第5章:街道の戦い ― 第一部
二人のオーク狩人は拘束から逃れると、すぐに森の中に身を潜め、エロウェンに遠距離から矢を放つ機会を伺っていた。
一方、捕らえられていた四人のうち一人も蔓を切って脱出するが、深手を負いその場に倒れる。残る三人は出血多量で命を落とした。
エロウェンの一行はゆっくりと街道に戻るが、数名のオークが魔法から逃れたのに気づいたエロウェンはその場に立ち止まる。ロリアンが尋ねる。
「エロウェンさん、何かありましたか?」
「いくつかの獲物が逃げおおせたようだ。そなたたちは先に行け。十メートル以内の距離を保ち、彼らに気づかれぬよう、ゆっくりと進め」
ロリアンとカルタンは歩き続け、エロウェンはその場で残り、気配を探るように集中を始めた。
『ふむ、まだ三体が生きておる。うち二体は負傷、一体は重傷のようだ。されど、追い詰められた獣ほど恐るべきものはない……』
エロウェンは木の幹にもたれかかる。そしてその身体はまるで木に取り込まれるかのように、幹と一体化していった。
《植物融合!》
その頃、離れた場所では狩人オークたちが一斉に矢を放っていた。
「死ね、くそドルイド!」
九本もの矢がエロウェンの身体に突き刺さる。頭部、首、胸部、心臓、腹部――いずれも急所。木と一体化したその身体からは血が滴り落ちる。
***
街道に戻ると、カエウを襲っていた四人のオークが、夜の影のスモークボムで生じた煙幕から離れていった。
一時的に十一体のオークに囲まれたリサンドラは、前後を確認しながらも、不敵に笑った。
「ふーん、どうやら家の掃除はアタシの担当ってわけか。まったく、男ってのは…」
リサンドラは片手で大剣を水平に構え、大声で叫ぶ。
「カリストリアの女神たちにより!!」
その身体からは赤みがかった光が放たれ、瞳が燃えるように輝き、体の刺青がまるで炎のように光り出す。そして大剣を両手で握り直す。
「アタシにポレメイアの力を!!」
筋肉が一気に盛り上がり、血の気を帯びたオーラが彼女を包む。
「くそっ!あいつ……『戦狂』の状態に入ったぞ!」
***
戦狂。
それは、数多くの蛮族部族で観察される特殊な戦闘能力である。
狂戦士たちは強烈な感情――多くの場合は怒り――によって、戦闘用の精神状態を発動させる。ただし、必ずしも怒りに限定されるわけではない。
この状態は、部族ごとの文化的な「引き金」によって誘発される。多くは戦いへの渇望、極度のアドレナリン、戦闘への過集中、そして痛覚の無意識的な抑制といった要素が関係している。
地域や文化によって呼称は異なり、たとえばノルドハイム地方では「バーサーカー・モード」として知られている。
「戦狂」という名称は、狂戦士の出自や文化を問わず、この状態そのものを指すためにヘスペリアで用いられる汎用的・学術的な呼称である。
この状態に入った狂戦士は、内に秘めた原始的な力を肉体エネルギーとして解放し、膂力・速度・耐久力・痛覚耐性を飛躍的に高める。
その原始的エネルギーの源は部族や信仰によって異なる。
祖霊の加護であったり、内なる闘志であったり、戦いの情動を具現化したもの、あるいは動物のトーテムやその他の文化的象徴であったりする。
どのような信仰・風習に根ざしているかによって、「力を呼び覚ます感情」そのものもまた異なってくるのである。
***
「よかろう、そう来るなら望むところだ!オレが貴様を討ち取ってやるぞ、リサンドラ・デメトリオス、オーク狩りの女!」
