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アリアーゼの花嫁修業 〜婚約破棄された最強令嬢の無自覚スパダリムーブが聖女を射抜き、世界を救う〜  作者: 遠崎カヲル
第四章 花嫁修業3 お掃除修業

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リオナの大ピンチ

 部屋の中は、埃の匂いがした。


 窓の雨戸が閉ざされているせいで、光は扉の隙間から差し込むものだけだった。奥に棚がひとつ。その上に、乾いた葉の束と、欠けた器がいくつか並んでいる。


 リオナは、部屋を見回した。

 本らしきものは、どこにもなかった。


「あの」


 振り返ると、エルドランは、扉の前に立ったままだった。背を預けるようにして、動く気配がない。


「記録というのは、どちらに」


「ああ。その前に、少し話をしないか」


 エルドランは、壁に背を預けたまま続けた。


「あなたは、この森に来てまだ間もない。だが、里の者は皆、あなたのことを話している。子どもを救った聖女だと」


「……そんな大げさなものでは」


 リオナは慌てて手を振った。


「謙遜しなくていい。実際、あなたのような娘は、この森にはいない。癒しの力を持ち、そのうえ、その容姿だ」


 リオナは、思わず一歩下がった。


「あの、記録の話を……」


「あなたは、なぜあの連れの女に従っているのだ」


 リオナの動きが、止まった。眉を寄せ、エルドランを見据える。


「……従っている、というのは?」


「昨日から見ていた」


 エルドランが一歩近づいた。


「あの女が前を歩き、あなたが後ろを歩く。あの女が話し、あなたが黙っている。荷を持つのも、支度をするのも、あなただ。あれでは、連れというより小間使いだ」


「……違います」


「では、何だ」


 リオナは、口を開いた。だが、言葉が出てこなかった。


 お世話係です。

 花嫁修業の先生です。


 いつもなら、するりと出てくる答えだった。それが、喉の途中で引っかかっている。


(――役に立てるから、隣にいられる)


 今朝、自分でそう思ったばかりだった。


「人間の生は短い」


 エルドランは、その沈黙に滑り込むように言った。


「あなたは、あと何十年生きる? その、わずかな時間を、他人の世話をして終えるつもりか」


「…………」


 リオナは俯いて話を聞いている。


「わたしなら、あなたを大切にする」


 エルドランが、もう一歩近づいた。


「その力も、その姿も、正しく扱われるべきだ。あの女は、あなたの価値を分かってはいまい」


    ◇


 リオナは、顔を上げた。


「――帰ります」


 自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。


「わたしは、アリアーゼ様のところへ帰ります」


「話はまだ終わっていない」


「わたしは終わりました。あの方のことを、あなたに言われる筋合いはありません」


 エルドランの眉が、わずかに動いた。


「失礼します」


 リオナは扉へ向かい、取っ手に手をかけた。


 ――動かない。


 もう一度、力を込める。押しても引いても、扉はびくともしなかった。


「ふん。無駄だ。開かんよ」


 背後から届いた声は、先ほどまでの穏やかなものではなかった。


 リオナは、振り返りざまに一歩下がった。両腕を前に構える。


「大気の風よ、集え――」


 言い終わる前に、手首を掴まれた。素早い動きに、反応ができなかった。

 冷たい何かが、手首に嵌まる感触があった。それは金属の輪だった。


「……っ!」


 その瞬間、体の芯から力が抜けた。

 いつもなら指先に集まるはずの熱が、どこにも見つからない。掌の中が、からっぽになっていた。


「魔封じの腕輪だ。おまえがどれだけ実力のある聖女でも、これは破れまい」


 エルドランは、リオナの手首を掴んだまま、事もなげに言った。


「はっ、離してくださいっ!」


 リオナは腕を振り払い、後ずさった。壁に背が当たる。それ以上、下がれなかった。


「よい声で鳴くのだな。聞き分けのない女は嫌いではない。落ちたときの顔が、格別だからな」


 エルドランは、口の端を持ち上げた。

 その顔から、丁寧さはきれいに剥がれ落ちていた。


 リオナの背筋が、冷たくなった。

 この男は、最初からこうだったのだ。里の話も、記録の話も、全部そのためのものだったのだ。


「せっかくの人間の娘だ。たっぷり可愛がってやろう」


 エルドランが、一歩、距離を詰める。


 その時、背後で鍵の開く音がした。続けて扉が開いた。


    ◇


(もしかして、アリアーゼ様が……)


 しかし、リオナの淡い期待は打ち砕かれた。


「よう、エルドラン。首尾はどうだ」


 男たちが、ぞろぞろと入ってきた。

 新たに入ってきたのは四人。井戸端で笑っていた顔が、そこに並んでいた。


「おお、上玉だな」

「腕輪はもう嵌めたのか」

「相変わらず仕事が早い」


 男たちが、口々に言いながら扉を閉める。


 リオナは、壁に背を貼りつけたまま、その光景を見ていた。

 力は出ない。扉は塞がれた。声を上げても、ここは里から遠い。


 助けは、来ない。誰も、自分がここにいることを知らない。


 ――アリアーゼ様。


 膝が震えた。目の奥が熱くなる。

 朝、振り返らずに出てきたことを、初めて後悔した。


「さて、いただくか」


 エルドランが、手を伸ばしてくる。リオナは、固く目を閉じた。


 エルドランの手がリオナに触れようとした瞬間――


 ドゴォ!!


