第4話
――中学3年生の夏。
かずくんと毎年会うようになってから、僕は田舎に帰るのが前よりずっと待ち遠しくなった。
といっても、派手なことをするわけじゃない。
いつもの小さな公園でブランコに揺られながら喋ったり、近くの道を他愛のない話をしながら歩いたり、おばあちゃんの家の縁側で、風鈴の音を聞きながらゴロゴロしたり。
話している内容は、本当にくだらないことばかりだ。
学校のこと、テレビのこと、よく分からないゲームの話。
それなのに、不思議と話題は尽きなくて、気づけば夕方になっていたりする。
何を話していたのか、細かいことはもう思い出せない。
でも、あの頃かずくんと過ごした夏が楽しかった、という感覚だけは、今でも鮮明に心に残っている。
そのなかでも、一番強く焼き付いているのは――
中学3年生の夏だ。
受験シーズンまっただ中。
本当なら、田舎に帰るのはお父さんだけの予定だった。
でも、僕が中3になってから不登校になってしまったことで、先生からも「環境を変えてみるのはいいかもしれませんね」と言われ、気分転換を兼ねて家族全員で田舎に行くことになった。
不登校の理由は、中学2年のときに受けたいじめだ。
その頃、僕は自分の「好き」という感情が、周りと少し違うことに気づき始めていた。
男子なのに、気になるのは女子じゃない。
水泳の授業で目で追ってしまうのは、女の子の水着姿じゃなくて、男の子の方。
その違和感に自分でも戸惑って、心のどこかがずっとざわざわしていた。
そんなときに、クラスで誰かにバレたのか、からかいの対象になった。
「キモい」「女みたい」そういう言葉が、冗談みたいな顔をして、何度も何度も投げつけられた。
2年生の間は、いじめられながらも、なんとか学校に通っていた。
だけど、春休みが終わり3年生になった途端、体が学校を拒否するようになった。
朝になると、足が玄関まで動かない。
保健室登校さえもできなくなって、僕は家に閉じこもった。
「学校に行きたくない」
「高校にも進学したくない」
「もう、これ以上傷つきたくない」
心がずっと、そう叫んでいた。
そんな僕を救ってくれたのが――かずくんだった。
お父さんは、ずっと家に閉じこもっている僕を見て、「一回、環境を変えた方がいい」と判断してくれた。
そうして迎えた、田舎での夏。
今年も、かずくんは当たり前のように僕の前に現れてくれた。
何も知らないように見えて、きっと全部分かっていたんだと思う。
僕には学校の話題なんてない。
だからその年の夏は、主にかずくんが、自分の学校のことや、友達のこと、部活のことをたくさん話してくれた。
なぜか、その夏に聞いた話だけは、今でも驚くほど鮮明に覚えている。
聞きたいことは、僕の方にもあった。
かずくんは高校どうするんだろう、とか、受験勉強大変じゃないのかな、とか。
でも、もし逆に聞き返されてしまったら――
「陸は?」と聞かれたら、僕は何も答えられない。
その怖さがあって、僕は最後まで聞くことができなかった。
田舎にいるあいだだけは、自分が不登校だということを忘れていられた。
ここにずっといられたらいいのに、と何度も思った。
でも、その願いを口に出す勇気までは、当時の僕にはなかった。
楽しい時間は、びっくりするくらい早く過ぎていく。
あっという間に、埼玉へ帰る前日になった。
その日は田舎で過ごす最後の夜で、夕ご飯も、いつものようにかずくんと一緒に食べた。
本当は楽しいはずの時間なのに、その日だけは、胸の奥に寂しさの方が大きく広がっていた。
そんな僕の気持ちに気づいたのか、夜になると、かずくんが「2人で少し散歩しよう」と誘ってくれた。
お父さんたちにもちゃんと許可を取ってくれていた。
田舎の夜は、建物が少ない分、風がダイレクトに肌に当たる。
昼間の熱気が少し残った、生ぬるい風。
それでも、昼間よりはずっと涼しく感じた。
り「かずくん、どこ行くの?」
か「ちょっと、公園まで行こう」
かずくんに言われるまま、僕は後をついて歩いていく。
小さな公園に着くと、かずくんは草むらの中から1つのトートバッグを取り出した。
か「じゃーん」
ニコニコしながら見せてきたその中身を見て、僕は思わず声を上げた。
り「花火だ…!」
スーパーでよく売っている、手持ち花火の詰め合わせだった。
り「これ…どうしたの?」
か「えへへ。頑張って調達してきた」
り「でも、火はどうするの?」
か「りっくんのお父さんお母さんには、内緒ね」
いたずらっぽく笑って、かずくんはトートバッグの中からライターとろうそくも取り出した。
り「ダメだよ。 僕はいいとしても、かずくんまで怒られちゃうよ」
か「りっくんは真面目だなあ。でもさ――」
ふっと表情をやわらかくして、
か「ちょっとくらい、いいと思うんだ。こういうの。」
か「それにさ、りっくんと“忘れられない思い出”作りたくて」
り(…ずるいよ、そういうの)
そんなふうに言われてしまったら、もう断れるはずがない。
僕は「…そうだね」と小さく頷いて、一緒に花火をすることにした。
暗闇の中で、花火の光が弧を描きながら弾けていく。
パチパチと火花が散る音が、静かな公園に心地よく響く。
あの夜の色と音は、今でも鮮明に思い出せる。
きっと当時の僕も、「これは一生忘れない夏になるんだろうな」と、どこかで感じていたんだと思う。
そこそこ本数の多い花火セットだったけど、気づけば残りは線香花火だけになっていた。
