第10章:祝福と計画
夕日が沈む頃、一行はエルドール王国の南端にある最後の大都市、ジェナヴラへ向けての道を進んでいた。
その道中、ロリアンとカルタンは地図の翻訳と作成に集中し、ディミトリ、エロウェン、そしてリサンドラは戦闘からの休息を取り、カエウは馬車を操っていた。
だがロリアンの頭からは、夜の影の本名が離れなかった。
『……間違いかもしれないけど、あの名前……間違いなく知っている。もし本当にそうなら……すべての説明がつく……』
ディミトリは馬車の前方へと移動し、カエウに声をかけた。
「森の中へ入る。この先で野営するぞ。日が落ちる前にある程度、奥へ進まないといけない」
(カルタン)「え、マジで?なんでわざわざ森の中なんだよ?」
「今の俺たちはまだ回復途中で、疲労も残ってるし、魔力も枯渇してる。だからこそ、もっと人目につかない場所の方が有利なんだ」
エロウェンが立ち上がり、口を挟む。
「森は最適だ。第一に、エルダーグローヴの樫の杖がある限り、植物と意思を交わせる。森そのものが危険を先に察知してくれる。第二に、水や食料も調達しやすい」
(エロウェン)「第三に、樫の杖の魔力も補充がいる。第四に、我自身も癒しが必要だ。樫の杖があれば、魔力を消費せずに自然との調和で回復できる」
(ディミトリ)「第五に、森の中なら街道沿いよりも敵の目を逃れやすい。第六に、俺の得意分野でもある、周囲に罠を仕掛けるにはうってつけの地形だ。万一の時にも備えられる。
何より、そして第七に、今はリサンドラが丸一日戦えない状況だ。用心するに越したことはない」
(カルタン)「っつーか!もうわかったってば!理由多すぎて頭回らんわ!」
エロウェンが植物を操り、馬車と馬が森の奥へ入りやすいように枝や蔦をよけ、通り抜けた後には元に戻す。数分ほど進むと、一行はついに野営場所を決めた。
カエウはリサンドラを馬車から丁寧に下ろし、馬の世話を始めた。エロウェンは焚き火の準備を始め、ディミトリは森の中へ姿を消す。
カルタンは荷物から道具を取り出し、明かりが足りなくなる前にランタンを準備する。
日が完全に沈んだ頃、ディミトリが戻ってきた。エロウェン、リサンドラ、カエウは夕食の支度をしていた。
(カルタン)「おお、ディミトリさん。どこ行ってたんだ?」
「今のうちに、周囲に罠を仕掛けてきた。俺たちは今、疲労と傷で満足に戦えないし、夜の闇もある。だからこそ、万が一敵が近づいてきた時に備えて、強力な罠が必要だったんだ」
一同はスープを分け合い、焚き火を囲んで食べ始めた。
(カルタン)「てかさ、こうしてのんびりしてるのはいいけど、忘れてないか?ロリアンくん、あんたまだ知らされてなかったよな?
ぼくたちが『ブラック・ハンド』とやり合うって話。しかも、もう逃げ場ないかもしんねーし?」
「ああ、大丈夫ですよ、カルタンさん。確かに聞かされてはなかったですけど、ディミトリさんが最初に言ってました。『世界を脅かす危機』って。
だからそれが『ブラック・ハンド』レベルの脅威でも、納得できます。……ただ、正体を聞いて驚いただけです」
(カルタン)「でもさ、それだけじゃないんだよ! あのゴタゴタの最中に気づいたんだけど、ロリアンくんって視力がめっちゃ悪いんだよ!
