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第八話 【召喚編】黒幕

吉野山での襲撃から幾日か経った。

呪いも再発することなく、完全回復と言っていいのではないだろうか。

目が覚めて、清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、伸びをする。

「ひぇ」

近くに人の気配を感じて、ビクリとした。

「ワシじゃ」

いつもなら空海と山駆けに出ているオズヌが、枕元にいる。

寝起きドッキリとかヤメてほしい。

「なによ、驚かせないでよ」


わたしは奥の間を出て、炊事場で顔を洗い、口をすすぐ。

「炊事場で朝支度をするなと言うておるじゃろが」

朝餉の準備をしている前鬼に小言をくらう。

だって、まだ、外の手水場(ちょうずば)の水が冷たすぎるのよ。

「ほんに、ほんに。行儀が悪いのぅ」

後鬼はそう言いながら、手ぬぐいを手渡してくれる。

わたしは顔を拭って、手ぬぐいを返す。

これが朝のルーティーン。

スキンケアなし、メイクなし、十七歳のわたしは水洗いだけで、お肌ピッチピッチなのだ。

そして、スマホチェックもなし。


居間に戻ると、オズヌが座っている。

「今日はどうしたの?山駆けいかないの?」

「少し、話をしようと思っての」

「えっ、わたしと?」

頷くオズヌ。

今更、改まって話ってなに?すこし訝しく思いながらも、オズヌと向き合う形で座った。

そこへ、朝餉の支度を終えた後鬼が入って来て、わたしの髪を梳(と)かし始める。

いや、わたしが後鬼をこき使ってるわけじゃなくて、後鬼はなぜかわたしの世話を焼きたがるのよ。


「話って?」

後鬼に髪を引っ張られ、吊り上がった表情のままオアズに尋ねた。

オズヌは至って冷静に「たまお、ヌシは何ぞ夢を見んかったか?」と言った。

「夢?」

わたしは、少し拍子抜けして聞き返す。

オズヌの様子から、何か深刻な話があるのではと気構えていたのだ。

「夢って、あの夢?寝てる間に見る夢のこと?」

「そうじゃ」

わたしは、少し考える。

見たような、見てないような・・・どうだろう?


