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第九話 『殯屋の職務』




 縁と別れた後、志賀は職員室へと向かった。早朝、慌ただしく準備していた教官達は授業などでほとんどが出払っていた。


「すいません、どなたかお時間よろしいでしょうか?」


 志賀がそう呼びかけると一人の女性が椅子を回して振り向く。


「はい……。学生さんですか……?」


 只人の女学生のような袴姿のその女性は、縁を一回り小さくしたような体躯であった。

 しかし、その腕には教官の腕章が巻かれている。椅子の傍らには彼女がすっぽりと収まりそうな程の大きな壺が鎮座している。


「あ……、すいません。初期職の説明を受けたのですが、その後どこに行けばいいのか分からなくて……」

「……え? 健君、もしかして『また』資料渡すの忘れたの……? はぁ……」


 教官は大きく溜息を吐く。どうやら常習犯であるようだ。

 神人は記憶力が良いとはいえ、それを実行する能力に長けているという訳ではない。頭の中の辞書に際限なく記述が増えていくだけであり、引き出す意図がなければ宝の持ち腐れとなってしまう。


「……とりあえず、私は駒橋(こまばし) 桂月(かづき)。『罪穢(ザイワイ)術』の教官をやっている者です……」

「! 罪穢術と言うことは『殯屋(モガリヤ)』の教官の方ですか?」


 丁度求めていた人物に出会うことが出来て、志賀は改めて自身の『幸運』を実感する。


「そうですが……」

「良かった! 丁度ご相談したいことがあったんです」



 ◇◇◇◇◆



 志賀は、先程の人物とのやり取りを話した。『死』を扱う冗談が許されない職であることを考慮して、『職場体験』などと言う俗な言い方は濁しつつ、桂月教官に取り次いで貰えることを期待する。


「……素性を徹底的に隠した不審者に助言を受けたと」

「……そうなりますね」


 桂月は口元に手を当てつつ、少し悩むように俯く。桂月は小柄であるため、傍から見ると志賀が叱っているような構図に見えてしまう。


(き、気不味い……。何で健教官といい、安積教官といい、この学校の教官の方々は皆、低身長なんだ)


 志賀がこれまでに出会った神人の中で長身と言えるのは、せいぜい純粋な男性神人である利根 煬大(ようだい)くらいであった。女性神人に至っては、只人の女性の平均身長を超えている者すら見た覚えがない。

 そして、例え低身長であっても只人であれば、年季は表情や姿勢に現れる。しかし、神人はどれだけ歳を重ねても外見が老けることは基本的にはない。


「……この学校の警備に問題がある、と言ってしまえば容易いけれど、未知の権能や装備品による犯行の可能性が高いですね……」


 神人の時間の流れは遅いが、牛歩であっても日夜研究は進められている。当然、問題が発生すれば即座に対処は行われるが、その初手を防ぎ切ることは困難である。


「困りましたが、現状は悪意によるものか能力の見せびらかしが目的かの判断が付かない……。学生や教官の拉致を目的としたものでなかっただけでも幸いとしましょう……」

「拉致……」

「当然の懸念です……。士官学校の厳重な警備を潜り抜けるなど、並大抵の自信がなければ出来るものではありません……。そこまでして侵入するとなると、やはり、警戒すべきは将来国に仕えることとなる士官学校の学生、及びその指導を行う教官の拉致、もしくは暗殺ですね……。それも、他国や『機関』による……」

(『機関』……)


 『機関』――。『白表機関』と呼ばれる組織。

 表向きは落伍した神人を救済するために設立された組織とされているが、その本来の目的は、神人に都合の悪い存在の排除。

 神人に都合の悪い存在という括りの中には只人の存在もあり、その危険な思想から、人類の敵として恐れられている。


「まぁ、『機関』の連中や他国の暗殺者なら能力の見せ付けなんかする余裕はないか……。いずれにせよ、この件は国に報告します。貴方が被害に遭わなくて良かった……」


 桂月は受話器を手に取り、志賀との会話と比べると幾分かハキハキとした声で各所に警告を促す。

 その報告を受け、即座に壁に照明のように設置されていた水晶が、赤色灯のように赤く明滅する。水晶からは、鈴の音のような音が等間隔で鳴り響く。


「少し迷惑だと思うけれど、これで姿を消すことが出来る隠密行動を得意とする神人は対処出来ます。完全に別次元の潜伏術であれば太刀打ち出来ませんが……」

「あ、ありがとうございます」


 こんなに大事になるほどであれば、即座に大声で周囲の神人を呼んでおくべきだったと志賀は反省する。恐らく、件の人物は既に学外へ逃亡しているのだろう。

 