司令官が大斧を高く構え、戦闘の構えを取る。それに対し、リサンドラは片手で大剣を後方に振りかざし、まるで走り出す獣のような姿勢を取った。
『な、なんて奴だ……!あの大剣は両手で扱うはずなのに、まるで木の枝みたいに軽々と……!』
リサンドラが前方へ飛ぶように突進する。その瞬間、彼女の足元の地面が砕け、大きな穴を残すほどだった。
司令官に到達したリサンドラは、全力で大剣を振り下ろす。司令官は必死に斧で受け止めようとするが、その一撃はあまりにも重い。
『ば、馬鹿な……!この大剣……普通の同サイズの武器よりも遥かに重いぞ……!?こんな化け物が、どうやって……!?』
斧は真っ二つに砕け、そのまま大剣が司令官の鎧を裂き、腹部へと深く食い込む。そしてその力で司令官の体は吹き飛ばされ、5メートルほど先まで転がり、地面を抉って止まった。
6人のオーク兵がすぐに司令官の元へ駆け寄る。やがて舞い上がった土煙が収まり、腹部の裂傷の深さが明らかになる。――司令官は、一撃で死亡していた。
「ば、馬鹿な……!!」
「あの女……あれは化け物か……!」
リサンドラは唾を地面に吐き捨て、冷たくも残忍な笑みを浮かべてオークたちを見据える。
「へぇ~?もう死んじゃったの?アタシ、まだ始まったばっかりなんだけど。で、次は誰が死にたい?」
司令官の死を目にしたオークたちは、怒りに燃え、異様な様相を見せる。全員が立ち上がり、咆哮のような戦いの雄叫びをあげる。
「ブラック・ハンドの名にかけて!!不信の者どもに死を!!」
先ほどまで夜の影を取り囲んでいた6人のオークに、夜の影が倒したもう一人の重傷兵も加わり、七人全員がリサンドラへと襲い掛かる。
それを見たリサンドラは歓喜の笑みを浮かべ、正面から突撃した。
「ポレメイア様に捧げる血の饗宴だァァ!!」
3人のオークが剣で斬りかかるが、リサンドラは大剣でそれを全て弾き返し、彼らを後方へと吹き飛ばす。
左から接近してきた一人が斧で攻撃を仕掛けるが、それも腕で受け止める。
さらに2人のオークが腹部を狙って接近するが、リサンドラはその前に強烈な蹴りを見舞い、彼らを押し戻す。
最後の一人はその隙を突いて、リサンドラの肩に剣を突き刺す。剣は筋肉を貫き、深く刺さった。
『なるほどね!こいつら、司令官をやられて逆上したってわけか。落ち着きも慎重さも捨てて、命なんかどうでもいい顔で突っ込んでくる……アタシの戦い方をパクった、海賊版みてーなもんか』
***
一方その頃、荷馬車の中では、カエウの傷が回復し、意識を取り戻していた。
「……夜の影さん?……何があったんですか……?」
「お前はさっき、オークに叩き飛ばされたあと、心臓をぶち抜かれて矢を喰らったんだ。あのままじゃ死んでたぞ。これだから素人は、戦場に立たせるのが危なっかしいんだよ、神の子よ」
夜の影は立ち上がり、荷馬車の外を見渡す。
「リサンドラが一人で片付けてる。お前はここに隠れてろ。この辺りにはまだ俺の煙幕が残ってる。もうすぐ消えるが、今のうちなら森まで逃げ切れるぞ」
カエウは真剣な表情で立ち上がった。
「夜の影さん……僕、皆さんの戦いの邪魔をしてしまったこと、本当に申し訳ありません。
でも、僕は遊びに来たわけでも、足手まといになるために来たわけでもありません。僕は戦いに来たんです……勇者になるために!
