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アリアーゼの花嫁修業 〜婚約破棄された最強令嬢の無自覚スパダリムーブが聖女を射抜き、世界を救う〜  作者: 遠崎カヲル
第四章 花嫁修業3 お掃除修業

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世界樹をください

 エルレンに案内されて、二人は里の奥へと歩いていた。


 エルレンの表情からは、先ほどまでの人の良い笑みが消えていた。どこか硬い表情を浮かべ、心なしか歩く速度も速い。


「……あの、エルレンさん」


 リオナが、遠慮がちに声をかけた。


「はい」


「わたしたち、失礼なことを言ってしまったようで、すみません」


「いえ」


 エルレンは、前を向いたまま答えた。


「それで、世界樹のことなのですが……」


 言いかけたリオナの言葉を、エルレンは手で制した。


「その話は、長の前でしましょう」


「……はい」


 エルレンは、それ以上何も言わず、再び歩き始めた。

 リオナも、その背中を追った。


 隣では、アリアーゼだけが、木々の梢を見上げながら、のんびりと歩いていた。


    ◇


 案内されたのは、里の一番奥にある家だった。


 他の家より大きいわけではない。むしろ、外から見れば質素な造りだった。けれど、その周囲だけは明らかに違っていた。


 家を取り囲むように、ひときわ太い大樹が何本も立っている。長い年月を生きてきたのだろう。幹には深い皺が刻まれ、枝は家の屋根を覆うように伸びていた。木々の隙間から差し込む光も、そこだけは不思議なほど穏やかだった。


 そして、何より静かだった。


 人の話し声も、足音も聞こえない。

 まるで、この場所だけが里の喧騒から切り離されているようだった。


「長。お客人です」


 エルレンが声をかけると、中から一人のエルヴスが現れた。


 銀に近い長い髪を、後ろで一つに束ねている。顔立ちは、やはり若く見える。二十代半ばと言われても、リオナは疑わなかっただろう。


 だが、その瞳を見た瞬間、リオナは言葉を失った。


 深い青の瞳だった。


 静かで、穏やかでありながら、どこか底知れない。

 長い年月を生きてきた者だけが持つ、そんな雰囲気があった。


「ようこそ、客人よ。私が、この里を預かるエルセルリオンだ」


 低く落ち着いた声が響く。


「わたくしは、アリアーゼ・フォン・ローレンスですわ」


「リオナ・シェストロームと申します」


 二人が頭を下げる。エルセルリオンは、二人を順に見た。


「人間がエルセリルの森を訪ねてくるのは、久しぶりだ。何用で参った?」


 リオナが口を開くより早く、アリアーゼが前に出た。


「実は、世界樹の材を少し分けていただきたいのですわ」


 エルセルリオンは、しばらくアリアーゼを見つめていた。


「……世界樹の材を手に入れて、どうするつもりだ?」


 エルセルリオンが問うと、アリアーゼは、にこやかに口を開いた。


「料理に使うまな板を作りたいと思っておりますの」


「まな板? 世界樹の材で、なぜまな板を?」


 エルセルリオンが、不思議そうに尋ねる。


「実は、これがわたくしの大切な包丁なのですが」


 アリアーゼは、腰に差していた包丁を取り出した。

 それを見たエルセルリオンの目が、わずかに細くなる。


「その刃物。素材はオリハルコンか」


「さすが、よくご存じですわね。わたくし、この包丁で料理の修業をしておりますの。ですが、あまりに切れ味が良すぎて、普通のまな板では耐えられないのですわ」


「なるほどな」


 リオナは二人のやりとりをはらはらしながら見つめていた。

 エルセルリオンが難しい顔をして、何か言おうとした瞬間、リオナはとっさに口を挟んだ。


「アリアーゼ様は、その、本気でお料理の修業をされているんです。今お使いの包丁も、グラニス族の里まで赴いて、苦労して手に入れた物なんです。だから、あの、端材でよろしいので、何とかわけていただけないでしょうか……」


 言いながら、自分でも、ずいぶん無茶なお願いをしていると思った。


「ふむ……事情は理解した」


 エルセルリオンは、静かに言った。

 リオナは、ほっとしたように顔を上げた。


 ――しかし。


 エルセルリオンの次の言葉は、期待を裏切るものだった。


「世界樹の材を渡すことはできない」


    ◇

 

