ここまでですわ
リオナは、必死に結界を維持し続けた。
しかし、結界の維持は、魔力の消費が大きい。このままでは、魔力が底をついてしまう。
アリアーゼへ視線を向けると、アリアーゼも今まで見たことのない焦りの表情を浮かべていた。
アリエルとナノは、もう動けない。
(――どうすればいいの。誰か助けてっ!)
リオナは心の中で祈った。
(誰でもいい。誰かっ! 創世神様! 精霊様! 聖獣様――)
「ほーい。聖獣様が来たっすよー」
突然、のんびりした声が響いた。
リオナが振り返ると、後ろの方から、てくてくと、一人の女性が歩いてくるのが見えた。
丈の短い上着からは、健康的なおへそがのぞいている。動きやすそうな短パン姿。赤髪のショートヘアーで、どこか陽気な雰囲気だ。
この状況にはまるで似つかわしくない、緊張感の欠片もない足取りだった。
「アッチム!」
「アッチム様!」
アリアーゼとリオナは、同時に声を上げた。
「あらら、大ピンチじゃないっすか」
場違いなほど、間の抜けた声だった。
瘴気の立ち込める広間を、アッチムは悠然と歩いてくる。
アンデッドたちは、アッチムに近づけない。まるで道を作るように、アンデッドの集団が左右に割れていった。
やがてアッチムは、リオナの結界とネクロマンサーの間に立った。そして、ネクロマンサーを見据える。その表情から、いつもの軽さが、すっと消えた。
「あんた」
アッチムが、低く、確かめるように呟いた。
「うちが闇落ちしかけたの、あんたが原因っすね」
ネクロマンサーが、初めて、わずかに眉を動かした。
「貴様はフェニックスの化身か。こちら側に取り込んでやろうと思ったが……」
ネクロマンサーが、ゆっくりと目を細めた。
「残念だったっすね。後ろの二人に助けてもらったっす」
アッチムがにやりと笑う。一瞬、赤い光がその瞳に宿った。
「さてと。あんた、冥王の関係者っすか?」
「ククク。さて、な」
ネクロマンサーは、答えをはぐらかした。
「まあ、いいっす。今は、そんな話をしてる場合じゃないんで」
アッチムが、両腕を大きく広げた。その瞬間、大きな赤い翼が、羽ばたいたように見えた。
熱を帯びた風が、広間を駆け抜け、結界を取り囲んでいた濃密な瘴気が、一気に吹き払われた。
「リオナ、今っす!」
「お任せを!」
アッチムの掛け声に、リオナは即座に反応した。結界を解くと同時に、新たな詠唱に入る。
「大いなる光よ、集え。闇を祓いて、その身を浄めよ」
アンデッドの集団へ向け、次々と光が放たれた。
周囲を埋め尽くしていたアンデッドが崩れ、砂となって消えていく。
「この子たちは、うちが引き受けるっす」
アッチムは、アリエルとナノに駆け寄ると、そばに膝をついた。
「うう。あなた……誰?」
アリエルが、朦朧とした目で、アッチムを見上げた。
「味方っす。うちのことは、気にしないでいいっすよ。すぐに楽になるっすからね」
アッチムはアリエルとナノを守るように結界を張ると、二人にそっと手をかざした。二人の顔色が、みるみるうちに戻っていく。
「さあ」
アッチムが、アリアーゼとリオナを見た。
「こっからは、うちらのターンっすよ! 瘴気は完全には晴れないっすけど、問題ないはずっす」
「アッチム様。一つ、伺ってもよろしいですか」
リオナが、アッチムに問いかけた。
「なぜ、わたしとアリアーゼ様は、瘴気の影響をあまり受けないのでしょうか?」
アッチムが、にやりと笑った。
「気づいてないんすか?」
そして、何でもないことのように言った。
「あんたたち、毎日うちの卵を食べてるじゃないっすか。聖なる卵っすよ?」
リオナは、思わず、アリアーゼと顔を見合わせた。あの卵にこんな力があったなんて。
「うふふ。さすがは最高の卵ですわ。アッチム様々ですわね」
アリアーゼが、満足そうに頷いた。
「まあ、そんなことより、あいつをなんとかするっす」
アッチムの視線が、玉座の上のネクロマンサーへ向く。
「たぶん、あいつ、めちゃくちゃ強いっすよ」
アッチムが、静かに続けた。
