カロテとミントジュレ
ミントジュレの側近であるワラビー・イノシアン伯爵令息は、カロテ・ワーカメル令嬢と婚約状態にあった。
没落寸前の子爵家へ金銭援助を行う代わりに、伯爵家の(言い換えればワラビーの)好きなように振る舞える婚約は、カロテにとっては最悪でしかない。婚約の存続も伯爵家次第なのだから。
けれど……その資金援助さえ家の立て直しには使われず、後妻に食い潰されていた。
ワラビーに振り回されるカロテ、カロテを支える古参の使用人達と、空腹で腹を抱えて泣くカロテの異母弟妹は限界が近付いていた。
最初こそ異母弟妹はカロテを警戒していたが、その優しさに触れ実母を見限っていった。
彼らだとて成長し、考える力は付くのだ。
「僕達はきっと、再婚する為の道具だった」と、弟妹の兄の方のギルスが呟けば、妹のアニーも泣きながら頷く。
「私達は子爵に似ていますから、捨てられなかったのでしょう」そんな自虐を呟いて。
後妻のグレースは年齢のわりに胸が大きくて腰が括れ、時々ふと庇護欲を煽る態度が多くの男達を地獄へ突き堕としてきた。
数々の男を毒牙にかけた彼女だが、所詮は平民であることは変えられない。だからこそ自分でも貴族になれそうなカロテの父に狙いを付けたのだろう。
カロテとて堕ちる前の優しい父を知っているから、再婚には最後まで反対したし、結婚後も浪費について苦言を呈していた。
けれど聞き入れて貰えず、反対に嫉妬するなと言い放たれたのだ。
「グレースは高位貴族にも望まれる、心の優しい美しい人なのだ。正妻に申し訳ないと思いながらも愛している気持ちが止められなくて、後悔しながら不貞に走った過去も明かしてくれた。
その後も愛を囁かれ恋愛をしたが、相手は結婚してくれずに別れたことも。
特に身分違いで『結婚出来ないと言われたの。悲しい……』と相談された時は二人で泣いたよ。
お前の思っているような悪い女じゃないんだ」
父の言葉には多くの疑問が残る。
高位貴族なら、いや高位貴族だからこそ、愛人を持てるのではないかと。
そもそも高位貴族と平民が、結婚出来る筈はないのだ。
恐らくそれを後妻は知っている。愚かな振りを装い懐に入り資金を貪り、底を突きかけた時に相手から去るような噂を聞いたことがあるからだ。
裕福でない私の父に近付いたのは、爵位狙いの筈だ。昔からの知り合いだと言うが、たぶん一方的に父だけが好きだったのだろう。
後妻の野心も父の純情も関係ない。
16歳のカロテは、資金がなくて学園にも通っていない。だからこそ自室に籠り、亡き母から淑女教育で学んだレース編みを必死に何本か作り上げ、買い取って貰った僅かなお金で弟妹との暮らしてきた。正確に言えば、使用人達からの庇護もかなり受けていた。
後妻と父は子供達の暮らしに目を向けない癖に、何とかなると考えていたようだ。まるで魔法にでもかかったような放任ぶりだ。
カロテは古参の使用人達と話し合い、家を出る日を決めていた。使用人達はカロテの父よりも年上で、独身か配偶者と死別した者ばかりだった。
先妻が生きていた時からカロテを娘のように慈しんでいた使用人達は、子爵を信じていた。けれどその信用はもう、土に堕ちていた。
「お嬢様。僭越ながら私達は、お嬢様のことを娘のように思っております。勿論、ギルス様とアニー様のこともですよ。ですから一緒にここから逃げませんか?」
亡くなった先妻の恩を受け、忠義を貫こうとする使用人達はついに夜逃げ計画をカロテに打ち明けたのだ。カロテは暫し迷った後、10歳と8歳になった弟妹を抱きしめて頷いた。
「この子達の為にも、ここでない場所で生きていく方が良いでしょう。私が働き、必ず二人を成人まで育てます。……逃走の手伝いをお願いします」
ここを出る。
そうなればこの幼い弟妹は、もう二度と両親に会えなくなるかもしれない。
それでもカロテは連れていくつもりだ。
ギルスとアニーは涙の滲むカロテに伝える。
「僕らも連れて行ってくれてありがとう」
「置いていかないでくれて、嬉しいわ」
「……うん、一緒に行こう」
三人の気持ちは一緒だった。
そしてそれらを確認する、モロコシから依頼を受けた冒険者達はつぶさに報告を入れる。
受け取った情報はロクモンへと運ばれ、ロクモンからミントジュレへと伝わった。
「坊っちゃん、カロテ様は国を捨てるようです。時間はもうないですよ」