 轟音とともに、扉が吹き飛んだ。


 蝶番ごと引き剥がされた扉が、一人のエルヴスの男を巻き込んで部屋を横切り、奥の壁に叩きつけられる。木片が飛び散り、埃が舞い上がった。

 男はうめき声をあげているが、立つことはできなそうだ。


 差し込んだ太陽の光を背に、人影が立っていた。


「うふふ」


 その声を、リオナは知っていた。


「おいたはいけませんわよ?」


    ◇


 男たちはあっけにとられ、誰も動くことができない。


 日の光を背に立つアリアーゼは、どのエルヴスよりも美しく見えた。

 見とれる間もなく、アリアーゼの姿が消えた。


 一人目が、壁まで飛んだ。二人目が、床に沈んだ。三人目は、何が起きたのかも分からないまま、天井を見上げて倒れた。四人目は、扉と共に吹っ飛んだまま今も動いていない。


 あっという間に、立っている男はエルドランだけになっていた。


「な……なんだ、貴様は――」


 エルドランが、後ずさる。


「リオナ。お怪我はありませんかしら?」


 アリアーゼは、エルドランを見てもいなかった。


「……大丈夫、です」


 リオナは震える声で答えた。


「そう。よかったですわ」


 アリアーゼは、微笑んだ。それから、ようやくエルドランへ顔を向けた。


「ところで、あなた」


 その目は、笑っていなかった。


「わたくしのリオナに、何をなさろうとしていましたの?」


 エルドランは、答えられなかった。腰の短剣に手をかけようとして、その手が止まる。指が、震えていた。


「まあ。だんまりですの。では、こちらから申し上げますわね」


 アリアーゼは、小さく首をかしげた。それから、一歩、近づく。


「わたくしが魔獣を成敗した様はご覧になりまして? アレと同じ処遇でよろしいかしら?」


 エルドランの脳裏に、真っ二つになった魔獣の姿が思い浮かんだ。


「ひいいいいっ!」


 エルドランは、尻もちをついてその場にへたり込んだ。


    ◇


「アリアーゼよ! お主、速すぎじゃ!」


 入り口から、息を切らした声が飛び込んできた。ルリだった。


 髪が乱れ、耳の花飾りが半分ほど落ちかけている。壁に手をついて、肩で息をしていた。


「まあ。ルリ、大丈夫ですの?」


「大丈夫では、ないわ……!」


 ルリは顔を上げると、部屋を見回した。


「どうじゃ? リオナは、無事か?」


「ええ。大丈夫ですわ」


「……そうか」


 ルリは、短く息を吐いた。肩から、力が抜けるのが見えた。


 それから。


 床に転がる男たちへ、視線が向いた。部屋の空気が、変わった。


「……おのれら」


 その声は、低かった。


「ルリ様! あの、これは……」


 エルドランが口を開いた瞬間だった。


「だまれ!」


 ばごん。


 ルリの拳が、エルドランの右の頬にめり込んだ。


「それで?」


「ご、誤解がありませて。じ、実は……」


「やかましい!」


 ばこん。


 今度は左の頬にめり込む。


「あの、喋らせて」


 ばこん。


 エルドランが口を開くたびに、拳が顔にめり込む。エルドランの顔の形が、少しずつ変わっていく。リオナは、思わず目を逸らした。


「うぬらは、わしの客人に手をだそうとした」


 ルリは、手をかざした。その手から光が放たれる。


 それと同時に、床から蔓が這い出し、男たちの体をぐるぐると巻き上げていった。数を数える間もなく、五人はまとめて縛り上げられていた。


「今度ばかりは許せぬ。長のところへ突き出してくる。アリアーゼ、リオナ。おぬしらは宿で待っとれ」


 ルリは、蔓の端を掴んだ。そのまま、男たちを引きずって出て行った。

 ずるずると、五人分の体が地面を擦る音が、遠ざかっていく。


「……行っちゃいましたね」


「そうですわね」


 部屋に、静けさが戻った。


 リオナは、その場にペタンと座り込んだ。膝に力が入らない。手首の腕輪が、かちりと音を立てた。


「まあ。これは無粋なものですわね」


 アリアーゼが屈み込み、腕輪に指をかけた。ぱきん、と乾いた音がして、金属の輪が二つに割れて落ちる。


 力が、戻ってきた。それと同時に、リオナの目から涙が零れ落ちた。


「……ふ、ふえぇ」


 喉の奥から、こらえていたものが溢れた。


「ふえええん。うえええええん」


 リオナは、両手で顔を覆った。

 怖かった。声も出せないほど怖かった。それを、今になって体が思い出していた。


「よしよし。大丈夫ですわ」


 頭に、手が乗った。

 アリアーゼは、何も聞かず、ただ、ゆっくりと、リオナの頭を撫でた。


「もう大丈夫ですわ」


 その声を聞いて、リオナはますます泣いた

やっぱりアリアーゼ様は助けに来てくれましたね。ルリが激怒していたのが気になるところです。


次回――ルリの本音とは?

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