最高の卵焼き
新しい家での暮らしが、少しずつ形になってきた。
台所には鍋と食器が並び、居間には机と椅子が置かれている。窓には、リオナが選んだ淡い色のカーテンが揺れていた。
寝室には、アリアーゼが押し切って買った、大きなベッドが一つ。
そのことは、リオナは、もう考えないことにしていた。
普段の食事は、とりあえず交代で作ることにした。
ただ、アリアーゼの料理は、切って乗せるだけだった。
騎士団での暮らしが長かったのだと、頬を赤らめながらアリアーゼは言った。
その日はリオナの作った朝食だった。
「さて、リオナ」
朝食の後、アリアーゼが、ぴんと背筋を伸ばした。
「生活も整いましたし、いよいよ、本格的な花嫁修業を始めようと思いますわ」
「そうですね」
リオナは、頷いた。
いよいよ、この人に、まともな家事を教える日が来たのだ。何から手をつけたものか、と、頭の中で算段を始める。
「どうします? 何から始めましょうか」
まずは、包丁の握り方からだろうか。それとも、火加減の見方から。あるいは、洗い物の順序を覚えてもらう方が、先かもしれない。
「やっぱり、卵焼きですわ!」
アリアーゼは即答した。
「……あ、はい」
リオナは、頷くしかなかった。
薄々、そう言われる気はしていた。
「まずは、練習ですね。卵をいくつか用意して、何度か焼いてみましょう。火加減さえ覚えれば――」
リオナは、説明しながら、アリアーゼの方を向いた。
――そして、脱力した。
アリアーゼは宙を見つめながら、うっとりとした表情を浮かべていた。
◇
木漏れ日の差し込む、小さな家。
湯気の立つ食卓に、まだ見ぬ旦那様が、目を細めていた。
『アリアーゼ』
まだ見ぬ旦那様が優しく声をかけてくる。
『はい、あなた』
『最高の卵焼きが食べたいな』
『お任せくださいな。最高の卵焼きを……』
「――はっ!」
アリアーゼは、勢いよく立ち上がった。
突然のことに、リオナの肩がビクッと震えた。
「そうですわ!」
「え?」
「最高の卵焼きには、最高の卵ですわ!」
リオナは、しばらく、言葉が出なかった。
「リオナ! 最高の卵を、手に入れなくては!」
「えっと、順番、ちがくないですか? まずは普通の卵で、普通に焼く練習をした方がいいと思うのですが。それから材料にこだわっても遅くは――」
至極当然なことを説明したつもりだった。
だが、アリアーゼは、もう聞いていなかった。
「最高の卵を手に入れなければ……どうしましょう、どうしましょう」
両手を頬に当てて、部屋の中を、うろうろと歩き回っている。
リオナは、ため息をついた。
当てなど、あるはずもない。この人は、思いついたはいいものの、その先を、何も考えていないのだ。
――だったら。
リオナの中に、一つの考えが浮かんだ。
「アリアーゼ様。最高の卵について、村長のギルドワさんにでも、聞いてみます?」
我ながら、名案だと思った。
ギルドワさんは、常識のある人だ。「最高の卵など、そう都合よくあるものではない」と、やんわり諭してくれるに違いない。そうすれば、アリアーゼも、諦めがつくだろう。
「まあ! リオナ、あなたは本当に賢いですわね!」
アリアーゼは、リオナの手を取って、ぶんぶんと振った。
◇
「最高の卵だって?」
ギルドワさんは、白い眉を寄せて、腕を組んだ。
そうそう、それでいいのだ。
困った顔をして、そんなものはない、と言ってくれればいい。それで、この話は終わりだ。
リオナは、心の中で、そっと頷いた。
しかし。
「どこでその話を聞いたんだ? 最高の卵といえば、フェニックスの卵の事だろ?」
ギルドワさんは、窓の向こうに見える山を指さした。
「ここからすこし離れた、シオイナ山って所に、フェニックスがおるよ」
リオナの動きが、止まった。
(何を余計なことを言ってるんですかああああああ!?)
リオナはもうちょっとで、叫んでしまう所だった。
「まあ! フェニックスの卵!?」
アリアーゼの声が、はね上がる。
「昔はな、フェニックスが飛ぶ姿をよく見かけたもんだ。あの山は、そのおかげか、ずいぶん豊かでな。木の実も獣も、恵みが尽きることがなかった」
ギルドワさんは、遠くを見るような目をして、続けた。
「山の入り口に、お供えをしておくとな。時々、卵を分けてくださるんだ。あれで作った料理は、そりゃあ、生命力が溢れるような、絶品でなあ」
「まあ、まあ、まあ!」
アリアーゼの目が、これ以上ないほど、輝きを増していく。
反対に、リオナの目は、どんよりと曇っていった。
「それこそ、最高の卵ですわ!」
リオナは、天を仰いだ。
もう、止められない。
「……ただ、なあ」
ギルドワさんの表情が、ふと、曇った。
「ここのところ、さっぱり、フェニックスの姿を見かけんのだ」
「あら」
「それに、山が、な。だんだん、枯れてきておる」
ギルドワさんは、窓の向こうに見えるシオイナ山へ、もう一度目を向けた。
「木が枯れて、獣が減って。今年に入ってから、めっきり、な。あの山に何かあったんじゃないかと、村の者は、皆、心配しておるんだ」
その言葉に、リオナは、思わず、眉をひそめた。
フェニックスの姿が見えなくなり、山が枯れていく。
偶然とは、思えなかった。
「――決めましたわ!」
アリアーゼが、ぐっと拳を握った。
「シオイナ山へ、参りましょう!」
「アリアーゼ様。それは、その」
リオナは、慌てて、言葉を探した。
「何か、良くないことが起きているのかもしれません。危険かも――」
「ええ。ですから、行くのですわ」
「え?」
アリアーゼは、こともなげに、言った。
「山が困っているのなら、放ってはおけませんもの」
「…………」
リオナは、言葉を失った。
この人は。
卵のことで、頭がいっぱいなくせに。困っている者がいると聞けば、その足で、迷わず、そちらへ向かってしまう。
――ずるい。
リオナは、そっと、自分の胸を押さえた。
こんな人を、どうして、放っておけるだろう。
「……分かりました。ご一緒します」
「まあ! 心強いですわ!」
アリアーゼは、ぱっと、花のように笑った。
こうして、二人は、シオイナ山へと向かうことになった。
まだ見ぬ「最高の卵」を求めて。
――その山で、何が待っているのかも、知らないままに。
本格的な花嫁修業が始まったと思ったら、今度はフェニックス探し!?
次回、シオイナ山で二人を待ち受けるものとは――。
※ぜひ第11話もお楽しみください!




