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女神と、悪魔と ― ― 過去にある未来 ― ―  作者: 一ノ瀬 俊晶


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第二十四話 ―― 前へ ――

 西の海沿いに、北へ。

 ヴァルと別れてから、一行は三人になっていた。

 リリアナと、ガルドと、アゼル。

 欠片を集める旅。そう、アゼルには言ってある。だが本当の行き先は、北の果て、リシケシ。その途上に、ガルドが寄りたい場所があった。


 潮の匂いの中を、何日か歩いた。

 やがて、ガルドの足が緩んだ。

 なだらかな丘の上に、その街はあった。

 ゴア。

 赤い土と、椰子の林。入り江に、小舟が揺れている。古い石造りの家々が、海風に晒されて、白っぽく乾いていた。漁師の街だった。

 ガルドは、しばらく、その景色を、黙って見ていた。


「ここが、ガルドの?」

 リリアナが問う。

 ガルドは頷きもせず、ただ、歩き出した。

 その背中が、いつもより、小さく見えた。


-----


 街の屋台から、一人の痩せた老婆が、声を掛けてきた。

「ガルドじゃない」

 白い、円い、サンナと呼ばれる蒸しパンが、差し出された。

 ガルドは、無言で受け取った。

「お二人は、お仲間さん?」

「ああ」

 ガルドが、ぽつりと答えた。

「はい、どうぞ」

 二人にも、同じものが手渡された。


 リリアナは、一口、千切って、口に入れた。

 ふわり、と。

 ほのかに、甘い。米と、ココナッツの、発酵した、優しい甘さ。ほんの少し、酒のような香りが、鼻を抜けた。素朴で、温かい味だった。

「……おいしい。なんか、ほっとする」

「だろうな」


 ガルドは、それを一つ、また一つと、口に運んでいた。

 いつもの、甘いものに飛びつく顔とは、違った。

 懐かしむような。少し痛むような。そんな、食べ方だった。

 老婆は、声を落として、ガルドに囁いた。


「あなたは、前を向いてる? 私には、きっと、一生、無理……あの子のために、あなたは前を向いてね」


 ガルドの視線は、前ではなく、小指の指輪に落ちていた。

 少し離れて、リリアナは、その言葉を、聞いていた。


-----


 ガルドが、二人を丘の方へ導いた。


 街を見下ろす、緑の丘。風が強い。

 その斜面に、ぽつりと、石が並んでいた。

 墓だった。海を、見下ろすように。

 いくつもの、古い墓標。風雨に削られ、文字も、読めなくなったものが多い。


 ガルドは、その中の、一つの前で、足を止めた。

 他のものより、新しく、手入れが行き届いていた。

 膝をつく。

 ガルドは、それを、しばらく見ていた。

 何も言わなかった。


 リリアナは、少し離れて、立っていた。

 誰の墓か。聞かなくても分かった。

 あの記憶、燃える村。腕の中に抱かれた、冷たい人。

 ガルドの左手の小指で、細い指輪が鈍く光っていた。


 風が、墓標の間を吹き抜けた。

 ガルドが口を開いた。

 海を見ていた。

「クルセイダーに、なる前」

 言葉は、途切れ途切れだった。

「あいつを、俺は……守れなかった」

 それきり、また、黙った。

 リリアナも、アゼルも、何も言わなかった。

 言葉は、いらなかった。ただ、そこに、一緒にいた。


 墓の傍に、古い石碑が立っていた。

 腰の高さほどの、低い角柱。これまで見てきたものと、同じ姿だった。


 リリアナは、はっとした。

「これ……」

「ああ」

 ガルドが頷いた。

「うちの家系が、代々、守ってきた。意味も、分からんままな。前に話した、あれだ」


 リリアナは、石碑に近づいた。指で古代文字をなぞる。

 読める。あの修道院で、十人の賢者の記録を解いてから、文字がすっと頭に入ってくるようになっていた。

 一行、一行。読み解いていく。

 その目が、見開かれた。

「……心を、守る魔法」

「心?」

「うん。外から、心を操られないようにする、結界みたいなもの。精神を守る」


 旅のあいだ、ガルドの心は、いつも真っ直ぐで、力強かった。


「ヴァルの石碑と似てる。これを守ってきた、あなたへ。その、ご褒美」


 リリアナは、労わるように、隣の墓に触れた。

 足元が固い。踏み固められていた。

 ガルドは、何度、ここで祈ったのだろう。

 そのたびに、石碑は、応えたはず。


 守れなかった人に、ガルドは、守られていた。


 リリアナが、記録帳に写し終える頃には、日が傾いていた。

 ガルドは、墓に背を向けた。

 もう、振り返らなかった。


「行くぞ」


 潮風が丘を吹き上げた。

 三人は、また、北へ歩き出した。


-----


 その夜の宿で、リリアナは、一冊の本を綴じ上げた。


 心を守る、魔導書。


「ガルド。これ、あなたに。あなたの家の石碑から、作った」

 ガルドは、黙って受け取った。表紙に、指を滑らせる。いつかのヴァルと、アゼルと、同じ仕草だった。


「……盾の裏にでも、忍ばせておく」

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