静かな公園に線香花火の音だけが響く中、かずくんは優しく声をかけてくれた。
か「りっくん。 何かあったでしょ?」
り「えっ」
か「分かるよ。 りっくん、ずっと元気なかったし」
り「…かずくんには敵わないな」
か「話したくなかったら、話さなくていいよ。」
か「俺たちってさ、学校も違うし、毎日会えるわけでもない。 夏にしか会えないじゃん。
か「だから、俺に相談したって、りっくんのそばにいてあげることはできない。」
か「だけどさ――だからこそ、話せることもあるんじゃないかなって思うんだ」
線香花火の小さな光を見つめながら、横顔だけで、どれだけ僕のことを心配してくれているかが分かった。
本当は、隠していたかった。
かずくんには、できることなら知られたくなかった。
でも――ここまでしてくれたかずくんを前に、もう黙っている方が、失礼な気がした。
僕は意を決して、自分がいじめられていること。
そして中学3年から、学校に行けなくなっていることを打ち明けた。
り「かずくん、本当にありがとう。 この1週間、本当に楽しかったよ」
か「僕もだよ」
一呼吸おいてから、かずくんは少し真面目な声で続けた。
か「りっくんにとっては、言いにくいことかもしれないけど…1つだけ聞いてもいい?」
り「うん」
か「高校は、どうするの?」
心地よかったはずの夜風が、一瞬で止まったように感じた。
背中がじわっと汗ばむ。
それでも、「逃げちゃダメだ」と、もう1人の自分がささやいてくる。
逃げたくなる相手は、学校でもいじめっ子でもない。
目の前にいる、大切な人から――だった。
り「…僕、さ。 中3の1学期、ほとんど学校に行けてなくて。」
り「勉強も全然ついていけてないんだ。元々そんなに頭が良い方じゃなかったし…」
弱さを見せるのが怖い。
これ以上、自分の情けない部分を知られたくない、という気持ちと、それでも聞いてほしいという気持ちが喉の奥でひっかかる。
今までは、かずくんのことを「爽やかイケメンで、きっと学校でも人気者なんだろうな」と勝手に決めつけていた。
だからこそ、いじめられっ子の自分のことを知られたら、きっと釣り合いが取れなくなる――そう思っていた。
でも、かずくんは違った。
僕が立ち止まったら、そっと手を差し伸べてくれる人だった。
だから今度は、差し伸べられた手を、僕の方から握り返さないといけない。
り「正直…怖いんだ。 高校に入っても、また同じようにいじめられたらどうしようって。」
り「すごく…怖い」
少し間を置いて、僕はもう一歩踏み込んだ。
り「それに…僕さ。 女の子より、男の子の方を“恋愛として”好きになるんだ。」
り「自分でも変だと思ってる。 みんなは異性を好きになるのに、僕だけ…」
ずっと誰かに言いたかったこと。
でも、家族にさえ言えなかったこと。
これを口にした瞬間、何かが戻れなくなる気がして、息が苦しくなる。
り「ごめんね、かずくん。 気持ち悪いこと言って…。 だけど――」
か「気持ち悪くなんかないよ!」
食い気味に、かずくんの声が飛んできた。
か「女の子が好きだからとか、男の子が好きだからとか、そんなの関係ないよ。」
か「俺は、りっくんの良さ、ちゃんと分かってる」
か「俺たちは夏のあいだにしか会えないし、りっくんの全部を知ってるわけじゃない。」
か「けどさ――それでも、りっくんが“いじめられてる”って聞くと、悔しいんだ」
そう言って、かずくんはそっと僕の左手を握った。
か「りっくんが優しいのは、今日一日一緒にいたら分かるよ。」
か「俺が花火しようって言ったときだって、最初に心配したのは自分じゃなくて俺のことだったでしょ。
ろうそくに火をつけるときも、俺が手で風よけしてたら、火傷しないかってずっと気にしてた」
か「そういう優しさがあるんだから、本当なら、優しい友達に囲まれて楽しく学校生活送ってるのが“普通”なんだよ。
『高校でもまたいじめられるかも』なんてさ、そんな悲しいこと言わないでよ。」
か「りっくんは優しい。だから、大丈夫。」
か「中学は、ただ運が悪かっただけ。
だからさ――勇気を出して、もう一歩だけ前に進んでほしいんだ」
残りの線香花火は、いつの間にか燃え尽きていた。
それでも、かずくんの言葉は、ずっと僕の胸の中で灯り続けていた。
嬉しくて、苦しくて。
家族以外の前で泣いたことなんて一度もなかった僕は、その夜初めて、友達の前で涙を見せた。
り「…ありがとう、かずくん。僕、頑張ってみるよ」
そう言うと、かずくんは、あの爽やかな笑顔でニコッと笑ってくれた。
――中学3年の夏は、僕にとって、特別な夏になった。
もしあの頃に戻れるなら、僕はもう一度、ちゃんとお礼を言いたい。
あの夜の花火と、あの言葉で、僕は救われたんだって。
その夏を境に、かずくんは、僕の中で「特別な存在」になっていった。
「もう大丈夫だ」と、自分にはっきり言えるようになったのは、夏の終わり頃だった。
だけど――埼玉へ帰る日。
駅行きのバスの時間が近づくにつれて、かずくんと離れるのが、どうしようもなく寂しくなって。
僕は人生で2度目の、「友達の前で泣く」という経験をした。
読んでいただき、ありがとうございました。
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次回更新は8月13日 20:00頃を予定しています。
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