第十八話 ―― 雷と、イタズラと ――
巨大な岩が、累々と転がっていた。
丸い花崗岩の塊が、見渡す限り、積み重なっている。誰かが気まぐれに積んで、そのまま忘れたように。その合間に、崩れた石の寺院が、ひっそりと埋もれていた。
ハンピ。かつて栄えた都の、なれの果てだという。
今は、巨石と廃墟と、乾いた風だけが残っていた。
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その街道で、四人は魔物との戦闘に入っていた。
犬のような魔物が、数匹。道中で、よく出くわす手合いだった。
ガルドが、踏み込む。一匹を斬り伏せた。
その、すぐ傍を。
空が割れ、黒い雷が落ちた。
犬のような魔物が、声もなく消滅する。実に、呆気なく。
その雷の、あまりの近さに。
ガルドが、振り返った。低い声だった。
「……危ないだろうが、声を、かけろ」
「怒られて当然ですよ、リリアナさん。さすがに、アレはないですよ」
アゼルが、苦笑しながら、ガルドをなだめに向かう。
てへっ。
リリアナは、舌を、ちろりと出した。
ガルドに、当たるはずがない。そういう確信があった。狙ったところに、寸分の狂いもなく落とせる。この力は、もう、それくらいには馴染んでいた。
もっとも、その確信は、当のガルドには伝わらないが。
残った数匹も片付けた。
戦いは、ひと段落した。
「その黒い雷、凄い威力だな」
ヴァルが、改めて感心した。
「ヴァルさんも、怒るんですか?」
リリアナは、いじけた振りをした。
「いや、怒ってはいない。……ガルドと違って!」
ガルドが、じっと、ヴァルを睨みつけた。
「うちには炎の付与しか伝わってないけど、他の力の付与は可能なのかなと」
「う~ん……宿に戻ったら考えてみるね」
リリアナは、やけに嬉しそうだった。
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リリアナは、巨石の連なりを見回した。
この辺りに、紋様の魔物が出る。そういう噂だった。
地面に、左手を置く。
左手を中心に、青い陽炎が、波紋となって広がった。巨石の谷を、岩の影を、音もなく撫でていく。
ただの獣の気配が、いくつか。鳥。蜥蜴。
その奥に。
ひときわ濃い気配が、ひとつ。ただの魔物ではない。何か、密度の違うものを宿した気配。
「……いる。あっち」
リリアナは、左手を離した。
四人は、巨石の谷を、奥へ進んだ。
それは、巨石の谷の、底にいた。
とぐろが、ほどけた。
黒い、大蛇だった。手も、足もない。ただ、長く、太く、岩の谷を埋めるほどの巨体が、うねりながら鎌首をもたげる。濡れたように光る、漆黒の鱗。黄金の眼が、四人を見下ろした。
その額に、紋様が刻まれていた。複雑に絡み合った、見覚えのある紋様。欠片を宿した個体。
大蛇が、口を開いた。白い牙の奥から、低い、地鳴りのような音が漏れる。
とぐろを、一気に、解き放った。
巨体が、鞭のようにしなり、ガルドへ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
ガルドが剣で受けるが、重い。岩肌まで、押し込まれた。
「ガルド!」
リリアナの、余裕が消し飛んだ。
とっさに両手を突き出す。光の輪が放たれ、うねる胴へ巻きつく。だが、巨体だ。締め上げても、軋むだけで、止まらない。
大蛇が、もう一度、鎌首をもたげた。次の一撃の構え。
「ヴリトラ……!」
アゼルが、叫んだ。
「古い書にあった。水を堰く、大蛇。剣も鱗を通らない。弱点は――口の中だ!」
修道院の写本で読んだ、ただの知識。それが、今、繋がった。
リリアナの目が、大蛇の、開いた顎に向く。白い牙の、その奥。
「ヴァル!」
言うが早いか、ヴァルが地を蹴っていた。炎を纏った短剣が、鎌首の喉元へ。浅く裂く。
大蛇が、苦悶に、大きく口を開いた。
その、奥へ。
「――もう、逃がさない」
リリアナの指先に、黒い光が集まる。
耳をつんざく轟音とともに、黒い雷が、開いた口の奥へ、寸分の狂いもなく撃ち込まれた。
内側から、紋様が砕ける、鈍い音がした。
大蛇の巨体が、ゆっくりと、岩の谷に崩れ落ちる。
砕けた紋様の奥から、欠片が舞い上がった。ゆらゆらと漂い、四人の前で止まり――
弾けた。四人に、リリアナの記憶の光景が広がった。
◇
「お父さん、お父さん! 大変、大変! お母さんが、お母さんが!」
昼寝をしていた、ガレンが、跳ね起きた。
とっさに、枕元へ手が伸びる。立てかけた、得物へ。体に染みついた癖だった。
「何があった!」
寝ぼけ眼のまま、身構える。
だが――家の中に、剣呑な気配は、どこにもない。
ただ、台所の方から、いい匂いが漂ってくるだけだった。
「お母さんが、どうした」
「あのね、あのね」
幼いリリアナが、ぴょんぴょん跳ねる。