「相当な手練れっすね。今のうちの力じゃ、敵わなそうっす」
「そんな……」
アッチムの言葉に、リオナは思わず息を呑んだ。
「でも」
アッチムが、にっと笑う。
「こっちにも、伝説級に強い人がいるっすからね」
視線が、アリアーゼへ向いた。
アリアーゼはアッチムと視線を合わせると、何も言わずにニコッと笑った。
「あいつには普通の剣は効かないっすね。リオナ。アリアーゼの剣に、直接、浄化の力を乗せられるっすか」
「――はい」
リオナが、迷いなく頷いた。
アリアーゼが、剣を抜く。リオナが、その刃に、両手をかざした。
「大いなる光よ、集え。剣を覆いて、加護となれ」
剣身が、淡い光を帯びていく。
アリアーゼは、剣を構え、静かに息を吐いた。
その表情から、柔らかさが消えた。
「わたくしの大切な人たちを」
剣先が、ネクロマンサーへ向けられる。
「よくも、危険にさらしてくださいましたわね」
声が、低く、鋭くなった。
「覚悟なさい!」
「ほう」
ネクロマンサーが、玉座から立ち上がった。
「女、貴様ごときに、何ができる」
その瞬間、アリアーゼが地を蹴った。ネクロマンサーとの距離が一瞬で縮まった。
「――なっ」
その速度に、ネクロマンサーの目が、初めて見開かれた。
◇
ネクロマンサーの手から、闇の炎の矢が、幾筋も放たれた。
アリアーゼは、最小限の動きだけで、それをかわしていく。あまりにも無駄がなく、あまりにも速い。矢が、まるでアリアーゼの身体をすり抜けているようにしか見えなかった。
間合いに入る。
剣が、閃いた。
一撃、また一撃。舞うような剣技が、途切れることなくつながっていく。一つの動作が、次の攻撃へ、一切の無駄なく移っていった。
ネクロマンサーは、受けるだけで精一杯だった。
聖獣フェニックスの化身をして「相当な手練れ」と言わしめた存在が、今や防戦一方に追い込まれていた。浄化の光をまとった刃が、闇の靄を、一筋、また一筋と、削り取っていく。
やがて。
ネクロマンサーの剣が、大きく弾かれた。
「ぐ……っ」
膝が、地面につく。
アリアーゼが、その眼前に、剣先を突きつけた。
「ここまでですわ」
◇
結界の中。アッチムの力で回復しつつあった二人は、アリアーゼの動きに、ただ目を見張っていた。
「う、嘘でしょ……」
アリエルが、呆然と呟いた。
「お嬢様……? 何、あの動き……」
「す、すごいね……」
ナノも、目を見開いたまま、動けずにいる。
「ナノ、全然、見えなかったよ……」
結界に守られながら、二人は、ただ、その光景に見入っていた。
これまで二人が見てきたアリアーゼは、守られるお嬢様だった。その彼女が、今、目の前で別次元の強さを見せている。
二人には、その事実が、まだうまく飲み込めなかった。
リオナは、静かに、アリアーゼの姿を見つめていた。
驚きは、あった。だが、それ以上に、込み上げてくるものがある。
(ああ。アリアーゼ様の本気が、これなのですね)
剣を構える横顔。踏み込む足運び。無駄のない、一つ一つの動き。
――綺麗。
リオナは、それだけを思った。アリアーゼという人の、まだ知らなかった一面を見た、その喜びが、胸を満たしていた。
◇
膝をついたまま、ネクロマンサーは、しばらく動かなかった。
やがて、黒い靄が、その輪郭を覆い、揺らめき始めた。
「ククク……この千五百年を、無駄にするわけにはいかぬ」
その姿が、少しずつ、闇に溶けていく。
「ここは、潮時だな」
「逃がしませんわ!」
アリアーゼが剣を振り下ろす。
だが――
ガキンッ!
刃が黒い霧に触れた瞬間、何かに弾き飛ばされた。
「……っ!」
アリアーゼが一歩、後退する。
黒い霧の向こうで、ネクロマンサーの姿がぼやけていく。
「お前は、いい女だ」
最後に、緑の双眸だけが、アリアーゼを見つめた。
「わが妃に、ふさわしい」
言葉を残し、ネクロマンサーの姿は、闇の中へと消えていった。
あとには、静寂だけが、残された。
フェニックスの加護とアリアーゼの力で、ネクロマンサーを退散させる事に成功しました。
次回、お掃除編の完結です!




