締まらない夜
アリアーゼは両手で大きさを示した。
「包丁が作りたいのです。このくらいかしら」
「ふんふん。わかったあ」
チョキーナがオリハルコンに片手をかざす。
「んーっ……ちょきん」
――すっ。
軽いかけ声とともに、巨大な金属の塊から、包丁ほどのひとかけらが、音もなく切り離された。まるで、豆腐でも切るように。
「はい、どうぞぉ」
「……こんなに、あっさりですか?」
リオナが目を丸くする。五百年、誰も手にできなかったオリハルコンが。今、いとも簡単に手に入った。
「終わりだねー。そんじゃ、よっこいしょ、と」
チョキーナの身体が、光をまとった。
ぽわん。
元の巨大な亀の姿に戻る。
「さてと。ちょっと寝足りないから、一眠りしようっと」
そう言うと、テラトータスは、のそのそと台座の影へ戻っていった。
長い首を地に垂らす。ほどなく、寝息が、聞こえてきた。
みな、ぽかんとその背中を見送った。
アッチムだけは「おやすみー」と言って、ひらひらと手を振った。
◇
「……ついに、手に入れましたわ」
アリアーゼが、切り出されたオリハルコンを、両手で掲げた。オリハルコンは鈍い光を放っている。
アリアーゼの瞳は、感激に、潤んだ。
「これで、作れますわ。……伝説の、包丁が!」
高らかに、そう宣言する。
その傍らで、長老がぽつりとつぶやいた。
「……どうにも、締まらんわい」
◇
その夜、グラニスの里は宴に沸いた。
グラニス族は酒好きだという噂は、本当だった。広間には大きな酒樽がいくつも並び、里の者たちが次々と杯を重ねている。
長老が言うには、グラニス族は何かにつけて酒を飲むらしい。五百年ぶりとなるオリハルコンの切り出しは、宴を開くには十分すぎる理由だった。
「さあ、飲め飲め! あんたたちのおかげで酒がうまい!」
長老が、赤い顔で何杯目かの杯を掲げた。長老としての威厳など、どこにもない。
「いただきますわ」
アリアーゼが、優雅に杯を口へ運んだ。
「まあ。飲みやすくて、おいしいですわね」
「だろう! グラニスの酒は格別だぞ!」
リオナも、おずおずと杯に口をつけた。
神殿では、酒を飲む機会など、ほとんどなかった。自分に合った酒量など、まるでわからない。
ほんの少しだけ口に含んでみる。この酒は、確かに飲みやすい。甘くてまろやかで、水のように喉を通っていく。
(――でも、油断は禁物です)
リオナは杯を静かに置いた。慣れない酒で粗相をするわけにはいかない。
その隣で、豪快な声が上がった。
「くーっ! うまいっすねぇ!」
アッチムが、もう何杯目かも分からない杯を飲み干していた。頬を上気させて、里の者に次の酒を注がせている。
「さすが。聖獣様は、いい飲みっぷりだな!」
「まだまだいけるっすよ!」
アッチムは、注がれた杯を一息で空けた。
アリアーゼも、涼しい顔で杯を重ねている。所作はいつもどおり優雅で、乱れる気配はない。
(――お二人とも、すごいなあ)
リオナは素直に感心した。二人と同じように飲むことなど、とてもできそうにない。二人の様子を眺めながら、自分の杯をちびちびと飲んだ。
◇
「リオナ。この里には温泉があるそうですわ。ご一緒しませんこと?」
宴が落ち着いた頃、アリアーゼに湯あみに誘われた。もちろん、断る理由などなかった。
アッチムは鳥の姿に戻って、酒樽の上で寝息を立てている。二人は並んで席を立った。
里の外れに、岩に囲まれた湯だまりがあった。白い湯気が、夜の冷えた空気にゆらゆらと立ちのぼっている。
二人は湯に身を沈めた。
「ふう……」