目を逸らさず真っ直ぐに告げるロクモンに、ミントジュレは答える。
「彼女に、こっそりと先触れの連絡を送ってくれ」
「どのような内容にしますか?」
「そうだね……僕も一緒に逃げようでも良いかな?」
「王子の命令には逆らえませんね」
「命令のつもりは……。まあそうなるよね。でも僕も力になりたいんだ」
「分かっております。既に逃亡地の交渉は完了しております」
「嘘でしょ? いや、ありがとう。ではそのことも含め話して来よう。爺や、詳細を教えておくれ」
「ええ、候補後は幾つかありますが、有力候補地はここですね」
「そこはまさか。そうか、モロコシさんは良い人だな」
「はい。その信頼を裏切らないように、これから生きねばなりませんよ」
「うん、頑張るよ。今はただ見守りたいんだ。僕が彼女と結婚出来なくても、彼女が他の人を好きになったとしても良い。不幸にはしたくないから」
その後にカロテとミントジュレは話し合い、モロコシとコロネの協力で、ガシェーラル国へと移住することになったのだった。
◇◇◇
ガシェーラル国の代官クルミナの下には、ミントと呼ばれる有能な補佐官が就き、リリーとネリネにはカロテと言う有能な従業員が加わった。
ギルスとアニーは元隠密達から学問を学び、鍛冶を見学して興味を持ったギルスは、基礎を学び始めた。子供ながらも大人並みの腕力があり、「素晴らしいぞ、逸材がやって来た!」と、マイケルの喉を唸らせた。
どうやら彼らの母グレースは魔力を多く保有していたらしい。彼女が異性にチヤホヤされていたのは、魅了と言う異性に好感を持たせる魔法だったようだ。
魔力を持つギルスとアニーは、どうやらエルフの血が混ざっているらしい。
アニーには治癒魔法があるようで、兄が鍛治仕事で火傷をした際、「早く良くなれ」と心配そうに呟くと光輝いた後に治癒していた。
妖精の見える者が言うには、アニーにはたくさんの妖精が肩や頭に乗っかっているらしい。彼女の魔力が優しくて、傍にいると心地良いのだそう。
そのことも影響し、治癒能力が向上しているようだ。
彼女には今後、新設予定の医療班に加わって貰う予定だ。
その島には肉、野菜、果物、魚等もたくさん取れ、大人達が調理してくれる。
空腹になんて遠い昔の記憶だ。
カロテに付いて来た使用人達は、何故か外見が10歳も20歳も若返り、カロテの本当の母親や父親のように見えるようになった。
それはモロコシからコロネ経由で事情が伝わり、エルフの秘薬を分けて貰ったものをジュースに入れて飲ませていたのだ。
若返りは今のコロネには不要であり、使用期限も間近だった。若返りは女性の夢だが、ミカヌレもいらないらしい。今の状態が好きなんだって。
もしかしたら若返ることで、苦しい思い出が甦るのかもしれない。
「安全性は問題ないので」と、心で呟き知らない振りで。
カロテにも幼い弟妹にも、まだまだ親は必要だ。若返った使用人(執事、メイド長、侍従)が親代わりになってもバチは当たらないだろう。
だから周囲の者は言う。
「奇跡が起きたのよ。アニーの力が目覚めたのもきっと奇跡ですわ。この国はまだまだ発展途上だから、神が力を与えて下さったのよ」
「そうなのですか? 私、頑張ります」
目を輝かせるアニーを見ると、島の者もホッコリする。選ばれた者だけが入ることのできるガシェーラル国だから、きっと安全に成長していくことだろう。
◇◇◇
「ミントジュレ様、いいえミントさん。ここに連れて来てくれてありがとうございます」
ミントジュレは照れながら「僕も来る予定だったから、丁度良かったよ。君と言う友人がいると寂しくないから助かってるよ」と、真っ赤な顔で呟くのだった。
噂に疎いカロテでも、王位継承権争いで足の引っ張りあいがあることを知っていた。優しそうなミントジュレには、苦痛な場所だったのだろうと思う。
ただ彼女は社交界に出る前に実母がなくなり、ミントジュレが特別に美しいことに気付いていなかった。
憧れとは集合体の中から、優れたものを選ぶ作業だと言う。その比べる対象になる前に出会えたのは良かったと言えよう。
幸か不幸か、カロテの父も後妻も美形と言われる部類の容姿だった。カロテ、ギルス、アニーも同じような感じだった。
幼い時から人間は顔じゃなく性格だ。甲斐性がなければ苦労すると魂に刻まれてきた三人は、顔の美醜には重心を置かない。
だからこそ素直に、ミントジュレに好感を持てたのだ。