「……さて、その人物が言うには、殯屋に成りたいのであれば、その精神性を直接、殯屋から学ぶべき、でしたかね……?」

「えっと、そう言ってましたね。……やはり、不審者の意見を参考にするのは危険でしょうか」

「……。間違ったことは言っていないと思う……。士官学校に入った神人は授業計画の選択を急ぐから、焦って決めてしまう子も多いのです……。ですが、『信仰』が拘わる兵種はそんな覚悟で決めて欲しくはないと私は思っています……」


 殯屋としての矜持(きょうじ)があるのか、桂月は意志の強い表情で志賀を見据える。


「丁度、近隣の集合住宅で独居していたご老人のご遺体が確認されたと連絡がありました。配員を変更して私が出ますので、共に行きますか……?」


 桂月は『簡易隠蔽障壁』と書かれた道具を手に取る。


「え!? 教官自ら!?」


 志賀は、誰かに取り次いで貰うつもりでいたのだが、まさか、教官自ら出向くとは思わなかった。


「私の授業は午後からですので……。最初に見せる任務は酸欠事故の救助みたいな綺麗な仕事の方が良いとは思っているのですが、中々都合良くは行きませんね……」


 そう言うと、桂月は椅子の横に置いていた大きな壺を背負い、立ち上がる。彼女の体重よりも重いであろう壺は、物理法則を無視したように問題なく背中に収まる。


「……しかし、現実を知ることもまた、重要なこと。殯屋を志望するということは、決して綺麗ではない生々しい『死』を見るということ……。貴方は、耐えられますか……?」

「……俺も、何度か死には立ち会っています。覚悟の上です」


 それを聞くと、桂月は小さく頷き、真剣な表情となる。

 職員室の在籍札を『不在』に切り替えて、志賀を連れて学校を後にする。



 ◇◇◇◆◇



「……ここですね」

「……全然近くなかった」


 学校から出るなり、桂月は志賀の腕を引いたまま屋根の上を走り抜けた。葦野国は神人との共生が前提である町造りとなっており、屋根の一部は補強されて足場として使いやすいようになっている。

 不審者情報により、桂月は念のため『簡易隠蔽障壁』を持参していた。数人を包むことが出来る、追跡防止機能のある簡易結界だ。


「……既に、少し嫌な感じがしますね」

「感じますか……。ここ最近は、暖かい日が続いたから、あまり良くなかったかもしれませんね……」


 若干の『死』の臭い――。

 神人として嗅覚が鋭くなった志賀には、現場に突入せずともその臭いを嗅ぎ取ることが出来た。


「あ、あ……。殯屋の方ですかね。よろしくお願いします……」


 集合住宅の大家が顔を出す。顔色が悪そうな四十代程度の女性だ。


「まさか、ウチでこんなことになるなんて……。どうか、跡が残らないようにお願いします!」


 その言葉は明らかに亡くなった老人ではなく、部屋の心配をしていた。志賀はその様子が気に入らず、言い返しそうになるが、桂月が制止する。


「お気持ち、お察しいたします……。それでは、部屋に案内してください……」


 桂月は特に女性に嫌な顔をすることなく、集合住宅の階段を上っていく。事故現場に近付くに連れて、死臭はより強くなる。


「あそこが、その部屋です――」



「ちょっと! 何で入らせてくれないの!? お父さんの姿を見せてよ!」

「い、いえ。ですがこの惨状を見せる訳には……」


 部屋に向かうと、防護服に身を包んだ警官と遠方から駆け付けて来たであろう遺族と見られる女性が言い争っていた。


「カギを寄越しなさい! お父さんに会わせて!」

「だ、駄目です、確認が終わるまでは――」

「寄越せッ!」


 女性は鬼気迫る表情で部屋の鍵を警官から奪い取り、ガチャガチャと鍵を開ける。

 猛烈な死臭が部屋から溢れ出す。それを気にすることなく、血走った眼で扉を開け、部屋の中に駆け込む。


「お父さん! お父さ――……、お……とう……さ――」


 父親の姿を見ようとした女性は絶句する。



 ――原型を留めていない。



 人の形はあった。しかし、女性が父と呼べるものは、もうどこにも残っていなかった。


 死後何日も経過していたと思われるその遺体は、無惨にも腐敗しており、全身には蛆が湧いていた。凄まじい腐敗臭が鼻の奥を通り抜け、その遺体を食ったと思われる蠅が呆然と立ち尽くす女性の頬に止まった。


