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第八話 『兵種選択』




 重厚な扉が開き、志賀はその部屋の中へと入る。

 入り口には本棚が立ち並び、図書館のような印象を受ける。しかし、部屋の奥を覗いてみると宗教の儀式場とも宇宙船の管制室とも取れる不思議な空間が広がっていた。



「――はい、入ってきなさい」

「――!」


 その部屋の奥から声がする。朝、聞いたばかりの気怠げな声だ。

 回転椅子がぐるりと回ると警備員の衣装を纏う女性が姿を見せる。顔だけを見れば少女のようであったが、所作を含めた全体を見ると成熟した女性を思わせる。


「……何だ、お前か」


 安積は志賀を一瞥するなり、溜息を吐く。志賀は少し不快に思ったが、気持ちを抑える。


「……すいません、安積教官。ただ、初めに言っておきます。俺はあの考えを曲げるつもりはない」


 志賀は怒りを抑えつつも自分の中の芯は通す。

 教官と学生の立ち位置は対等ではない。ましてや、第一印象が悪く、これから初期職を魂に刻む施術を行う相手であれば猶更(なおさら)下手(しもて)に出ておくべきであった。

 しかし、志賀としてはここは譲れない。ここを変えてしまえば自身がかつて憎んで来た神人に成った意味も無くなる。


(……最悪、難癖付けられて退学すらあり得るかもしれないけど、これだけは曲げられない)


 身構える志賀に対して、安積は意外にも嫌そうな顔はしない。


「そうか、分かった。まぁ、神人とは得てしてそういうものだ」


 あっさりとした反応を返され、志賀は逆に面食らう。

 安積は何冊かの本を志賀に手渡しながら説明に移る。


「ここに来た理由は分かっているな? ここでは初期職を確定させる施術を行う。只人の就職とは違うことは知っているか?」

「はい。神人は素の状態では技を会得することも難しく、高位の霊器を所持することもできない。その補助輪的機構として、過去の神人達が練り上げてきた『特性』を五段階に体系化したものを『兵種』として、魂に刻み付ける必要がある――そう、教本には書いてありました」


 志賀は少し緊張しながら、士官学校に入るまでに何度も読み返した教本に書かれていた記述を話す。間違いではなかったようで、安積は小さく首を縦に振る。


「そうだ。現段階のお前では訓練用の霊器しか持つことができない。大昔の神人は徒手(としゅ)で魔獣と戦っていたという。過去から連綿と繋がる『今』に感謝するんだな」


 志賀は少し釘を刺されたような気分になる。

 渡された資料は『基礎兵種入門』、『巫覡(フゲキ)入門』、『物忌(モノイミ)舞女(マイオンナ)入門』、『殯屋(モガリヤ)入門』の四冊であった。


「――基礎兵種は昇格には有利だが、世間的な評価は低い。基礎とは言え、決して弱い兵種ではないが、あくまでも戦闘限定職だ。結果を急がないのであればやめておけ」

「はぁ……」


 基礎兵種とは、特定の武器種に特化した兵種である。魔獣災害が極めて多かった時代に手っ取り早く現場に出すために同傾向の霊器だけを習熟させていたものが由来となる。


「巫覡――お前なら『男覡(オカンナギ)』か。お前ほどの幸運の高さを持つのであれば重要施設への結界要員として引く手数多だろうな。基本的にはこれ一択だ」

「……」


 幸運の高さは補助術の精度に直結する。志賀の極端に高い幸運とそれ以外の素質の低さを鑑みれば、戦場に赴くよりも後方で結界を張っていた方が有用であるだろう。


「巫覡は人との関わりが多い。お前が不幸な神人への慰撫も目的とするのなら最適の職だろう」


 一見、志賀のやりたいことを認めているような発言であったが、その内心は国のために働くのであればという枕詞が付く。そして、志賀が本懐(ほんかい)としている不幸の元を断つことからは寧ろ遠ざかってしまう。


「続いて『物忌』だ。これは一見、お前向きの兵種ではあるが芽が出るのが遅く、おすすめはできない」

「そ、そうなんですか……」

「希少な回復術、そして蘇生術を専門とする兵種ではあるが、攻撃性があまりにも低く、術が揃っていない間は金魚のフンになるしかないから(うと)まれる。そもそも、神人は他者を回復する術を苦手としている。それはこの回復特化の職でも変わりはない」


