第十九話 ―― 小鳥と、リスと――
朝、目を覚ますと、窓辺に、小鳥がとまっていた。
リリアナは、しばらく、それを見ていた。
小鳥も、リリアナを見ていた。逃げる様子はない。それどころか、何か話しかけてくるような、つぶらな目で、首をかしげている。
ふと、分かった。
この子、お腹が空いている。
言葉ではない。鳴き声でもない。ただ、伝わってくる。小鳥の、思っていることが。
「……あ」
新しい魔法だった。思いついた、というより――気づけば、できていた。
生き物と、心を通わせる力。
窓を開けて指を差し出すと、白い小鳥は、ちょん、と乗った。
リリアナは、白い小鳥を見ながら、十人の賢者の本の、一節を思い出していた。
賢者たちは、女神から白竜の知識を授かり、それをもとに、暗黒竜を生み出すことに成功したらしい。
白竜も、こんなに可愛いのかな?
白い小鳥は、嬉しそうに囀った。
その囀りの意味が、手に取るように分かった。
「ふふ」
リリアナの口から、自然と、笑みがこぼれた。
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その日は、マイソールへ向かう道中だった。
ハンピの巨石を後にして、さらに南へ。道は、なだらかな緑の丘へと変わっていた。
ヴァルが、先の道を見てくると言って、出ていった。戻るまで、ひと休みだった。
リリアナは、すっかり夢中になっていた。
小鳥が、集まってくる。リスが、足元をちょろちょろする。蝶が、肩にとまる。
声をかけると、応えてくれる。撫でさせてくれる。
まるで、世界中の生き物と、友達になったようだった。
「リリアナさん、すっかり、森の住人ですね」
アゼルが、笑った。
その肩にも、いつのまにか、リスが一匹、よじ登っている。
「あ、ずるい。アゼルさんにも、なついてる」
「いや、これは、僕の人徳ですよ」
「えー」
ガルドだけは、少し離れたところに座っていた。
その肩に、小鳥が、とまろうとして――ガルドが、じろりと睨むと、慌てて飛び去った。
「……逃げられた」
ガルドが、ぼそりと言う。
リリアナとアゼルが、顔を見合わせて噴き出した。
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足元のリスが、しきりに鳴いた。
ちょろちょろと、数歩、駆けては、立ち止まり、リリアナを振り返る。また、駆ける。
ついてこい、と言っている。たぶん。
「……なに? どこか、行きたいの?」
リリアナが、立ち上がる。
リスは、嬉しそうに、岩場の奥へ駆けていった。
導かれた先は、巨石の陰だった。
人では、まず気づかない。獣だけが知っている、けもの道の奥。
そこに。
古い石碑が、一つ、埋もれていた。
苔むして、半ば、土に沈んでいる。誰にも見つけられないまま、何百年も、そこに在ったのだろう。
「……石碑」
リリアナの胸が、高鳴った。
また一つ。学者の、遺したもの。夢中で、その石碑を読み始めた。古代文字を、目で追っていく。
だが――すぐに、眉が寄った。
「……なに、これ」
雑、だった。
これまで見た、学者たちの石碑は、緻密で、美しかった。一文字の無駄もなく、気の遠くなるような根気で刻まれ、風化への対策が施されていた。
だが、この石碑は。
たった、数行で済まされている。ところどころ、彫りかけのまま、放り出されている。隅には、「あとはよろしく」とでも言いたげな、走り書き。
明らかに、手を抜いていた。
「この人、絶対、サボってる」
リリアナが、呆れて言った。
「ほら、ここ。『細部は後世に委ねる』だって。丸投げじゃない」
追いついてきたアゼルが、覗き込んで笑った。
「うわ、ほんとだ。やる気、ないなあ」
「他の人たち、あんなに、頑張ってたのに」
顔も知らない、千年前の学者に、二人で文句を言う。
他愛の、ない時間だった。
ふと、目が合った。
二人とも、なぜだか、少し笑って、また石碑に向き直った。
それだけの、ことだった。
「こんなの、石碑に頼らなくても、自力で術式を作れちゃう」
「なんの魔法について書いてあるんだい」
いつのまにか戻ってきていたヴァルが、すぐ後ろから尋ねた。リリアナの肩が、跳ねた。
「ふふ~ん、陰口の魔法」
「陰口!?」三人の声が揃った。
「ちょっと試してみるね」
「ヴァル、こっちこっち」
リリアナはヴァルを呼ぶと、アゼルの方をじっと見て、耳打ちを始めた。
ごにょごにょ、ごにょ
クスクスッ
「それって、ただ、普通に悪口を言ってますよね……」
アゼルは、愕然とした。
「冗談、冗談、ちゃんと使ってみるね」
リリアナは、アゼルの肩に手を乗せる。そして、三歩下がった。
『アゼルー。聞こえてますかー』
アゼルが、跳び上がった。
「な……っ、今の、頭の中から声が聞こえた」
リリアナは、口を動かしていない。なのに、声が、アゼルの頭の中に、直接、届いている。
「ふふっ、成功。これね、触った相手と私の間に、魔法の経路を作り出してね、それに私の頭の中から声を通すの」
「……使い道は」
ガルドが尋ねた。
「んー、わかんない」
リリアナの視線は、地面を向いていた。
「そこのあなた、私が手を抜いたと思ったでしょ」
リリアナは、固まった。
声の先で、リスが、後ろ足で立ち上がっていた。石碑の、上で。
「騙されましたね。ちゃんと、未来に持っていきなさい」
言い終えると、リスは、ちょろちょろと、岩陰へ消えていった。
千年前の学者が、この石碑に近づく獣に、声を仕込んでいたのだ。
リリアナは、リスの消えた方を、しばらく見ていた。
それから、噴き出した。
「……やられちゃった」
つられて、アゼルも、ヴァルも、ガルドまで、笑った。
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マイソールは、行政の中心となる街だった。各地の長が集まり、発生している問題を、この街で協議していた。
ハンピの、崩れた都とは、まるで違った。大きな建物が、夕日を浴びて、堂々と建っている。死んだ都の次に見る、生きた都は、やけにまぶしかった。
街の一角で、甘い匂いが漂っていた。
「あ、マイソール・パクだ」
アゼルが、目を輝かせた。
「この街の、名物菓子ですよ。有名な料理人が、考えたっていう」
四人分、買って、配る。
黄色い、四角い菓子だった。手に取ると、ほろりと崩れそうになる。
リリアナは、一口、かじった。
口の中で、菓子が溶けた。
澄ましバターの、濃厚な香り。豆の粉の、素朴な甘さ。じゅわりと、ほどけて、消えていく。これまでの、どの甘味とも違う、とろけるような甘さだった。
「……おいしい」
ふと、横を見る。
ガルドが、無言で、二つ目に手を伸ばしていた。
そして、もう、なかった。
ガルドは、立ち上がると、何も言わずに、菓子屋へと引き返していった。
リリアナとアゼルは、顔を見合わせた。
こらえきれずに、噴き出す。
「ガルドさん、ほんと、好きですよねえ」
「……うるさい」
戻ってきたガルドは、ばつが悪そうに、けれど、しっかりと、両手に菓子を抱えていた。
穏やかな、一日だった。
こんな日が、ずっと続くと、リリアナは、どこかで、思っていた。




