第三十二話、鉄杭の守護者、ふたたび
リネットの怒声が、シオンの覚悟と再起をうながしていた後のこと、その夜━━━、
リネットの激しい叱咤は、絶望の淵に沈んでいたシオンの魂を強引に引きずり戻していた。
シオンは乱れた髪を払い、震える膝に力を込めて立ち上がった。その視線の先には、焚き火の火を反射するだけで、何も映していないアッシュの瞳がある。
「……リネット様の仰る通りです。私は、観測者の末端に成り下がっていた
」
シオンはアッシュの傍らへ歩み寄り、その傍らでアッシュの右手を温め続けていたククルの肩を、静かに、だが確かな意志を持って抱き寄せた。
「ククル様。……主殿を呼び戻す旅に出ます。貴女の『光』を、道標として貸していただけますか」
ククルは、アッシュの冷えた指先を握ったまま、顔を上げた。彼女の瞳には、先ほどまでの涙の跡はもうない。アッシュの負担を半分引き受けた彼女の背中に浮かぶ「光の翼」の紋章が、呼応するように淡く、強く脈動した。
「うん。……お兄ちゃん、いつも私を呼んでくれたもん。今度は、私が呼ぶ番。シオン、リネットさん……どこへだって行くよ」
ククルの純真な覚悟が、シオンの内側で冷え切っていた「三度目の旅」の熱を再燃させた。
魔力は失われた。だが、シオンには、この繰り返される時間の果てに積み上げた、誰よりも凄惨で誰よりも切実な「アッシュ・グローリアへの未練」がある。
「……シオン、決まりね」
リネットが端末のスイッチを乱暴に切り替え、立ち上がった。彼女の瞳には、いつもの皮肉げな光の裏に、捨て身の覚悟が宿っている。
「これから向かうのは、北領の最果て……帝国の法も、ルキウスの『秩序』も届かない、私の最低最悪な師匠が隠れ住む場所。……あのお兄ちゃんのマヌケな笑顔を取り戻すための、魂の奪還作戦よ
」
一行は、アッシュを安全に運ぶためのそりを用意し、最低限の食料と装備を詰め込み始めた。
ガレフを失ったスレインが、里の生き残りを誘導しながらも、その瞳で「早く行け」とアッシュたちを促す。
シオンは最後に一度だけ、虚空を見つめるアッシュの顔を覗き込んだ。
そこに自分を認識する光はない。それでも、シオンは満足そうに微笑んだ。
「主殿。……貴方の記憶が消えたのなら、私が、私たちが、新しい物語を貴方の心に刻みます。……それまでは、どうか、その命の火を絶やさないで」
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記憶を失い「空っぽの器」と化したアッシュを連れ、リネットの師匠が待つ「叡智の断崖」へ向かう準備を整えていた一同。
しかし、極寒の北領を、意識のないアッシュを抱えて進むには、女たちの手だけではあまりに心許ない。
「………フン。見事に空っぽになりおって。あやつのじいさんが見たら、腰を抜かすぞ」
吹雪の向こうから、地響きのような足音と共に現れたのは、あの老獣人カイだった。
その背には相変わらず巨大な鉄杭が背負われ、その隣には、必死の面持ちでアッシュの剣を抱えた少年テオが付き従っていた。
「カイ殿! ……なぜここに?」
驚くシオンに、カイは鼻を鳴らして応えた。
「ガレフが死に、里の守りはスレインが引き受けた。だが、この『空っぽの英雄』がルキウスの手に落ちれば、里どころか世界の秩序が完全に凍りつく。
……わしもかつての戦友には借りがあってな。断崖の麓までなら、この老いぼれが道を作ってやろう」
「……カイ殿……ありがとうございます。」
カイはアッシュの無機質な瞳を一瞥し、その大きな手で隣にいるちいさな少年の肩を叩いた。
「テオ。お前はどうする。里に残るか?」
「………俺も行くよ! ククルが……ククルたちがこんなに頑張ってるのに、俺だけ里で震えてるなんてできない! アッシュさんが動けないなら、俺があの人の足になってやる!」
テオの瞳には、かつての弱気な少年ではなく、一人の戦士としての覚悟が宿っていた。
リネットが端末を操作し、経路を再確認する。
「……助かるわ、おじいさん。テオも、あんたの若さは計算外のプラス要素よ。アッシュの『器』を運ぶには人手がいる。……でもいい? 目指すのは最北端の断崖にある研究所よ。あそこには、生きて帰れる保証なんてどこにもないわよ」
「わかった!」
「……うん。」
「……御意。主殿を連れ戻すためなら、地獄の底までお供しましょう」
そういうとシオンが深く頷き、一行はついに動き出す。
そりに横たわったまま、何も見えず、何も感じないアッシュ。
だが、その手はククルが握り、その行く道はカイとテオが切り拓き、その魂の欠落をシオンとリネットが埋めようとしていた。
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