 『(さだめ)』が事前に予想していた内容よりも更に辛辣な返答が返ってくる。回復術単体で戦うのは非常に苦しいようであった。


「そして、『殯屋』――」

「――!」


 志賀の喉がゴクリと鳴る。資料を読みながら話す安積の様子を固唾を吞んで見守る。


「強力な兵種ではあるが――、お前の適性としては微妙だ。大方、幸運に補正が入る兵種だから選択肢に入ったのだろうが、幸運以外の素質が低いお前には向いていない」


 兵種は就くだけで一定の能力補正が入る。基本的に神人化施術前に適性として出てくる兵種はその素質を伸ばす方向のものとなる。


「そうですか……」

「お前の属性は陰と霊――。これだけを見るならば完全に『殯屋』向きではあるがな。だが、少なくとも多種多様な術技を用いて戦う兵種にお前のように神気や膂力、そして呪力が低い者が就くのは厳しいものがある。後方で神気を補給して貰えるような運用でもないしな」


 ゆっくりと安積が志賀の顔を覗くように見る。残念そうにしている志賀に対して補足で説明する。


「『殯屋』は呪詛や罪穢(ざいわい)術を扱う兵種だ。当然ながら上品な兵種とは言えない。――それ故に、その職に就いている者は尊敬されるのだがな」

「……そうですか」

「『殯屋』はその尊敬に報いるために厳しい教育が施される。それは戦闘技術に限らず、科学的知識や倫理教育も含まれる。その上、民間の『死』に関わる部分や場合によっては危険な化学物質による汚染区域の調査なんかの仕事もあるな。悪いことは言わないが安易な気持ちで名声欲しさに『殯屋』になるのは止めておけ。耐えきれなくなって落伍(らくご)するのがオチだ」


 ――今のこの世界は『死』に満ち溢れている。


 それは、魔獣によって殺される者だけではない。環境に耐えきれず落伍し自ら命を絶つ者、身寄りがなく病に蝕まれ孤独に果てる者、そして、誰からも存在を祝福されることもなく貧困窟の路地裏でゴミ山に混じり朽ちる者――。家族に看取られながら綺麗に逝ける命などほんの一握りに過ぎない。

 そんな救われなかった命を弔うのも神人の『殯屋』の職務だ。


「別にこれらの兵種以外にも成りたい兵種があれば検討はしてやる。おすすめは出来ないかもしれないがな。――あぁそうだ。飛兵や騎乗系の職は私から許可を出すことはできない。そういった特殊な職は専門の教官を探すんだな」

「は、はぁ……」



 親身――。


 確かに(たける)の言っていたことに間違いはなかった。

 志賀をまるで厄介者でも見るかのような態度で接しているが、兵種の説明そのものは間違いなく正確で、決してぞんざいにあしらっている訳ではない。

 それ故に、不向きであると忠告された『殯屋』を反対を押し切る形で即決することが出来ない。これがもし、小馬鹿にされたり頭ごなしに無理だと決め付けられたりしていたならば、反発することも出来ただろう。しかし、本気の忠告だからこそ安易な判断が出来なくなってしまった。


(……恐らく、宮様は俺の素質が成長するのも見込んで『殯屋』を推している筈。でも、この教官は不確定な成長要素で学生の将来を決めることは出来ない筈)


 志賀は、神人に成る前の素質測定の結果を見た講師の反応を思い出す。

 凡庸な素質が並んでいるのを見た時のがっかりとした表情と幸運だけが異常に突出している素質であることを確認した時の興奮した表情。その双方が、強く印象に残っていた。

 あの講師もこの教官と同じく、きっと彼が優秀な『男覡』として国に貢献することを想定しているのだろう。志賀はそう思うと、その期待を裏切るようで心苦しく感じてしまった。


 ――そして、何よりも志賀が『殯屋』を選ぶ理由は『宮にそう言われたから』でしかなかったのだ。


「――授業計画を立てる必要もあるし、一週間は初期職の確定を待つことが出来るよう制定されている。基本的には相当の事情でもない限り、一般神人が兵種変更を行うことは不可能だ。良く考えるように」


 そう言って、安積は再び志賀に背を向ける。

 真鐵国製と比べると性能は大きく劣る大きな箱状の電算機(パソコン)には何かの図表が描かれていた。


(葦野国魔獣災害推移……?)


