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婚約破棄された最強令嬢は、花嫁修業で世界を救います。でも、聖女の恋心には気づけません。〜アリアーゼの花嫁修業〜  作者: 遠崎カヲル
第一章 出会いと居場所

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ドキドキして眠れません

 その日の遅く、二人は小さな宿場町にたどり着いた。


 宿を取り、荷を置くと、リオナは手早く動きはじめた。乱れた寝具を整え、ほつれたアリアーゼの外套を繕い、階下で頼んだ食事の受け取りまで、よどみなくこなしていく。


「まあ……まあ、まあ!」


 アリアーゼは、その一つ一つに、目を丸くした。


「リオナ、あなた、なんて手際がよろしいの……!」


「これくらい、普通です」


 繕い物の手を止めず、リオナは答える。神殿では、掃除も裁縫も炊事も、当たり前の日課だった。取り立てて褒められることでもない。


「普通、ですって……」


 アリアーゼは、きらきらとした目でリオナを見つめ、それから、しみじみと呟いた。


「リオナは、本当に、いいお嫁さんになりますわね」


「……っ」


 リオナの手が、止まった。


「わたしは」


 きっ、と顔を上げる。


「お嫁さんには、なりたくないんですってば!」


「あら」


「あらじゃないです!」


 ぷんぷんしながら繕いを再開するリオナを、アリアーゼは、きょとんと眺めていた。


    ◇ 


 夕食の後、宿の女将が「湯が沸いておりますよ」と声をかけてくれた。


 小さいながら、湯殿のある宿だった。旅の埃を落とせると、リオナはほっと胸をなで下ろす。


「では、一緒に参りましょう」


アリアーゼは、ごく自然に言った。


「……一緒、ですか?」


「ええ。何か問題でも?」


「あ、あの……その……」


 出会って間もない相手と湯殿へ向かうことに、リオナはためらいを覚えた。


「ふふふ。リオナのために、とっておきを出してあげますわ」


 そう言ってアリアーゼは、荷物から小さな包みを取り出した。それは、とてもよい香りのする石鹸だった。


「わあ……」


 ふわりと漂う上品な香りに、リオナは思わず目を細めた。こんな石鹸は、神殿でも使ったことがない。


「ね? だから一緒にお風呂に参りましょう?」


「……は、はい」


 リオナはつい、頷いてしまった。


    ◇


 湯殿には、誰の姿もなかった。

 この時間に入る客は少ないのか、湯気の立ちこめる浴場には、二人きりだった。


 衣服を脱ぎ終えたリオナは、思わず胸元を両腕で隠す。出会ってまだ半日も経っていない相手と裸で向き合うのは、どうにも気恥ずかしい。


 一方のアリアーゼは、そんな様子など気にも留めず、堂々と湯殿へ足を踏み入れていく。その立ち姿は凛としていて、無駄のない肢体は、まるで一枚の絵画のように美しかった。


 リオナは、思わず息を呑む。


 ――綺麗。


 昼間、街道で初めて顔を見た時にもそう思った。けれど、柔らかな湯気に包まれたその姿は、あの時以上に、目を奪われるほど美しかった。


「では、リオナ。わたくしが、洗って差し上げますわ」


 アリアーゼが、当然のように言った。


「……え、いえ、自分でできますから!」


「あら。お嫁さんなら、そうするものかと思って。練習ですわ」


「練習!?」


 リオナが止める間もなく、アリアーゼの手が、石鹸を泡立てはじめる。


「とても香りのよい石鹸ですのよ。王宮で流行ってましたの」


 ふわりと、甘く優しい香りが、湯気に混じって立ちのぼった。


「さあ、遠慮なさらず」


 泡立てた手が、リオナの背に滑る。すべ、すべ、と。


「あ……っ、アリアーゼ様、そこは、いいですから……!」


「なにをおっしゃいますの。隅々まで綺麗にしなければ、だめですわ」


 まるで剣の鍛錬でもするような、生真面目な手つきだった。手を抜くということを知らない。

 リオナの背中を、肩を、腕を、丁寧に、丁寧に、泡が滑っていく。


「ちょ、ちょっと、指が……!」


「動かないでくださいまし。まだ、途中ですわ」


「ひゃっ……! きゃあ!」


 湯殿に、リオナの悲鳴が響いた。


 アリアーゼは、実に涼しい顔で、鼻歌など歌っている。

 この人は、何も分かっていない。本当に、何も。


 リオナは、真っ赤になった顔を、両手で覆った。

 こんなに心臓が跳ねているのは、湯のせいだけでは、断じて、なかった。


    ◇ 


 その夜。

 宿の狭い寝台に、二人は並んで横になった。


 アリアーゼは、あっという間に寝息を立てはじめた。女ふたり、身を寄せて眠ることに、何のためらいもないらしい。無防備なものだ。


 リオナは、眠れずにいた。


 窓から差し込む月明かりが、隣で眠るアリアーゼの顔を、淡く照らしている。

 長い睫毛。すっと通った鼻筋。昼間の凛々しさが嘘のように、あどけない寝顔だった。


 ――綺麗な人。


 ふと、そう思ってしまって、リオナは慌てて目を閉じた。

 閉じても、だめだった。すぐそばから、あの石鹸の甘い香りが、ふわりと漂ってくる。同じ湯を使ったのだから、当たり前だ。当たり前なのに。


 湯殿での、あの手のひらの感触が、よみがえってしまう。


(……もうっ!)


 リオナは、寝台の中で、ぎゅっと丸くなった。


(ドキドキして、眠れませーん!)


 だいたい、と、リオナは、暗がりの中で思う。

 この人と出会って、まだ半日も経っていないのだ。なのに、命を助けられて、先生にされて、一緒に旅をすることになって、一緒にお風呂まで入って。

 そして、今はこうして、同じ寝台で、その寝顔に、どきどきさせられている。


(……はやすぎませんか!?)


 誰にともなく、心の中で叫ぶ。

 もちろん、答える者はいない。すぐ隣で、アリアーゼが、すやすやと幸せそうな寝息を立てているばかりだった。


 その夜、リオナが眠りに落ちたのは、ずいぶんと、遅い時刻のことだった。

初めてのお風呂に、初めてのお泊まり。

リオナのドキドキは、まだ始まったばかりです。

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