大きな企み
その夜、リオナはなかなか寝付けずにいた。
原因はアリアーゼだ。ここ最近、アリアーゼは毎日のようにうなされている。
「ごめんなさい、旦那様……アリアーゼを、見捨てないでくださいまし……」
隣から聞こえてきた寝言に、リオナは目を開けた。また、旦那様の夢を見ているらしい。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
アリアーゼは苦しそうに眉を寄せたまま、小さく身を縮めている。
リオナは、そっと身を起こした。
最初は、ただの妄想の延長だと思っていた。呆れて、笑い飛ばせるはずの、いつもの、あの変な癖。
けれど――。
これほどまでに、アリアーゼにとって大切なものなのだとしたら。
「……なんとか、してあげないと」
リオナは、小さく呟いた。
◇
翌朝の朝食の席で、アリアーゼは相変わらず元気がなかった。
「アリアーゼ様、今日は街まで行って、何かおいしいものでも食べませんか?」
リオナは、なんとかアリアーゼを元気づけようと、あれこれ話しかけていた。
「……そうですわね」
アリアーゼは、俯きがちに朝食を口へ運んでいる。
「それとも、今日は家でゆっくりしますか?」
「……そうですわね」
「昨日の卵焼き、すごく形がよかったですね。だいぶコツをつかんだのではないですか?」
「……はい」
リオナは、困ったようにアリアーゼを見つめた。返ってくるのは、生返事ばかりだった。何を話しても、アリアーゼの顔は晴れない。
向かいの席で、アッチムが頬杖をついた。
「アリアーゼも、こうなると最強の見る影もないっすね」
「……そうですね」
リオナは、小さく息を吐いた。
伝説のまな板など、まったく見当もつかない。アッチムも知らないというし、念のためギルドワさんにも訪ねてみたが、そんなものは聞いたこともないと笑われただけだった。
それでも。
毎晩うなされているアリアーゼの寝顔が、頭から離れなかった。
「……アリアーゼ様のために、わたしが、なんとかしないと」
リオナは拳を握りしめた。
◇
「少し、調べ物をしてきますね」
その日の早朝、リオナはアリアーゼにそう告げた。
「調べ物、ですの?」
「はい。まな板のことで、少し」
アリアーゼの目が、わずかに輝いた。だが、リオナは、それ以上詳しくは語らなかった。期待させすぎて、また空振りに終わっては可哀想だ。
「王都まで、行ってきます。今日中には戻れると思いますので」
「気をつけて、行ってらっしゃいな」
アリアーゼの、その一言には、いつもの元気さが少しだけ戻っていた。
◇
王都の図書館は、静けさに満ちていた。高い天井。ずらりと並ぶ書架。埃の匂いが、かすかに鼻をつく。
リオナは、木材や伝説の素材にまつわる文献を、片っ端から探し始めた。
――頑丈な木。傷つかない木。刃を受け付けない木。
そんな都合のいい素材が、簡単に見つかるはずもない。分厚い本を何冊も机に積み上げては目を通し、また別の本へ手を伸ばす。
だが、どれだけ探しても、それらしい記述は見つからなかった。
「……ないですね」
積み上がった本の山を前に、リオナは小さく息を吐いた。
このまま何も持ち帰れなければ、アリアーゼは、またしょんぼりするだろう。その顔を想像すると、焦りが募ってくる。
それでも諦めきれず、リオナは、ふと別の棚へ目を向けた。そこに並んでいたのは、一般の文献とは少し違う、古びた本の数々だった。
「……古代文字ですか」
表紙に記された文字を見て、リオナが呟く。
聖女修行の中で、古代文字を読み解くことも学んでいた。まさか、こんなところで役に立つとは思わなかった。
リオナは一冊を手に取り、ページをめくっていった。見慣れない文字が、びっしりと並んでいる。一文字ずつ意味を確かめながら、読み進める。そうやって、何冊もの本を手に取っては棚に戻す作業を繰り返した。
やがて――。
古びた装丁の一冊に、目が留まった。表紙には、こう記されていた。