ずっとこの旅の間、3メートル先すらまともに見えてなかったって知ってた!? ただでさえ危険な旅なのに、目が悪いってどういうことだよ!」
(カエウ)「えっ、ロリアンくん……目が悪いんですか?」
(ロリアン)「あ、はい……その、全部ちょっとぼやけて見えるんです。今も実は皆さんの顔の細かいところは、夜の暗さもあって全然見えてません」
場が一気に静まる。ロリアンは少し気まずそうに目を伏せる。
(ロリアン)「でも、心配はいりません。僕、視界を補うトリックを覚えています。必要なときはそれで対処できますし、それはほとんど魔力を消費しませんから、休まずに使えます」
カエウがそっとロリアンの肩に手を置く。
「……ロリアンくんって、すごい人ですね。僕より年下で、体も小さくて、目も悪いのに、冒険者になって……いろんな知識を持ってて、古代語も読めて、魔法も応急処置もできて……本当に、すごいですよ」
褒められ慣れていないロリアンは顔を真っ赤にして、しどろもどろになる。
「あっ……ありがとう、カエウくん……その神の子……かもしれない人に褒められるなんて……すごく光栄です……」
(カルタン)「てか、もう一つ気になってたんだけどさ。なんでリサンドラさんの祝福って、逆に老けて弱くなるの!?いや、アンタ狂戦士なんでしょ?普通、祝福ってもっとさ、こう……プレゼント的なやつじゃん?」
(リサンドラ)「それが『神のくれた贈り物』だとしても、時にはトラップになることもあるのさ、小人。アタシはカリストリアの出身、アンタの国ヘレニアの近くの蛮族国家だ。
女だけの戦女の国でな――ポレメイアは戦いの女神、ソフリスは知恵の女神、カリセアは愛と美の女神。その三柱によって築かれたんだ」
(リサンドラ)「あの三女神は、代々カリストリアの戦女たちを選び、祝福を与えてきた。文化も戦も知恵も、全部『女性らしさ』を中心にしてる国だからな。
で、選ばれた戦女は『今こそこの理想を思い出せ』って象徴として扱われるのさ」
(ロリアン)「なるほど……だからリサンドラさんは、ソフリスの理想を体現してるってことで選ばれたんですね?」
(リサンドラ)「いや、ちょっと違うんだわ、坊主。アタシは……三女神全員に同時に選ばれたんだ」
(ロリアン/カエウ/カルタン)「えぇぇぇぇぇっ!?」
(カルタン)「え、それってアリなの!? ズルじゃね!?」
(リサンドラ)「前代未聞だよ。代々どの時代も、一度に選ばれるのはひとりだけ。それもどれか一柱の女神にだけってのが決まりだった。それなのにアタシは三柱に同時指名……そんな例、歴史上にもねぇってわけ」
(カエウ)「そうか……それが、前にあなたが『神々の導きに従わざるを得ない気持ちがわかる』と言っていた時の意味だったんですね」
(リサンドラ)「そういうこった。アタシにも何がどうしてこうなったのかわからねぇけど、とにかく三人ともあたしを『自分の代表』にしたかったらしい。
それで三柱とも、これまでの誰より強い祝福をくれた。でも、それぞれ『アタシを選ばせたい』って思ってて……いま、アタシのことで争ってるの」
(カルタン)「それって……神々の三角関係!?」
「そうなんだよ、小人。三柱の女神がいちいち張り合ってくるんだよな。
それぞれがアタシに最強の祝福を与えようとしてるけど、そのたびに他の女神の加護を否定するようなペナルティが付いてくるってわけ」
(リサンドラ)「ソフリスの祝福は、任意の情報を一つ知ることができる力を与えてくれる。それだけじゃない。この祝福には、精神支配系の魔法への完全な耐性という常時効果があるの。
発動中はさらに知力と判断力も上がる。ただし——」
(リサンドラ)「その代償として、体力はガタ落ちで筋力ゼロ、つまりポレメイアの『力』を否定される。そして容姿も老けて醜くなる、カリセアの『美』も否定される。
他の二柱の祝福にも、それぞれ違う形の罰がある。属性に応じてね。つまりだ、三柱がこう言いたいわけよ。『アタシの祝福が一番役に立つだろ、リサンドラ?』ってな」
(カエウ)「えっと……失礼ですけど、それってあまり有利じゃないような……ソフリス様が知恵や戦術を重んじるのはわかりますけど、カリストリアの戦女たちは皆、戦う者ですよね。
いくら頭が良くても、狂戦士が戦えなきゃ意味がないのでは……?」
リサンドラはバッと立ち上がり、大声で叫ぶ。
「だよな!?太陽の子よ!!アタシもそう思ってた!!三柱で国作って『女の理想の姿』目指すとか言いながら、なんで他の二柱の価値を踏みにじるんだよ!?アホか!!」
「だからアタシは逃げ出したんだよ、カリストリアからな。どの女神の道も選ばず、自分の道を歩くって決めた。アタシを道具にして内輪揉めすんなって話だよ、勝手にやってろ!」
(カルタン)「えっと……てっきり女神たちに忠実で、敬ってるのかと思ってた……」
(リサンドラ)「もちろん敬ってるさ。でもな、敬ってるからこそ、目を逸らさないのさ。親に腹立てるのと同じだよ。好きだし、感謝もしてる。でも間違ってるとこはちゃんと指摘する。アンタもそうだろ?」
その言葉に、ロリアンは目を伏せて静かに思いを巡らす。
『……母の【悪いところ】か。確かに僕の母は冷たくて、僕のことなんていつも無視してた。守ってくれたことも、褒めてくれたこともなかった。
それでも……僕はまだ、彼女のことを愛している。だって、この冒険着も、母が作ってくれたんだから……。母が僕にしたことを忘れたわけじゃない。でも……それでも完全には憎めないんだよな』
(ディミトリ)「さて、話を戻そう。次の行動を考えるべきだ。まず第一に、スパイが存在しないことは分かったが、奴らがどうやって俺たちの情報を手に入れているのかは未だ謎だ。
つまり、その方法を突き止めるまで、いつでも包囲される可能性があるということだ」
(カルタン)「んじゃ、リサンドラさんの祝福でもう一回聞いてみれば?今ならまだその姿だし」
(リサンドラ)「無理だよ、小人。ソフリスの祝福で質問できるのは一つだけ。すでに使っちまったから、次はまた祝福を発動し直さなきゃならない」
(カルタン)「え、でもさ、前に何個か質問してなかった?」
(リサンドラ)「それはテーマが同じだから、一問扱いってだけさ。『間者がいるかどうか』っていう主題の中で、手段や状況のバリエーションを聞いただけ。
追加の質問でも、軸が一緒ならオーケー。でも別の話題に移ったらアウトだ」
(ロリアン)「でも、それもなんか妙ですね……もしもスパイがいるのなら、なぜ我々の目的地や、周到な待ち伏せの場所・時間まで把握できたのでしょうか?