「夢ってさ、見てても起きたら忘れちゃうよねぇ」

何か見てたけど、その内容は覚えてないってこと多いよね。

「夢を忘れる?」

オズヌが重大事を打ち明けられたように驚いた顔で、わたしを見た。

「そうそう、何かに追っかけられてたような感じは覚えているけど、夢だった・・・みたいな、夢で良かったぁみたいな、感じ?わかるでしょ」

オズヌと後鬼が信じられないといった表情でわたしを見る。

後鬼のわたしを見る目なんて可哀想にという思いがありありと出ている。


「いやいや、夢だよ・・・どうした?二人とも」

「夢を覚えておらんのか?」

オズヌが聞いてくる。

「いや、覚えてるときもあるよ、たまにだけど」

「たまにか?」

「たまに」

変な間が空く。


「なにかの呪いでしょうか?主様」

後鬼が気の毒そうに聞く。それは、いくらなんでも言い過ぎでしょう後鬼。

「いや・・・ただの阿呆じゃな」

「はぁ?たかが夢でしょうが!」

わたしは呪い明けであることも忘れて、声を荒げた。

反論しようとするわたしを手で制して、オズヌは言った。

「たまお、おヌシは眠るであろう?」

「そりゃぁ寝るわよ」

何をわざわざ確かめようというのか、理解できない。

「人より多めに眠ります。主様」

なんだよ後鬼、まるで学校の三者面談で日頃の生活態度の悪さを先生にチクる母親のような振る舞いじゃないか。わたしは肘で後鬼を小突く。


「そこでじゃ、たまお。人は人生の半分を眠って過ごす」

「なに真剣な顔して、あたり前のこと言ってんのよ」

「夢を見ぬ、夢を忘れるということは、人生の半分を捨てていると思え」

「ほんに、ほんに」

いやいや、大げさすぎるだろ。夢だよ、夢。


「夢を大事にせぇ、たまお。御霊を感じよ」

とても真面目な表情でオズヌが言う。

うん、これはあれだ、ジェネレーションギャップだ。元の時代の昭和上司を思い出す。何かと言えば精神論を持ち出すおじさんとは議論しても無駄なのだ、聞き流すに限る。

ましてや、オズヌとわたし何世代離れてる?千年だよ、千年。

時代が違う。違いすぎる。

「・・・うん、わかったよ、そうする」

言っておいて、そうするって、どうすることなのか、わたしにはさっぱり分からないのだけど・・・


「たまお」

オズヌが険しい声で、わたしの名を呼ぶ。

この話、続けられても困るなと表情に出てたんじゃないだろうか。

それでも、オズヌは続けた。

「もし、これから夢を見ることがあったら・・・オヌシの夢に母者が出てくることがあったら・・・教えてもらえぬか」

マザコンか!なんてツッコめないほど真剣な表情のオズヌに「わ、わかった・・・教える」と告げた。

庭から「仙師よ、話はでけたかぁ」と山駆けから戻った空海の呑気な声が届いた。


空海が手ぬぐいで体を拭いながら庵に入ってきた。

「たまおも具合はどうじゃ?」

「ありがとう、もう大丈夫」


空海は、すっと腰を下ろし、衣服を整える。

空海を見ていて思うのだけど、単純な所作が綺麗なんだよね。修行の賜物なのかも知れない。

それに引き換え、オズヌと来たら、片膝立てて、脛丸出しなんだよね。

まあ、美少年のツルツルの脛ということで、許すとするけれども。


「では、吉野での話を聞かしてもらおうかの」

「あれ?聞いてないの」

わたしは、てっきりオズヌがもう話を済ませていると思っていた。

「うむ。仙師が、たまおの回復を待ってから話すと申されたきんな」

わたしの回復を待つ?そんな必要があるか?小首を傾げる。

「で、吉野はどうじゃった?」

まるで旅行の感想を尋ねるようなノリに釣られる。

「すごかったよ!桜!」

ハァっ二匹の溜め息が聞こえた。いつの間にか、前鬼も縁側に腰かけている。

いやいや、そんな残念そうな目で見ないで。


「んんッ」

わたしは仕切り直そうと咳払いを挟んで言った。そう、わたしにも確かめたいことがあるのだ。

「オズヌ、吉野で襲ってきたのは、蝦夷(えみし)の里で襲ってきた奴と同じでいいのかな?」

「そうじゃな」

「あの影は、黒幕ってこと?」

蝦夷の里で、ゾンビを祓った後、オズヌは”とうとう姿を現さなかったな”と言っていた。

オババさんを殺し、屍を操った黒幕がいるとオズヌは言ったのだ。

あの黒い影が、ゾンビを操る術師の姿なのか。わたしは、それが知りたかった。

「黒幕の影じゃな・・・あの影自体に実体はなかったの・・・」

な、なんと、実態なしにあれだけのゾンビを操り、わたしに呪いまでかけたのか・・・


「いっぺん、初めから話してもらえんかのう、仙師よ」

オズヌが、順を追って吉野での襲撃を空海に話して聞かせる。

わたしが呪いをかけられるところまでくると、「杯を割らんかったんか!?」信じられないという表情で空海がわたしを見る。

だれも割れって教えてくれなかったじゃんよ!


「ええか、たまお。よう聞いとき。口をつけたもん、それから髪や切った爪なんぞは、ようよう気ぃつけて始末せえよ。とりわけ、女子は・・・」

今日は厄日か!朝から小言ばかり食らって、うんざりだ。

「経血でしょ!わかってるから」

空海が話し終わるのを待たずに言ってやる。

「・・・うむ、わかっとるならええんじゃ」

まったく、もう・・・あれ?今、わたしなんて言った・・・経血?

