事件の始まり
その夜、台所には水の音が響いていた。
「アリアーゼ様。お皿を洗う時は、こうやってです」
リオナが手本を見せる。布を皿の縁に当てて、円を描く。
アリアーゼは真剣な顔で、それを真似た。
「お皿をひとつ洗うのも、奥が深いですわ」
部屋の隅では、アッチムが椅子に腰掛けながら、ひとつ大きく伸びをした。
「ふわあ……眠いっす」
そのまま頭が垂れた。こくり、こくりと船を漕ぐ。そんな、いつも通りの夜だった。
しかし。
バン。
玄関の扉が勢いよく開いた。
「た、大変だあ!」
村人が転がるように飛び込んできた。両手をワナワナと震わせ、息を切らしている。
「アリアーゼ様! 村に、アンデッドが出た!」
アリアーゼが振り返った。いつの間にか、エプロンは外されていた。
リオナの手からは、皿が滑り落ちた。皿はそのまま、水の中に静かに沈んでいった。
◇
村の中央の広場に、それはいた。
骨だけの体。
虚ろな眼窩。
地面を引きずるような足取りで、村人たちに近づいていく。
「スケルトン! ……アンデッドの一種です!!」
リオナが叫ぶ。
ラカの村はずっと平穏だったはずだ。どうしてこんな場所に、アンデッドが。
「大丈夫ですわ、皆さん!」
アリアーゼが剣を抜いた。
「わたくしたちに、お任せくださいまし!」
だが、リオナはその腕をそっと止めた。
「アリアーゼ様。お待ちください」
「リオナ?」
「あれ、たぶん、斬るより……わたしの浄化の力の方が早いです」
リオナは目を閉じた。
骨に絡みついた、歪な魔力を感じる。肌が粟立つような、不快な気配だ。
すっと、両手を前に掲げる。
「大いなる光よ、集え。闇を祓いて、その身を浄めよ」
白い光が、リオナの手のひらに生まれた。
骨の体が動きを止める。
「グ……ア……」
スケルトンは、うめくような声をあげた。
リオナが光を放った。柔らかな輝きがアンデッドを包み込む。光の中で、骨はみるみる崩れ、砂のように風に消えていった。
広場に静寂が戻った。
遠巻きに様子をうかがっていた村人たちが、恐る恐る近づいてくる。
やがて、歓声があがった。
「た、助かった!」
「リオナちゃんが、やってくれたんだ!」
リオナは額の汗を拭った。どうやら、目に見える被害はないようだ。
「アンデッドのお掃除、完了しました」
ほっとして、つい、そう言ってしまった。
その瞬間。
「まあ!」
隣で、アリアーゼの目が輝いた。
「お掃除ですって?」
(――あ)
リオナの背筋が冷えた。
(――余計なことを、言っちゃったかも)
「お掃除にお強いなんて。やっぱり、リオナは素敵ですわ」
アリアーゼが、うっとりとした様子で呟いた。
「い、いえ。お掃除というのは、その、言葉のあやで……」
リオナは弁解を試みながらアリアーゼに視線を向けた。
そして――脱力した。
アリアーゼの目が、どこか遠くを見ている。間違いない。妄想している時の顔だ。
(また、始まった)
リオナも、別の意味で遠い目をした。
◇
柔らかな陽の光が差し込む居間で、アリアーゼとまだ見ぬ旦那様は見つめ合っていた。
『アリアーゼ』
旦那様が優しく声をかけてくる。
『こんな居心地のいい場所は、他にはないよ』
『まあ』
アリアーゼの頬が染まる。
『お掃除に勤しむ君も、とっても素敵だ』
『いやですわ。照れますわ』
アリアーゼは旦那様の胸に顔をうずめた。予想以上にふくよかで柔らかな胸の感触に、思わず頬が緩む。
ゆっくりと顔を上げると、リオナが優しく見つめていた。
『アリアーゼ様は頑張り屋さんですね』
リオナが優しく笑いかけてきて――
「んへへ……はっ!」
アリアーゼは、目を見開いた。
「決めましたわ!」
「今度は、なんですか……」
リオナが諦め顔で問いただす。
「お掃除の特訓も、したいですわ!」
リオナは、天を仰いだ。まあ、予想はしていた。
……しかし。
近くにいた村人がその様子を見て、何気なく口を挟んでしまった。
「掃除と言えば……今、王都で有名な、掃除屋コンビってのがいるらしいな」
リオナは、バッと振り返ると、村人を凝視した。村人はそれに気づかず、悪気のない声で続ける。
「冒険者ギルドに所属して、厄介事を掃除して回ってるプロらしいぞ」
(ちょっと待って。余計な事いってんじゃねーよ!)
リオナはもう少しで、本当に言葉を口に出す所だった。かろうじて、その村人を睨みつけながら口をパクパクさせるだけで済んだ。
村人は、そのあまりの迫力に、後ずさりした。
「まあ! リオナ、聞きまして? お掃除のプロですって!」
アリアーゼはそう言って、目をキラキラさせた。
「へー。そうですかー。すごいですねー」
リオナは感情のこもらない声で答え、村人をじっと睨んだ。ようやく事態を察した村人は、小声で「ごめん」と謝った。
アリアーゼは気にする様子もなく、拳を握りしめた。
「リオナ! 明日、王都の冒険者ギルドに行きましょう! ぜひ、お掃除のプロのお話を聞いてみたいわ!」
アリアーゼの声は、これ以上ないほど弾んでいた。
リオナは返事をする元気もなかった。
◇
村人たちが自宅へ引き上げる中、アッチムが口を開いた。
「村に突然、アンデッドが現れるのは、なんかおかしいっすね」
そう言って、真顔で二人に向き直った。
リオナも頷く。
「そうですね。普通は何かしらの兆候があるものです」
アッチムは難しい顔をすると、再び口を開いた。
「うちが、闇落ちした理由と、関係があるかもしれないっす」
その言葉に、リオナは目を見開いた。アッチムが、こんなにもはっきりと、あの一件について、口にするのは初めてだった。
「実は……うち、闇落ち前の記憶が、抜け落ちてるんすよ」
「まあ……」
アリアーゼの表情が、少しだけ曇った。
「よし! うち、しばらく、山を調べてくるっす」
アッチムはそう言うと、くるりと背を向けた。
「まあ、今からですの? 一人で、大丈夫ですの?」
「平気っす。あんたたちは、掃除屋さんに会ってくるといいっすよ」
アッチムは、ひらひらと手を振ると、夜の闇の中へ歩き出した。
その背中を、リオナはしばらく見送っていた
またもやアリアーゼの思いつきに振り回されそうな予感です。
次回、王都で噂の掃除屋コンビと出会います。




