親切な罠
朝の食堂に、焼けたパンの匂いが漂っていた。
リオナが果実を切り分けていると、入り口の戸が開いた。
「うむ。二人とも、もう起きておったか」
ルリだった。今日も髪をきれいに梳かしている。耳のあたりに、白い小花の飾りが挿してあった。昨日はなかったものだ。
「あら、おはようございます。その髪飾り、お似合いですわね」
アリアーゼが顔を上げて微笑む。
「うむ。そうかの」
ルリは、チラリとリオナを見た後、当然のようにアリアーゼの隣へ腰を下ろした。
「さて、今日はどこに連れて行ってやるかの。まだまだ案内したい場所はたくさんあるぞ」
ルリは指を折りながら、楽しげに数え上げていく。
「あの」
リオナは、包丁を置いた。
「今日は、わたしはご一緒しませんので。お二人で行ってきてくださいませ」
ルリの指が止まった。アリアーゼも、目を丸くする。
「まあ! 一緒に来ませんの?」
「はい」
「なぜじゃ?」
ルリが身を乗り出した。
「なにか気に食わないことでもあったのか?」
(……しらじらしい)
リオナは、心の中でそうつぶやいた。昨日一日、ないがしろにしておいて、今さら何を聞くのか。
「とにかく、わたしは行きませんから」
リオナは立ち上がった。
「わたしは一人で里をみてまわります。失礼します」
背中に、二人の声が届いた。
「リオナ!」
「待たぬか」
リオナは振り返らなかった。戸を押して、朝の光の中へ出た。
◇
里の外れ、古い井戸のそばで、数人のエルヴスの男たちが話をしていた。
「それで、あの村の女はどうだった?」
「聞くな。あれは失敗だった」
一人が肩を落とすと、周りが笑った。
「くくく。お前は詰めが甘いのだ。モノにするまでは本性を隠し通せといつも言っているだろう」
どっと笑い声が響く。
その輪の中で、一人だけ壁にもたれて立っている男がいた。
背が高い。切れ長の目に、金に近い長い髪を首の後ろで束ねている。里の中でも、目を引く容姿だった。
「エルドラン。お前はどう思う」
名を呼ばれたその男は、口の端を持ち上げた。
「やはり人間の女は、良い」
エルドランは、ゆっくりと言った。
「あの、俗っぽさがたまらん。身も心もな」
思い出を探るように視線を上に向ける。
「造形美は我々エルヴスには劣るが、あの肉感が良いのだ」
再び視線を戻す。
「そしてだ。褒めれば喜ぶ。特別だと言えば信じる。長く生きぬせいか、生き急いで何かに必死になっておる」
エルドランは、指先で自分の髪を撫でた。
「俺の手にかかれば、落とすのは造作もないことよ」
男のひとりが、身を乗り出す。
「エルドラン、お前の戦果には到底かなわんよ。貴族の娘ですらモノにしたのだろう?」
エルドランは男を見返して目を細めた。
「グランベル王国でのことだな。あそこの貴族の娘が、なかなか良かった」
エルドランは自慢げな声で語りを続ける。
「立派な屋敷に住んで、絹を着て、宝石を並べておるような女だった。それが、こちらが少し囁いてやっただけで、ころっとな」
エルドランは、笑いを噛み殺した。
「あの娘……ナタ……なんとかと言う名だったな。顔がいいだの、耳が美しいだのと言いながらしなだれてきた。俺の言うことは何でもきいたよ」
「たいしたものだな」
「さすがだ」
男たちが口々に言う。エルドランは、それを聞き流しながら、ふと通りの方へ目をやった。
その視線が、止まった。
通りを、一人の人間の娘が歩いていた。連れはいない。俯きがちに、少し速い足取りで進んでいく。
「……ほう」
エルドランは、壁から背を離した。
「あいつは、先日この里にやってきた娘か」
エルドランが小さくつぶやいた。
別な男が頷きながら口を開く。
「ああ、そうだ。だが、今日は連れの女がいないな。連れの女はまあ、普通だが、あの女はそそるだろう?」
「ククク……そうだな……よし!」
エルドランは、束ねた髪を肩の後ろへ払った。
「俺があの娘をなんとかするから、例の場所で合流だ」
エルドランは他の男たちへ振り返った。
「またか」
「よく飽きんな」
男たちの声を背中で聞きながら、エルドランは通りへ歩き出した。
◇
リオナは、里の大通りを歩いていた。
どこへ行くというあてもない。かといって宿へ戻れば、二人が出かけていった空気だけが残っているだろう。それも嫌だった。
「あの、失礼」
突然声をかけられて、リオナは足を止めた。振り返ると、一人のエルヴスの男が立っていた。
背が高く、人間ではありえない整った顔立ちをしている。美しい容姿のエルヴスたちの中でも、抜きん出ているように見えた。
リオナは、反射的に身構えた。先日、男たちに胸元ばかり見られたことを思い出したからだ。だが、男の視線は、まっすぐリオナの顔に向いていた。
