第1話
――大学2年、20歳の夏
埼玉から出発して、いくつもの電車を乗り継いで早4時間。
ここからさらに1時間、電車に揺られなければならない。
毎年来ているとはいえ、行き来だけで正直かなり疲れる。
僕が向かっているのは、かつておばあちゃんが住んでいた田舎――
その隣の村だ。
けれど、おばあちゃんはもう二年前の夏に亡くなっている。
おじいちゃんは六年前の冬に亡くなり、父は埼玉、弟にあたる伯父さんは静岡に住んでいる。
だから今では、田舎には親戚は誰もおらず、形式上は「縁の切れた土地」になってしまった。
今年も父からは
「もう無理しておばあちゃんの田舎に行かなくていいんだよ」
と言われていた。
それでも僕には、どうしても行かなければならない理由があった。
父たちにとってはもう繋がりのない田舎かもしれない。
でも僕には、まだかろうじて残っている「たったひとつの繋がり」がある。
その繋がりを、何があっても手放したくなかった。
窓の外の風景は、いつの間にか住宅街から、緑のひろがる何もない田舎の景色へと変わっていた。
おばあちゃんたちの田舎は山奥にある。
そのせいで電車の本数は本当に少ない。
今回の旅も、乗り継ぎの合間の待ち時間だけでどんどん時間を奪われていった。
変わり映えのしない車窓を眺めながら、僕は自然と昔のことを思い出していた。
おばあちゃんが生きていた頃は、毎年お盆の時期になると家族そろって田舎に帰っていた。
僕が住んでいる町は、当時ちょうど都市開発が進んでいて、大型の商業施設が建ち始めていた頃だった。
だから、電車の窓から見える何もない田舎の風景は、僕にとってはすごく新鮮で、心がドキドキしていたのを覚えている。
電車から眺める山や田んぼの景色は、あの頃と大きくは変わらない。
けれど――
以前と決定的に違ってしまったことが、ひとつだけある。
そのままさらに1時間電車に揺られ、そこから今度はバスで山奥へ。
バスに揺られること1時間。
途中の停留所で誰も乗ってこないことからも、おばあちゃんが住んでいた田舎が昔よりさらに過疎化していることが、嫌でも分かる。
それでもまだバスが走っているということは、少なくとも「誰か」は利用しているのだろう。
僕は仮眠を取ったり、旅の前に買っておいた小説を読んだりして時間を潰し、午後3時前になってようやく、おばあちゃんが住んでいた村の“隣”の田舎へとたどり着いた。
着いたのはいいものの、僕の心臓は、さっきまでの眠気が嘘みたいにバクバクと高鳴っていた。
それは、子どもの頃に味わった「冒険に向かうワクワク」なんかじゃない。
(今年こそは……会えるかな)
期待と不安を抱えながら、僕は今日泊まる民宿へ向かった。
⸻
「おー! 馬渡さんとこの子か? よく来たな!」
「いらっしゃい! 疲れたでしょ?」
民宿に着くと、オーナーと女将さんがいつも通りの大きな声と笑顔で迎えてくれた。
ふたりとももう七十代を過ぎているはずなのに、本当に元気だ。
「おじいちゃん、この人だれ?」
奥の方から、五歳くらいの男の子がひょこっと顔を覗かせた。
女「たっくん、この方はお客さまだよ。 ほら、ご挨拶して」
孫「こ、こんにちは」
り「こんにちは。馬渡陸です」
オ「すまんな。 実はな、娘たちが帰ってきてて、今ちょうどこの民宿に泊まってるんだ」
り「そうだったんですね。 家族水入らずのところを、すみません」
オ「いやいや、謝らないでくれよ。 こっちは久々のお客さんでうれしいんだから」
女将さんも笑いながら頷く。
女「そうそう。 こんな田舎にまた帰ってきてくれて、本当にありがたいんだから。 」
女「遠慮なんていらないの。 さ、ゆっくりしていってね」
り「ありがとうございます。 あ、でも、実はこれから寄りたいところがあって」
