エルヴス族の里
エルセリルの森。
そこは、外界との間に明確な境界を持つ森だった。一歩足を踏み入れただけで、空気が変わる。鳥のさえずりは遠くなり、木々のざわめきだけが静かに耳へ届いた。
森の中を進むリオナは思わず息を呑んだ。
木々が、あまりにも高かった。
見上げても、梢の先が見えない。幹は大人が何人がかりでも囲めないほど太く、苔むした表面に、淡い光を放つ何かが点々と宿っている。
その隙間から、細い光の筋がいくつも降りていた。
「まあ……」
アリアーゼも、足を止めていた。風が渡るたび、頭上で葉がざわめく。
「すごいですね。まるで木で作られた回廊ですね」
「本当ですわね」
その景色に圧倒された二人は、その後しばらく黙って歩いた。
◇
森を進むにつれ、道らしいものが現れた。踏み固められた土の上に、荷車の轍が残っている。
「思ったより、人が通っているみたいですね」
リオナが、足元の轍を目で追いながら言った。
やがて視界が開けた。
木々の間に、家々が並んでいた。木の枝を編んだ屋根。その下に、干された洗濯物が揺れている。
「……洗濯物ですね」
「まあ、本当ですわ」
アリアーゼが、感心したように頷いた。
井戸端で水を汲む者がいた。家の前に履物が並べてある。誰かの家から、煮炊きの匂いが漂ってきた。
「なんだか、普通ですね。わたしはてっきり、幻想的な光の下で、竪琴や笛を奏でながら歌を歌っている人々を想像していました」
リオナは、少しだけ肩の力を抜いた。
「うふふ。わかりますわ。アッチムの言った通り、暮らしは普通ですのね」
アリアーゼも、楽しそうに笑った。
◇
通りを歩いていると、妙な視線を感じた。数人のエルヴスの男たちが、こちらを見ている。
リオナは、思わず足を止めた。
長い耳。すらりとした体つき。誰もが、驚くほど整った顔立ちをしている。長い髪が、木漏れ日の中で艶やかに光っていた。
「……」
リオナは、しばらく彼らに魅入ってしまっていた。
すると、男たちが囁き合う声が耳に届いた。
「おい、あの女」
「ああ。すごいな」
「あのような女は、この里にはいないな」
リオナは最初、男たちはアリアーゼを見て囁き合っているのだと思った。
しかし、男たちの視線の先が違った。どうやら、アリアーゼの方ではなく、リオナの方を見ているらしい。
再び、男たちの囁く声が聞こえてきた。
「でかいな」
「ああ。まったくだ」
「あのような立派な物の持ち主は久しぶりだ」
男たちは間違いなくリオナに視線を向けている。視線の先は顔ではない、もう少し下だ。
「……!」
リオナは、慌てて両腕で胸元を隠した。 頬が、みるみる赤くなる。
男たちは、そんなリオナの様子を気にすることなく、相変わらず何かを囁き合っている。
「しかも、あの体つき……実に見事だ」
「人間の女というのは、みな、ああなのか?」
「いや。あれは特別だろう」
リオナは、ますます居心地が悪くなった。
「アリアーゼ様……」
「何かしら?」
「なんだか、あの方たちに見られている気がするのですが……」
「うふふ。リオナは人気者ですわ」
アリアーゼは、楽しそうに笑った。
「笑い事じゃありません……」
リオナは、胸元を隠したまま、困ったように眉を寄せた。
◇
「これ、男どもよ」
不意に、背後から女の声がした。
「よそ者とはいえ、里の客人に無礼な態度は控えよ」
男たちが、一斉に振り返る。リオナとアリアーゼも、つられて振り向いた。
そこに、一人の女性が立っていた。長い耳。長い髪。エルヴス族の女性のようだ。
リオナは、思わず息を呑んだ。
背は高くない。だが、あまりにも美しい。
整った顔立ちというだけではない。顔の一つ一つの造形が完璧で、まるで彫刻がそのまま動き出したかのようだった。
透き通るような銀の髪が、腰の下まで流れている。目の色は、深い青だった。