そんなこと、なんで知ってる?呪いのことなんて知るわけないじゃん。どういうこと・・・


「で、呪われた時どうじゃった?」

「えっ?」

「呪いが発動してからのことは、オマエしかわからん。話せ」

ああ、呪いの話ね、呪われた時ね。

わたしは、なにか釈然としないまま、話を進める。

「胸がギュッて、心臓を鷲掴みにされたみたいになった」

わたしはあの時を思い出し、実際に気分が悪くなる。痛みというより、呪いの禍々しさに恐怖していた。

「その後のことは、覚えてないんだよね・・・」

「う〜む」

空海だけでなく、オズヌと二匹の鬼たちも同様に唸る。

呪われた後のことを、皆、聞きたかったらしい。

期待に応えられず申し訳ないという気持ちもあって、関係ないけど気付いたことを言ってみる。

「ゾンビが凄く強くなってたよ・・・武器も持ってて」

「その通りじゃ。しかも、あやつら連携しておりました」

後鬼が加勢してくれる。

「蝦夷の里で襲われた時より、力を増しとったいうことですかのう、仙師」

「ほうじゃな」


「ねえ、どうやって勝ったの?」

わたしが覚えている限り、もう、絶体絶命の状況だったのだ。

「前鬼、話して聞かせよ」

「ええ」と応えて「たまお、オマエが祠の井戸に落ちた後・・・」前鬼はわたしに語りかける。


胸に痛みを覚えて、フラフラと落ちてしまったあの穴は、井戸だったのか。

水はあったか?思い出せない。

なんていうか、わたしが感じていたのは、肉体的な落下というより、意識の落下というか・・・いや、わからない。やっぱり思い出せない。


「・・・ワシらは押し寄せる屍の群れを討っては払い、また、討ってと限りのない屍の群れと戦っておったんじゃ、ワシらも、主様も傷を負い、ここまでかと思った時じゃった・・・たまお、ヌシが落ちた井戸から、大巫女様の姿となって現れたんじゃよ」

興奮を隠すこと無く、前鬼が言った。

「ほんにほんに金色の光に包まれておってな、それは、もう神々しい姿じゃった」

後鬼がわたしに頬ずりするように抱きしめる。


「そして天の御霊を降ろされて、あの厳つ霊(いかずち)よ!ワハハハ」

痛快とばかりに前鬼が笑う。

「あれは大巫女様でしたよな、おまえさんよ」

「間違いない大巫女様であったわ」

「仙師もそう思われるので?仙師の母君、大巫女様がたまおに憑いたと」

「そうじゃな」

なるほど、それでさっきの夢の話につながるわけかと納得する。


「たまおは稀に見る憑代であるようじゃな」

「こやつの腹には玉があっての、不相応な立派な玉じゃ」

「だからぁ、わたしの中に玉はないから!」


「仙師よ、玉とは何じゃ?」

いや、空海、真に受けること無いから。オズヌの悪い冗談に決まってるんだから。

「神威の依代よ、山に磐座、人に玉じゃ」

「ほぉ、それは面白いのう」

「面白いって、空海。信じるの?」

「信じるも信じんもないやろ、たまお。おまえが厳つ霊(いかずち)を放つところを、皆が見とるんや。ほいで、その厳つ霊(いかずち)を放つには大御霊を降ろさないかん。大御霊を降ろすんに玉が要るいうことなら、答えはひとつやのう」

