断 ~ 千年の待ち伏せ ~
記録の山の奥。
羊皮紙の海に、五つの灯りが揺れていた。
女神から未来を託された、五人の学者。
深藍のフードを被った銀髪の若者、ヴィシャン。
白い髭の最長老、サジヴァ。
寡黙な大男、マナス。
編んだ髪に知の印を飾る賢女、デヴィヤ。
そして、寝癖髪の跳ねっ返り、ハシュ。
「――グロストの行動原理がわかった」
ヴィシャンだった。手元の筆は、喋る間も止まらない。
「あれは白の理を切望している。白を求める黒。その一点は他の悪魔と変わらない」
「違うのは」
「深度だ」
筆が一度だけ止まった。
「際限がない。……だからあれは反転の魔法に辿り着けた。黒を裏返し、白を引き出す」
「人の身体を壊し、そして治しながら」
サジヴァの老いた声が掠れた。その潤んだ目は図面ではなく、もっと遠くを見ていた。
「白の理を探しているのだろう。……どこに命が宿るのかを。一人ずつ、開いては閉じて――納得のいく話だ」
「なるほど、戦いには興味が無いわけだ」
沈黙が羊皮紙の上に積もった。
「行動原理がわかったということは――策ができたのか」
問うたのはマナスだった。学者というより、武人の肩をしていた。
「まだだ」
ヴィシャンの筆が走る。
「道はある。だが――到達点が見えない」
その時、デヴィヤが動いた。薄布のサリーが灯りの中で淡く揺れる。
彼女は、白い紙を皆の中央へ広げた。
「寺院を建てましょう」
「寺院……」
「白の社。そこに三つのものを継がせるの」
細い指が紙の上に印を置いていく。
「ひとつ。回復の真髄。傷を癒し、崩れたものを繋ぎ直す――その術理の極み」
「それは、儂が」
サジヴァが節くれた手を胸に当てた。
「看取ってきた数だけ、繋ぎ方も覚えた」
「ふたつ。悪魔の封じ方」
デヴィヤの指が二つ目の印へ。
「我らの術が決して消えぬように――写本として生み続ける」
「記す方は、任せてもらおう」
ヴィシャンが筆を掲げた。
「一字も違えさせぬ。千年写しても」
「みっつ。白の純度を高める装置。集まった白を、より清く、より濃く研ぎ上げる」
「純度を……」
「そうすることで、寺院は世界で最も明るい白の灯台になる。――そして、そこから撒かれた癒し手に、必ず黒が寄ってくる」
「グロストが」
「グロストだけではない」
ヴィシャンの声が低くなった。
「モルボスが必ず興味を示す。……次の周期も、計画と指揮を握るのはおそらくあれだ」
「確かに――それだけでは、道が途切れるな」
サジヴァが白い髭を撫でた。
「あやつらはどう動く。……考えるのだ」
「奴らはレンズを強くするために、必ず欠片を集める」
ヴィシャンの筆が羊皮紙に線を引く。
「奴らの手で集められれば――先手を取られる」
「なら、先に探しちゃえばいいんだ」
ハシュが、羊皮紙の海からひょこりと起き上がった。ポケットから木の実がひとつ転がり落ちる。
「欠片の在り処なら、私の友達がぜんぶ知ってる。今なら、持ってるのだってリスみたいな子ばっかりだよ」
「探してどうする。我らが持てば、奪われるだけだ」
「持たない。――結界を張る」
デヴィヤが言った。
「欠片そのものに。純度の高い黒には決して開かぬ錠を。……触れることも、囲うことも許していい。ただ、奪うことだけは決して」
「その結界は――私が作ろう」
マナスだった。短く、それだけ。
誰も疑わなかった。守りにおいて、この男の右に出る者はいない。
「奪えないと知れば」
ヴィシャンの筆が次の線を引いた。
「奴らは別のものに集めさせる。……手っ取り早いのは、レンズ自身を動かすことだ」
「白の手なら、錠は開く」
「そう。奴らは必ずそこへ行き着く。――旅をさせる。護衛を付けて」
「そこに」
デヴィヤの声が初めて硬くなった。
「私たちの魔物に――女神様を眠らせる毒を仕込む」
「一時的に白を抑えるのか」
「今の我らならできる」
「……待て」
サジヴァの潤んだ目が上がった。
「その毒は、人の命を確実に蝕むぞ」
「人の僧では届かぬ深さまでな」
ヴィシャンが冷たく繋いだ。
「だが、それでいい。人の白で開く傷なら、奴らは動かない。……開かぬからこそ、奴らはあれを出すしかなくなる」
「女神様を餌にするのか」
「餌にして――グロストの回復で目覚めさせる。悪魔は何らかの接点を持つしかなくなる」
長い沈黙だった。
羊皮紙の擦れる音だけが、山に満ちていた。
「その毒は」
デヴィヤが静かに言った。
「私が受け持つわ」
「……見えたな」
サジヴァが長く息を吐いた。
「到達点が」
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計画は、ゆっくりと、だが確実に進んでいった。
寺院の礎が置かれた。写本の一冊目が綴じられた。欠片という欠片に、開かずの錠が掛かった。
そして、最後の朝。
ハシュの両手の中に、小さな生き物がいた。
リスほどの大きさ。獅子とも、山羊とも、蛇ともつかない継ぎ接ぎの命。
その額の奥に、欠片がひとつ埋めてある。
「この子の欠片が羅針盤。女神様の欠片は、女神様を探すから」
尾の先には、デヴィヤの毒が一滴。
「小さいな、育たねば尾の牙は届かんぞ」
「大きくなるよ。レンズが生まれると、この子も他の魔物も」
ハシュは笑った。悪戯を企む顔で。
「それまで、生き延びてね」
草むらに下ろす。
小さな影は一度だけ振り返り――消えた。
漏れの台地の南。のちにリシケシと呼ばれる土地のほうへ。
千年の待ち伏せが始まった。




