第三十五話、精神(アニマ)の深淵、二度目の断頭台
カサンドラの研究所の最奥。アッシュは幾多の魔導ケーブルに繋がれ、淡い青光の中で深い眠りについていた。
カサンドラはダイナマイトボディーを揺らしながら、複雑なレバーを操作し、リネットに鋭い指示を飛ばす。
「リネット、精神同調率を維持しなさい。シオン、あんたの『記憶』をアッシュの空っぽの領域に流し込むわよ。……いい? フィルターは一切かけない。彼が死ぬ瞬間の苦しみも、あんたの絶望も、すべてが彼の中に逆流するわ」
「……構いません。それが、主殿を呼び戻す代償ならば」
シオンはアッシュの隣に横たわり、静かに目を閉じた。
ククルがアッシュの手を握り、自らの光を触媒として二人の精神を繋ぐ。
――次の瞬間。
皆の意識は、アッシュの精神の深淵、白銀に凍りついた「忘却の回廊」へとダイブした。
そこには、現在の遺跡とは似て非なる、「一度目の旅」の光景が広がっていた。
ボロボロの古剣が地面を転がっており、真っ赤な血を雪に散らしながら倒れているアッシュ。その胸を、巨大な氷の槍が貫いている。
「あ……ああ……ッ!!」
意識体としてその光景を見たシオンが、悲鳴を上げる。
そこには、若き日の――いや、前回の時間軸でのシオンが、冷たくなったアッシュを抱きしめ、絶叫している姿があった。
『嫌……嫌よ、アッシュ! 目を開けて!! 私の命を、魔力を、全部あげるから!!』
前回のシオンが、禁忌の秘術を発動させる瞬間。
その記憶の奔流が、現在の「空白のアッシュ」へと、濁流のように流れ込んでいく。
「……何、これ……。これが、彼女の隠してた……『真実』なの?」
リネットは解析データを通して、シオンが捧げたものの正体を知り、愕然とする。
彼女はアッシュを救うために、自らの「未来」と「全魔力」を、この時間軸の始まりに全て捧げていた。
記憶の逆流に、アッシュの精神体が激しく拒絶反応を起こす。
三つの属性が暴走し、精神空間に氷の嵐が吹き荒れる。このままでは、記憶が戻る前に彼の魂が粉々に砕けてしまう。
「お兄ちゃん、負けないで!! 過去になんて、負けないで!!」
ククルの叫びと共に、彼女の「光の翼」が精神世界で眩く発光した。
その時、精神世界の闇の向こうから、一人の男が歩み寄ってきた。
白銀の甲冑を纏い、慈愛に満ちた、しかし絶対的な「秩序」を瞳に宿した男――ルキウス。
『………おや、見つかってしまったかな。シオン、君が隠した「失敗作」の記録を。
……アッシュ、君は一度死んでいるんだ。それを無理やり繋ぎ止めるのは、世界の理に対する冒涜だとは思わないかい?』
精神世界にまで浸食してきたルキウスの幻影。
カサンドラは現実世界で煙管を噛み締め、不敵に笑った。
「ルキウス、あんたの横槍なんて想定内よ。……さあ、アッシュ! 自分の死すら飲み込んで、その先へ進みなさい。……あんたには、まだやり残したことが山ほどあるはずよ!
ふんっ………それに、世界の理ですって?
そんなものは、あたしがとっくに書き換えてるわよ!」
カサンドラがレバーを叩きつけると、ククルの光が増幅され、精神世界に干渉していたルキウスの幻影を霧散させた。
「主殿! お戻りください、主殿!!」
シオンの必死の呼びかけに応じるように、アッシュの精神体が脈動する。絶望の記憶を飲み込み、三属性の魔力が収束を始め、今まさに覚醒の時を迎えようとしていた。
だが――。
嵐が止んだ静寂の精神空間で、アッシュの瞳は開かなかった。
収束した魔力は行き場を失ったように停滞し、彼の意識は深い凪の状態へと沈み込んでいく。
「な……んで……? 記憶の同期は完了しているはずよ!?」
リネットが狂ったようにモニターを叩く
。「精神波形、正常! 魔力回路、再接続済み! なのに、なぜ目覚めないの!?」
リネットの叫びが、火花を散らす研究所に響く。モニターには、安定しているはずのアッシュの精神波形が、まるで「出口」を拒むように内側へとループし続ける異常な数値が映し出されていた。
カサンドラは煙管を噛み締め、複雑に絡み合う魔導コードの深淵を凝視する。
その視線は、シオンでもククルでもなく、狂ったようにキーを叩くリネットの背中に向けられた。
「………シオン、ククル。あんたたちの絆や魔力は、確かにアッシュに届いている。だけど、それだけじゃ足りないのよ」
カサンドラの声が低く沈む。
「アッシュの深層意識が、この世界の『ある特異点』と共鳴して閉じ込もっている。……いいえ、『共鳴させられている』と言った方が正しいかしら」
「特異点……? それは、私たちが知らないアッシュ様の過去のことですか?」
シオンの問いに、カサンドラは首を横に振った。
「いいえ、アッシュの問題じゃないわ。……この術式の構築に深く関わり、彼と精神パスを繋いでいる『誰か』の、隠された過去……。
リネット、あんた、まさか――」
「え……?」
リネットの手が止まる。
振り返った彼女の瞳に浮かんだのは、隠し続けてきた深い拒絶と、生存本能が告げる恐怖の色だった。
だが、カサンドラがその「核心」を口にするより早く。
研究所全体を粉砕せんばかりの衝撃が走った。
――ドォォォォォォォン!!