温かい湯が、旅の疲れを溶かしていく。リオナは思わず息を漏らした。空には星が散り、湯気の向こうに滲んでいる。
「リオナ」
並んで湯につかるアリアーゼが名を呼んだ。
「なんでしょうか」
「今回も、ずいぶん助けられましたわね」
アリアーゼが静かに言った。
「古代文字も、目覚めの言葉も。リオナがいなければ、オリハルコンは手に入りませんでした。ゴーレムとの戦いも見事でしたわ」
「そんな。わたしは、ただ……」
リオナは慌てて首を振った。
「お礼を、言わせてくださいな。あなたは素敵なお嫁さんになれるわ」
アリアーゼの言葉に、リオナは困ったように笑った。
「アリアーゼ様。わたしは、お嫁さんになりたくないんですってば」
「あらあら。そうでしたわね」
アリアーゼの手が、そっとリオナの背中に触れた。
「……っ」
リオナの肩が跳ねた。
湯に濡れた肌に、アリアーゼの指が触れている。温泉の熱とは違う熱が、肌を伝って広がっていく。
「あ、あの、アリアーゼ様」
「本当に、ありがとう」
アリアーゼの腕が、背中をするりと回ってきた。そのまま、後ろから抱きすくめられる。
「え……!?」
リオナの心臓が跳ね上がった。背中に、アリアーゼの体がぴたりと押しつけられている。素肌の感触と湯より熱い体温が伝わってくる。
「あ、アリアーゼ様!?」
振りほどこうにも、腕はびくともしない。そのうちに、アリアーゼは頬を寄せてきた。
頬と頬が、触れた。
「あ、アリアーゼ様! か、からかうのは、やめてください!」
だが、アリアーゼは答えない。
そのかわり、頬に、そして首筋に、柔らかいものが触れた。
「……えっ?」
唇だった。アリアーゼの唇が、リオナの首筋を、そっとかすめている。
「え……ええええ……!?」
リオナは、頭が真っ白になった。
後ろから、完全に抱きしめられている。
肌が密着し、首筋に吐息がかかっている。
逃げ場が、どこにもない。
体が言うことをきかない。心臓ばかりが、うるさく鳴っている。
「あ、アリアーゼ様! ねえ、 アリアーゼ様!!」
揺すっても、離れない。それどころか、アリアーゼは、こちらに体重をあずけてくる。
「アリアーゼ様ってば! ……あれ? アリアーゼ様……?」
そこで、ようやく、様子がおかしいことに気づいた。
――やけに、重い。
ずしり、と全体重がのしかかってくる。それどころか。
「ぐえっ……!」
腕が、万力のように締まった。最強騎士様の腕力だ。締めつけられて、息ができない。
「く、苦しい……! 中身が、出そうです……!」
リオナは必死でもがいた。
その耳元で。
「ふにゃあ……旦那様ぁ……」
そんな声が聞こえた。
「……」
リオナは動きを止めた。肩ごしに、アリアーゼの顔を覗き込む。
……寝ていた。とろけた顔で、幸せそうに。半開きの口から、酒の匂いが漂ってくる。
「……酔ってたんかい!」
夜の湯けむりに、リオナの叫びが響いた。
◇
翌朝、アリアーゼはけろりとしていた。昨夜の温泉のことなど、まるで覚えていないようだ。
反対に、リオナはひとり、げっそりしていた。眠れるわけがなかった。
「さあ、リオナ。長老様が、優秀な鍛冶師を紹介してくれるらしいですわ。包丁を打ってもらいに参りましょう」
アリアーゼが軽い足取りで前を歩く。
(このポンコツ令嬢、どうしてくれようか)
リオナは腹立たしい思いをかろうじて抑えながら、後に続いた。
長老の案内で、三人は里の鍛冶場を訪れた。
炉の熱気が、むわりと押し寄せてくる。奥から、一人の若者が姿を現した。
温泉で、リオナは忘れられない夜を過ごしました。
次回、新たな出会いが、リオナの心を揺らします。