オ「おう! 電話で言ってた、上村さんのところだろ?」
り「はい」
オ「おーい、新太くーん! 昨日話した馬渡さんの件、今お願いできるかい?」
り「え?」
オーナーは大きな声で二階に向かって呼びかけた。
新「はい、大丈夫ですよー」
階段から降りてきたのは、四十歳くらいの男性だった。
オ「新太くんはな、うちの娘の旦那でね。
昨日、馬渡くんがお見舞いに行きたいって話したら、病院まで送ってあげるって言ってくれてな」
り「え? そんな、悪いですよ。 歩いて行けない距離でもないですし」
新「いやいや、病院まで歩いたらけっこうあるよ」
女「そうよ。それに、今日は遠い埼玉から来てくれてるんだから。 疲れてるでしょ?」
女「ここは新太くんの優しさを素直に受け取っておきなさい」
り「……それじゃあ、お言葉に甘えて。 よろしくお願いします」
僕は新太さんのご厚意に甘えて、車で病院まで送ってもらうことにした。
道中、車の中で少し雑談をする。
話によると、新太さんは昔、僕のおばあちゃん家のある村の方に住んでいたことがあるらしい。
その後、この民宿のある隣村へ引っ越してきて、オーナーの娘さんと出会い結婚したとのこと。
本当に、世間は思っているよりずっと狭い。
車を走らせて10分ほど。
田んぼと畑が並ぶ風景の中に、ひときわ新しい、立派な建物が見えてきた。
そこが、上村のおばあちゃんが今暮らしている医院併用住宅――診療所と住宅が一体になった建物だ。
以前は、ドラマに出てくるようなこぢんまりとした医療施設だった。
それが、新しい医師が赴任してきてから変わった。
医「私が来たからには、ここに住んでいる人たちには、生まれ育ったこの田舎で最期を迎えてもらいたい」
そう強く願った医師が中心となって建てられたのが、今のこの新しい医院併用住宅だ。
まだ建って数年しか経っていないこともあり、周りの古い家々の中で少し浮いて見える。
それでも、田舎の人たちからは感謝されている場所だ。
新「それじゃあ俺はここまで。 ゆっくり話したいだろうし、帰りも連絡くれれば迎えに来るから、遠慮なくな」
り「ありがとうございます。 本当にお世話になります」
新太さんの車が見えなくなってから、僕は病院の中へ入った。
中の受付スペースは広くはないけれど、こざっぱりとしていてとても綺麗だ。
医「はーい」
奥から、笑顔の爽やかな三十代後半くらいの医師が現れた。
医「見ない顔だね。今日は診察かな?」
り「いえ、上村さんのお見舞いに来ました」
医「ああ! 馬渡くんか。 上村さんから聞いてるよ。 さ、どうぞ」
面会の手続きもなく、そのまますぐに中へ通されるあたりが、いかにも田舎の病院らしい。
いや、今日会った人たち全員が、僕が「お見舞いに来ること」をすでに知っていたくらいだ。
田舎の情報網、おそるべし、という感じだ。
医「ここが上村さんの病室だよ。
何かあったら一階にいるから、すぐ呼んでね」
り「ありがとうございます」
僕は一度深呼吸をしてから、病室のドアをノックした。
「はい」
中から聞き慣れた声がして、僕はそっとドアを開けた。
上「ああ!」
り「失礼します。馬渡陸です」
上村のおばあちゃんは、僕の顔を見るなり、本当に心からうれしそうに目を細めた。
上「ありがとうね。今年も来てくれて」
り「いえいえ。お体の方は、どうですか?」
上「そうねぇ、今はなんともないわよ。
ごめんなさいね。 今年は私の家に泊まらせてあげられなくて」
実は、おばあちゃんが亡くなってからの数年間、僕は毎年、上村のおばあちゃんの家に泊めてもらっていた。
お金のない大学生にとって、それは本当にありがたかった。
泊めてもらえるだけじゃなく、朝昼晩のご飯までご馳走になっていたのだ。