「お母さんのスープが、おいしすぎて、大変なの!」
ガレンの、構えが、ほどけた。
台所から、セリアが、顔を出す。鍋をかきまぜながら、くすくす笑っていた。
「さっき味見した子が、大変だ大変だって、走っていったのよ」
「…………」
ガレンは、得物を、そっと、元に戻した。
それから、深々と、息を吐いた。
「……リリアナ。お前なあ」
「えへへ」
「こら、待て――!」
幼いリリアナが、きゃあきゃあ笑いながら、逃げ出す。
ガレンが、追いかける。家の周りを、ぐるぐると。
セリアの笑い声が、いつまでも、響いていた。
◇
光景が、消えた。
巨石の合間に、静寂が戻っていた。
ふと、気づくと。
ガルドも、ヴァルも、アゼルも。
くすくすと、笑っていた。
リリアナの顔が、かあっと赤くなった。
「……み、見た?」
「見たな」
ガルドが、めずらしく、口の端を上げている。
「お母さんのスープが、大変だ、って」
「わー! 忘れて! 今の、忘れてください!」
アゼルが、腹を抱えて笑った。
ヴァルまで、肩を震わせている。
リリアナは、両手で顔を覆った。
ひとしきり笑った後で、アゼルが、ぽつりと言った。
「……いいご両親ですね」
リリアナは、顔を覆ったまま、小さく、頷いた。
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その夜は、麓の、小さな食堂に入った。
巨石の街にも、人は暮らしている。巡礼者や、旅人が立ち寄る店だった。
運ばれてきたのは、見たこともない大きさの料理だった。
米の生地を、薄く、薄く焼いた、巨大なクレープ。皿からはみ出すほどの長さで、くるりと筒に巻かれている。
「うわ、なにこれ。でかい」
アゼルが、目を丸くした。
「ドーサ、って言うんだ」
ヴァルが、慣れた手つきで、端をちぎる。
「米と、豆を、発酵させて焼く。南の、定番だ」
ちぎった生地を、添えられた、何種類かの汁につける。
ひとつは、酸味と、辛みのある、豆と野菜の汁。もうひとつは、白い、ココナッツの、まろやかな汁。
リリアナも、見よう見まねで、ちぎって、つけて、口に運んだ。
パリッ、と、香ばしい。
発酵した生地の、ほんのりとした酸味。そこに、汁の酸味と辛みが重なる。さっぱりと、軽い。
これまでの、こってりした料理とも、刺激の強い料理とも違った。
いくらでも、食べられそうだった。
「……おいしい」
「だろ」
ヴァルが、小さく笑った。
巨大なクレープを、四人で、ちぎっては、つけて、食べる。
手も、口も、汁だらけになりながら。
巨石の廃墟の、静かな夜に。
その食卓だけが、賑やかだった。
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リリアナは、昼間の約束を、忘れていなかった。
その夜、ヴァルと二人で、短剣に雷を纏わせる練習を始めた。
「考えてみたんだけどね」
リリアナが、ヴァルの短剣を、指でさした。
「ヴァルが、自分で雷を起こすのは、たぶん無理。わたしとは、魔力の総量が、違いすぎるから」
でも、と、リリアナは指を一本立てた。
「こうしたら、どうかな。起こすのは、わたしがやる。ヴァルは、それを抑え込んで、刃に纏わせるだけ」
「炎のときと、同じ。発生のところだけ、省くの」
リリアナの指先から、ヴァルの短剣へ。
黒い光が、伝い落ちていく。あの、雷の気配。
ぱちり、と火花が爆ぜ、それが刀身を、這い上がろうとする。逃すまい、と思った。
この光を、自分のものに。
ヴァルは、刃を握る手に、力を込めた。込めて、引き寄せて、留めようと――
ぱしっ。
火花は、四方へ弾けて、消えた。あとには、何も残らない。
炎なら、触れた瞬間に、灯るのに。
この光だけは、握ろうとするほど、指の間を、すり抜けていく。
「あれ……?」
リリアナが、首を傾げた。もう一度、火花を移す。
ヴァルは、また、握り込む。また、散る。
何度繰り返しても、同じだった。
炎は、応える。雷は、応えない。
「前から、聞こうと思ってたんだが」
ヴァルが、散った火花の名残を見ながら、言った。
「なんで、この雷は、黒いんだ」
「んー」
リリアナは、少し、考えた。
「寝てるアゼルさんを、見てたらね。……反転させた方が、いいなって」
「…………」
意味は、分からなかった。
だが、聞き返すと、長くなる。それだけは、旅で学んでいた。
ヴァルは、黙って、次の火花を待った。
「……難しいね」
リリアナが、めずらしく、唇を尖らせた。それから、自分の手のひらを、じっと見つめる。
「自分のものじゃない力を抑え込むのは、難しいのかも」
ヴァルは、汗の滲んだ額を、手の甲で拭った。
「……できるまで、付き合ってくれ」
「もちろん」
リリアナが、笑った。
「雷を纏う剣、見てみたいもん」
その晩から、夜ごとの稽古が始まった。




