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アリアーゼの花嫁修業 〜婚約破棄された最強令嬢の無自覚スパダリムーブが聖女を射抜き、世界を救う〜  作者: 遠崎カヲル
第一章 出会いと居場所

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お嫁さんになりたくないのです

 とある商家の一室で、若い女の声が響いていた。


「わたしは! 顔も知らない人のお嫁さんになんて、なりたくありません!」


 彼女は、泣きながら叫んだ。


「うるさい! 我が商会のために、黙って言うことを聞け!」


 怒鳴りつけたのは、兄だった。


 久しぶりに実家へ呼び戻されたと思えば、この仕打ちか。用意されていたのは、顔も知らぬ相手との、婚姻の契約だった。


 彼女の名は、リオナ・シェストローム。二十一歳。

 お嫁さんになることから、逃げ出すことを決意した。


    ◇


 リオナは、一人、街道を歩いていた。自分の足音だけが響いている


 空はもう茜に染まりはじめていた。

 日が落ちれば、この道はいっそう危うくなる。それくらいのことは、リオナにも分かっている。

 それでも、足を止める場所も、頼れる相手もいなかった。


 物心つく前に神殿へ預けられ、聖女となるべく育てられた。祈りを捧げ、傷を癒やし、人を支える術を学ぶ。静かで、穏やかな日々だった。リオナは、その暮らしが嫌いではなかった。


 その日々が、家の都合で、あっけなく終わった。


「……はぁ」


 ため息が、静かにこぼれた。

 細い自分の腕へ、そっと視線を落とす。術は学んできた。けれど、自分の身を守るような経験は、一度もない。


 ――だから、それが茂みから這い出てきた時、一瞬で自分の終わりを覚悟した。


 魔物だった。


 犬とも狼ともつかない、ひしゃげた骨格をしていた。毛の抜け落ちた背が、呼吸のたびに大きく上下する。濁った目が、リオナを捉えた。


「っ……」


 悲鳴は、喉の奥で潰れた。


 逃げなければ。頭では分かっている。

 なのに、足が言うことを聞かない。膝が笑って、その場に崩れそうになる。


 魔物が、一歩、踏み出した。

 涎が糸を引いて、土に落ちる。


 もう一歩。


 夕日が、その牙を赤く照らした。


 ――ああ、わたし、ここで死ぬんだ。


 不思議なほど、静かにそう思った。

 誰も知らない街道で、誰にも知られずに。逃げ出した先が、ここだった。


 魔物が、大きく口を開いた。


 その時だった。


「――おどきなさい」


 声がした。凛とした、よく通る声だった。


 次の瞬間、銀色の閃光が、リオナの視界を横切った。

 魔物の首が宙を舞い、胴体は一歩踏み出したまま、ゆっくりと崩れ落ちた。


 リオナは、呆然と顔を上げた。

 夕日を背に、剣を静かに下ろした人の影が見えた。


 長身。まっすぐな背。夕闇の中でも際立つ、凛とした立ち姿。

 リオナは一瞬、美しい男の人だと思った。


 だが、すぐに考えを改めた。

 ゆっくりと近づいてきたその人は、匂い立つほどに美しい女性だった。


「お怪我は、ないかしら?」


 差し伸べられた手を、リオナは思わず取っていた。

 温かくて、けれど剣を握り慣れた、硬い手だった。


 助かった。その実感が、じわりと遅れて込み上げてくる。


「あ……あの、ありがとう、ございます……」


 礼を言いながら、その人の顔を見た瞬間、言葉を失った。

 胸の奥が、とくん、と鳴る。

 こんなに綺麗な人を、リオナは見たことがなかった。

 しかし、その凛とした佇まいは、どこか人を寄せつけない気高さをまとっていた。


「危なかったわね。この刻限に、女ひとりで街道を行くなど、無謀ですわよ?」


 気高い物言いなのに、不思議と見下されている気はしなかった。


 そこでリオナはふと、その顔に見覚えがある事に気づいた。

 どこかで――いや、まさか。


「あの……もしや、あなたさまは。王国騎士団長の、アリアーゼ様では……?」


 王国最強と名高い、女騎士団長。その武名は、神殿にいたリオナの耳にも届いていた。


「ええ、そうよ。元、ですけれど」


 アリアーゼは、こともなげに答えた。


「元……? 騎士団長を、おやめになられたのですか?」


「ええ。修業の旅に出た所ですの」


 なるほど、とリオナは納得しかけた。

 最強と謳われてなお、さらなる高みを目指しているのだ。なんて求道的な。


「王国最強と名高いあなた様でも、修業をなされるのですね」


「花嫁修業ですもの。大事な修業ですわ!」


「…………」


「立派なお嫁さんになるための、修業ですの」


「…………えっと?」


 リオナの頭が理解を拒んだ。


 花嫁修業。

 王国騎士団長に元をつけてまで、やる物でしたっけ?