 志賀が安積の肩越しに画面の文字を読み取る。安積は隠すつもりもないのか視線に気付きつつも何も言わない。

 折れ線の図は今から五年程前を境にして不自然なまでに低下していた。


「――何故、強い神人は不幸からしか産まれないのだろうな」


 安積は不意に呟く。普段の気怠げな声は鳴りを潜め、重々しく、独り言のようにただそれだけを。そう言った切り、画面は他の業務の物に切り替えてしまう。そこからは安積は言うべきことは言ったと言わんばかりに何も喋ることはなかった。



 ◇◇◇◇◆



 志賀は結局決め切ることが出来ず、とぼとぼと重い扉を潜る。

 『授職室』と書かれた室名札が、入る前よりも遥かに高い場所にあるように感じる。


(どうするかなぁ……)


 恐らく生半可な気持ちで『殯屋』になりたいと言えば確実に反対される。只でさえ印象の悪い志賀がこれ以上安積と言い争うのは明星家にとっても悪い。


 重い足取りで歩きながら渡された資料を読んでみる。

 『男覡』・『物忌』・『殯屋』――。いずれも兵種の区分は『信仰』と呼ばれるもの、純粋な戦闘職ではなく宗教的儀式にも参加する必要がある兵種だ。その分特殊な術が使えたり、一部の権能や武術の効果が大きく上昇したりするという利点がある。そして、三種いずれの兵種であっても適性霊器に『巫傘(フサン)』が存在する。『(そそぐ)』を初めとした宮の各人格が傘の扱いを学ばせようとしたのは志賀の適性兵種の関係もあったのだろう。


「『男覡』……。全然悪い兵種じゃないんだよなぁ……」


 志賀個人としては『男覡』――所謂『巫覡』に悪い印象はない。神人化施術を行ってくれた時から縁もあるし、今この国を結界で守っているのは神人の中でも更に選ばれた『巫女(ミコ)』達であった。

 懸念事項としてはやはりこの兵種は女性である『巫女』の方が圧倒的に適性は強く、男性である『男覡』は出世が非常に難しいのだという。現状、幸運以外に取り柄のない志賀では国に吸収された挙句、便利屋として使い倒されてしまい、とても本懐を達成することは出来なくなることが目に見えていた。


 上手く掻い潜る前提で『男覡』になるべきか、反対を押し切り『殯屋』で押し通すのか――。そう、頭を悩ませているといつの間にか広い中庭のような空間が見えた。

 中庭の中心には黄金色の果実が生る巨木が校舎に見守られるように立っていた。


「凄い……こんな木が……」


 神秘的な気に当てられた志賀は思わずその木に近付いてしまう。黄金色の果実は林檎のような見た目で(いにしえ)の神話の産物を彷彿とさせる。

 暫く見惚(みと)れていると巨木の(こずえ)がざわりと揺れるような雰囲気を感じ取り、志賀はそちらに目を向ける。



「――この樹の神秘を理解するか」

「!?」


 大樹の枝には一人の老人が座っていた。仙人のような印象を覚えるそのしゃがれ声の主がいつそこに現れたのか、あるいはずっとそこに居たのか志賀には分からなかった。


「あ、貴方は? いつからそこへ……?」

「なに、巫覡術の一種だよ。空間転移。貴殿が私を観測できぬのも無理はない」


 老人は自身のことを答えることはなく、どうやってそこに現れたのかを答える。

 風が舞い、木陰に光が差し込み老人の姿が明瞭になる。


(おきな)面……って奴か?)


 その老人は面を被り、表情を読むことは出来ない。本来、長く伸ばされている筈の翁面の髭は顎の下辺りで不自然な角度で切り揃えられていた。


「この樹は普通の神人にとってはただ黄金の実が生るだけの不思議な植物に過ぎない。これに、神性――あるいは敵性を感じる者は『信仰』を扱う兵種への適性が高い」

「あっ……。そ、そうなんですか?」


 何者かを聞き出すことが出来ないまま話が進んでいく。


「この樹は兵種、『祈者(キシャ)』が祈りを捧げるために植えられた神樹だよ。重雲国の特産兵種だからこの国でこの樹が必要な子は殆ど居ないけどね」

「特産兵種……そんなものがあるんですね」

「なに、重雲(えくも)国に行けば嫌と言う程目に入るさ」


 重雲国とは、大陸の最西端に位置する大国である。最東端の島国である葦野(あしの)国とは対極に位置する国だ。

 国の序列は神倭(やまと)皇国に次ぐ第二位とされているが、その詳細な情報は秘匿され、他国には殆ど知られていない。そんな国の情報をこの老人はつい最近見てきたかのように語る。


「まぁ、真鐵(まがね)国の出身者に重雲国の話をするのは気遣いが足りなかったな」

「!? どうして俺が真鐵国出身だと!?」

「ははは、私に分からないことなどないよ」


 老人は警戒する志賀を他所に面の下で朗らかに笑う。


「現時点での最後の神人同士の国家間戦争――『雲鐵(くもがね)大戦』は本来神人嫌いの貴殿にとっては非常に憎むべきものだろう」

(こ、この老人……、どこまで知っているんだ?)