 その直後、女性は踵を返し、廊下に飛び出す。



「う……! お゛、え゛えぇぇ……」


 ――耐え切れず、吐き戻す。吐瀉(としゃ)物が廊下の排水溝にびちゃびちゃと音を立てて流れ落ちる。


「だ、大丈夫ですか!?」


 防護服を着込んだ警官が女性を心配して駆け寄るが、現場を検分したその手で女性に触ることが出来ない。


「――……っ」


 志賀は自分は死体を見慣れていると思っていた。家族を始めとした故郷の人々の炭化した遺体、魔獣に引き裂かれた遺体、流行り病で倒れた遺体――。

 彼がこれまでに見た死体には、原型を留めていないものもあった。しかし、いずれも死の直後であり、本格的な腐敗が始まった後のものは見たことがなかった。


「――さて、行きますよ。志賀君……」

「え、あ、はい!」


 黒い手袋をきつく締めるように装着し、大きな壺を背負ったまま桂月は臆することなく死臭の元へと歩みを進める。その表情に迷いはない。

 扉に入る前、床に座り込んだまま憔悴(しょうすい)した表情の遺族の女性の顔が見えた。志賀は気の毒に思いつつも、声を掛けることは出来ない。



「うっ……」


 部屋の中は一段と悍ましい臭いが漂っていた。夥しい数の蠅が部屋中を飛び回る。

 桂月達は死臭の元を辿る。


「――ここですね……」

「う゛……」


 志賀は思わず口元を押さえた。

 そこには、遺体と思しき『物』が台所に隠れるようにして倒れていた。死後、数日が経過しているものと思われ、遺体は腐敗と蛆の分解により、見るも無惨な姿となっている。腐敗の過程によって生じた体液は床に染み込み、床材を汚染していた。


 調理台のまな板の上には、事件性を感じさせない包丁と、調理途中で放置されたまま腐り切った食材が置かれていた。この老人の最期は決して死ぬつもりなど毛頭もなかったことが見て取れる。


「死因は――、心臓の病のようですね」

「分かるんですか!?」

「信仰関係の兵種の神人――特に、殯屋は過去にその場で何が起こったのかを辿るのが得意なの……。俗に言うと、残留思念が見えるとでも言いましょうか……」

「成程……、つまりは実況見分を行うことが出来るんですね?」

「はい……。ただし、只人の事件に関しましては、基本的には只人の警察組織の領分とされています……。神人の数には限りがありますので、緊急性を要する事件であれば神人の到着を悠長に待つのは危険だからです……」


 そう言うと、桂月は片手を自身の胸に、そして、もう片方の手を志賀の前に突き出し、何かを詠唱する。二人の身体が淡い光に包まれた直後、突然吐き気を催す程の染みつく死臭が消えた。同時に、衣類に付着した埃といった汚れすら取り除かれる。


「作業を行うための、防臭・防汚の障壁です……。死に向き合う職とは言え、何も対策せずに作業を行う必要はありませんから……」

「おぉ、そんな術が……」


 桂月の現在の服装は、女学生風の袴姿のままだ。このまま体液の染み出た遺体の傍で屈み込めば、衣服を汚してしまうし場合によっては遺体を損壊してしまいそうであった。

 しかし、桂月はその服装のまま、遺体の前に屈み込む。


「この状態であれば、仮に肉片の上に膝を着いても汚れないし、逆に、衣服がご遺体に触れそうになっても、接触することはありません……。本来でしたら現場に入る前に行います……。今回は現実を知る必要があるということで、申し訳ありませんが今の状況で掛けさせていただきました……」

「……成程。確かに、もしもこの障壁を事前に掛けられてこの遺体と対面していたら、ここまでの生々しさは感じていなかったかもしれません」


 桂月は障壁の説明を行う。しかし、志賀の中では疑問が残った。


「……汚れを気にするならズボン型の作業服とかの方が良いのでは?」

「殯屋としての戦闘服がこれですからね……。仮にそういった作業着を着用していたとしてもどちらにせよこの障壁は必要となるし、障壁を掛けた後ではズボンでしょうが床を引き摺る十二単でしょうが現場の保全としては変わらないのです……。ただし、臭気や微細な汚染まで防げるわけではないので、この障壁を併用します……」


 そう言いつつ、桂月は大きな壺を下ろす。

 仕事道具が入っているものと思っていたが、他の神人同様虚空から道具を取り出す。

 まず初めに取り出したのは何かが入っている大きな袋であった。


「――おいで……」


 桂月がそう呼びかけると、遺体を貪っていた蛆が急に這い出し、袋の中へと誘導されていく。桂月が集めやすいように表面に一塊になろうとする個体群も存在していた。


「な、何をしているんですか……?」

「ご遺体に纏わりついている蛆を回収しています。見た目は悍ましいですが、これも自然の摂理。分解者としての責務を全うしているだけの存在を一緒に火葬してしまうのは可哀想なので、こちらに移ってもらいます」


