静寂の森にて1
夜の青に色を変え、月夜の静寂に包まれた森の中、エルフの少女の耳と鼻がピクリと動いた。
巨木の上で夜の見張りをしていた、フォレシアの青い眼は、獣のように森の暗澹の中で月の光を受け、磨かれた宝石のように黄色い輝きを放っていた。
自然と共に生きる種族のせいか、人工物の臭いと音には敏感だ。
この時も、その異質な臭いと音に各器官がすぐに反応した。
ここから離れた森の外、燃える炎の音と悲鳴の声。
そして鼻の奥をツンと刺激したのは、彼女にとってこの世で一番嫌いな臭いだった。
猿のように身軽に巨木の枝々を大きく跳び、その場所へ向かうと、フォレシアはその光景に目を丸くした。
町が燃えている。
赤黒い煙が夜の暗闇の中に立ち上り、ボロボロとなった家の輪郭が炎の中にゆらゆらと浮かんでいる。
フォレシアは町に見えた人影の姿を見ると、すぐに事を理解した。
薙刀のような武器や斧で、とても人とは思えない粗暴を振る舞う輩――盗賊。
風の噂でこの辺りで盗賊団が次々と町を襲っている事は知っていた。
奴らはきっと例の盗賊団なのだろう。
フォレシアはふと下を見ると、武器を構え森の中へと駆けて行く数人の男たちの姿が目に入った。
「血塗られた貴様らに、我等が神聖な森には手出しはさせぬ」
眉の間を狭め言うと、フォレシアは森の闇の中へと跳んで行った。
男たちは暗い森の中を、武器を不安定に振りながら、舌を見せ、興奮した声で駆けていた。
「ヘヘッ。この森だろ? エルフ達が住んでいるって森は」
「あいつらの血を飲めば、俺らは不死身だぜ! 絶対1匹は狩るぞ!」
「ヒャッホォウー!」
邪魔な草木を次々と斬り、花々を踏みつけながら男たちは森の奥へと進んでいく。
そして、巨大な樹が中央に立つ小さな広場のような場所に抜けると、男たちは立ち止まった。
樹の前に立つ、1人の少女。
天から差し込む月光の柱の中、1つに結んだ金色の髪は黄金のように輝き、白い肌は月の住人を思わせるようであった。
その長い耳を見ると、男達はニヤリとした。
「うっしゃー!! 俺達はツいてる! まさかこんなに簡単にエルフに出会えるとはな!」
「…………」
「人間の言葉分かるか? 大人しくしてろよ。そうすりゃ、殺る前に良い思いさせてやるからさぁ――」
足を前に進めたその男の言葉と動きが不自然に止まった。
その様子に、後方の2人の盗賊は顔を合わせ、片方がそいつに近づく。
「おい、どうし……」
男は言葉を止め、視線をその男の胸元にゆっくりと見下ろした。
1本の矢が見事に心臓を貫いており、もはや抜け殻となった男はまるで時間が止まった様に、卑しい下衆な笑みのままにその状態に死んでいた。
「ヒッ、ヒィィィィィィィ!!!!」
男が盛大に尻もちをつき、声を上げると、男たちは眼前に立つエルフを恐怖の眼差しで見つめた。
いつ弓の弦を弾いたのか、すら分からない。
いや、弓は背に背負ったままだ。
「う、うわあアアアアアアアアアアア!!!!」
「お、おい待て!! 置いていくな……」
シュカッ。
尻もちをついた賊を置き去りに、悲鳴を上げて背を向け逃げ去ろうとした男の背に、矢が突き刺さる。
それはまたしても、心の臓を見事に貫いていた。
逃げ出した男は、剥製された生き物のようにその態勢のままに生き絶えている。
尻もちをついた男からはもはや声すら出ない。
男の眼は涙が滲み、化け物を見るかの様な目で、震えながら少女へ振り返る。
少女が手を上向きにすると、矢が掌に現われる。
人間業ではない。
あのエルフの少女は、2人を、弓を使わず、素手で矢を投げ射抜いたのだ。
それはまるで、ダーツでもしているかのような構えだった。
「まっ、待て待て待て! おお、お、お、お前、それで俺達を!!!??」