 『雲鐵大戦』とは、数百年前に重雲国と真鐵国、そして、その同盟国が繰り広げた未曽有(みぞう)の大戦争である。その戦争の爪痕は、現代に至るまで両国の国境付近に地形が変えられた跡や神人すら立ち入りを禁止される汚染地域として生々しく残っている。


閑話休題(かんわきゅうだい)。貴殿は今、兵種選択に悩んでいるな」

「そ、そうですけど……」


 志賀は迂闊(うかつ)なことは言えないと思いつつも、老人に的確に現状の悩みを当てられてしまい、返事をしてしまう。


「私は先程巫覡術を用いた通り、『男覡』に連なる者。現在は将官の位まで昇格し、『宮司(ミヤヅカサ)』となっている。未来の神職となる貴殿の助けになりたいと思う」

「……! 『男覡』として高位となるまで昇格を!?」


 老人は『いかにも』と頷く。

 『男覡』は『巫女』に比べて昇格が難しい。それにも拘わらず、この老人はそこまで昇格出来るだけの実力を持っているようであった。


「ふふふ、私に相談してみたくなったかね」

「……はい」



 ◇◇◇◆◇



 志賀は老人に現状の悩みを打ち明け、今後にどうすれば良いのかの助言を求めた。

 危険人物である可能性も捨て切れないため、念の為、明星家の情報は徹底的に隠しつつ、頷く老人の言葉を待つ。


「――成程、貴殿の『師匠』が言うところによると、『殯屋』を勧められたと」


 宮のことは『師匠』として押し通すことにした。もしかすると、その『師匠』が何者であるか、既にこの老人には知られているのかもしれないが、用心することに越したことはない。


「そうなんです。しかし、教官から見ればその兵種は俺の適性としてはどちらかと言えば()――。恐らく、『師匠』は俺を『殯屋』にする前提で動いていると思いますし、俺自身も『殯屋』が良いと思っています。ですが――」

「その教官に嫌われているため、説得するのが難しいと――。それは困ったことだ」


 老人は短く切られた翁面の髭を扱きながら考え込むように樹上で胡坐(あぐら)を組む。


「……それに、生半可な気持ちで就いていい職ではないことも理解しました。どうすれば良いのかご教授願えますか?」


 それを聞いた老人は不意に顔を上げて面の奥でからからと笑う。


「成程、それであれば簡単な話だ」

「ほ、本当ですか!? どうすれば……」


 老人は枝の上に立ち上がり、腰に手を当ててしゃがれ声のまま大きく笑う。


「それは……、『職場体験』をすれば良いのだ!」

「職場体験!?」


 予想外の言葉に志賀が驚く。その様子を見た老人は再びどかりと座り込み、黒い手袋を着けた指先を志賀へと向ける。


「貴殿が『殯屋』を選ぶことに後ろめたさを覚えているのは、職を理解していない所にある。強い兵種だから、評価の高い兵種だからと選択したのであれば当然批判されてしかるべき職――。それが、『殯屋』だ」


 志賀は衝撃を受けた。確かに、彼自身、『殯屋』になることに後ろめたさを感じていたが、それは、『殯屋』の職務を知らないままに強さだけを求めてその兵種を選択することにあった。重大な選択の前に、焦りから視野狭窄(きょうさく)に陥っていた志賀は『実際に体験してみる』という単純な発想も思い付くことが出来なかったのであった。


「なに、担当教官に相談すれば簡単であろう。――何せ、この国には幾ら魔獣災害を減らそうとも、『不幸』が尽きることはないからな。民間の『不幸』など、こちらから待たずとも向こうからやって来る」