隣にいるアリアーゼも、誰もが認めるほど美しい女性だ。
けれど、その美しさとは、どこか違っていた。
アリアーゼが華やかで柔らかな美しさなら、目の前の女性は、冷たささえ感じるほどに整った美しさを持っている。
リオナは、しばらく言葉を失っていた。
女性はスタスタと歩いてくると、男たちを見回しながら口を開いた。
「客人を、舐め回すように見るでない」
「……いや、これは」
「散れ」
男たちは、ばつが悪そうに視線を逸らし、それぞれ散っていった。
リオナは、呆気に取られたまま、その女性を見ていたが、慌てて頭を下げた。
「あの、ありがとうございます」
「なに、気にするでない」
女性は、軽く手を振った。
「あやつらは、里の中でも下品な連中じゃ。珍しい客人が来ると、すぐああなる」
「そうなんですか?」
リオナが、思わず聞き返す。
「うむ。特に、お主のような魅力的な身体……ごほん。魅力的な女性は、この里にはおらんのでな」
女性はそう言って、リオナの胸元へ視線を落とした。
「…………」
リオナは、再び胸元を腕で隠した。女性はそれに気づくと、もう一度咳払いをした。
「ごほん。まあ、皆がああでは無いことを理解してくれるとありがたい」
女性はそう言ってから、二人をゆっくりと眺めた。
「ところで、お主らは何者じゃ?」
女性が尋ねる。
「申し遅れました。わたしはリオナと申します」
「わたくしは、アリアーゼですわ」
「リオナに、アリアーゼか」
女性は腕を組み、二人を見比べるように眺めた。値踏みされているような目だった。
「リオナは立派な物を持っているが、わしの好みはアリアーゼの方じゃな」
「まあ! そうなのですね」
アリアーゼが、嬉しそうに声を上げた。
リオナは、何とも言えない顔で二人を見た。
「わしの名はルリじゃ」
ルリは軽く胸を張って名乗ると、改めて二人へ視線を戻した。
「それで、お主らは何用あって、この里へ来たのじゃ?」
「世界樹を探して、参りましたの」
「世界樹?」
ルリの組んでいた腕が、わずかに下りた。
「はい。少し、お願いしたいことがありまして」
「ふむ……」
ルリはしばらく黙って、二人の顔を順に見ていた。やがて、通りの先へ目を向ける。
「なるほどのう。それならば、まずは、里の長に挨拶するがよかろう」
「里の長、ですか?」
「うむ。この里は、よそ者だからとて、拒むような里ではない。じゃが、勝手に歩き回るのも感心せぬからの」
ルリは、木々の切れ間に見える里の奥の方を指差した。
「あの先に、里の長の家がある。そこで事情を話すがよい」
「わかりました」
「ありがとうございますわ」
二人が頭を下げると、ルリは満足そうに頷いた。
「では、わしはこれでな」
そのままルリは、二人の横を通り過ぎていった。
◇
二人が辺りを見回しながら歩いていると、目の前に一人のエルヴスが立った。
「ご案内が必要ですか?」
声をかけてきたのは、若く見えるエルヴスの男だった。先ほどの男たちとは違い、視線がまっすぐリオナの顔に向いている。
「わたしは、エルレンといいます。よろしければ、ご案内いたしますよ」
「あ、わたしはリオナです。こちらは――」
「アリアーゼと申しますわ」
「人間の方が来られるのは、久しぶりです」
エルレンは、穏やかに微笑んだ。
「何か、ご用でしょうか?」
「はい。実は――」
リオナが答えようとした、そのときだった。
「世界樹の材を、いただきに参りましたの」
アリアーゼが、堂々と言い切った。
「アリアーゼ様!」
リオナが、慌てて振り返る。
だが、遅かった。
エルレンの表情から、笑みが消えていた。
ついに世界樹のあるエルセリルの森へやって来た二人。エルヴス族は意外にも俗っぽいようです。
次回――世界樹をめぐって、波乱の予感です。