 袋の中身は多種多様の肉であった。恐らく精肉場で十分に処理をされている肉であるのか、熟成されつつも腐敗臭はしない。この肉は、人の死骸という極上の食事を奪うことへの補填としての目的で用意されているようだ。

 蛆の大移動は余りにも悍ましい光景であったが、整列しつつ整然と袋の中に入っていく蛆というのはなんとも不思議な光景であった。

 桂月は蛆が入りやすいように袋を広げつつ、回収を待って遺体の表面に出て来た個体群を円匙で一匹残らず掬い上げる。


「……蛆にも慈悲を掛けるんですね」

「はい……。ですが、必ずしなければならない作業ではありません……。これは、私の気分の問題ですので嫌であればこの工程は無視するか、蛆を全て駆除しても構いません……」

「そうですか……」

「いずれにせよ、この一連の作業において、病原菌の除菌は必須ということもありますので、何も殺めずにことを済ませることは出来ませんから……」

「……」


 桂月はそう言って、全ての蛆の回収を終える。同時に、少しだけ窓を開けて消毒を目的とした結界術を窓枠に沿うように掛ける。部屋の中に一声を掛けると、部屋の中を飛び回っていた蠅がその窓を通過し全て外に解き放たれ、清浄になった蠅はそのまま他の人家に行くこともなく、山の方へと一直線に向かって行った。

 桂月は蠅の大軍を見届けた後、一旦、蛆が入っていった袋の口を閉じて少し離れた場所に静置する。


「その袋はもう一度仕舞わないんですか?」

「神人の収納術は現実世界に物質を出し入れする関係上、収納中の物質の状況は極めて複雑な状態となります……。精緻(せいち)な分子構造が破壊されてしまうから、生物を入れてしまうとせっかく助けた命が失われてしまうのです……」

「あ、そうなんですね……。と言うことは、この収納術で只人を運搬するとかも出来ないってことですか……」

「推測することしか出来ないけど、仮に只人の方を虚空へ出し入れしてしまうと、恐らく、外傷のない遺体になってしまうかと……」

「う、うへぇ……」


 魔獣災害等により救助が必要な只人が出た場合、神人の収納術で只人を避難させられるかもしれないと考えていた志賀だったが、残念ながら、その目論見(もくろみ)は成立しないようだった。


「その他、精緻な電子機器等も収納前後で動作不良が発生した報告もあります……。神気の伴わない精密さが重要な存在は収納してはいけません……」

「わ、分かりました……」


 収納術の話もしつつ、桂月は次の工程へと移る。

 人一人が収められるほどの大きさの袋のような物を虚空から取り出し、遺体の足元に置く。


「一度、ご遺体を納体袋と呼ばれる袋に回収します……。ここは、神人の力としての簡単な念動力で汚染を広げないように収容いたします……」

(……この袋)


 志賀はその袋には見覚えがあった。腐乱死体こそは見たことはなかったが、彼は何度も人の死に遭遇している。知人がその袋に収められているのを見た時は、全身から抜けて行く思いがしていた。

 ベリベリと嫌な音を立てつつも、床から遺体は損傷なく引き剝がされ、慎重に袋に収められていく。

 志賀は、扉の外で呆然とした表情で座り込んでいた遺族の女性の顔が頭をよぎる。


「……収納しました。こちらのご遺体は、周囲にこれ以上臭いを放てないように、この状態のまま徹底的な除菌・消臭・固形化を行います……」

「固形化とは……?」

「状態を固定化して、一時的に化学的・物理的変化を防止する施術ですね……。陰属性を有する方は得意としております……」


 桂月が術を掛けると、袋越しでもブヨブヨとしているのが見て取れた遺体が硬化しているのが見て取れた。


「……続いて、板材の張り替えです……」

「結構時間かかりそうですね。これも殯屋の職務ですか?」

「そうですね……。あまり、只人からすればやりたくはない作業ですので……」


 そう言うと、桂月は来る時に背負っていた壺に駆け寄る。


「ナメちゃん、ナメちゃん……。出番だよ……」


 そう呼びかけると、壺の中から何かがぬるりと姿を現す。


「な!? 魔獣!?」

「違います……。これは、使役獣……。『殯屋』には蟲や鳥を召喚する術もあるの……」


 壺から這い出て来たナメクジは志賀に軽く会釈をするような動きをする。志賀も釣られて頭を下げてしまう。


「でも、私のナメちゃんは特別なの……。ずっと一緒……」


 感情表現が薄い桂月が少し恍惚とした表情をしているのを見て志賀は少し引いてしまう。

 その様子を見て、桂月は慌てて表情を元に戻してこほんと咳払いする。


「……兎に角、この子みたいな蟲を使役する術、『国津罪(クニツツミ)昆虫之災(ハウムシノワザワイ)』と言う術が『殯屋』が専門とする術――『罪穢術』の中には存在します……。この術で召喚できる、蛞蝓や芋虫といった蟲を用いて、体液が染み付いた床材を全て食べて貰います……」