「……!」


 幾ら宮が魔獣災害を減らす努力をしたところで、末端まで『幸運』になることはない。魔獣に絡まない不幸などこの世には幾らでも存在するのだ。

 そして、そういった『不幸』から目を背けてはならないことは志賀にとっても必要なことであった。


「……そうか、そうして『殯屋』の精神性を学ぶことで――」

「少なくとも、今のお前を見て適性外だと判断する者には、説得できる余地が出来るということだ」


 先の道標(みちしるべ)が出来たことで、志賀の心は軽くなっていく。志賀は拳を握り締め腕をぐっと引いて気合を入れる。


「――よし! そうと決まれば善は急げだ――」

「――何が善ですか?」

「うおわあああぁぁぁ!?」


 志賀が振り返って駆け出そうとした瞬間に目と鼻の先に居た(よすが)にぶつかりそうになり、志賀は派手に転倒してしまう。


「私の香りにも気付かないなんて随分とこの樹とお喋りしていたようですが、何か、光明は見えましたか?」

「あっ、うん。今、そこの樹の上に居た人に――、あれ?」


 振り返ったが、樹上には既に老人の姿はなかった。既に転移してしまったものと思われる。


「あれ? もう行ってしまったのか……。最後にお礼言っておけば良かったなぁ」

「……? 志賀さんは一人で喋っているように見えましたが……?」

「そ、そんなことないよ!?」


 志賀は独り言はやや多い方ではあるが、さすがに大声で自問自答したりはしない。慌てて縁に訂正を入れる。


「では、どんな方と会話されていたのですか?」

「えっと、――あれ?」


 先程まで話をしていた人物の特徴を話そうと口を開いたところで、志賀の言葉が止まった。


「……居た、誰かに……」

「誰か?」

「いや、待ってくれ。俺は……誰と話していたんだ?」


 ――思い出せない。


 確かに会話は覚えている。

 『殯屋』を目指すのなら、まずは職場体験をしてみれば良い。そう助言されたことも覚えている。


 しかし、その言葉を告げた存在の姿を思い浮かべようとすると、何一つ掴めなかった。

人だったのか。男だったのか、女だったのか。どこに立っていたのか。

 つい先程まで目の前に居たはずの相手が、記憶の中では最初から輪郭(りんかく)を持っていなかった。

 強烈な印象が残っている筈なのに、その存在が『どんな顔をしていたか』すら思い出すことが出来なくなっていた。

 呆然とした表情で頭を抱える志賀を見た縁はそれが冗談ではないと見て、彼を気遣う。


「……神人は、本来記憶力が極めて良い存在です。それにも拘わらず、外見的特徴を何も覚えていられないとなれば、何らかの術か権能に掛けられたものと思われます」


 縁が『千里眼』で志賀の心の底を読んでも、樹上に居た人物は(もや)としてしか認識出来ない。


「……あまり姿を見せたくない人なのかな?」

「恐らく。しかし、現状は害があるとは言い難いですね」


 助言は的確であるし、志賀からも重要な情報は何一つ話していない。縁のように心を読む権能や術があったならば、最初に相対した時点で情報は抜かれている筈であるし、問題になるとは思えない。


「そう言えば、この学校って『巫覡』の教官は居るの?」

「居ますね。『宮司』の女性の方です。記憶を操作する術は特に聞いたことがありません」

「『宮司』……。でも流石に教官が態々顔を隠して接触する意味もないしなぁ」

「やはり、外部の人間ということでしょうね。この学校の防犯が疑われますが……」


 二人してうんうんと唸っているが、結論は出そうにない。


「考えても仕方ありませんね。このことは健教官か安積教官に速やかに報告するとして、志賀さんはこの後どうしますか? 私は一限目の『基礎星辰(せいしん)術』の講義を終えて移動中ですが」

「何も聞いてなかった……。報告も兼ねて一回、職員室に向かうよ。いずれにせよ、俺は『殯屋』の教官とも話がしたいと思っているし」

「分かりました。私は二限目の講義に向かいます」


 縁はそのまま足早に中庭を後にする。

 残された志賀はもう一度黄金の実の生る巨木に目を向ける。誰かと話していたことは間違いないが、枝の上には人が乗っていた痕跡すら残されていない。狐につままれたような気分になりながらも、朝一に訪れた職員室を目指して歩き出す。


(何にせよ、今やることに変わりはない)


 先程まで話していた人物から受けた助言が善意であれ悪意であれ、志賀の中での方針は決まったのであった。




各兵種の職位は、五段階に体系化されています。

下級職から始まり、兵種の習熟や功績に伴って、

下級職→中級職→上級職→将官職→長官職

の順に昇格していきます。

例として、『巫覡』系統では、

巫女/男覡→祝→禰宜→宮司→祭主

という体系になっています。

長官職になるのは非常に難しく、名誉職に近い扱いを受けています。

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