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アリアーゼの花嫁修業 〜婚約破棄された最強令嬢の無自覚スパダリムーブが聖女を射抜き、世界を救う〜  作者: 遠崎カヲル
第四章 花嫁修業3 お掃除修業

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森の異変

「きゃあああっ!」


 突然響いた叫び声は、明らかに尋常ではなかった。


「……何事ですか?」


 リオナが振り返る。

 アリアーゼの表情は、先ほどまでの不満げな色が消え、鋭いものへと変わった。


「あちらです!」


 エルレンが叫んだ。

 

 三人は、叫び声が聞こえた方へと一斉に駆け出した。


    ◇


 木々が途切れるあたりに、人だかりができていた。輪の中心が、大きく割れている。


 黒い獣が、そこにいた。


 背丈は大人よりも高い。四つ足で地を掻き、口の端から黒いものを滴らせている。目が濁っていた。


 間違いない。魔獣だ。


 その前に、数人のエルヴスが立ちはだかっていた。手には、細身の弓と槍を携えている。里の防衛を担う者たちのようだ。


「放て!」


 三本の矢が、同時に飛んだ。


 しかし、矢は黒い体毛に乾いた音を立てて弾かれた。一本たりとも、刺さりもしない。


「なんだと」

「もう一度だ!」


 槍を構えた一人が、前へ出る。


 その瞬間、獣が首を振った。それだけで、槍ごと、体が横へ飛んだ。木の幹に激しく叩きつけられ、そのまま動かなくなる。


「だめだっ!」

「下がれ、下がれ!」


 隊列が崩れた。魔獣はその隙を見逃さなかった。


 魔獣は獲物を狙うように、人々の集団に飛びかかった。人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。


 そして、魔獣の前足に、一人の子どもが捉えられていた。


「うわあああん!」


 子どもの悲鳴が響く。


「誰か、助けてくれ!」

「無理だ! 近づけない!」


 エルヴスたちは、遠巻きにすることしかできなかった。


 魔獣が、子どもにトドメを刺そうと前足を振り上げた。


    ◇


「させませんわ!」


 声と同時に、風が鳴った。


 人だかりの隙間を、何かが抜けていった。誰の目にも、その動きは追えなかった。


 一閃。


 音は、ひとつだけだった。


 振り下ろされる寸前の魔獣の前足が飛んだ。足を失った魔獣が、悲鳴を上げる。

 その隙に、アリアーゼは子どもの身体を抱き上げた。


「アリアーゼ様!」


 遅れてリオナとエルレンが駆けつけた。


「この子をお願いしますわ!」


 子どもをエルレンが抱きかかえた。子どもは気を失っている。ポタポタと赤い雫が地面に染みを作った。


 それを見たアリアーゼの表情が、変わった。


「よくも子どもに傷をつけましたわね!」


 アリアーゼは、魔獣を睨みつけた。


「許しませんわ!」


 次の瞬間、アリアーゼの姿が消えた。


 再びの一閃。


 魔獣の身体が、真っ二つに斬り裂かれ、巨体が地面へ崩れ落ちる。


 あまりにも一瞬の出来事だった。


 エルヴスたちは、誰一人として声を発することができなかった。


    ◇


「ああ、セイラス。しっかりしろ!」


 エルレンが、抱きかかえた子どもの頬を軽く叩いた。


 他のエルヴスたちも、心配そうに駆け寄ってくる。

 アリアーゼも、すぐに戻ってきた。


 セイラスと呼ばれた子どもは、反応を見せない。小さな体の脇腹が、深く裂けていた。


 その呼吸が、次第に弱くなっていく。


「駄目だ、セイラス。死なないでくれ。頼む……」


 エルレンの声が震えた。

 その様子を見たリオナが、すぐに駆け寄った。


「エルレン様、わたしに任せてください」


「リオナさん……?」


「まだ、間に合います」


 リオナはセイラスの身体に手を当てた。


「この子を、助けます!」


 リオナは目を瞑って、手の平に意識を集中させた。リオナの手に白い光が集まっていく。


「大いなる光よ、集え!」


 リオナの手の平が、眩い輝きを放った。


「傷を閉じ、その命を繋ぎとめよ!」


 光が、セイラスの傷の裂け目へ流れ込んでいく。


 皮膚の縁が、内側から寄り始めた。血の流れが止まる。


 リオナは、額に汗を浮かべたまま、手を離さなかった。


 周りのエルヴスたちが、じりじりと距離を詰めてくる。誰も口をきかない。


「……あれは」


 その中に、遅れて駆けつけたエルセルリオンがいた。


「聖女の……力か」


 エルセルリオンは誰にともなく、呟いた。


 やがて。


 セイラスが薄く目を開けた。


「……んん」


 小さな声が漏れる。


「セイラス!」


 人だかりが、一斉に崩れた。


 エルヴスたちが駆け寄り、子どもを覗き込む。手が伸び、頭を撫で、頬に触れる。何人もの手が、同時にその子に向かっていた。


「ふう。間に合いました」


 リオナは、汗を拭いながら、その様子を眺めていた。

 

