表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神と、悪魔と ― ― 過去にある未来 ― ―  作者: 一ノ瀬 俊晶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/38

第二十話 ―― 教唆と、混濁と ――

 道は、登りに変わっていた。

 マイソールを出て、南へ。なだらかだった丘が、次第に険しくなり、いつしか四人は、山を登っていた。


 空気が、変わった。

 乾いた高原の熱は、もうない。ひやりと湿った、冷たい空気。標高が、上がっているのだ。

 そして、霧が出た。

 登るほどに、霧は濃くなった。行く手も、来た道も、白く塗り潰されていく。数歩先の、ヴァルの背中が、霞んで見えた。


「うわ、なんにも見えませんね」

 アゼルが、白い息を吐いた。

「青い山、か」

 ガルドが、呟いた。

 麓の村で、そう聞いた。この山は、青い山と呼ばれている。遠くから見ると、稜線が、青く霞んで見えるのだという。だが、中に入ってしまえば、ただ白い。どこまでも、白い。


 その白の中に、緑があった。

 斜面という斜面に、低い木が、整然と植えられている。茶の木だ、とヴァルが言った。摘み取られた新芽が、霧に濡れて光っていた。

 美しい、はずだった。

 なのに、リリアナは、なぜか落ち着かなかった。

 霧で、何も見えない。すぐ隣に、何がいても、分からない。その感覚が、背筋を、撫でていく。


-----


 欠片の気配は、その霧の奥にあった。

 リリアナが、地面に左手を置く。

 青い陽炎が、波紋となって広がった。だが、霧のせいか、いつもより、遠くまで届かない。

 それでも、捉えた。

 濃い気配が、ひとつ。茶畑の、さらに上。森の際。


「……いる。上の方」


 四人は、霧を分けて、登っていった。

 それは、唐突だった。

 白い霧の壁が、ぐらりと揺れた。

 ――いや、違う。揺れたのは霧ではない。霧の向こう側で、何かが、動いた。


 一歩。

 踏み込んだ後に、遅れて、地の割れる音が届く。

 また一歩。

 その一歩ごとに、足の裏から、震えが這い上がる。膝を、腹を、胸を、突き上げる。音より先に、内臓が、それを聞いていた。

 大地が、悲鳴のように軋む。

 霧を押し分けて現れたのは、黒い、山のような影。

 四つ足の、巨獣だった。象よりもなお大きい。分厚い皮膚が岩のように隆起し、その表面には細かな亀裂が走っている。だがその亀裂の奥で、何かが、脈打っていた。

 額に、紋様。


「ベヒーモス……!」


 ガルドが、叫ぶ。

「物量の、化け物だ。まともに受けるな!」

 ベヒーモスが、前脚を振り上げた。

 振り上げただけで、空気が、押しのけられる。耳が、詰まった。

 叩きつける。

 ――次の瞬間、地面が砕けた。

 衝撃が遅れて押し寄せ、四人の足元を突き上げた。

「ぐっ……!」

 受け止める、という手は、なかった。

 あの質量に盾を立てれば、盾ごと潰される。

 砕けた岩。爆ぜた風。ガルドは身を低くし、腕でリリアナを庇う。

 踏ん張った両足が、それでも、地を擦って後退る。

 腕が、軋む。肩が、悲鳴を上げる。だが防いでいるのは、一撃ではない。ただ、吹き飛ばされまいと、耐えているだけだった。


 ヴァルが横合いから踏み込み、炎の短剣を叩き込む。炎が、走る。

 だが――。

「……消えた?」

 焼けたのではない。炎が、刃ごと喰われた。手応えがない。


 ベヒーモスが、わずらわしげに巨体をねじる。岩の尾が、唸りを上げて薙ぎ払われた。ヴァルが跳び、ガルドは伏せる。だが風圧だけで、後方の茶の木が根こそぎ倒れた。


 リリアナが光の輪を放つ。四肢に絡みつく。

 だが――ベヒーモスが、踏ん張る。輪が、軋む。

 そして――音もなく、引きちぎられた。

「そんな……!」


 手が、足りない。決め手が、ない。

 巨体が、ゆっくりと、リリアナへ向き直る。

「リリアナさん、下がって!」

 アゼルが前に出る。


 ヴァルが、ありったけの炎を、眼前へ叩きつけた。喰われる。だが、喰いきれない。あふれた炎が、ベヒーモスの顔を焼いた。

 一瞬、だけ。ひるむ。

 その隙へ。


「行くぞォッ!」

