体温を感じて
その日の夕方。
リオナの部屋に、小さな寝台が一つ、運び込まれた。急なことだったが、村の指物師が、手早く仕上げてくれたらしい。
「まあ、ぴったりですわね」
アリアーゼはその寝台を、感心したように見つめていた。
「あちらの部屋の大きなベッドは、わたくしが一人で使うことになりますのね」
「……そう、なりますね」
「独り占めしてしまって、ごめんなさいね」
アリアーゼは少し、はにかんだ。
それから、寝台の縁にそっと腰を下ろした。
「でも、残念だわ」
アリアーゼは、少しだけ目を伏せた。
「……え?」
「たまに、リオナをぎゅっとするのが、気持ち良かったですのに」
アリアーゼはそう言って、照れくさそうに笑った。
リオナの頬が熱くなった。答える言葉が見つからない。
それでも、そんなアリアーゼを見ていると、つられるように、リオナも小さく微笑んでしまった。
「……もう。アリアーゼ様ったら」
それだけを言うのが、精一杯だった。
◇
その夜、リオナは自分の部屋に一人でいた。
窓の外はもう真っ暗だった。虫の音が遠くから聞こえてくる。
新しい寝台に、横になる。
一緒に寝ていたあのベッドよりはるかに狭い。
でも、体をいっぱいに伸ばせる十分な広さはある。気を遣う相手も、隣にいない。
(――これで、よく眠れます)
自分にそう言い聞かせながら、目を閉じた。
◇
あまりにも、静かだった。
いつも隣から聞こえていた、あの規則正しい寝息が無い。ときおりの、身じろぎの音も無い。
ただ、自分の呼吸の音だけが、部屋に響いていた。
リオナは、寝返りを打った。
眠ろうとしているのに、瞼の裏に、自然と光景が浮かんでくる。
『とぅるんって! リオナ、とぅるんって、なりますわ!』
卵の殻を追いかける、真剣な顔。
『わたくし、それくらい、あなたを大事に思っておりますのよ』
照れくさそうに言って、頬を染める顔。
『――残念だわ。たまに、リオナを、ぎゅっとするのが――』
そして、夕方の、あのはにかんだ顔。
(……もう)
リオナは、布団を抱きしめるようにして、体を丸めた。
眠気が訪れる気配は、全くない。
(どうして)
一度、目を開けた。
天井が見える。何も変わらない、ただの木の天井だ。
もう一度目を閉じて、再び寝返りを打つ。
(どうせ、こんなに眠れないなら……部屋を分けなきゃよかった)
言い出したのは自分だ。だから、余計に腹立たしい。
誰のせいでもない。自分のせいだ。
毛布を頭まで被った。暗闇の中で、目を閉じる。
それでも眠りは遠かった。
◇
どれくらい時間が経っただろうか。
こん、こん。
控えめな音が、扉を叩いた。
リオナは毛布から、はっと、顔を出した。
「……リオナ、起きているかしら?」
扉の向こうから、小さな声が聞こえた。迷ったのは一瞬だった。
「は、はい……!」
声がうわずった。慌てて身を起こす。
扉が、そっと開いた。
燭台の、小さな明かりのその向こうに、アリアーゼが立っていた。
夜着姿で、髪が少し乱れている。いつもの、堂々とした様子は、影をひそめていた。
「あの。ちょっと、よろしいかしら」
「……はい」
アリアーゼは、ためらいがちに部屋に入ってくると、寝台の傍で立ち止まった。
なかなか、言葉が出てこないようだった。燭台を持つ手が、小さく揺れている。
「どうか、なさいましたか?」
そう言って、リオナは静かに待った。
「その……」
アリアーゼが目を伏せる。
しばらく間をおいて、ようやく口が開いた。
「わたくしたち、ずっと一緒に、寝ておりましたでしょう?」
「……はい」
「ですから……隣に、リオナがいないと……」
アリアーゼの頬が赤く染まっている。きっと、燭台の火に照らされているせいではない。
「だから……その……落ち着かなくて……」
アリアーゼの声は、だんだんと小さくなっていった。
リオナの、心臓が、跳ねた。
(――今、なんて?)
そのまま、早いリズムを刻み始める。
「自分でも、変だとは思うのですけれど……」
アリアーゼは、消え入りそうな声で続けた。燭台を持たない方の手が、夜着の裾を握りしめている。
「だから、一緒に寝てはいただけないかしら?」
◇
リオナは、しばらく、答えられなかった。
さっきまでの後悔と恥ずかしさ、そして、今のアリアーゼの言葉が、ぐるぐると頭の中で混ざり合った。
(――ずっと、悶々としていたのは、自分だけじゃなかった)
顔が勝手に緩みそうになる。リオナは、それを必死に抑えた。
「……もう。子どもじゃないんですから」
できる限り呆れた声を作った。
「そうですわよね。……ごめんなさい」
アリアーゼが、しゅんと肩を落とす。燭台の火が、また揺れた。
そのしょげた様子を見て、リオナの中の何かが決壊した。
「……しょうがないですねー」
わざとらしく、大きなため息をつく。
リオナはベッドから降りると、アリアーゼに手を差し出した。
「さあ、行きましょう。アリアーゼ様」
「……はい」
アリアーゼはリオナの手を取った。
◇
結局、いつもの部屋のいつものベッドで、二人は向かい合った。
やわらかい体温が、すぐそこにあった。
「うふふ。あったかいですわ」
アリアーゼの腕が、そっと、リオナの背中に回る。
「……そうですね」
リオナも、おずおずと、アリアーゼの背に手を添えた。
リオナの心臓が、早いリズムを刻んでいる。
不思議だった。心臓はこんなにうるさいのに、同時に、どうしようもなく安心してしまう。
すぐそこに、アリアーゼの顔がある。背中に回された彼女の腕から、体温が伝わってくる。
なんとも言えない気持ち。
この気持ちの名前が何なのか、リオナにはまだ、分からなかった。
(――ゆっくり、慣れていけば、いいですよね)
そう思いながら、リオナは目を閉じた。
その夜、リオナは久しぶりに、深く眠った。
◇
翌朝。
「ふああ。おはよーっす。今日の卵っすよー」
人型のアッチムが、大きく伸びをしながら、居間へ入ってきた。
「あれ。二人とも、いないっすね」
きょろきょろと、辺りを見回す。
「まだ、寝てるんすか? おーい」
アッチムは、寝室の扉に手をかけた。
ガチャ。
「……なんてこったい!」
アッチムの口から、思わず声が漏れた。
大きなベッドの真ん中で、二人はしっかりと抱き合ったまま、幸せそうな寝顔で眠っていた。
アッチムはしばらくその光景を眺めていたが、やがて口元を緩めた。
「……ま、もうちょい、寝かしてやるとするっすかね」
そう言い残すと、そっと扉を閉めた。
なお、その日寝坊した二人は、村内会の水路掃除をすっぽかして、ギルドワさんから、こっぴどく怒られました。
別々の部屋で眠るはずだった二人。でも、やっぱり一緒が落ち着くようです。
次回、村へアンデッドが現れ、事件が始まります。




