第二十七話 ―― あの場所 ――
出発の朝。
リリアナは、二冊の本を綴じ上げた。
一冊は、結界の魔導書。
もう一冊は――石碑の術式を落とし込んだ、女神の魔導書。
女神の魔導書は、鞄の底へ。
いちばん、深いところへ。
使い方も、わからぬまま。
ガルドは、石箱を探してきた。
リリアナは、石箱の中の結界の魔導書を納め、命を吹き込む。
淡く光る膜が、街を包み、薄れて見えなくなる。
それは、見慣れた光景。
光が薄れたあとも、リリアナは、石箱の前にしゃがんだままだった。
懐から、小さく折りたたんだ紙を取り出す。指先で、折り目を、もう一度なぞる。それから、石箱のわずかな隙間に、そっと、滑り込ませた。
通りかかったアゼルが、覗き込む。
「何です、それ」
「……ないしょ」
リリアナは、ぱっと立ち上がって、振り返った。いつもの笑顔だった。
アゼルは、肩をすくめて、それ以上は聞かなかった。
リリアナは、顔を上げた。
北へ。
-----
リシケシは、あの夜のままだった。
焼けた梁。崩れた石壁。道を塞ぐ瓦礫。
あれから、誰も手をつけていなかった。村は死んだまま、そこにあった。
祭りの灯も、笑い声も、ここにはない。
ただ、風が、焦げた匂いの記憶を運んでくるだけ。
ここから、旅は始まった。
すべてを失った場所。
リリアナは、両親の墓の前で、祈った。
三人も、祈った。
アゼルは辺りを見回し、口を開いた。
「リリアナさんの、故郷……なんですよね」
「うん」
リリアナは笑おうとして、うまくいかなかった。
アゼルは、それ以上、何も聞かなかった。
ただ、隣に並んで、同じ瓦礫を、見ていた。
アゼルは、気づいていた。
青い山を、下りた頃からだ。
三人の、呼吸が、少しだけ、変わった。
リリアナさんの笑顔が、一拍、遅れる。
ガルドさんの頷きも、一拍、遅れる。
ヴァルさん……あの人は、よく分からないけれど。
扉が、閉じている。三つとも。
いつもなら、向こうから扉は開いた。
今は、まだ、開かない。
こじ開けては、いけない気がした。
この扉は、僕のために、閉じてられている。
「リリアナさん」
「ん?」
――これから、何が起きるんですか?
聞けなかった。
「四人の旅が、まだ続けばいいですね」
リリアナが、少しだけ、笑った
「……なにそれ」
扉が、少しだけ、開いた気がした。
-----
家は、すぐに分かった。
他の家と同じように、焼け落ちていた。屋根はなく、壁は半分、崩れている。
それでも、リリアナの足は迷わなかった。
焦げた床を踏む。
あそこに本棚。窓辺で、よく本を読んだ。
誕生日に、ペンダントをもらった食卓。
ぜんぶ、灰になっていた。
リリアナは、奥の崩れた壁の前に膝をついた。
瓦礫をどけながら、思い出していた。
◇
幼いリリアナがいた。
まだ、魔法も知らない頃。
その前に、大きな背中。ガレンだった。剣を研いでいた。
「お父さん」
幼いリリアナが尋ねる。
「わたし、どこで生まれたの? 友達が親と話しているのを聞いてしまったの」
剣を研ぐガレンの手が、止まった。
しばらく黙ってから、振り返った。
いつもの、ぶっきらぼうな顔。だが、その目はどこか優しかった。
「ずっと昔、北の、ある場所でな。魔物がうようよいる、危ない場所だった。俺は戦士として、そこを調べに行った」
ガレンの声が低くなった。
「そこに、お前がいた。赤ん坊が、たった一人。魔物に囲まれて。普通なら、とうに喰われている。なのに、お前には傷ひとつ、なかった。ただ、すやすやと眠っていた」
幼いリリアナは、きょとんとしている。
「俺はお前を抱き上げた。そうしたら、お前が笑ってな。俺を見て、笑ったんだ」
ガレンは、静かな笑顔を見せていた。
リリアナは、不思議と、悲しくはなかった。まるで、初めから知っていたような顔で、聞いていた。
――一度だけ、その場所に、連れて行ってもらったことがある。
◇
あった。
焼け残っていた。赤い革の表紙。五人の学者の本。
リリアナは、それを胸に抱いた。
これで、封印の器の在り処が分かる。
ゆっくりと、一枚、一枚、ページをめくる。
詩を詠むように、暗号を解く。
やっぱり。
なんとなく、わかっていた。あの場所だと。