 すると、桂月が呼び出した蛞蝓――『ナメちゃん』が汚染された床をその歯舌でがりがりと削り始める。人知を超えた力を持つ蛞蝓の歯舌は、まるで木材粉砕機のような速さで床材を消滅させて行く。


「その間に、私は除菌と消臭を行います……。事故物件であるという痕跡すら残さないように、病原菌一個、悪臭の原因の分子一個残すことなく、消滅させます……」


 そう言うと、桂月は青白い光の玉を発生させて部屋を巡回させる。その玉が発する光に焼かれた場所からは、煙のような物が立ち上る。桂月は、箪笥の奥から冷蔵庫の中まで徹底的に光を当てて浄化を行う。同時に、外に出したまま腐ってしまった食材等も処分を行う。

 志賀は一瞬、実際に高熱による滅菌であるかと思ったが、熱はなく部屋の中に置いてある物には脱色を含め、何一つ影響が発生していない。どうやら、病原菌や悪臭の原因物質となる分子にのみ作用して分解するようであった。


「凄い……。障壁越しに仄かに臭っていた死臭が全然しなくなった」

「……只人の方々の清掃技術も優れておりますが、やはり、現場に影響を及ぼさず、人の住める環境を取り戻すのは、神人の技術が最も早く、確実であると自負しています……」


 その言葉通り、台所のナメちゃんが食い破った穴を除けば、引っ越した直後と言っても過言ではない程清潔な空間となった。


「もう、障壁は不要ですね……。解除します……」


 桂月が手をぱちんと叩くと、二人の表面に帯びていた障壁が解除される。

 障壁越しでの臭いはなくなったとは言え、志賀は部屋に入った瞬間の悍ましい死臭を思い出し、警戒をするが――。


「……! 全然臭わない!」


 部屋の中の死臭は完全に取り除かれていた。寧ろ、ナメちゃんが削り取った木の仄かな良い香りすら漂ってくる。


「後は、床の補修ですね……。この辺りは建築関係の知識も必要です……。床材に合わせて修理します……」


 桂月は床材を注視した後、それに合う材質の板材を虚空より取り出す。

 板材は必要以上に綺麗な物ではなく、元の床に馴染む経年変化を考慮された物であった。

 ナメちゃんは床を目地に沿って精密に削り取り、板材が設置しやすいように調整する。桂月は自身の鼻だけでなく、只人も用いる計器類も使用しつつ徹底的に臭気が除去されたことを確認しながら、念入りに最後の消臭作業を行う。


「断熱材の再投入や腐食した(はり)の修繕を行います……。場合によってはこの機会を利用して配管や配線の補修が必要になる場合があるから、そちらの知識も必要になります……」

(だいぶ当初に想像していた仕事と違う……)


 桂月は床材補修の前にもう一度、念入りに消臭を行う。死臭が残っている空間にある程度の文明を享受している者が住まうのは困難である。


「知識が必要と言っても、強度や設計思想が分かっていれば、あとは元の構造に沿って再配置するだけです……。慣れていない内は家屋の残留思念を元に再配置していきましょう……」


 桂月が複数の板材やその他の建材の前に座り、精神集中して術を掛けると、建材は各々のあるべき場所に配置されて行き、数分後には、床はまるで何事もなかったかのように、老人が亡くなる前と変わらない状態へ戻っていた。


「……これ、応用すれば家一軒を数時間で建てられるのでは?」

「はい……。熟練の『工兵』の方であれば数十分あれば耐震強度を含めて完璧なお屋敷を建てることも可能です……」


 当然とでも言うかのような桂月の言葉に、志賀は驚き呆れる。

 もしも、神人が完全に只人の生活基盤を代行してしまえば、只人はまともな職になどありつけなくなるだろう。

 気付けば部屋の中はさわやかな風が吹き抜ける静かな空間となっていた。台所の周辺を除けば、まるである日突然、家主が消えてしまい、その場で時が止まってしまったかのように錯覚する。物々しい納体袋と蛆が蠢く袋だけが、この空間で何が起こったのかを物語っていた。



「……さて、それでは、このお部屋では最後のお仕事です……」


 桂月はそう呟くと、納体袋に対面し、手をかざす。

 紫色の光が納体袋から発せられ、桂月の身体も共鳴するように光る。


「これは……、何をしているんですか?」

「……ご遺体に残った記憶から、生前のお顔を探っています……。最期の苦痛や腐敗した姿ではなく、この方が普段どのような表情で暮らしていたかを……」


 紫色に光っていた納体袋がふっと光を無くす。

 しかし、桂月は手をかざしたまま深く集中を続ける。


 暫くすると、納体袋の中身が波打つように変形し始めた。それは呼吸のような規則性を持たず、粘土を外側から()ね直すような動きであった。


「――まさか、生き返らせるんですか?」

「いいえ……。脳の腐敗が進みすぎているし、人体を構成していた組織も変性しています……。生きた身体として再構築することはできません……。これは、残された肉体を整え、外見だけを生前の姿へ近付けているに過ぎないのです……」