 不意に隣に人影がたった。


「うふふ。リオナ、さすがですわ」


 アリアーゼが優しく微笑んでこちらを見ている。


「それを言うなら、アリアーゼ様だって」


 リオナもそう言って微笑んだ。


    ◇


「他に、大きな怪我をした者は」


 エルセルリオンが問うと、防衛隊の一人が首を振った。


「エルセインが弾き飛ばされましたが、意識はあります。他の者も、かすり傷程度です」


「そうか」


 エルセルリオンは、ひとつ息を吐いた。それから、アリアーゼとリオナの二人へ向き直った。


「二人とも。よくぞセイラスを助けてくれた」


 エルセルリオンは、そこで一度言葉を切った。


「……先ほどは、失礼な物言いをした。その上で礼を言うのは、虫の良い話だが、深く感謝申し上げる」


 エルセルリオンが、二人に向かって深く頭を下げた。

 その姿を見て、周囲のエルヴスたちも次々と二人へ声をかけ始めた。


 いつの間にか、里のエルヴスたちが二人を囲んでいた。

 先ほどまで遠巻きに眺めていた者たちも、今は誰もが二人のすぐそばまで来ている。


「人間のお方。セイラスを助けてくださって、本当にありがとう」

「魔獣を一人で斬るなんて。すごいよ」


 エルヴスたちから、口々に声が上がる。


「うふふ。淑女のたしなみですわ」


 アリアーゼは、にこやかに微笑んだ。


「あんなふうに傷を癒せるなんて!」


 リオナの周りにも人々が集まる。


「いえ、そんな……あの子が無事でよかったです」


 リオナは慌てて手を振った。


    ◇


 セイラスはエルヴスの女性に抱かれていた。どうやら問題はなさそうだ。


 次に、別の女性がセイラスを抱きかかえた。優しく声をかけられ、セイラスが笑顔を見せる。


 その頬を、さらに別の女性がそっと撫でる。乱れた髪を、別の男性が直している。 

 一人の男性が水の入った器を運んできた。セイラスは、それを受け取って口をつけた。


 リオナは、その光景をしばらく眺めていたが、ふとした疑問を口にした。


「エルセルリオン様。あの子のご両親は、どなたなのでしょうか?」


 場が、わずかに静まった。


「両親?」


 エルセルリオンが、首をかしげる。その表情は、聞き慣れない言葉を確かめるようだった。


「はい。あの子の、お父様とお母様です」


「……ああ。生みの親、ということか」


 少しの間を置いて、エルセルリオンは頷いた。


「それなら、それぞれが別々の森で暮らしておる」


 リオナは、瞬きをした。エルセリルの森以外にも、エルヴスの森があるとは聞いていた。だが、この子の親がそこにいるという話が、うまく飲み込めなかった。


「……一緒に暮らしては、いないのですか?」


「そうだな」


 何でもないことのように、エルセルリオンは答えた。あまりにあっさりとした返事に、リオナは慎重に言葉を選んだ。


「あの、それは、何かご事情があって……」


「事情?」


 エルセルリオンの眉が、わずかに上がった。それから、リオナの目をまっすぐに見た。


「何も特別な事情などない。我らは、そなたたち人間のように血縁を重視せぬのだ。エルヴスの子は、誰かの子ではなく、種族全体の子だ」


 リオナは、言葉を返せなかった。