『伝説の武具 その素材と伝承について』
リオナは、そっと埃を払い、ページをめくった。
オリハルコン、ミスリル――見覚えのある名前や、聞いたことのない名前がいくつも並んでいる。
そして、その中の一つの記述に、目が留まった。
――世界樹の盾。
リオナは、夢中になって、その記述を読み始めた。
『世界樹の材は、切り出してより七日の間のみ、加工が可能とされる。七日を過ぎれば、材は完全に安定し、いかなる刃も、これを通さぬという』
その一節を、何度も読み返す。
――刃を、通さない。
まさに、探し求めていた性質そのものだった。
「……これ」
リオナは、ぽつりと呟いた。
「まな板に、使えませんかね?」
リオナは、その本を大事そうに抱えると、席を立った。
◇
リオナは、本を抱えたまま、貸し出しカウンターの前で立ち止まっていた。
「…………」
図書館で本を借りるのは、初めてだった。カウンターの向こうには、何人かの司書がいる。けれど、誰に声をかければいいのかも、よく分からない。
そんなリオナに、一人の司書が声をかけた。
「――お貸し出しですか?」
振り返ると、無表情な女性が立っていた。
黒髪を一つに結い、背筋をぴんと伸ばしている。無駄のない動きには、どこか隙がなかった。
「あ、はい。でも……こういうの、初めてで」
「それでしたら、こちらへどうぞ」
女性司書は、そう言いながらリオナの手から本を受け取った。
「熱心に、調べ物をされておりましたね」
「はい。ちょっと、知人に頼まれまして」
「そうでしたか」
女性司書は、本の表紙に目を落とした。
――ほんの一瞬。その目が、わずかに見開かれる。
だが、すぐに元の無表情へ戻った。
「古代文字の文献ですね。これを借りられる方は、あまり多くありません」
「そうなんですか?」
「ええ。読める方が、そもそも少ないものですから」
女性司書は、本を確認しながら、何気ない調子で尋ねた。
「失礼ですが、普段は何をされている方なんですか?」
「わたしですか? ……聖女の修行をしていました」
リオナは、少し考えてから答えた。
「なるほど」
女性司書の手が、一瞬だけ止まった。しかし、それ以上深くは尋ねてこなかった。彼女は本の表紙に小さなクリップを挟んだ。
「紛失防止の魔道具です。貸出期限は七日。遅れないよう、ご注意ください」
「はい。分かりました」
リオナは、本を受け取った。
「それでは、お気をつけて」
「ありがとうございます」
リオナは、軽く頭を下げ、そのまま図書館を出ていった。
女性司書は、しばらくその背中を見送っていた。
◇
その夜、ゼリアス王国の王宮執務室にて。
「殿下。アリアーゼ様の連れであるリオナ嬢に、接触いたしました」
「して、どうであった」
エルクードが書類から顔を上げた。
「彼女は、伝説の武具について、調べておりました」
エルクードの目つきが、すっと鋭くなった。
「伝説の武具、だと?」
エルクードは、しばらく黙り込んだ。
やがて、口の端に笑みが浮かんだ。
「やはり、何かある……!」
その声には、確信めいた響きがあった。
「殿下?」
「サリエナ、考えてもみろ。ただの旅人が、なぜ伝説の武具の文献など、熱心に調べる必要がある?」
エルクードは、椅子から身を乗り出した。
「これは――何か、大きな企みが進んでいるのかもしれん」
「……なるほど」
サリエナは、表情を変えないまま、そう返した。
「引き続き、彼女たちの動向を探ってくれ」
「かしこまりました」
サリエナは、一礼し、部屋を後にした。
エルクードもサリエナも、気づいていなかった。
「大きな企み」の正体が、アリアーゼの花嫁修業に由来するものであることを。
アリアーゼ様のため、傷つかないまな板を探して王都の図書館へ向かったリオナ。果たして、伝説まな板を手にすることはできるのでしょうか?
次回――伝説のまな板を求めて、新しい旅のスタートです。