とんでも理論だが、理屈として通っていると認めざるを得ない。


「で、たまおよ、その仙師の母君が憑いた経緯を覚えておらんのか?」

「う〜ん、なんにも覚えてない・・・倒れて、目が覚めたらここだったから」


「とにかくじゃ、敵の呪物は時々刻々と力を増していると考えたほうがエエじゃろな」

「そういうことですな。しかも、仙師がたまおを憑代として使えんようにしておいて倒そうとしたんでしょうな」

「蝦夷の里でワレがたまおに憑依するのを見ておったんじゃな」

「これは急がねばなりませんな」

空海とオズヌ、それに二匹の鬼たちも頷いた。

うん?何かみんなで取り決めているのだろうか。

「急ぐってなにを?」

わたしが問いかけると、空海もオズヌも「う〜ん」と唸ったまま言葉がない。

ノープランかよ!そう叫んだわたしのお腹がグググうとなった。


で、朝餉を食べながら「あのぉ、不思議に思うんだけど」とわたしは疑問に思っていることを口にする。

「なんで蝦夷の里で襲われたんだろう?なんで吉野で襲われたんだろう?」

小魚を齧り、飲み込む。

「仙師が狙われとると、たまおは言うんかのう」

「だって、そう思わない?そうとしか考えられなくない?」

「それで」

「うん、あとなんでこの庵を襲ってこないのかってこと」

お吸い物を口にする。

「ああ、それは簡単なことや。ワシが結界を張っとるきん、そう簡単には攻撃できんのやろ」

結界かぁ、蝦夷の里では、その結界をわたしが破ったとかでロボみたいな土偶が飛び出してきたんだった。

で結界が破れたことで、呪物が入って来たのか。

すると問題は、なぜ、オズヌなのかということ。

「なんで、オズヌなんだろう?」

「ワレが天下一等の術師じゃからじゃ」

判りきったことを言うなとオズヌが胸を張る。

いやいや、動機不十分でしょ、それ。


「で、誰かに恨まれている。で、そいつが呪物を手に入れたってことかな?」

「ワレのように徳の高い人間が恨みを買うかよ」

その自己肯定感の高さが羨ましいよ、まったく。

「手に入れた人間に、扱えるような代物やとは思えんのやが・・・」

空海の呟きを聞き流すわけではないんだけど、一旦、置いといて、話を進める。

「恨みを買うようなことのないオズヌでも、天下一等の術師として妬みを買うことはあったんじゃない?」

二匹の鬼がピクリと反応したように見える。

そっぽを向いているオズヌに、わたしは重ねて聞く。

「どう?妬みを買った覚えはない?」


「韓国広足(からくにのひろたり)」

前鬼と後鬼が声を合わせポツリと言った。

「時代が違いすぎるわ」とオズヌが笑う。

「1200年後の人間を前に、時代が違いすぎるとか言う?」

「韓国広足・・・仙師を裏切ったお弟子でしたなぁ・・・」

前鬼が話してくれたオズヌを裏切った弟子の名前が韓国広足!ユダの名前か!


「空海の意見を聞かせて」

脇に置いた空海のさっきの呟きを拾って尋ねる。

「うむ。先ほども言うたが、我が師、恵果阿闍梨が託された呪物が、人に操れるようなもんやとは思えんのう」

「うん、人が操っているかどうかは別にして、オズヌを狙っているというのはどう思う?」

「あり得ることやと思う」

空海の返事を聞いて、わたしは思いついたことを口にする。


「ねぇ、空海。結界を解いたら、呪物はここに来るかな?」

みなの表情が引き締まる。

「呪物を誘うということか?」

「そう、どう、無理そ?」

空海はオズヌと目を合わせてから「やってみるか」と言った。


空海が庵を囲む山々に貼った御札を回収した頃には、日は暮れかけていた。

庵の居間に護摩壇を設置し、壁には曼荼羅をかけた。

オズヌは錫杖を磨き、前鬼は斧を研いでいた。

後鬼はといえば、藁人形をせっせと作っている。

藁人形が人型になったところで、「たまお、ごめん」といって、わたしの頭から髪を一本抜き取って、藁人形に編み込んだ。後鬼が言うには、また、わたしが呪いにかけられそうになったときに、その藁人形が形代となって呪いを引き受けるらしい。


やがて、夜もふけ、半蔀を降ろして、戸を閉めた。

油皿に菜種の油を注いで、芯に火を付け灯明とする。

それを五つ六つばかり部屋の隅に置いておく。

薄明かりに照らされたムーディーな空間ができあがった。


「では、待つとしますか」


最初は、部屋の雰囲気もあって、緊張感を維持できたのだが、コクリコクリと舟を漕ぎ始める。

夢を見ないのは、人生の半分を捨てること・・・オズヌはそう言った。


遠くからドンドンドンと戸を叩く音が聞こえてくるような気がする。

わたしは森の中で一人ぼっちだ。29歳の佐藤たまおの姿でである。ああ、やっぱり夢なんだと思う。

思いながら、どちらのことを夢と思っているのかがわからない。

行かなければと思うのだが、どちらに歩みだしていいのかわからない。

水を一杯にした盥を叩くような鈍い音がする。

その音はどんどん大きくなりわたしを飲み込もうとする。

”ドン”と心臓に杭を打ち込まれたように響いた。

「ひゃっ!!」と叫んでわたしは身を起こす。


ドン・・・ドン・・・と力なく戸を叩く音がする。


灯明の薄明かりの中、空海がオズヌとわたしに目配せしてくる。

わたしは一気に目が覚める。

蛇鉾鈴を手にとって構える。


空海は立ち上がり、足音を忍ばせて妻戸の前に立って声をかけた。

「この夜分に、どちら様で」

妻戸が外からもたれかかられたように軋んだ。

「・・・・」

か細い声が聞こえるが何を言っているかわからない。

わたしはオズヌを見て、鈴を振るべきか確認する。

オズヌはいらぬと手と目で伝えてくる。

わたしは構えた鈴を握った手を膝上に置いた。


敵であれば、床下に潜んでいる前鬼と後鬼が何らかの動きをしているはずだ。

それがないのだから敵ではない・・・少なくとも危険はないということなのかな?