「な、何!? 結界が一瞬で貫通された……!?」
シオンが叫び、モニターが警告の赤一色に染まる。
『緊急事態! 外部より正体不明の空間転移を確認!』
『第一、第二防護隔壁、消失しました!』
機械音声の非情な報告と同時に、最深部を繋ぐ重厚な大扉が、内側へと吹き飛んだ。
「━━━おしゃべりはそこまでだ。……少し、騒がしくさせてもらうよ」
土煙の向こうから、冷徹なまでの静寂を纏った声が響く。
そこにいたのは、白銀の軍勢を従えた男――ルキウス。
背後には、異形の魔導兵器たちが、獲物を狙う獣のようにその赤眼を光らせていた。
「ルキウス……ッ!? ここをどうやって突き止めた!」
シオンが即座に抜剣し、眠れるアッシュを背に立ちはだかる。
「カサンドラ、君の仮説は興味深いが……彼が目覚める『鍵』は、私の手元で管理させてもらうよ」
ルキウスの視線が、アッシュ、そして震えるリネットを無慈悲に射抜く。
「リネット、ククル! 展開防御! ここを死守するわよ!!」
カサンドラの怒号。
強制起動する防護警備システム。
だが――。
『防護隔壁封鎖、。━━融解限界まで残り30秒!』
研究所が誇る最強の魔導障壁が、まるで見えない巨大な手に握りつぶされるようにひしゃげ、火花を散らす。
ルキウスは一歩も動かない。
ただそこに立っているだけだ。
だというのに、彼を中心に展開される固有「魔力」、いや固有「属性」――【絶対秩序圏】は、迎撃ターレットを次々と『機能不全』という名の沈黙へと追い込んでいく。
「シオン、ククル! 奴を近づかせないで! テオ、脱出経路を!」
必死の指示。
シオンの隠密もククルの「月読」も、ルキウスが放つ圧倒的な波動の前では、陽炎のように揺らぎ、かき消される。
「……リネット。君がその男の魂に掛けた『鍵』は、私でも解くのに時間がかかる代物だ」
ルキウスは、絶望する少女を見据えて冷酷に告げた。
「だが、このままでは君たちごと塵になるぞ? ――選ぶがいい」
「………リネット、あんた、一体『何』をしたの!?」
防戦一方の極限状態の中、カサンドラの怒号が響く。
リネットは震える手でコンソールを叩き続け、溢れ出す涙を拭うこともせず首を振った。
「私は……私はただ、アッシュさんを……『失いたくなかった』だけなのに……っ!」
その叫びと同時に、リネットはアッシュの生命維持装置を強制解除。
外部接続された予備の魔導艇へと、眠れる彼を転送した。
「答え合わせは後よ! 全員、テオの艇に飛び乗りなさい!」
カサンドラが前に出る。その背中には、かつてないほどの魔力が渦巻いていた。
「ここはあたしが――『叡智の断崖』の意地を見せて食い止めるわ!」
「カサンドラ様!? ダメです、一人じゃ!!」
ククルとシオンの悲鳴を背に、カサンドラは迷わず【研究所自爆シークエンス】を承認。
自身の全魔力を触媒に、禁忌の術式を展開する。
「行きなさい! 目指すは『第四の遺跡』……この世界の理が通用しない、唯一の空白地帯よ!」
カサンドラが振り返り、不敵に、そして慈しむように笑った。
「そこでアッシュを目覚めさせなさい。ルキウスを越える『第四段階』を掴み取るのよ!」
直後、カサンドラが放った広域殲滅魔
――【終焉の残光】が爆発。
白銀の軍勢とルキウスの視界を、圧倒的な光が塗りつぶす。
その隙を突き、テオの魔導艇は崩落する研究所から、極寒の吹雪の中へと決死の脱出を果たした。
背後で、かつての拠点が白銀の光の中に消えていく。
重い沈黙が流れる艦内。
目覚めぬアッシュの傍らに、リネットは力なく崩れ落ちた。
彼女が抱える「罪」の正体とは何なのか。
一行はさらなる過酷な運命――古文書にさえ記されていない、幻の『第四の遺跡』へと誘われていく。
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