第八話 ―― 短剣と、炎と ――
――欠片を巡り、悪魔に心を奪われた人々を救う旅。最後の仲間に出会ったのは、この街でのことだった。
アグラの宿を出たのは、朝だった。
アゼルがペータ屋の店主と話し、石箱を置かせてもらえないかと交渉を始める。店主は、そんな夢のような結界があるならばと、快諾した。僧侶の外観というだけで、人々は敬いの眼差しを向け、簡単に心を開いてくれる。
それだけではない。このアゼルという男、人の心に踏み込むのが、異常に上手い。リリアナは交渉中のアゼルの、にこやかな横顔を見て、心が少しざわついた。
「いいぞ、リリアナ」
石箱を据えたガルドが、リリアナに合図を出す。はっと我に返り、リリアナは石箱の魔導書に、命を吹き込んだ。淡く光る膜が、ゆっくりとアグラを包み込む。その光は次第に薄れ、見えなくなった。
「また一つ、増えたな」
ガルドがペータを頬張っていた。沢山のペータが入った袋を、大事そうに抱えている。
よほどペータが気に入ったらしい。リリアナとアゼルは、思わず顔を見合わせた。
三人で、アグラを出た。
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街道を東に進んで半日が経ち、日が傾いた頃、ガルドが足を止めた。
「地図の印は、この辺りだな」
三人は、周囲を見渡した。川岸に、人影のようなものが揺らめいていた。輪郭が、ぼんやりと滲んでいる。実体のない、魔物だった。
それが、ガルドを狙った。
ゆらり、ゆらり、と近づいてくる。
その距離が、一瞬で詰まった。
瞬きする間に、それはガルドの眼前にいた。
ガルドが、辛うじて一撃を受け止める。
反撃した。
だが、剣はすり抜けた。
「なんだとっ」
その時、背後に風が吹き込んだ。
「あなた達、逃げなさい!」
黒装束の女だった。若かった。十八か、あるいは二十か。
いつから、そこにいたのか。リリアナもアゼルも、その存在に微塵も気づかなかった。
女が、腰から、二本の短剣を抜いた。
刃を、交差させる。
その刀身に——炎が、灯った。
赤い炎が、刃を舐め、二本の短剣が、松明のように燃え上がる。女の目が、炎の向こうで、細められた。
踏み込む。
炎の軌跡が、薄闇に、二筋の弧を描いた。
それが、霧散する。
跡形も、なく。
「スペクター。実体がないから、刃も鈍器も効かない。炎みたいに、魔力を纏わせないとね」
女が、短剣を構えたまま言った。
「川の向こうを見なさい!」
視線を向ければ、川の対岸に、二十体を超えるスペクターが蠢いていた。その中心には、ひときわ巨大で、胸部に不気味な紋章を刻んだ魔物の姿があった。
「何をしてるの、早くっ!」
女の叫びに、三人は我に返る。
女が、川下を指した。
「このまま、一旦街へ出るよ」
一行は、ヴァラナシに向かった。
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街に着いた頃には、日が沈みかけていた。
聖なる川が、夕暮れの赤い光の中に広がっていた。川面に無数の灯篭が流れ、橙色の炎が水面に映っていた。川岸の階段に人々が集まり、祈りの声が重なり合っていた。
煙の臭いが漂っていた。
甘い臭いではなかった。重く、湿った煙だった。デリーとも、アグラとも違う空気だった。
リリアナは、足を止めた。
言葉が、出なかった。
女が、先を歩いていた。迷いのない足取りだった。
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宿に入ると、女は振り返った。
「助かった。ありがとう」
ガルドが言った。
女は短く頷いた。
「ヴァルだ」
「ガルドだ。こちらはリリアナとアゼル。……なぜ、あの川に?」
しばらく、沈黙があった。
「魔物に恨みがあるだけさ。魔物を倒して、憂さ晴らし」
「お前も、魔物に何かを奪われたのか」
ヴァルは、答えなかった。
ガルドは、それ以上聞かなかった。代わりに、別のことを切り出した。
「単刀直入に言う。あのスペクターを、殲滅したい。手伝ってくれないか」
畳み掛ける。
「我々には、スペクターに対抗する手段がない」
ヴァルは短剣を抜き、炎を纏わせてみせた。
「これのことか?」
「そうだ」
「ちょっと、剣を構えてくれ」
ガルドは剣を鞘から抜き、構えた。
ヴァルが、その刀身に、指先で触れる。
目を、閉じた。祈るように。
すると——指先から、刃へ。
炎が、移っていった。
ガルドの剣が、ゆっくりと、赤く灯る。やがて、刀身全体が、静かに、燃え上がった。熱くは、ないらしい。ただ、揺らめく、赤い炎。
ガルドが、目を見張った。
リリアナも、息を呑んだ。
自分のものでもない剣に、炎を移す。そんな魔法を、見たことがなかった。
「これは、私の家に伝わる魔法だ。前は刀身が軽く赤くなる程度だったんだが、今では燃え上がる。特に、ここ一ヶ月の威力の伸びは異常だ」
剣の炎が、消える。
異常、という言葉が、リリアナの胸に引っかかった。私もだ、と思った。結界も、あの光の塊も、ここ最近、伸びすぎている。口には出さなかった。
「私がいないと、スペクターに対抗できないことは理解してる」
ヴァルは、一呼吸置いてから続けた。
「手伝うよ。魔物がいなくなったら、誰だってうれしい」
「感謝する」
ガルドは右拳を胸に当て、一礼した。
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夜、リリアナは部屋で、記録帳を広げていた。
スペクターが、頭に浮かんでいた。動きが早すぎる。固定しないと。
広げるのではなく、包み込む。圧縮するのではなく、絡め取る。術式を思い付いた。指先に光が滲んだ。輪の形が浮かんだ。握っているペンの一点に、向けた。
ペンに、光の輪が絡みついた。
力はまだ弱い。だが、形になった。もう一度試す。今度は、より強く。
ペンに、光の輪が絡みつく。
ボキッ。
「あ……」