空海が「この夜更けにどなたでしょうか?」と再度問いかける。

わたしとオズヌは妻戸の方へ耳を澄ませる。

「ま・・・真魚か?」

声ちっちゃ、戸をドンドン叩いてた同一人物なの?声は、しわがれ声で、どこか怯えた気配さえする。

とりあえず、物怪の類ではなさそうだ。


「真魚・・・ではないのか?」

戸の向こうから再び声がすると、空海は「叔父上⁉」と声を上げ、戸の閂をガタガタと抜きにかかる。

叔父上?えっ、空海のおじさんが来たの?この時間に?

薄く開かれた妻戸から、よろけながらおじいちゃんが入ってくる。


「叔父上!」と空海がその肩を支える。

「どうされたんじゃ、気を確かに!叔父上」とおじいちゃんを励ます。

「ああ・・・真魚よ、ワシを匿ってはくれぬか」

おじいちゃんが惨めな声で懇願するように言う。

「どうされたんじゃ?とにかく中へ」とおじいちゃんを連れて居間へやってくる。

おじいちゃんは弱りきっている様子だ、わたしは急いで炊事場へ行き、水を汲む。

眠気はとうに去っている。


「ま、真魚・・・」

「なんです?」

「おぬし、まだ、此奴とつるんでおるのか?」

「叔父上・・・」

そんな遣り取りを背中で聞いた。


わたしは水を持って居間に戻る。

「久しいのう、阿刀大足(あとのおおたり)。変わりはないようで何よりじゃ」

これだ、これだよ、オズヌの嫌なところは、匿ってくれと来たおじいちゃんに変わりはないようではないだろう。見なさいよ、疲れているはずのおじいちゃん怒りでプルプルしてるよ。


空海がおじいちゃんを上座に座らせる。

わたしはおじいちゃんの前に水を差し出す。

「うむ」とおじいちゃん。

「はっ」”うむ”って、それだけかよ、失礼だろ!と思った瞬間、声が出ていた。

「おじいちゃんね、お水出してもらって、うむはないでしょ。ありがとうぐらい言わないと、嫌われるよ」


おじいちゃんが目を剥いてわたしを睨む。

「いや、すまん。たまお、ワシから礼を言うわ、ありがとうな」

「なんじゃこの童は・・・礼儀を知らぬッ」

あっ、なんだとジジイ、ありがとうも言えない、あんたが礼儀を語るのか、煽るように睨みつけてやる。

「たまお」

空海がわたしを手で制し、「叔父上、紹介させてもらいます。この童、オズヌ仙師の従者のたまおですわ」とおじいちゃんに、わたしをオズヌの従者と紹介する。

「だれがオズヌの従者だよ!」

わたしは空海に食ってかかる。

また、空海がわたしを手で制す。

そして、手をおじいちゃんに向けると「こちらはわたしの叔父上であり、従五位下、明経博士(みょうぎょうはかせ)、阿刀大足ですわ」

やたら肩書をつけて、おじいちゃんを紹介した。貴族なのか、しかも学者で、あっそうですかって感じなんだけど、偉い人だからわきまえろという事ですか?

いやいや、わたし、もう、おじいちゃんのこと阿刀爺と呼ぶことに決めたから。


「で、大足、何事じゃ?」とオズヌ。

「おのれなんぞに話すか!」

阿刀爺はオズヌを心底嫌っている様子。

「いや、叔父上、話してもらわんと。匿うとはどういう事ですのん?」

「伊予親王が誅殺(ちゅうさつ)されたのじゃ」

場に緊張が走った。誅殺って、殺されたって事だよね。


「伊予親王って誰?」

ピーンと張った場の雰囲気が一気に崩れた。

「この戯けがッ!」

阿刀爺が叫び、カカカカとオズヌは笑う。

「先の桓武天皇の第三皇子にして中務卿(なかつかさのきょう)ですわ」と空海が説明してくれる。

第三皇子と聞いて、ことのヤバさをわたしも理解する。


「母君である藤原吉子様も一緒に・・・」と阿刀爺。

「しかし、叔父上・・・以前、叔父上の文には平城天皇と伊予親王の関係は良好とあったやないですか」

「誰に嵌められた?」とオズヌ。

「藤原宗成に諫言されたのじゃ」

「藤原宗成?聞かん名やな」

空海が小首を傾げる。


「無位無官の輩じゃからな、藤原北家の出来損いじゃ、朝廷の外の者には知られておらん」

「その宗成が、なにをしたんですか?」

「その宗成が、伊予親王に謀反を勧めたのじゃが、そのことは伊予親王から直々にワシも聞いておっての。もちろん伊予親王に謀反の思いなど一欠片(ひとかけら)もなかったんじゃ・・・無位無官の貴族が、皇位継承権を持つ皇子におべんちゃらを言って取り入ろうとしている、その程度のことと思うておったんじゃ」

