鷲掴み
アリアーゼとリオナは、真剣な顔で向き合っていた。
「いいですか、アリアーゼ様。こういうのは繕えば、まだまだ使えるんです!」
リオナの鬼気迫る形相に、アリアーゼはこくこくと頷くしかなかった。
――話は、ちょっと前に遡る。
◇
庭先で、洗濯物を畳んでいると、アリアーゼがふと、一枚の靴下をつまみ上げた。
「リオナ、この靴下に穴があいてますわ」
「あら、本当ですね」
リオナが横から覗き込んだ。踵のあたりに、小さな穴が開いている。
「これはもう捨ててしまって、新しいのを買いましょう」
アリアーゼがそう言ったとたん、リオナの表情が変わった。
「ちょっと!」
リオナはその靴下を、アリアーゼの手から慌てて奪い取った。
「アリアーゼ様、こういうのは繕えば、まだ履けますから」
「繕う……?」
「はい。針と糸で、こう、穴を塞ぐんです」
リオナが裁縫箱から、針と糸を取り出す。慣れた手つきで、あっという間に穴を塞いでいった。
「まあ、まあ……!」
アリアーゼが目を見開いた。穴があったことも分からないくらいに、綺麗に繕われていた。
「すごいわ、リオナ。魔法のようですわ。ああ、これで無駄遣いせずに済みましたわね」
アリアーゼがしみじみと頷く。
「やはり、リオナはいいお嫁さんになれますわね」
「わたしは誰のお嫁さんにもなりません! 何度も申し上げたはずです!」
リオナは即座にそう返して、アリアーゼをキッと睨んだ。
「あらあら、わたくしだったら……」
アリアーゼが繕われた靴下を大事そうに両手で持ちながら、続けた。
「リオナをお嫁さんにしたいですわ」
「……っ」
リオナの洗濯物を畳む手が止まった。顔がじわっと赤く染まっていく。
「もう! アリアーゼ様ったら、何を言って……」
リオナは言いながらアリアーゼに視線を向けて――脱力した。
アリアーゼは視線を宙に彷徨わせながら、怪しい笑みを浮かべていた。アリアーゼ自身の意識は――既に、遠く、別の場所へ旅立っていた。
◇
『あら、旦那様。靴下に穴があいてますわ』
洗濯物を畳みながら、アリアーゼは言った。
『そうか。この靴下はもうダメだね。買い替えよう』
まだ見ぬ旦那様が、そう言って頷いた。
『無駄遣いはだめですわ。こういうのは繕えば、まだ履けますのよ』
そう言いながら、アリアーゼは裁縫箱を取り出した。
『そんな所にも気が利くなんて、君はなんてできたお嫁さんなんだ』
『そんな……』
アリアーゼは頬を染めた。
『でも、繕うのは、わたしがやりますね、アリアーゼ様』
そう言って、リオナがアリアーゼから靴下を受け取った。
『ほんとに、リオナはいいお嫁さんですわね』
『はい。わたしも、アリアーゼ様のお嫁さんになれて、嬉しいです――』
◇
「……ひゃあ!」
突然、アリアーゼが声をあげた。
リオナは驚いて振り向いた。
「アリアーゼ様、どうされました?」
アリアーゼは、顔を青ざめさせていた。何かを呟いている。
「ああ、旦那様……ごめんなさい。旦那様……」
リオナはしばらく、そんなアリアーゼの様子を伺っていたが、ひとつ大きなため息をついた。そして、畳んだ洗濯物を抱えて、ゆっくりと席を立った。
◇
リオナが家に入ると、アッチムが窓からアリアーゼを眺めていた。
「……リオナ。アリアーゼは何をしてるんすか?」
リオナも窓の外へ視線を向けた。アリアーゼは靴下をひとつ手にしたまま、ぼんやりと、宙を見つめていた。
「さあ?」
リオナがそっけなく答えると、アッチムは肩をすくめた。
「あの人、強いけど、変わってるっすね」
◇
夜、いつものように、二人は同じ寝台で横になっていた。アリアーゼはすでに寝息を立てている。アリアーゼの寝付きの良さはいつものことだ。
リオナがうとうとし始めた頃だった。
「うう……うう……」
隣から、小さなうめき声が聞こえた。
「……アリアーゼ様?」
リオナは薄目を開けた。隣では、アリアーゼが眉根を寄せ、苦しそうにうなされていた。
「うう……旦那様……」
「……ええ?」
リオナは思わず身を起こした。
「旦那様……申し訳ありません……浮気ではございませんわ……」
「は? 浮気……?」
リオナは困惑した。
「あれは……ほんの出来心で……リオナがあまりにもいいお嫁さんで……うう……許して……くださいまし……」
リオナはしばらく、隣で唸る寝顔をじっと見つめていた。
やがて、小さくため息をつく。
(……この人、何の夢をみているんですかね)
リオナは優しくポンポンとアリアーゼの布団を叩いた。
「アリアーゼ、わかっているよ。わかっているから、大丈夫だよ」
小声で、話しかけてみた。
「ああ……ありがとうございます……旦那様ぁ」
アリアーゼの表情が、少しだけ和らいだ。
それから、しばらくして。
「……リオナぁ……んへへ……」
今度は、幸せそうな声だった。頬がゆるんでいる。
「もう。しょうがない、お方ですね」
リオナは小さく呟くと、横になって目を閉じた。
その瞬間、背中に温もりが近づいてきた。
「リオナぁ……」
アリアーゼの腕が、後ろからそっと回された。
「むにゃ……リオナぁ」
寝言と一緒に、腕に力がこもる。
リオナは身を固くした。
「……いえ、抱きつくのは、かまわないんですけど」
その腕の先――手のひらが、するりと胸元へ伸びてきていた。
鷲掴みである。
「この悪いお手々は、なんとかなりませんかね」
やんわりとその手を外して、隣へ避けた。
だが、アリアーゼの手は自然と同じ位置――すなわち胸元に戻ってきた。
「柔らかくて……気持ちいいですわ……むにゃ」
「……っ! 寝ながら、何を堂々と」
「むにゃむにゃ」
返事は、寝息に変わった。
アリアーゼは幸せそうな顔で、すやすやと眠っている。
リオナはしばらく、その手と格闘するように押し返していたが――やがて、諦めたように脱力した。
「はあ……もう、知りません」
小さく、ため息をつく。
もう、その手を無理やり振り払うことはしなかった。
温かい体温に包まれたまま、リオナもいつしか眠りに落ちていった。
妄想に、普通にリオナが出てくるようになってしまったアリアーゼ様。人知れず、悩みを抱えているようです。
次回――せっかく手に入れた包丁のせいで困ったことに!