 場は重苦しい雰囲気に包まれた。


「そこを、なんとかなりませんかしら」


 アリアーゼは身を乗り出して、再度エルセルリオンに頼み込んだ。


「だめだ。諦めよ」


 エルセルリオンは、明確に拒絶した。そのまま言葉を続けた。


「お前たちは気軽に世界樹を求めておるが――」


 その声に、初めて力がこもった。


「世界樹が、我々エルヴスにとってどのような存在か、知っているのか」


 エルセルリオンが低い声で問いかけると、アリアーゼは口を閉じた。


「あれは、我らの象徴だ。エルヴスという種族が、森と共に在ることの証だ。そして、世界樹のおかげで、森は維持され、我々は長命を享受できておるのだ」


 エルセルリオンは、二人から目を逸らさなかった。


「その材を切り出し、道具にすることなど、認められるはずもない」


「……そうですの」


 アリアーゼは、しょんぼりと肩を落とした。

 それから、ちらりとエルセルリオンを見上げた。


「では、落ちている枝でよろしいですわ」


「それもだめだ。世界樹の一部であることに変わりはない」


「では、その端材は」


「だめだと言っておる」


「ほんの欠片だけでも」


「しつこい」


 エルセルリオンの眉が、わずかに寄った。

 アリアーゼはなおも食い下がる。


「葉っぱはどうですの?」


「世界樹の葉は貴重な薬草だ。だが、里の店で売っとるよ」


「葉っぱでは、まな板は作れませんわ」


「お前が言ったんだろうが」


 そんな二人のやりとりに、リオナはそっと目を伏せてこめかみを押さえた。

 二人の会話は止まらない。


「では、根っこはどうですの?」


「なぜ根っこなら良いと思うのだ」


「地面の下ですもの。目立ちませんわ」


「そういう問題ではない」


 アリアーゼは口をへの字に曲げた。

 それから、思い出したように懐から財布を取り出した。


「そうですわ! お金なら払いますわ!」


 エルセルリオンは動じなかった。


「金の問題ではない」


「もしかして、掟で決まっていますの?」


「そうではない」


「では、誰の許可がいりますの?」


「わたしだ」


「では、許可してくださいな」


「だーかーらー、だめだって言ってるの!」


 エルセルリオンはドンドンと地面を踏みしめた。

 リオナはいいかげん、頭が痛くなってきた。


「頑固者!」


「お前もいい加減あきらめろ! だいたい、世界樹は今大変なことになっとるのだ! それどころじゃないっての!」


 エルセルリオンの言葉に、リオナは思わず顔を上げた。


「エルセルリオン様。それはどういうことですか?」


「…………」


 エルセルリオンの動きが、止まった。


「ごほん。すまぬ。こちらの問題だ。今の話は忘れなさい」


 エルセルリオンはそう言って、居住まいを正した。


「とにかく、この話はもう終わりだ。下がりなさい」


「まだお話は終わっておりませんわ!」


 アリアーゼはまだ食い下がろうとしたが、エルセルリオンは答えなかった。そのまま背を向け、奥へと去っていく。


「きいい! わからずやですわ!」


「アリアーゼ様も、相当しつこいですよ」


 リオナは、ため息をついた。


    ◇


 長の家を出ると、日が傾き始めていた。


 行きは背筋を伸ばして歩いていたエルレンが、今は肩を震わせている。口元を手で覆っているが、笑みを隠しきれていない。


「……失礼。長が、あんな言葉遣いをするのを聞いたのは初めてでして」


「笑いごとではありませんわ!」


 アリアーゼが振り返った。頬を膨らませ、ぷんぷんしている。エルレンは今度こそ噴き出した。


 リオナは、苦笑いを浮かべるしかなかった。断られた側が怒り、断った側の部下が笑っている。何かがおかしい気はしたが、指摘する気力もない。


「よろしければ、宿までご案内しますよ」


 エルレンがにこやかに言った。


「お願いしますわ」


 アリアーゼは、まだ少し頬を膨らませている。


「もうっ! あの長には困ったものですわ」


「はは……」


 エルレンは、また笑いそうになるのを堪えた。


「大事なまな板のお話なのに、聞く耳を持たないなんて!」


「十分聞く耳を持ってくださってましたよ」


 アリアーゼとリオナはそんな言葉を交わした。


 その時だった。


「きゃあああああっ!」


 突然、里のどこかで叫び声が響いた。

エルヴス族にとって大切な世界樹。どうやら交渉はうまくいかなかったようですね。


次回――エルセリルの森で事件が起こります。


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