思わず驚愕の声調で男が訊くと、少女は冷たい瞳を男に向け、言った。
「貴様ら如き無粋な連中は、我が聖具を使うには値しない」
少女が3本の指で矢を構えると、まだ緑の地面に腰をついている男は涙と鼻水を同時に垂らしながら、必死に少女に命乞いをした。
「ゆゆゆ、ゆ、許してくれ!! もうこの森には近づかねェから!! アンタ達にも手はださせベッ」
空気を切る音と共に、男の額に1本の細い棒が突き刺さると、男の声は夜の闇に溶けるように消えた。
時間が止まった様に硬直した男たちの死体をフォレシアは見下ろすと、呆れたような、蔑むような目で息を漏らした。
そして、踵を返し、その3体に背を向け去ろうとした。
反射的に屈んだ、エルフの少女の頭上を金色に輝く何かが勢いよく過ぎ去る。
巨大な三日月の軌跡が残像のように見えると、神殿の柱のように立っていた巨木が次々に倒れ、一瞬でその場は広場へと化す。
「何だァ、やっぱ避けられちまったか。出来れば今ので仕留めたかったんだがな」
フォレシアは屈んだ膝を立たすと、後ろから感じた気配に向き直った。
フォレシアの身長の3倍はあるだろうか。
鋼鉄をいくつも重ね合わせたような筋肉が全身を覆い、一見すれば岩男を思わせる。
その上からはベストの様なものを身に付け、下には腰巻を、そして、肩にはヒョウの皮を1匹分巻いていた。
大人一人分の背丈はある巨大な黄金の戦斧を片手で肩にかけ持ち、もう片方の腕には、背丈の低い少女を抱えている。髪から肌、身にまとっている法衣までの全ては雪のように白く、腕には水晶玉のようなものを抱きながら、男の腕の中で深い眠りについているようだった。
刺々しい紅蓮の短髪から顎まで伸びる角ばった髭を広げ、その男はニヤリと微笑った。
「訊こう、貴様もあの賊の類か?」
フォレシアが凛とした声で訊ねると、男は苦笑した。
「俺様がこんなチンケな奴らの類? 冗談がきついぜ、嬢ちゃん。確かに、エルフの里の在処が分かったとか騒ぎ立てる集団を追ってきたのは間違いないが、こいつらの役割はそれだけだ」
「フン、そうか。確かに貴様は、流石に一筋縄ではいかなそうだな」
フォレシアは、白銀の弓を構えると、矢を取り出し、男に向けた。
「おうおう? 意気の良い嬢ちゃんじゃねェか。最近暇ばかりでガタが来ちまってたから良い腕馴らしになるぜ」
男が好戦的な笑みを浮かべ、斧を肩から外し構えると、男の腕の中で眠っていた少女は、薄らとその目を開いた。
透明な青い瞳が、弓を構えるエルフの姿を捉えると、小さな唇がゆっくりと開く。
「レオーネ、気を付けて。あの子は貴方と同じ。勇者の力を持つ者」
その言葉に、2人は目を見開いた。
「何だと……!?」
先にフォレシアが声を上げると、レオーネと呼ばれた男も驚きを帯びた声を漏らした。
「こいつァ、驚いた。アンタも勇者の力を継ぐ者だったんだな。まぁ、聖戦前だろうが、出逢っちまったもんは仕方がねェ。お互いに分かり合う仲でもないだろうしな」
男が斧をブンと振り、そう言うと、フォレシアも笑みを返し、「同感だな」。
「賊でも礼節はある。俺の名は、レオーネ・グランクリスタ。金色の勇者の力を継ぎ、孰れ、この世界の全てを手にする男だ。んで、こいつがペスカ。俺のお説教役だ」
「導き手」と膜の張ったような雰囲気を持つ小さな少女が言うと、「そうだったな」とレオーネは含み笑いをした。
「私の名はフォレシア。深緑の勇者の力を継ぐ者であり、精霊神リーフェに仕える、イルフェール・アルフだ」
互いに名乗りを終えると、それぞれの武器が開いた空の月光に照らされ光を放つ。
そして、束の間の静寂の後、森の中に大きな衝撃音が響き渡った。