 ガルドが踏み込み、渾身の一撃を叩き込む。右前脚が、深々と裂けた。巨体が、大きく傾ぐ。


 リリアナの指に、黒い光が集中する。

 ガルドが裂いた、その傷口へ、黒い雷が落ちる。

 ベヒーモスは、地面に膝を付いた。


「もらった」

 ガルドが跳んだ。額の紋様へ、剣を振り下ろす。深々と、突き刺さった。

 ヴァルがその刃に炎を灯した。


 その瞬間。紋様が、光を放つ。

「なっ――」

 炎が、逆流する。ガルドの腕を焼きながら、剣を伝い、体へと駆け上がる。

 それでも。


「通れッ!」


 ベヒーモスが地を揺らして崩れ落ち、紋様が砕けた。

 いつものように、欠片は宙を漂い、四人の前で止まった。


 弾けた。


 リリアナは、身構えた。流れ込んでくるものに、いつもの温度が、なかった。


 その光景が、広がった。



 暗い、部屋だった。

 壁も、床もない。ただ、暗がりが、部屋の形をしていた。


 白いローブの、五つの影。深淵の暗がりに、集っている。

「今のところ、順調だな。信徒は、増え続けている」

「我にも、静かに、力が戻るのを感じるぞ」

 声が、満ちていた。焦りも、急ぎもない。ただ、計画が、進んでいる。


-----


 場面が、流れた。


「ガルド、とか言ったか。私の支配が、効かん。近いうちに、処分する」

「待て。使いどころが、ある」

 もう一つの声が、それを制した。

「世界に散らばる欠片。あれを、集めさせるのだ」

「欠片の地図は、完成した。あいつの居場所も、掴んだ」

「ほう。あいつも、動かす気か」


-----


 場面が、流れた。


「誘導は、終わったか」

「ああ。ガルドは、すぐ来る」

「来たな。では、始めるか」


 ――誰かが、物陰から、覗いている。

 その背中に、リリアナは、見覚えがあった。


「信者は、順調に集まっているな」

「ああ。だが、我らの信仰の、強制の力。それを失わせる方法が、一つだけ、ある」

「欠片の力と、それを扱える、少女だ」

「ははっ。そんな者が、現れる訳が、なかろう」

「念のため、調べておいた。ここに、欠片の地図がある」

 声が、続けた。


「その少女の名は――リシケシ村の、リリアナ」


 リリアナの、心臓が、止まりかけた。

 私の、名前。

 覗いていた背中が、息を、呑むのが分かった。


-----


 場面が、流れた。


 黒い靄が、一人の僧侶の中へ、吸い込まれていく。

 その僧侶の、顔。

 いつも、傍にいる。軽口を叩き、誰の心にも、するりと入り込む。

 あの、穏やかな――

「ヴォルガスよ。あとは、頼んだぞ」

「ああ、任せろ。誰にも気取られぬようにな――こいつ自身にも」



 光景が、消えた。


 霧の青い山。四人は、同じ場所に立っていた。

 何も、変わっていない。

 しかし、全てが、変わってしまった。


 リリアナは、動けなかった。

 今、見たもの。私の名が、悪魔の口から、零れた。私がガルドと出会ったのも、欠片を集めてきたのも、すべて、あの者たちの、掌の上。そして、私の村を襲わせたのも、私だけ助かったのも、きっと。

 膝が、震えた。


 ガルドは、拳を、握りしめていた。

 己が、誘導されていたこと。信者を解放するための旅。その始まりから、仕組まれていたこと。剣を握る手の甲に、血管が、浮いていた。


 ヴァルは、目を、見開いていた。

 アゼルの中に、あれが、いる。

 昨日も、一昨日も、隣で笑っていた、あの男の中に。


 三人とも、一言も、発しなかった。

 発せ、なかった。


 そして。

 その、三人の真ん中で。


「あれ?」


 アゼルが、きょとんと、首をかしげていた。

「今回は、何も、見えませんでしたね」

 いつもの、間延びした声。

 白い息を吐いて、不思議そうに、三人を見ている。

「どうしました? みんな、揃って、変な顔して」

 屈託の、ない笑顔だった。

 何も、知らない。

 自分の中に、何がいるのかも。今、自分以外の三人が、何を見てしまったのかも。

 何も。


 リリアナは、その笑顔を、見ていた。

 見ていることしか、できなかった。

 霧が、四人を、白く包んでいた。

 すぐ隣にいるはずのアゼルが、ひどく、遠くに見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