「その状況が変わったんですね?」

「そうじゃ、伊予親王と宗成の密会を重く見た大納言藤原雄友様が右大臣藤原内麻呂様に報告されたのじゃな。雄友様は伊予親王からみれば母方の叔父にあたる。ややこしい事が起こるのは未然に防ぎたいという思いがあったじゃろ。しかも、宗成は内麻呂様と同じ北家の人間、右大臣である内麻呂様が小僧にお灸を据えて終わりという結末を見ていたであろうな。で、北家側に恩を売ると」

「そうならなかったんですか?」

「内麻呂様が動かれなんだ・・・いつしか伊予親王謀反の噂が囁かれ始める事態となった」

「伊予親王はどのようにされたんですか?」

「伊予親王はワシにどうすべきかと尋ねられての、ワシは、すぐに平城天皇に直接お会いした上で、藤原宗成の一存であり、伊予親王ご自身は関与していないと申開きするように言うたんじゃ」

「伊予親王はそのようにされたんですね」

「うむ」

「じゃぁ、なんで伊予親王が捕まっちゃうのよ。おかしいじゃん」

「平城天皇はすぐに兵を遣わして宗成を捉え尋問したんじゃ・・・すると宗成は、言うに事欠いて、謀反の首謀者は伊予親王であると言いおったのじゃ・・・」

「そがな者の言うことを、帝が信じなさったんですか?」

空海が言った言葉に、わたしも頷く。

「平城天皇は激しやすい御性格でのう・・・この時も激怒され・・・」

「伊予親王が捉えられたと・・・」

「うむ。それだけではなく大納言藤原雄友様も流刑となった」

「それもう、藤原内麻呂が真犯人ってことでよくない?」

だって、藤原内麻呂って人が、うちうちで納めておけば大事にならなかった訳だし、何もしなかったのは、思うところがあったからに違いないと思うんだよね。


「危うすぎるのう、内麻呂は確かに何もせんかったが、事を起こした奴は他にいそうじゃな」

「どゆうこと?」

「藤原内麻呂様は藤原北家の当主やきん、同族の宗成を使うんは、危うすぎるいうことやのう」

「さてさて、平城天皇と伊予親王の関係は良好であったとはいえ、皇位継承における伊予親王の確かさというのは目障りであったろうな。たしか藤原雄友は藤原南家であったな、藤原吉子の兄でもある」

オズヌは何気に朝廷の事に詳しいじゃないかと、わたしは感心する。

「つまり、藤原北家からは無位無官の者が一人、藤原南家からは当主と吉子様、それに将来の出世の綱やった伊予親王が排除されたいうわけですな」

「ほらやっぱり、北家が・・・」

「北家と南家だけならな・・・」とオズヌ。

「えっ他にもあるの?」

「北家に南家、それに京家と式家で藤原四家じゃ」

「京家は無視しても構わぬ。問題は残る式家じゃ」

阿刀爺が苦虫を噛み潰したような表情で言う。


「う〜んまだわかんないんだけど・・・その藤原さん家の内ゲバで、なんで阿刀爺が匿ってってなんの?」

「だれが、阿刀爺じゃ!」

「伊予親王が政権転覆を考えていたなら、その罪は累に及ぶ、それで逃げてきたというわけじゃな」とオズヌ。

「いや、そこだよ。伊予親王が誅殺されたからって、なんで阿刀爺がうちに来るのさ」

全員が残念そうな顔をする。なんだよ、馬鹿にされるのはもう慣れた、わからんことはわからんのだよ。

「叔父上は伊予親王の侍読(じとう)を務めよったんや」

「侍読ってなに?」

もうわたしは馬鹿と思われることを恐れていない。馬鹿ですから。

「侍読とは教育係のこと。叔父上は大学寮のそとで伊予親王に学問を教えよったんよ」

阿刀爺は第三皇子の家庭教師だったってこと、凄いじゃん。


「さて」

オズヌが錫杖を持ち直し言う。

「状況がわかったところで、大足よ。そち、厄介なものを連れてきておるぞ」

「⁉」

閉め切った部屋に風が起こり、灯明が揺れた。

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