断 ~ 反転の理 ~
断 ~ 反転の理 ~
深淵の、入口。
痩身の賢者が、グロストと、対峙していた。
指先に、光弾を宿し、放つ。
一つ。また、一つ。
確かに、突き刺さる。だが、傷は瞬く間に塞がっていく。
ならば、と、術式を火に組み替える。
火球の連打が、闇を焦がした。
結果は同じ。裂けた傷が、ひとりでに閉じていく。
最初から、何も、なかったかのように。
賢者は、奥歯を噛んだ。
最後の手を、放つ。
女神様より授かった、この身に染みついた術式――白い、稲妻。
雷は、グロストを確かに捉えた。
だが。
火球より、わずかに威力が増した。それだけだった。
――届かない。
この力では、届かない。
思えば、あれは一度も手を出さなかった。
背を向け、賢者は駆けた。
グロストは、追ってこなかった。
興味が失せただけだった。
遊びは、そこで終わっていた。
息の整わぬまま、賢者は森を歩いた。
「……他の悪魔なら、数を揃えれば勝機はある」
押し殺した声が、森に、溶けた。
「だが――あれだけは、違う」
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暗黒竜が空から消えた後のことだ。
深藍のフードの学者が、痩身の賢者を訪ねていた。
「まず、グロストを封じねば、何もできずに終わる」
賢者は、あの日の経験を語って聞かせた。
学者は閉じたままの目を、僅かに動かした。
「――反転の、悪魔か」
「奴こそが、未来の厄災だ」
沈黙が、束の間落ちた。
「黒を反転させ、そこから白の力を引き出す。さらにその上へ、黒の力を重ねて乗せる。……複雑怪奇だな」
学者の筆が、止まっていた。
「ああ。だが、救いがあるとすれば」
賢者は口の端を、皮肉に歪めた。
「奴が、戦いにも、力にも、女神様にすら興味を示さんことだ。向いている興味は――一番、下劣だがな」
「それに、あれだけが進化を続けている。他の四柱と交わることも、もはやあるまい」
「どう、止める?」
その問いの答えを、誰も持っていなかった。
沈黙だけが部屋を包んだ。
やがて、賢者が顔を上げた。
「――反転から、思いついた術式がある」
檻から、捕らえていた魔物が一体、引き出された。
賢者の指先に、光が灯る。
黒い、光弾だった。
放たれた黒が、魔物を貫く。
魔物は、声もなく崩れ落ちた。
「凄まじいな。こうも、あっさりと」
学者が、目を開いた。
「暗黒竜の原理だ」
賢者は静かに答えた。
「黒を喰らい、精神と肉体を繋ぐ粘着力を、削ぐ。あれの翼がやっていることを――この光弾に、写した。俺には無理だったが、理論的には雷も反転が可能だ。」
「これは、未来へ繋げねばならん」
学者が言った。
「どうやってだ」
賢者が静かに返した。
「下手に記せば、悪魔に気取られる。こちらが不利になるだけだ」
「方法はある」
学者が続けた。
「暗号だ。石碑に、暗号を残す」
「悪魔にも解かれる可能性はあるぞ」
「暗号の結果として、残すのではない」
学者は、動じなかった。
「暗号を解く、その過程にこそ、反転を仕込む。それも、白を扱う者にしか辿れぬ、理の暗号で」
「つまり」
賢者が呟いた。
「白の扱い手を、誘導するということか」
「ああ」
学者が頷いた。
「人間にグロストのような天才が現れれば別だが、それは賭けられん。……だが、白を極めた者が、グロストの魔法そのものに触れることがあれば――間違いなく、気づく」
燭台の火が、また一つ、静かに揺れた。
千年先の、誰かの指先に、この火を託すように。




