは……」
リオナは、しゃがみ込んで手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、葉は音もなく崩れた。灰になって、風に散っていく。あとには何も残らなかった。
リオナは、その手を見つめたまま動かなかった。
「リオナ」
アリアーゼが、隣に立っていた。
「……これはシオイナ山の時と同じですわね」
それだけ言って、アリアーゼはリオナを見た。リオナも顔を上げてアリアーゼを見た。
二人とも、同じものを思い出していた。シオイナ山で闇落ちしたフェニックス。その羽根も、触れた瞬間に灰になった。
「お主ら、この症状に心あたりがあるのか?」
ルリが、二人の顔を交互に見た。
「以前、同じことがありましたの」
アリアーゼは、灰の消えた地面を見下ろした。
「聖獣フェニックスが、闇に呑まれかけておりましたわ」
エルセルリオンの表情が、動いた。
「……なんだと?」
「そのせいで山が枯れて、木も獣も、みんな消えかけておりましたの」
エルセルリオンは、そのまま黙り込んだ。それから、黒く変わった枝を、ゆっくりと見上げた。
「そんな話は、聞いたことがない」
その声には、焦りの色があった。
「我らの記録は、神話の時代まで遡る。聖獣が闇に呑まれただの、世界樹が弱っただの、そういう記述は、一行たりとも存在せん」
エルセルリオンは、拳を握った。
「なぜだ。なぜ、よりにもよって、わたしの代で」
言い終わると、エルセルリオンは唇を噛んだ。誰も何も答えなかった。
エルセルリオンは、深く息を吸って、吐いた。それから、リオナへ向き直った。
「……取り乱した。すまん」
「いえ」
「リオナ殿。頼む。聖女の力で診てはくれまいか」
エルセルリオンは頭を下げた。
リオナは一つ頷くと、幹に両手を当てて、目を閉じた。
ついに辿り着いた世界樹。しかし、やはり様子がおかしいようです。
次回――世界樹に起きている異変の正体とは。