 納体袋は隆起(りゅうき)と収縮を繰り返していたが、次第に形が定まったのか静かになっていく。

 桂月の手の発光が収まると同時に、納体袋は完全に動きを止めた――。



 ◇◇◇◆◆



 遺族の女性は殯屋の少女が、父の住まう――否、住んでいた一室に入った後も呆然と座り込んでいた。

 崩れた亡骸(なきがら)を直視することが出来ず、逃げ出して吐瀉物を撒き散らした程であるにも拘らず、仄かに香る死の匂いが父の残滓(ざんし)のようで、清掃などして欲しくないという気持ちにすらなっていた。


 父子家庭であった女性にとって、父は厳格で融通の利かない人物であった。ほんの些細な仲違いから、たった一人の肉親を置いてこの部屋を飛び出し、それきり連絡すら取らなくなっていた。

 しかし、女性が一人で生活している内に、改めて父の言葉の正しさに気付き、男手一つで何不自由なく育ててくれたことへの感謝も湧き上がってきた。

 ――そんな矢先の訃報であった。


 廊下に吐き戻した吐瀉物は警官がすぐに除去をしたが、女性はそのことについて譫言(うわごと)のように謝罪を繰り返すことしか出来なかった。

 最期の別れすらまともに出来ず、周囲に迷惑を掛けることしか出来ない自責の念がどこまでも渦巻き、心の奥底まで沈み込む。


 そして、少女とその付き添いの少年が部屋に入った数十分後、遂に部屋の中からは父の匂いがしなくなる。

 青白い人魂のような球が廊下にも現れ、父の残り香を染み付いた服からすらも奪っていく。


 『やめて』と言う声を出すことも出来ず、青白い球が全てを浄化していく所を呆然と見送ることしか出来なかった。


 すべての残り香が消え、父がそこで生きていた痕跡までもが失われていく。

 その時になってようやく、女性は父が本当に死んだのだと実感した。


 葬儀を終えた後は、自分も父の後を追おう。

 そんな考えが胸中に浮かび始めた――その時であった。



「――ご遺体の収容、及びお部屋の清掃、修繕が完了いたしました……」


 一連の作業を終えた少女、桂月が深く頭を下げる。その衣装には一切の汚れも臭いも付いていない。その背中には、入った時と同じく、大きな壺が背負われていた。


「お疲れ様です! いつも助かっております」


 検分を行っていた警官が敬礼を行う。

 何度か神人の殯屋の現場に立ち会っていて慣れているのか、青白い光の球が通った後には防護服を脱いでいた。

 防護服に付着していた血液等の汚染物質は既に分解されて黒い炭と化している。


「――あ、あの……ありがとうございました……」


 女性は絞り出すように礼を言う。その言葉に心は籠っていなかった。

 桂月は深々と頭を下げてから、部屋の奥へと合図を行う。


「――あの、こちらを……」


 桂月に合図され、志賀が担架に乗せた納体袋を転がして、女性の前へと持ってくる。


「……ご家族の方」


 桂月が女性の方に向き直り、真っ直ぐ顔を見据える。

 その様子と納体袋を見た女性はびくりと肩が跳ねる。


「お父様のお姿を整えました……。どうか、お顔を合わせてあげられないでしょうか……」


 女性はその言葉を聞き、この殯屋の少女が最期のお別れをもう一度させたいのだと分かった。

 納体袋からは異臭もせず、徹底的な処理が施されていることが分かる。


 ――しかし、手が震える。いかに神人とは言え、あれほど損壊した遺体をどうにかできるとは思えない。

 それでも、女性は意を決して袋を開く。そこには――。



「……っ!」



 ――父の姿があった。


 決して完璧な美しさとは言えない、死を迎えたことに異論はない姿。

 しかし、長年の苦労による白髪、厳しさを想起させる白眉、少し痩せた頬――。それは、まぎれもない父の姿であった。


「あ、あああああぁぁぁ……!」


 それを目にした女性は大粒の涙を流しながら両手で顔を覆う。


「お父さん……お父さんだぁ……。ごめんねぇ……勝手に出て行って……、最後のお別れもちゃんと出来ない私で……」


 桂月はゆっくりと膝を着き、女性に言葉を伝える。


「――残留思念を聴きました……。貴方のお父様は、最期まで貴方のことを想っていました……。貴方が飛び出した時もその身を案じ、そして、仲直りがしたいという手紙を受け取った時は内心喜びつつも、自分の仕事を投げてまで戻ってくるとは何事だと怒っておられました……」