それに、僕は逃げるわけにはいきません。オークの部隊と、森の中からの奇襲があるこの状況で、お二人だけを残して逃げるなんてできない!」
「それでどうするつもりだ、坊主?今のお前じゃ一撃で死ぬぞ。さっきの致命傷、俺の回復薬でもかろうじて持ち直したレベルだ。今のお前の敵はオークじゃねぇ……未熟さだ」
「ですが、一つだけお聞きします。夜の影さんでも、突然の矢の雨を受けたら命の危険はありませんか?」
夜の影は黙った。
「僕が未熟だというのは確かです。でも今は誰にとっても危険な状況で、あの矢は誰にでも当たったかもしれません。
だからといって僕が皆さんの足を引っ張るわけにはいきません。さっきの失敗を取り戻さなきゃ」
「……どうやって?」
「森の中からの奇襲が、今の僕たちにとって一番の脅威なんですよね?」
そのとき、煙幕が晴れた——いや、煙幕が晴れなくても、指揮官の死により四人のオークが戦場に突進していたのだ。
だがその瞬間、馬車から強烈な光が溢れ出す。それは太陽を直視するかのような眩しさだった。
《太陽の光!》
4人のオークは突然の閃光に目を焼かれ、顔を覆いながら苦痛に叫んだ。彼らは視力を一時的に失ってしまった。
その光は街道全体を照らし、リサンドラと戦っていたオークのうち3人にも影響を与えた。
残りの4人はちょうどリサンドラの背後に位置しており、視界を遮られていたおかげで難を逃れた。
リサンドラ自身は馬車に背を向けていたため、まったく影響を受けていない。
その隙に、カエウは手綱を握り、馬と馬車を後方へと動かした。視力を失ったオークたちが混乱する中、静かに街道を戻る。
『……もし僕が経験ある戦士なら、この隙を突いて彼らを倒すこともできたでしょう。でも、夜の影さんの言う通り、僕はまだ回復途中だ。
治癒薬のおかげで胸の傷はなんとか致命傷にならずに済んだけど、完全には治っていない』
カエウは左手を胸に当て、暖かくまばゆい光を放った。
《太陽の癒し!》
『まずは、戦場から馬と馬車を退避させます。彼らを巻き込むわけにはいきません。大切な仲間ですし、輸送手段を失うわけにもいかない。
それに、うまくいけばオークたちを引きつけて、敵陣を分断できるかもしれません。その間に、僕自身の回復も進められます』
***
その頃、森の右側の縁では、別の狩人部隊が次の一手を話し合っていた。
「指揮官がやられた……なら、俺たちは全員殺すしかねえ!」
「今、狂戦士と戦ってる部隊がいる。ローグとあの小僧は馬車で逃げ始めた……あの閃光に乗じてな」
「どうする?追うか?それともあの女を仕留めるか?」
「追うぞ。命令は『ローグを殺し、【あれ】を回収しろ』だった。筋肉バカの処刑は後回しだ!」
オークの狩人たちは矢に火を灯し、まるで獲物を追う獣のように森を駆け抜ける。物音を立てぬよう身を低くしながら、弓を構えて標的を狙う。
「撃て!馬と馬車を狙え!絶対に逃がすな!」
***
──その頃、反対側の森の端では、ロリアンとカルタンが遠くの状況を見守っていた。
「ねぇ、ロリアンくん……あれ、カエウくんが一人で逃げてる?リサンドラさんは一人で戦ってるってこと?夜の影さんはどこ行ったんだ?……これ、結構ヤバくない?」
ロリアンは不安そうな顔をしながらも、少し困惑していた。彼の視力では遠くの様子がほとんど見えず、状況を知るにはカルタンの言葉に頼るしかなかった。
やがてロリアンは指先に集中し、そこから淡い光を放ち始めた。彼はそっと目を閉じ、光る指先を自身のまぶたに当てた。
《明晰視》
「えっ、ロリアンって魔法も使えるの!?今の呪文って?」
「えっと……これはただの補助トリックですよ。明晰視 は、僕の視力を一時的に普通の人並みにしてくれて……それより少し遠くまで見えるようになります。
トリックというのは、魔法よりもずっと簡単で、魔力の消費もほとんどありません。つまり、誰でも練習すれば習得できるような、基礎的な魔法です。
もし僕の視力が元々よかったら……もっと遠くまで見えるんだけど」
カルタンは目を丸くし、信じられないような表情を浮かべた。
「ちょ、ちょっと待って……じゃあ、つまり……今までずっと……ほとんど見えてなかったのに、あんなに色々やってたのかよ!?」
その背後、彼らに気づかれぬよう近づく影があった──
ロリアンたちを狙う3人の狩人オークが、静かに弓を構え、矢を番える。




