第二十三話、氷雪の残響・凍てつく予選、三十二の刃
氷狼の里の最奥。そこには、氷河を直接円形に削り取って作られた、直径百メートルを超える巨大な武舞台がある。
観客席には、氷狼族の屈強な戦士たちが数千人と集まり、その咆哮は吹雪の音さえも掻き消していく。
「……三十二名。これが、今回の『選別』の数よ」
リネットがゴーグルを抑えながら、トーナメント表が刻まれた巨大な氷の石碑を見上げる。
参加者は氷狼族の精鋭ばかり三十二名。その中で人間はアッシュただ一人。周囲から注がれる視線は、好奇心などではなく、余所者が聖域を汚すことへの純粋な「排除」の意志であった。
「いいか? これは単なる試合じゃない。里の連中にとって、貴様は『獲物』だ。殺されない限り、審判は止めんぞ」
スレインが冷たく言い放つ。しかし、その声は微かに震えていた。
アッシュは気づいていた。……今朝、ガレフの使者に呼ばれて戻ってきたスレインが、それ以来一度も自分の目を見ようとしていないことを。
(……スレイン、何を言われたんだ? ガレフは、お前の親父なんだろ)
問いかけようとしたアッシュの言葉を、突如として会場を圧した圧倒的な「重圧」が遮る。
闘技場の最上段。毛皮の王衣を纏い、山脈のような威厳を放つ、里の長ガレフが立ち上がり、一度だけスレインを、それから塵を見るような目でアッシュを一瞥し、重く響く声で告げる。
「これより、氷狼族の掟に従い神聖なる武闘会を始める。勝者には永久凍土に閉ざされた門の秘蔵の宝、「氷狼の鍵」が授与される。
………里の誇りを持たぬ弱者は、この氷の底で永遠に眠るがよい!」
宣言と同時に、会場の不穏な空気が一気に加速する。
アッシュは風雅の「属性」の感覚で、観客席のあちこちに潜む「冷たすぎる気配」を察知していた。
それは獣人でも人間でもない、感情を排した殺意――ルキウスが放った白銀の追跡者たちが、既にこの里の影にまで浸透している証拠であった。
「お兄ちゃん、頑張って……!」
ククルが、テオの肩を掴んで必死にエールを送ってくる。
テオはククルの震える手を感じながら、自分もまた腰の短剣を握りしめ、周囲の獣人たちを牽制するように睨みつけていた。
「第一試合――! 流れの剣士、アッシュ対、氷狼族の若き咆哮、ガラム!」
名前を呼ばれ、アッシュは静かに舞台の中央へと進み出でる。
対戦相手のガラムは、アッシュの倍はあろうかという巨躯を誇り、氷で作られた双頭の戦棍を軽々と振り回している。
「……ふん。錆びた鉄屑で俺の氷が防げると思っているのか?」
ガラムの嘲笑。だが、アッシュは何も答えない。
彼は老獣人カイとの二週間で、最初に一つ、学んだことがあった。
「言葉を捨て、重心を世界に預けろ」。
アッシュは錆びた古剣を低く構える。
土龍の重さではなく、風雅の速度でもない。
ただ、凍てつく空気の流れを「読み」、相手の力が放たれる前の「予兆」を鏡のように映し出す。
会場を包む期待と殺意、そして不気味な静寂。
氷の舞台を挟んで対峙するアッシュとガラム。
ガラムの双頭の戦棍は驚異的だが、アッシュは努めて平静に佇んでいる。
「……始めぇ!」
里の長の号令が響き渡るやいなや、ガラムは巨大な体躯から想像できないほどの敏捷さで地を蹴った。
彼の戦棍には「氷雪」の属性が纏われ、叩きつけられる衝撃と同時に、触れたものを凍らせる冷気が奔る。
「死ね、人間っ!!」
力任せの、完璧な初撃。
だが、アッシュは動かなかった。いや、動けなかったのではない。「動く必要がなかった」。
(……来る。重心が、右前足に乗りすぎている)
アッシュの脳裏に、老獣人との二週間がフラッシュバックする。
【地這いの法】
重心を意識的に落とし、氷の舞台の「脈動」を足裏で読み取る。
ガラムの「殺意」が最高潮に達する瞬間、アッシュは自らの属性を一滴も外に漏らさず、ただ数ミリだけ腰を捻った。
――ガァァァン!!
戦棍が、アッシュの構えた古剣に当たった瞬間、奇妙な軌道を描いて滑り、氷の床へと叩きつけられた。
「なっ……!?」
弾き飛ばされたのはアッシュではない。ガラム自身が、自らの攻撃の「熱量」を持て余し、体勢を崩したのだ。
(これが……【残影の鏡】!)
アッシュは追撃しなかった。ただ、重心を安定させたまま、隙だらけのガラムを見据える。
「小賢しい真似を……ッ!」
屈辱に顔を歪めたガラムは、今度は左右から同時に戦棍を振り回す「氷嵐」の連撃を繰り出した。
観客席の獣人たちが「やれ!」とばかりに咆哮する。
だが、アッシュには見えていた。二週間前までなら見えなかった、力の流れが。
(左が陽、右が陰。ならば、その境界を狙う!)
アッシュは両の戦棍の間――嵐の中心へと、あえて飛び込んだ。土龍の重みを一点に集中させ、ガラムの二つの力の「衝突点」を古剣で受け止める。
――キィン、と乾いた高音。
ガラムの両腕が、自らの筋力とアッシュの「内圧」によって内側へ押し込まれる。関節が軋む嫌な音。
「ぐ、うぅ……貴様ぁ……!」
ガラムは血走った目で見開いたが、既に勝敗は決していた。アッシュは重心を数ミリ持ち上げ、「風雅」の軽やかさで躱すと、無防備になったガラムの鳩尾へ、錆びた古剣の柄頭を正確に叩き込んだ。
「――がはぁッ!!」
巨体が宙を舞い、氷の舞台に叩きつけられる。意識は完全に失われていた。
「……そこまで!」
里長の号令が響き、闘技場は静まり返った。
一人の人間が、里でも指折りの戦士を、一度もまともに刃を交えることなく「完封」したのだ。
アッシュは荒い呼吸を整え、古剣に付着した血を振り払った。右手の紋章は、まだ冷たいままだ。だが、この身体には確かに、じいちゃんが遺した「理」が、血肉となって蘇り始めていた。
「……フン。悪くない試合運びだな」
観客席のスレインが、誰にも聞こえないように呟いた。その視線の先、里の長ガレフは、氷の玉座の上で微かに、しかし確かに、その険しい表情を歪めていた。
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