第六話
天井に吊るされたシャンデリアの硝子片が、月光を受けて瞬いた。――その静寂の中で、シャノアとロンドは互いの呼吸を探っていた。真っ直ぐなロンド大尉の気迫と、燃え上がるようなシャノアの気迫が激しく衝突する。じり、じりと距離が近づき遂に両者が間合いに入った。
刹那、真っ白な軍服を翻してロンドが踏み込む。
鋼が閃き、空気ごと叩き斬るような一撃。
シャノアは反射的に身をひねり、刃先を紙一重で避けた。髪の房が宙を舞い、頬に冷たい風がかすめる。
次の瞬間、彼女は反撃に転じた。足元の絨毯を蹴り、低い姿勢から白銀の剣で袈裟に斬り上げる。
ギィン――!
剣と剣がぶつかり合う、澄んだ金属音が広間に響いた。激しい火花が散り、燭台の蝋燭の光が跳ねる。ロンドの剣は重く、正確で、無駄がない。シャノアの細身の剣が押し返され、刃が軋む。
「随分腕を上げたな……」
剣を押し込みながら、ロンドが息を吐く。その言葉は、素直な感嘆と同時に少しの哀れみを含んでいた。
「復讐への妄執が、お前の剣を研いだのか」
「……そうだ。貴様に負けることはもうない」
シャノアが低く呟いた。目が、獣のように細められる。体勢を崩されながらも、彼女は床を転がって体勢を立て直すと、即座に反撃に踏み込んだ。
最速の突き技が喉を狙う――寸前で斬撃によって受け流す。斬り結びながらも、ロンドはその剣筋にかつての少女の面影を見てしまっていた。
甲高い金属音が二度、三度、夜の宮殿に反響した。
「復讐など無意味なことはやめろ。お前がこれ以上堕ちるのは見たくない」
その言葉に、シャノアは奥歯を強く噛み締めた。
「舐めるな!!あの裏切り者の首を胴体から切り離すまでは、私は何度だって貴様の前に現れる!」
シャノアの復讐に染まった瞳と視線がぶつかり、ロンドの瞳が一瞬だけ揺れる。彼女の瞳の奥に見えたのは……
彼は一歩退き、静かに呼吸を整えた。構えは崩れない。
――戦場で幾度も死線を越えてきた男の剣。その剣には唯一無二の、ずっしりとした重みがあった。それは彼がこれまで積み重ねてきた研鑽と、血と煙に塗れた戦場で戦ってきた経験に由来するもの。
シャノアは足の裏で床の感触を確かめた。滑る絨毯。
微かな血と汗が混ざる匂いがした。
心臓が、耳の奥で激しく鳴っている。
因縁の敵が目の前にいる。
冷静になれ、と己に言い聞かせながらも、震える手を抑えられなかった。それはある種の高揚感にも似ていた。この男に負けたくない、乗り越えたい。そんな熱い思いが溢れ出し、彼女はこの戦いに夢中になった。
唇を噛み、再び剣を構える。
「――行くぞ!」
ロンドが疾風のように間合いを詰める。
剣が縦に薙がれ、床石を粉砕するほどの一撃がシャノアに迫る。刃が空気を裂き、耳が痛むほどの風圧。瞬間、シャノアは側転のように軽く身を翻し、ロンドの腕の下をすり抜ける。
回避と同時に、逆手に持った刃でロンドの脇腹を狙う。しかし、彼は瞬時に半身をひねり、腕で受け止めた。袖口が裂け、赤い血が飛んだ。
その鮮やかな一閃に、彼の脳裏をかつての日の影がよぎる。かつて、怯えながらも剣を握って果敢にも斬りかかってきたあの少女。――目の前にいるのは、その少女の成れの果てだった。
「ぐっ……」
シャノアの肩にも、反撃の斬撃が掠めた。
外套が破れ血が滲んだ。だが、その血の匂いが、彼女の意識をさらに研ぎ澄ませた。ほぅ、と息を吐く。頭の中が酷く明快で透き通ったかのようだった。
「いい目だ」
ロンドの声が、低く響く。
シャノアの剣が閃いた。
怒りに任せた一撃ではなかった。潔く、曲線を描いて切り込まれた美しい一撃。
ロンドは致命傷は避けたものの、腹に鋭い切り傷を負った。だがその瞬間、彼の剣が真一文字に斬撃を繰り出し、シャノアの太腿を裂いた。血が飛び、床に朱が散る。血が滴るたび、余計な感情が削ぎ落ちていくのを感じた。
二人の呼吸が荒くなる。
燭火が揺れ、影が乱舞する。