 エルセルリオンは、抱かれているセイラスへ目をやった。大人たちは次々とセイラスへ手を伸ばし、セイラスは皆に笑顔を向けている。


「我ら、エルヴスは子が生まれにくい。時には数十年も子どもが生まれないこともある。だからこそ、生まれた子は種族の宝だ。誰が産んだかなど、大した意味を持たない。この子を守り、育てるのは、種族みんなの役割なのだ」


「まあ」


 声を上げたのは、アリアーゼだった。


「では、皆様が家族なのですわね」


「家族、か。そう言ってもよいのかもしれんな」


 エルセルリオンは、少しだけ考えてから頷いた。


 リオナは、何も言えずにいた。自分自身の人生を思い返してみる。


 物心つく前に神殿へ預けられ、家が傾いたからと呼び戻された。シェストロームという姓に縛られ、顔も知らぬ相手のもとへ嫁がされかけた。逃げ出さなければ、今ごろどうなっていたか分からない。


 この里の子は、誰か一人の子ではない。だからこそ、誰かの都合だけで、その人生を決められることもないのだろう。


(……そんな生き方も、あるんですね)


 リオナは、もう一度セイラスへ目を向けた。

 セイラスは、大人たちに囲まれ、嬉しそうに笑っている。


 その光景を、リオナはしばらく眺めていた。


    ◇


「リオナ、と言ったな」


 顔を上げると、エルセルリオンがこちらを見ていた。先ほどまでの穏やかな声とは、少し違っていた。


「はい」


「あの子の傷は、決して浅くなかった。あれをあそこまで治せるものなのか」


「……はい。聖女修行を続けてきましたので」


 エルセルリオンは、しばらく黙っていた。


 やがて、その視線がゆっくりと里の奥へ向いた。木々の向こう、二人がまだ足を踏み入れていない方角だった。


 夕日はすでに落ちかけ、その先は薄い影に沈んでいる。


「聖女の力か。その力があるのなら、あるいは……」


 エルセルリオンは、小さく呟いた。それから、ゆっくりとリオナへ振り向いた。


「リオナ……いや、リオナ殿」


「はい?」


 エルセルリオンは、ほんの少し視線を落とした。


「ぶしつけな頼みで申し訳ないのだが……」


 エルセルリオンは何かを決意したように、顔を上げた。


「一緒に、この里の長老に会ってはくれないだろうか?」


「わたしが……ですか?」


 リオナは戸惑いながら、アリアーゼを見た。

 アリアーゼも首を傾げながら、リオナを見返す。


「頼む」


 エルセルリオンは、深々と頭を下げた。


 リオナは、もう一度視線をアリアーゼに向けた。アリアーゼが頷いたのを確認すると、口を開いた。


「はい。わたしたちは、別にかまいませんが」


「そうか。感謝する」


 エルセルリオンがそう言った、そのときだった。


「呼んだかの?」


 背後から声が聞こえた。振り返ると、そこに銀の髪の女が立っていた。


「あっ!」


 リオナは、思わず声を上げた。


 立っていたのは、森で最初に出会った女性――ルリだった。

エルヴス族にとって、子どもは種族みんなの宝。その子どもを救えたアリア―ぜとリオナでした。そして、ルリは里の長老!?


次回――ルリが二人に語る、世界樹の異変とは?

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