「……あ、あの、もう一回最初からいいですか?」


 リオナは恐る恐る聞き返した。


 結局、リオナは、もう一度同じ話を聞かされただけだった。

 とりあえず、理解することはあきらめた。


    ◇


 アリアーゼは、リオナを近くの町まで送ると言ってくれた。


 日がすっかり落ちて暗くなった街道を、二人は並んで歩いている。少し先を行くアリアーゼの背は、やはり惚れ惚れするほどまっすぐだった。


 しばらく無言で歩いていたが、やがてアリアーゼが振り向いた。


「ねえ。あなた、お名前は?」


 問われて、リオナは言葉に詰まった。商家の姓を名乗ることに、抵抗がある。逃げてきた身だ。


「り、リオナ・シェストローム、です」


 結局、リオナはフルネームを名乗った。


「リオナ! 素敵な名前だわ」


 いきなり名前を褒められた。姓のことなど気にした様子もない。

 リオナは頬が熱くなった。安心したような、照れくさいような、不思議な気持ちだった。


「それで、リオナ。あなたはこんな時間になぜひとりで?」


 訊かれて、リオナは言葉に詰まった。

 家のこと。神殿のこと。逃げてきたこと。どこから話せばいいのか、そもそも話していいのかも分からない。


「……その、いろいろ、ありまして。結婚から、逃げてきたんです」


 あれこれ考えたあげく、それだけを、ぽつりと漏らした。


「あら」


 アリアーゼは、驚いた表情を浮かべて、リオナを見た。


「まあ、それはつまり――お嫁さんには、なりたくない、ということかしら?」


「……そう、ですね」


 うなずくと、アリアーゼは優しく微笑んだ。


「いろんな方が、いらっしゃるのね」


 アリアーゼはそれ以上詮索してこなかった。

 なぜ、とも、もったいない、とも言わない。ましてや責めもしない。


 リオナは、ふっと心が軽くなるのを感じた。気づけば、アリアーゼへ話しかけていた。


「あの、アリアーゼ様は、その、花嫁修業の旅、と」


「ええ」


「どちらへ、向かわれるのですか?」


「さあ?」


 アリアーゼは、悪びれもせず言った。


「まだ、決めておりませんの。立派なお嫁さんになれる場所なら、どこへでも」


「行き先も、決めずに……?」


 リオナは、思わず声を上げてしまった。

 最強の女騎士が、あてもなく、花嫁修業の旅。あまりに、無防備で、無鉄砲で――


「あの、失礼ですが。具体的な目的などは?」


 リオナは恐る恐る尋ねた。


「目的?」


「何かないのですか? こんなことをしたいとか?」


「…………」


 アリアーゼが、ぴたりと足を止めた。


「…………卵焼き」


「はい?」


「おいしい卵焼きが作れるようになりたいですわ」


 王国最強の女騎士は、そう言って頬を染めた。


「卵焼き……ですか? そんなの簡単に……」


 言い終わる間もなく、アリアーゼはリオナの両手を掴んだ。

 その目が、きらきらと輝いている。


「卵焼き、作れますの……!?」


「は、はい」


「もしかして、お裁縫も!?」


「ええ、まあ」


「お掃除は!?」


「……得意な、ほうです」


 アリアーゼは、しばし、感極まったようにリオナを見つめた。

 それから、その両手に力を込めた。


「リオナ。あなた、わたくしの先生になってくださいませんこと?」


「せ、先生!?」


「花嫁修業の、先生ですわ。どうか、この不束者に、お嫁さんの心得を、ご教授くださいまし」


 リオナは目を疑った。王国最強の女騎士の肩書を持つお貴族様が、実家を飛び出してきた商家の娘に、頭を下げている。


 変な人だ。とんでもなく、変な人だ。


 でも。


 夕闇の中、リオナは、隣に立つその人を、そっと見上げた。

 この人は、リオナを女として見ない。政略結婚に売ろうともしない。ただ、困っていたリオナを助けて、こうして隣にいてくれる。


 ――こんな人に、守ってもらえたら。


 ふと、そう思った。

 戦う力もなく、家に振り回され、ずっと一人で怯えてきた。その心細さが、この人の隣では、不思議と溶けていく気がした。


「……分かり、ました」


 気づけば、リオナは頷いていた。


「わたしでよければ、ご一緒します。旅の、お世話係として」


「まあ! 心強いですわ!」


 ぱっと、花が咲くように、アリアーゼが笑った。

 その笑顔があまりに無邪気で、リオナは、また少し、胸が鳴った。


 それにしても、おかしな事を言う人だ。

 王国最強の令嬢様と旅ができるなんて。心強いのは、どう考えてもリオナの方だ。


「では、これからよろしくお願いしますわね、リオナ先生。ふたりで、立派なお嫁さんになりましょう!」


 アリアーゼにそう言われ、リオナは呆れた表情を浮かべた。


「アリアーゼ様。わたしは、お嫁さんにはなりたくないんですってば」


「あら。そうでしたわね」


 つい今しがた聞いたばかりのはずなのに、この有様。


 ――この人、絶対にまた忘れる。


 リオナは、早くもそれを確信した。


 こうして。

 お嫁さんになりたくて旅にでた最強令嬢と、お嫁さんになりたくなくて逃げてきた聖女は、旅の道連れになった。


 もっとも、この時のリオナは、まだ知らない。

 この出会いが、かけがえのないものになることを。

お嫁さんになりたい最強令嬢と、お嫁さんになりたくない元聖女のコンビ誕生!

次回、アリアーゼは花嫁修業の旅に出た理由を語ります。

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