剣戟の音が絶えず、壁に、天井に、空気そのものに跳ね返っていく。
――息が合っていた。
皮肉なことに、斬り合うたび、互いの呼吸が噛み合っていく。敵でありながら、理解し合ってしまう感覚。
剣が言葉の代わりとなって語り合うように、まるで2人で舞を踊るかのように斬り結んだ。
剣に弾かれ、距離をとったシャノアが問うた。
「なぜ、あの時……殺さなかった?」
ロンドの端正な眉根が寄る。
「あの選択に後悔はしていない。ただ、あの晩のお前ならば――復讐を忘れ、剣を捨て、ただの娘として生きる道がまだあると思った」
シャノアの顔が歪む。
「巫山戯るな、私の人生は、あのリティニアが滅んだ日に決した」
再び剣が交錯する。
ロンドの重撃、シャノアの刺突。
攻守が目まぐるしく入れ替わる。
床が割れ、壁に斬撃の跡が刻まれる。
「――シャノア!」
背後でサノスの声が響いた。
振り返らずに答える。
「下がりなさいサノス! これは私の戦いだ」
その一瞬の隙を、ロンドは見逃さなかった。
重い突きが、シャノアの肩口を貫く。
衝撃に膝が落ちる。荒い息が漏れた。
ロンドが距離を取る。彼の剣先も震えていた。
シャノアの剣が、床にカチリと音を立てて突き刺さる。血に濡れた手でなおも柄を握り締め、剣を杖のようにして体重を支えた。
「まだ立つか……」
「当、然よ……あの裏切り者を――」
シャノアの視線が、ロンドの背後でうずくまるシルヴァを射抜く。しかし体が鉛のように重く、その思うように動かない体では窓の向こうに逃走していくシルヴァを射殺しそうな目で睨め付けることしかできなかった。
ロンドがふらつきながら再び立ち上がる。
膝が震える。それでもシャノアは立ち上がった。
ロンドが再び前に出る。
彼もまた、腕から血を流しているのか真っ白な軍服に赤が滲む。
互いに満身創痍。どちらが先に倒れてもおかしくない。
最後の一撃。
シャノアが跳ぶ。
ロンドの剣がそれを迎え撃つ。
――剣と剣がぶつかり、甲高い金属音が響き渡る。
2本の剣が同時に折れた。
互いに距離をとった2人に、しばしの沈黙が訪れた。
ロンドの膝が折れる。
シャノアもまた、壁に片手をついて息を荒げた。
彼の刃がかすめた額に、血の筋を作っていた。
勝敗は――つかない。
シャノアは膝をついたロンドを見つめた。
「……次こそは必ずやお前に勝ってシルヴァを殺してみせよう」
ロンドは呻きながら、シャノアを見据えた。
「……お前が何度来ようと、復讐が果たされる日は訪れない。必ず俺がお前の行手を阻むだろう」
血が額を伝い、視界を赤く染めた。失った血が多すぎるためか、意識が朦朧とする。
ドアから覗き見ていたサノスが駆け寄る。
「シャノア、もう無理だ!撤退しよう。追っ手もきてる」
サノスは彼女の倒れそうな体を支えながら、ゆっくりと扉へ歩き出した。ロンドはその背を見送り、苦しげに目を閉じた。
あの晩、剣を感情のままに振り翳す少女に出会った。そして今夜、普通の娘として人生を斬り捨て、剣を取った彼女が、再び自分の目の前に姿を現したことに、僅かに心が痛んだ。
そして彼女の瞳の奥底、見えたのは孤独。まるで小さな子供が泣いているような目をしていた。
彼女の復讐とは、家族を失って1人残された子供に課された、リティニア王家の血の呪いなのかもしれないと、ロンドは思った。
目を瞑って長く息を吐き、当て布を裂いて患部を縛る。鋭い切り傷からは、赤い血が滲み出していた。
(正直、彼女の復讐は正当なものだと思う。しかし復讐がなされればこの世界の均衡は崩れ、再び戦火に包まれてしまう。そうなればまた、復讐が復讐を生む。
……それに僕は彼女を、シャノアを復讐の闇から救い出したいと、そう願ってしまったんだ……)
割れた窓ガラスの隙間から夜風が吹き抜け、血と鉄の匂いに満ちた広間の空気を少しずつ換えていく。
――戦いは、続いて行く。
宿命は、さらに深く、赤く燃え上がる。