その代わりと言ってはなんだけれど、僕なりに家の掃除やお墓の掃除など、できることは精一杯やってきたつもりだ。
それでも、受けた恩に比べれば全然足りないと、いつも思っている。
それなのに上村のおばあちゃんは、
「来てくれるだけで本当にうれしいのよ」
と何度も繰り返してくれていた。
おばあちゃんが入院しているのは二階の病室だ。
ベッドが二つ、そのほか簡易ベッドを二つほど置けるスペースがある。
今は入院患者がおばあちゃんひとりだけなので、部屋はやけに広く感じられた。
上「いつ帰ってきたの?」
り「さっきです。 さっき民宿の人たちに挨拶してきました」
上「あらあら、疲れたでしょうに」
り「いえ。 おばあちゃんに早く会いたかったので」
上「……本当に、ありがとうね。 感謝してもしきれないよ」
それからしばらく、僕とおばあちゃんはとりとめのない話をたくさんした。
大学生活のこと。
将来の夢がまだ決まっていないこと。
おばあちゃんは、ひとつひとつの話をうんうんと頷きながら、優しい表情で最後まで聞いてくれる。
ちなみに僕は、上村のおばあちゃんのことを
「上村さん」ではなく、普通に「おばあちゃん」と呼んでいる。
最初の頃は「上村さん」と呼んでいたけれど、以前泊まりに来たときに、
上「孫ができたみたいで、本当にうれしいよ」
と笑ってくれたことがあった。
それからは、遠慮なく「おばあちゃん」と呼ぶようになった。
毎年お世話になっているお礼としてはあまりにもささやかだけれど、
こんなことで喜んでくれるなら、僕は何度でも「おばあちゃん」と呼んであげたいと思った。
り「ねえ、おばあちゃん」
まだまだ他愛もない話をしていたい気持ちもあった。
でも僕には、どうしても聞いておきたいことがひとつあった。
上「どうしたの?」
り「……その、体のこと。どれくらい悪いのかなって」
一瞬、空気が止まった気がした。
おばあちゃんの体調が良くないと聞いたのは、つい最近だ。
僕は毎年お盆に合わせて、上村のおばあちゃんのところへ帰ってきている。
例年通り、七月頃に電話をかけて
「今年も泊まらせてください」
とお願いしたとき、
いつもなら明るく「楽しみにしてるよ」と言ってくれるおばあちゃんの声が、その年だけは少し暗かった。
そこで、おばあちゃんは
「病気が見つかって、八月には入院しないといけなくなった」
と教えてくれた。
上「だから今年は、泊めてあげられないんだ。本当にごめんね」
そう言われて、僕はおばあちゃんの病状が思っていたよりも重いのではないかと感じていた。
上「実はね、もうそんなに長くないみたいなの」
り「え……?」
上「お父さん、タバコいっぱい吸ってたでしょ? その影響かしらね」
おばあちゃんは冗談めかして笑ったけれど、僕は何も言い返すことができなかった。
上「りくくん、そんなに悲しい顔しないで」
おばあちゃんは、今度はさっきよりもずっと柔らかい笑顔で言った。
上「私はね、本当に幸せだったのよ。
最後にかずくんと会わせてくれて。
孫はもう無理だと諦めていたけど、
あなたが私たちの孫になってくれて。
これ以上何を望んだらいいの、って思うくらい幸せだった。
だから、もう十分なんだよ」
かずくん――上村和也。
それが、上村のおばあちゃんの息子の名前だ。
僕が毎年お盆の時期にこの田舎へ帰ってくる理由。
そして、どんなに縁が薄くなってもこの土地との繋がりを手放したくない理由。
そのすべては、上村和也との記憶に結びついている――。
読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は 8月7日 20:00頃 を予定しています。
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