お疲れのリオナちゃん
三人の視線の先には、見慣れた村の風景が広がっていた。
「帰ってきましたわ!」
村の入り口で、アリアーゼが、元気よく声を上げた。
「はいぃ……」
リオナは、くたくたになりながら、それに続いた。
「ふん、ふん、ふーん♪」
アッチムは、鼻歌交じりに、のんびりと、後をついてくる。
見慣れた小麦畑が、風に揺れ、丘の上では、家が主の帰りを待っていた。
リオナは疲れた顔で、今回の旅を振り返った。
伝説の金属を求めて船に乗り、聖獣を起こし、包丁を打ってもらった。
そして、帰り道で、暗黒龍を斬った。
リオナは、遠い目をした。
(――これ以上、何も起きずに、平和にくらせますように)
その願いが叶うかどうかは、誰にもわからなかった。
◇
「おお、帰ってきたか!」
村長の家を訪ねると、ギルドワさんが、目を細めて、迎えてくれた。
「ギルドワさん。ただいま戻りましたわ」
「無事でなによりだ。して、どうだった。伝説の包丁とやらは、手に入ったのかい」
「ええ、もちろんですわ」
アリアーゼは、腰の鞘から、そっと、包丁を抜いた。
鈍色の刃が、窓から差し込む光を、静かに返す。
「ほう……!」
ギルドワさんが、身を乗り出した。
「こいつは、たまげたな。長年、鍬や鎌は見てきたが、こんな刃は初めて見るぞ」
「オリハルコンで、打っていただきましたの」
「オリハルコン、なあ……」
ギルドワさんは、しばらくその刃に見入っていた。
「約束、覚えておりますわ」
アリアーゼが、胸を張る。
「帰ってきたら、この包丁で、お料理を作る、と」
「おお、そうだったな」
ギルドワさんの顔が、ほころんだ。
「じゃあ、楽しみにさせてもらおうか」
◇
しばらくして、皿が食卓に運ばれてきた。
薄く切られた肉が、美しく並んでいる。断面は驚くほど滑らかで、光を受けて艶やかに輝いていた。
「ほう」
ギルドワさんは、一枚を口に運んだ。
「さすがだな。オリハルコンで切った肉は、切り口が違う」
「まあ! ありがとうございます!」
アリアーゼの顔が、ぱっと明るくなる。
「うむ。……ところで」
ギルドワさんは、皿をじっと見つめた。
「これが、料理かい?」
「そうですわ!」
「……切っただけかい?」
「……そ、そうですわ!」
わずかな間の後、アリアーゼは、胸を張って、答えた。笑顔を見せてはいるが、頬に一滴の汗が垂れた。
ギルドワさんは、ゆっくりと、視線を横へ動かした。
「リオナちゃん?」
リオナは何も言わず、静かに首を横に振った。
「……アッチム様?」
アッチムはそっぽを向いて、口笛を吹いていた。
ギルドワさんは、深く息を吐いた。それから、アリアーゼの肩を、ぽん、と叩いた。
「アリアーゼ様。花嫁修業、もうちょい頑張ろうな!」
「……申し訳ありません、お父様」
アリアーゼは、しゅん、と、肩を落とした。
◇
翌日。
一晩休み、旅の疲れもひとまず癒えた。
アリアーゼとリオナは、並んでキッチンに立った。
部屋の隅では、アッチムが椅子に腰掛け、興味深そうにその様子を眺めている。
「さあ! 花嫁修業再開ですわ。ひとまず、卵焼きがうまくなりたいですわ」
袖をまくりながら、アリアーゼはそう宣言した。
「……包丁は使いませんね?」
リオナが呆れた声で尋ねた。
「そうですわね」
「…………」
二人はしばらく黙り込んだ。
伝説の包丁は、台所の壁に静かに掛けられた。
◇
「では、まず、卵を割るところからです」
リオナは卵をひとつ手に取った。
こつん、と、器の縁に当てて、片手でするりと割る。黄身がつるりと、滑り落ちた。
「まあ!」
アリアーゼの目が輝いた。
「片手で卵を割る。かっこいいですわ! それ、やってみたいですわ!」
「どうぞ」
リオナが卵を手渡す。
アリアーゼは真剣な顔で卵を握った。器の縁へ、卵を叩きつける。
ぐしゃ。
「あ」
殻の欠片が、器の中へ落ちた。
「ふええ……殻が、入ってしまいましたわ」
アリアーゼは、情けない声を出した。
「大丈夫ですよ」
リオナが、すっと箸を差し出す。
「お箸で取るといいです」
「まあ、なるほど」
アリアーゼは箸を受け取ると、殻をつまみにかかった。
つるん。
殻が逃げた。もう一度ためす。
つるん。
また、逃げる。
「とぅるんって! リオナ、とぅるんって、なりますわ!」
アリアーゼが真剣な顔で呟いた。殻を追いかけて、器の中を、箸が右へ左へと彷徨っている。
「そんな時はこうやってお箸の先を濡らしてですね……」
リオナは、先を濡らした箸を使って、ひょいと、器用に殻を取り除いた。
「まあ、まあ、まあ! 凄い技ですわ!」
アリアーゼが目を丸くする。
「わたしも今のやってみたいですわ!」
そう言うなり、アリアーゼは割った卵に再び殻の欠片を散らして入れた。
「アリアーゼ様! 何をしてるんですか!」
「練習ですわ!」
「だからって! わざわざ欠片を入れる人はいないですよ! まったくもう」
リオナは小さく息を吐いた。
呆れているはずなのに、つい顔が綻んでしまう。なぜだか、胸の奥が、あたたかかった。
◇
その夜。
いつものように、二人は同じベッドに横になった。
アリアーゼは、あっという間に寝息を立て始めた。無防備な寝顔だった。
リオナは眠れずにいた。隣から、アリアーゼの体温が伝わってくる。
規則正しい寝息。
ときおり微かに、身じろぎする音。
それらを妙に意識してしまう。
(――どうして)
目を閉じても、意識が隣へ引き寄せられていく。
(――どうして、こんなにドキドキするの)
リオナは何度も、寝返りを打った。
眠気はいっこうに訪れなかった。
◇
翌朝。
「リオナ。あなた最近、お疲れのようですわね」
朝食の席で、アリアーゼが心配そうに、そう言った。
「……旅先で、色々ありましたから」
リオナは曖昧に答えた。
目の下にはうっすらと、隈ができている。
「でも、一番は……」
リオナは、言いかけて、口ごもった。
しばらく間を開けて、再び口を開いた。
「……あんまり、よく、眠れないんです」
「まあ。なぜかしら」
アリアーゼが不思議そうに首をかしげた。
リオナはしばらく、うつむいていた。
やがて、意を決したように顔を上げた。
「……アリアーゼ様。一つ、お願いがあります!」
花嫁修業、ついに再開ですわ!
次回、リオナが決意した、一つのお願いとは……?