「なにそれ……、絶対お父さんじゃん……」


 桂月はゆっくり頷くと、最期の伝言を伝える。


「――お父様は、死の直前、貴方の身を案じていました。娘一人を遺して逝くことへの後悔と共に、貴方に一つだけお願いしていました……」

「……それは……?」


「――『幸せになって欲しい』、と……」

「――!!!」


 その言葉を聞いた女性は声を出すことも出来ず、その場で泣き崩れる。

 桂月は先ほどまで亡骸を扱っていた両手へ、もう一度淡い浄化の光を通す。手袋を外し、何も残っていない掌を女性に見せた。


「……触れても、よろしいですか……?」


 女性は答えられなかった。ただ、拒むような動きも見せなかった。

 桂月はその肩へ静かに手を添え、身体が床へ崩れ落ちないよう支える。


「……今は、泣いてください……。謝らなくても、大丈夫ですから……」



 ◇◇◆◇◇



 女性は一頻り泣いた後、桂月達に深々と頭を下げ、感謝と謝罪の言葉を口にした。


「いえ、これが私達、殯屋の職務です……。ご遺族の方々に心残りなく、最期のお別れをしていただくことこそが我々の望みですので……」


 桂月も返すように深々と頭を下げる。

 傍で様子を見ていた大家が気不味そうにしていた。


「……すいません、大家さん。ウチの父がご迷惑を掛けてしまって……」

「い、いえ。こちらこそ、申し訳ない……。貴方のお父さんとは長年の付き合いだったのに、苦情で気が動転してしまって自分の都合ばかり考えてしまって……」


 その言葉に志賀はハッとなる。

 勿論、人が一人死んだということを『対処すべき汚物』と言ってしまうのは問題である。しかし、この集合住宅には他の入居者が沢山住んでいるのだ。

 そんな中で腐乱死体が発生したとなれば、周囲の入居者は気が気ではないだろう。


「――殯屋の仕事は、ご遺族の方にご遺体を心残りなく、見送っていただくことだけではありません……」


 桂月が志賀にだけ聞こえるように小声で呟く。


「――事件の真相を死の状況から解き明かし、そして、死が訪れる前の日常の空間を取り戻すことも、殯屋の重要な職務なのです……」


 志賀は桂月の小さな横顔を見る。

 とても成人しているとは思えない、頼りなく見えた姿――。

 しかし、その姿が今は、死と穢れの中に立つ誰よりも頼もしいものに見えた。


(――これが、『殯屋』……)


 死者を弔うだけではない。

 遺された者が死者と別れ、再び生きていくための道を整える。そして、死によって損なわれた日常を、生者の手元へ返す。


 その仕事は、志賀が想像していたよりも遥かに泥臭く、そして尊いものであった。



「――思えば良い人だったねぇ。いつも会えば挨拶してくれるし、よく娘さんである貴方のことを気に掛けていたよ。最近姿が見えないと思ったらこんなことになるなんてね……。寂しくなるよ……」


 大家の女性が懐かしむように語る。

 あくまでも、他の入居者や部屋を心配していただけで、遺族の女性の父とは悪い関係性ではなかったようであった。


「あの、そのことですが、大家さん。折り入ってお願いがあるんですけど……」

「な、なにかな……?」

「葬儀を終えたら、この家に私が住んでも良いでしょうか? 遺品整理もしたいですし、それに……、せめて父の居た空間を引き継ぎたいと思っていますので」


 その言葉を聞いた大家の目が丸くなる。


「良いのかい!?」

「はい! 元々、仕事を辞めて戻ってきて父に殴られようと思っていたところなので!」


 女性はけろりと言い放つ。


(成程……、この性格は厳格なお父さんとは反りが合わなそうだ……)


 志賀は何となく、一時の不仲の原因を垣間見た気がした。

 同時に、もしも父親が生きていれば、もう少し娘の帰宅が早ければ、病気の発見も間に合ったのではないか――、と言う複雑な気持ちが渦巻く。


(……過ぎたことは仕方ないな。俺の親だって帰ってこない)


 志賀の表情から何かを察したのか、桂月は少し苦笑いをした。


 事後処理のために、待機していた警官に納体袋を引き渡し、同時に葬儀の日程を伝えた。

 その後、その場に居た人々に頭を下げ、大きな壺が背負われたその背に感謝の言葉を得ながらその場を後にするのであった。



 ◇◇◆◇◆



「――どうでしたか……? 殯屋の職務は……」


 行きとは逆にゆっくりと歩きながら桂月は志賀に語り掛ける。その手には、彼女の慈悲の象徴としての蛆の入った袋が握られていた。後で山中の腐葉土に放すのだという。

 桂月達が学校を出発して、現在に至るまでの所要時間は僅か一時間余りに過ぎなかった。仮に志賀に説明することを考慮しなければ更に早い時間に完了することも可能であっただろう。