「驚かせてしまったなら、すまない」
男は、そう言って軽く頭を下げた。
「昨日、セイラスを助けてくださった方だろう」
「……あ、はい」
リオナは、少しだけ肩の力を抜いた。
「そのことなら、たいしたことでは」
「たいしたことだ」
男は、静かに言った。
「あの子は、里の宝だ。里の者は皆、あなたに感謝している」
そう言われて、リオナは目を伏せた。悪い気は、しなかった。
「わたしはエルドランという」
「リオナと申します」
「知っている」
エルドランは、微笑んだ。
「昨日から、里じゅうがその名を口にしているのでな」
◇
並んで歩きながら、エルドランはよく喋った。
里の建物のこと。木の名前。どの季節に何が採れるか。押しつけがましいところはなく、リオナが黙っていても、話は勝手に流れていった。
「ところで」
しばらくして、エルドランが口を開いた。
「あなた方は、世界樹の材を求めて来られたと聞いた」
「……はい」
リオナは、思わず身構えた。昨日の長とのやり取りを思い出す。この里で、その話を持ち出すのは歓迎されないことだと思っていた。
「すみません。エルヴスの皆様に対して無礼なことを――」
「いや」
エルドランは、手を軽く上げてそれを制した。
「責めているのではない」
その声には、咎める色がなかった。
「長には断られただろうが、里の者が皆、同じ考えというわけでもない」
「……そうなんですか?」
リオナは驚いてエルドランを見た。
「世界樹は、たしかに我らの象徴だ。だが、あれを一枚岩で崇め奉っているかというと、そうでもない」
エルドランは、肩をすくめた。
「なにしろ、長い付き合いだからな。ありがたいと思う者もいれば、そこにあって当たり前だと思っている者もいる」
リオナは、意外な気持ちで隣を見上げていた。エルドランは言葉を続けた。
「実は、わたしの家には、世界樹について書かれた古い記録がある」
「記録、ですか」
「ああ。先祖が書き残したものだ。今では読める者も少ない」
エルドランは、声のトーンを落とした。
「材の切り出しについても、書かれていたはずだ。かつては、どういう時に、どのように許されたのか。そういうことがな」
リオナの足が、止まりかけた。何か言おうとしたが、エルドランが先に口を開いた。
「あなた方の役に立つかどうかは分からん」
エルドランは、先回りするように言った。
「だが、あなた方がどうしても必要だというなら、目を通してみる価値はあるかもしれん」
◇
リオナは、黙って歩き続けた。頭の中で、いくつものことが同時に動いていた。
昨日、長は世界樹の材を渡せないと言った。理由も、はっきりと聞いた。それを差し置いて、こんな形で世界樹の話に触れても良いものだろうか。
だが。
もし本当に、かつて許された例があるのなら。それを長に示すことができるなら。
(――アリアーゼ様が、喜ぶ)
その考えが浮かんだ瞬間、他のことがどうでもよくなった。
アリアーゼ様が毎晩うなされていた寝顔を思い出す。何日も、何日も、しょんぼりと肩を落としていた姿を思い出す。
(――あの人のために、自分にできることがある)
リオナには、それしかなかった。料理を教えることも、繕い物をすることも、傷を治すことも、全部そうだ。役に立てるから、隣にいられる。
昨日、後ろを歩きながら、ずっと考えていたのはそれだった。
あの人は、自分にそれ以上を求めていない。
「……もしよろしければ、その記録を見せていただけませんか」
リオナは、顔を上げた。
「その、お願いします!」
エルドランは、少しだけ間を置いてから頷いた。
「もちろんだ」
◇
里の外れを抜けると、家はまばらになった。木々の間隔が広がり、下生えが深くなる。人の声も、もう聞こえない。
「ずいぶん、里から離れているんですね」
「静かなところが好きなのだよ」
エルドランは、振り返らずに答えた。
「それに、古いものを置いておくには、湿気の少ない場所がいい」
やがて、木立の奥に一軒の家が見えた。
古い造りだった。窓は小さく、雨戸が閉じられている。周りに、洗濯物も、履物も、煮炊きの匂いもなかった。
リオナは、玄関の前で足を止めた。
どこかが、おかしい。
何がと問われれば、答えられない。ただ、ここまで歩いてきた道のりを、頭の中で数え直していた。
「どうぞ」
エルドランが、扉を開けて、脇へ退いた。
その視線は、相変わらずリオナの顔に向いている。穏やかで、丁寧で、何ひとつ責めるところがない。
「……失礼します」
リオナは、中へ足を踏み入れた。
背後で、扉が閉まった。
ルリと出かけるアリアーゼを見送って、一人で里を歩くことにしたリオナ。そこへ、親切なエルヴスが現れたようですが……?
次回――大ピンチのリオナ。助けは間に合うの?