それなのに、カエウくんの正体や僕の存在、それにカルタンとエロウェンのことまでは知らなかったのは…矛盾していますよね。
そっちの情報のほうが、むしろ簡単に手に入りそうなのに……」
(ディミトリ)「……だが、それだけじゃない。あの一団を全滅させた以上、次から奴らは本気で俺たちを潰しに来る。
俺たちのパーティーは計画されたものじゃなく、たまたま集まった連中の寄せ集めだ。構成が偏ってる。
少なくとも治癒師と魔術の専門家が欠けてる」
(カエウ)「じゃあ、ジェナヴラで誰かを探しませんか? あそこって大都市ですよね?」
(ディミトリ)「……残念だが、そんな余裕はない。ブラック・ハンドは大規模な組織で、魔術的リソースも潤沢にある。
文書の解読や地図の作成は、奴らの方が先に終わってる可能性が高い。俺たちが少しでも遅れれば、それが致命的な差になる」
(カルタン)「でも、それならさ……地図がもう手に入るんなら、なんで羅針盤が必要なんだ? 両方あるのって変じゃね?」
(ディミトリ)「その通り。どちらか一方だけで十分なはずだ。だが、実際には羅針盤と記録文書の両方が存在した。ということは……地図だけでは足りない可能性がある。
そしてなぜ『記録』だけで、完成された地図ではなかったのかという疑問も残る」
(ロリアン)「なるほど……確かに、魔力を帯びた場所なら地理的な常識が通用しないケースは珍しくありません。地図の精度によっては、場所が絞りきれない可能性もあります。
逆に、地図なしで羅針盤だけ頼りに進んでも、未知の地域では道に迷う危険が高すぎます」
(リサンドラ)「だからこそ、治癒師と術師が必要なんだよ。あのアーティファクトが魔法由来の物なら、封印するにも、壊すにも、最悪使うにも、魔法の専門知識がいるかもしれない」
(リサンドラ)「今のうちのメンツじゃ、その辺の対応がまったくできない。だが今のアタシたちには、それに対応できる術師もいなければ、本物の回復役すらいない。
このままじゃ、次の戦いで誰かが死ぬかもしれない。……回復魔法が使える者、いるか?」
(カエウ)「……僕、治癒魔法は使えます。でも……ほんの基礎だけで、今回の戦いで気づいたんです。戦闘と治癒、両方に魔力を使うのは実戦じゃ無理があります」
(エロウェン)「カエウの言うとおりだ。我は樫の杖で魔力を増幅できるとはいえ、戦い一つでほぼ枯渇した。戦闘中に回復に専念する者が一人は必要であろう」
(ロリアン)「それに、毒や呪い、死霊系の損傷なんかもありえます。普通の治癒魔法やポーションじゃ対処できません。神聖な防御や支援もできる人が必要です」
ディミトリは黙ったまま、じっと火を見つめてから口を開く。
(ディミトリ)「……よし。ジェナヴラは大都市だ。ギルド深紅の盾の支部もある。そこなら魔術師や神官が見つかる可能性も高い。
それに、エルドールではブラック・ハンドはテロ組織として扱われてる。連中が都市内で堂々と動けば、王国との戦争を招きかねない」
(ディミトリ)「つまり、都市部では奴らも簡単には手を出せない。
それにリサンドラが見逃したオークが約束を守っていれば、エロウェン、カルタン、ロリアンの三人はまだ身元が割れていない。カエウの正体も伏せられてる。
俺にはローグとしての技がある。必要なら街中でも気づかれずに動ける」
(リサンドラ)「じゃ、決まりだね! 神官と魔術師を仲間に加える。時間がない以上、アタシたちは三つに分かれて動く。一つは、十二時間以内に人材を探し出すこと。
もう一つは、急な出発に備えて旅の準備を整えること。そして最後は、敵の襲撃に備えて見張りと防衛にあたることだ」
その夜、全員は順に眠りにつき、エロウェンだけが目を閉じて静かに瞑想を始めた――自身の傷と魔力を癒すために。