「……素晴らしい物でした。想像していた何倍も――」


 志賀は噛み締めるように頷く。


「それは良かった……。ナメちゃんも大喜びです……♪」


 壺の中からナメちゃんが顔を出し、少しびちびちと跳ねる。

 喜んでいるようだが怪物のような軟体動物が蠢くさまは少し不気味である。

 しかし、笑顔を見せる桂月は見た目相応の可愛らしさがあった。


「この体験が、志賀君の選択の助けになれば――と思います……」


 桂月は少しまえかがみになりつつ、志賀をのぞき込む。

 しかし、志賀の中ではもう心は決まっていた。


「――桂月教官」

「はい……?」

「俺は――『殯屋』になりたいです」


 志賀の言葉に、桂月はすぐには答えなかった。

 その顔をじっと見つめ、先ほどまでの覚悟が一時の感傷によるものではないかを確かめる。


「……そうですね。ですが、まだ早いと思います……。まだ、一週間の猶予があるのでしょう……。でしたら――」

「いえ、今すぐに!」

「えっ……?」


 呆気に取られる桂月の手を志賀は強く握り締める。


「俺は――、今日、本当に感動しました! 今まで悩んでいましたが、今すぐにでも『授職室』に行って初期職を授かって来ます!」

「ちょ、ちょっと早いんじゃないかな……?」


 少し引き気味の桂月を他所に、志賀の心は燃え上っていた。


「善は急げです! 今すぐ帰りましょう!」

「あわわわわわ……。ちょっと……! さっき話してくれた不審者の話忘れたの……!? 私から離れちゃだめぇ……!」


 『簡易隠蔽障壁』の範囲外に飛び出しそうになる志賀を桂月は慌てて追い掛ける。



 ――その様子を一人の『人物』が見下ろす。


「――考えが纏まったようだね。さて、ここからが始まりだよ」


 髭の切られた翁面は障壁に身を隠す少年と少女を追い掛けることもなく見送った。




駒橋(こまばし) 桂月(かづき)

[個人情報]

 種族:神人/性別:女神(既恋)/身長:四尺九寸〇分(一四八五粍)

 所属:葦野国/登録:教導神人

 眷属:蛞蝓/神力色:青鈍

 趣味:山登り、虫採り

 好物:思いやりのある人(人)/甘藍・麦酒(食)/雲海(場)

 苦手:他者を踏みにじる人・差別主義者(人)/昆虫標本(物)/

    珈琲・香草類(食)/砂漠(場)

 生年月日:〇九二六年〇六月〇六日(七一歳)

 神人転生:〇九四八年〇六月〇九日(転生:二二歳)

[基本情報]

 属性:陰・霊/性質:中善(+三)/兵種:禍霊(将官職)

[能力素質]

 耐久:並-/神気:秀↑/膂力:凡↓/呪力:天↓

 防御:優↓/敏捷:並↑/技巧:秀↑/幸運:秀↓

 素質総合:一〇五/神階:三七

[霊器適性]

 棍:-/刀:並/鎚:-/鏡:-/礫:-/鐸:-/杖:並

 槍:-/鎌:優/身:-/傘:秀/弓:-/扇:良/璽:-

 副:呪

[習得権能]

 天賦権能:一霊使役

 練達権能:除霊

 汎用権能:免疫・柔軟・戒心・脱遁・護術専門・清心・生命力・圧密・再生・

      腐蝕

 兵種権能:呪縛・祈・無垢・穢術専門・屍食

 権能限界:一八三/一八三


※作中現在年月日:〇九九八年〇四月一五日時点



<術技:『禍煌星』>

分類:遠隔攻撃、陽属性、星辰術

青白く光り輝く球体を浮遊させる設置型の術技。

一定範囲内の敵に極小の損傷と『被曝』の状態異常を与える。

(※被曝:回復術が機能しなくなり、状態異常等の自動回復も無効となる)

敵の進軍経路に設置したり、膠着した戦況に投げ込んで状況を打開したりする。

敵味方の識別が可能であり、浸透性が高いことを利用して、一部の殯屋は汚染物質の浄化・炭化処理のために、この術を習得している場合がある。

(通常の殯屋が会得できる術技ではないため、習得は難しい)

味方(及び只人)に対しては単純に浮遊しているだけの青白い球体であり、当然、『被曝』することはない。

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