彼は王族籍を捨てており、故国にいるのは影武者だと言う。カロテも家を捨てた為、身分は平民になっている。
「それでも、ありがとう。これからもよろしくね」
「うん。こちらこそ」
握手を交わす二人に、妖精達が軽い祝福を送る。今後も健康で幸せな日々は続くだろう。
◇◇◇
カロテが逃げたワーカメル子爵家は、イノシアン伯爵家からの援助金が打ち切られた。
元々はワラビーの方が、暴言、暴力、浮気等、問題があったのだが、爵位の力関係で曖昧にされてしまった。
「援助金を返せと言わないだけ、温情と思え」
そう言い切られ、そこで関係は途絶えたのだ。
カロテ、ギルス、アニー、使用人達は家から消え、借金だらけのワーカメル子爵家には頼れる人がいなくなった。
後妻グレースの両親は所在不明で、子爵の両親は鬼籍に入っている。親族には既に限界まで借金を頼み、「その代わり縁はここまでだ」とずいぶん前に告げられていた。
「お金がないならお別れね。さようなら」
「そんなぁ。もう俺には君しかいないのに……」
グレースは子爵の元を去り、子爵は一人残された。
彼にはもう、グレースの為にした借金しか残っていない。ただ建物と土地、爵位は残っているので、それを売却すれば借金は返せるだろう。
領地は既に売却して残されていない。新しい領主になってからの方が、領民が幸福になって喜んだことは知らないだろう。
彼はまだ生きていける。
孤独に勝つことが出来れば。
グレースの方は、知らないうちに周囲にかけていた魅了の魔法が弱まり、年相応の女性に見られるようになった。
若い時は確かに傾国と言われていたが、今は中年の平民女性である。知人男性にすり寄ってもあからさまに嫌な顔をされ、小銭を渡され追い払われる。
(どうなってるの? せっかく私が男爵のあんたに言い寄ってやったのに!)
貴族相手なので黙って引くが、心には不満が渦巻いていた。
けれどその後も誰にも相手にされず、平民相手に話をしても「惜しいな。後10年若ければ、囲っても良いが、綺麗なだけのババアはいらないな。おっと失礼。ワハハハ」と、あからさまに貶されたのだった。
「…………(悔しい、悔しい、悔しい!)そうですか。では失礼しますわ」
何度も同じ目に合い、漸く現状が理解できたグレース。恥を忍んで子爵の元に戻ってみるが、既に建物は人手に渡っており、子爵自身は拒食となり倒れ、療養所に入ったことを聞いたのだった。
その後彼女が何処に行ったかは、誰も知らない。調べてもいない。
ワラビー・イノシアンはカロテの素朴さを好んでいたが、貧乏な貴族令嬢に舐められないようにとわざと冷たい態度を取っていた。
どうせ結婚するのだからと、浮気もし放題で優越感に浸っていたのだ。
けれど彼の冷たい態度は、いつの間にか社交界で問題になり、ミントジュレの影武者からも「市井でお前が、女性を噴水に落とすのを見た。傷害罪で訴えられないように、謝ることを奨める」と言われ顔色をなくした。
普段プライベートに口を出さない王子に忠告されたことで、さすがに不味いと気付いた時にはもう遅かった。
伯爵家はワラビーの醜聞を消す為に、弟が爵位を継ぐことになり、彼は領地の名ばかりの果てにある地の代官として、押し込められることになった。
悪い噂は領地にも降りてきて、彼と結婚する相手は現れなかったと言う。
彼の両親は、悪い噂があっても程ほどに優秀な彼を放って置いたのだが、今回のことでさすがに見切りをつけたのだった。
女性が不幸にならないように、誰かが手をまわしたのかもしれない。それをワラビーが知る由もないけれど。
「なんでこんなことに……。全部カロテが居なくなったせいだ。見つけたら、ただじゃ置かないからな!」
いつまでも他責にするワラビー。
彼は山小屋のような領主館(一応代官屋敷)で、両親に与えられた掬われる機会(農地改革や領民との対話等の課題)をいくつも逃し続け、完全に諦められた。
さらにガシェーラル国にも行ける術はないので、カロテは穏やかに暮らしている。
ロクモンとエンヤは幸せそうなミントジュレを見守りながら、自分達も久々に狩りを楽しんだ。 ストビーテは勿論、スライストから事の顛末を聞いている。
ミントジュレは今、王家の血を引く親族が役目を熟している。刺客が来ても返り討ちにし、数か国語の出来る優秀な人材だった。俗に言うビジネス王子の爆誕である。




