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第六話 【召喚編】いいね

二匹の鬼が突然消えて、何が起こるのか、わたしの緊張はMAXだ。

「ごめんください」

そこに、のどかな訪(おとな)いの声が響いた。

なんだよ、お客さんかよ・・・びっくりさせないでよ!二匹の鬼に毒づかずにはいられない。

空海の返事を待ちながら、わたしは庵の方を向いた。

返事がない・・・聞こえてないのか?


「ごめんください」

前より、大きな声がする。

「空海、お客さん!」

わたしは庵に声をかけ、中を覗き込んだ。

誰もいない・・・どこ行った?出かけるなら、出かけるで声をかけろよ、まったくもう!


「は〜い」

わたしは、返事をして門に駆け寄る。

「なにかごようでしょうか」

門前で控えていたのは、若い男だった。

見るからに、村の青年といった感じで、結い上げた髪を麻布で縛り上げ、粗末な衣服に、籠を背負っている。

こっちに来て初めて出会う、わたしと同系統の顔立ちだった。

縄文系か、弥生系かで言えば、弥生系。濃い口ではなく、薄口。

バランスよく配置された小ぶりの目鼻。まず、男前と言っていいのではないだろうか。


「里長(さとおさ)から春の幸をお持ちするよう言いつかりまして・・・」

素朴さの中に凛とした気概のある物言いは、青年団団長といった感じだ。

わたしが出てきたのが意外だったのか、少し戸惑っている様子。


頬を赤らめながらチラチラとわたしを盗み見ている。

なんだよ、もう、可愛いじゃんかよ。ほれ、ほれ、見よし、見よし。

なにせ、今、わたしは超絶カワイイ服を着ているのだ。


「空海上人はいらっしゃいますでしょうか」

真面目か!なにか、わたしに一言あってもいいんじゃないかと思うのよ、まったく気が利かない。

「空海は出かけちゃったみたいなんだよね」

青年への失望もあって、ちょっとぞんざいな物言いになってしまった。


「失礼ですが、あなた様は・・・」

「あっ、わたしは・・・」

なんて言えばいいのだろう?

「ええとね・・・しばらく、空海のところでお世話になることになった・・・みたいな?」

青年は、胡散臭そうにわたしを見る。

「空海上人がお帰りになるまで、お待ちしてよろしいでしょうか?」


で、二人して庵の階(きざはし)に腰掛けて空海の帰りを待つことになったのだが、どうしよう、なにを話せばいい?

「あのさぁ、ここから里までどのくらいなの?」

当たり障りのないことを聞いてみる。

「そうですね、半刻といったところでしょうか」

「あっ、ハンコクね、そっか、ハンコクかぁ」

半刻って何分だよ・・・わからんよね、適当に相槌を打つ。

下手をうつ前に、仕切り直したほうがいい。

「あっ、ごめんなさい、お茶も出さずに・・・」

わたしは、一旦、炊事場へ下がろうとして、立ち上がった。

「お茶?」

青年が、頭に?マークを浮かべながら、こちらを見ている。

しまった、早速、やらかした、お茶のない時代なんだよね。

「あっ、わたしの里では、その、お水のことをね、お茶って言ったりしたりして・・・」

苦しい言い訳をして、炊事場へと向かう。

そこに、二匹の鬼がいた。


「なに、コソコソしてんのよ!」

お客さんである里の青年を避けて、身を隠す必要なんてないでしょうが、わたしは言ってやる。

そう、鬼だからって隠れることはないのだ。むしろ、堂々とするべきでしょうが、鬼が隠れてかくれんぼができますかって話でしょうが。

「コソコソなどしておらぬ」

「ほんに、ほんに」


「空海はどこ行ったのよ?」

「オヌシが飯を食うてる間に、主様と山駆けに出たわ」

「いつ帰ってくるのよ?」

「知らぬわ」

ほんと、この二匹は空海のことになると、たちまち不機嫌になる。


「お客さん来てるんだけど、帰るまで待つって言ってるんだけど」

「呼べばエエじゃろ」

「呼ぶってどうやって?」

二匹が怪訝な顔をする。

「山に向かって叫べばええじゃろ」

「ほんに、ほんに」

「えっ?」

「やってみい」

前鬼がうるさそうに言う。


客人を待たせるわけにもいかず、炊事場から顔だけ出して叫ぶ。

「空〜海〜、客さんだよ〜!!!」

わたしの声が山に木霊する。思ってた以上に恥ずかしい。


「これでいいの?」

二匹の鬼が頷いた時だった。

「すぐに戻る」

空海の声が、わたしの目の前で弾けた。

「なっ!」

わたしは驚いて後ずさり、壁に頭をぶつけた。

「うッ!」

今の何?突然、空海の声が聞こえた。

「乞児の佐伯の術じゃ」

「ほんに、器用なものですなぁ、おまえさんよ」

「佐伯の術?」


何がなんだかわからないが、すぐに戻ると信じて、竹筒に水を入れ、青年のところに持って行く。

「お水をどうぞ」

「す、すみません」

「すぐに戻るそうです」

「そうですか」

青年よ、会話を続ける気はあるのか?

まあ、今は、わたしがホストの立場になるのかな?

だとしたら、こっちから話を振るべきか、う〜む・・・


「あのさぁ・・・鬼がいたらどうする?」

なんだよ、それ。自分でも、どうかと思う話題だった。

「鬼ですか・・・」

青年も目を丸くしているじゃないか、恥ずかしい。

「それは・・・退治しなければいけないのでは」

「見たことある?」

「わたしは見たことありませんが・・・里長のその前の前の里長が、生駒(いこま)を越えようとしたところ鬼に襲われたという話を聞いたことがあります」

やっぱりいるんだ。この時代には、鬼が。

「前鬼、後鬼という夫婦の鬼だったらしいです」

お前らか〜い!心のなかで盛大に二匹にツッコミを入れる。


「大変だったんだね」

「ええ、それ以来、祭りをするようになったんです」

うん?どういうこと。鬼は外みたいな感じなのかな。

「鬼を遠ざけるために・・・最近、飢饉があったじゃないですか・・・それで、途切れていましたが、今年はやろうと。で、磐船(いわふね)の里の連中と準備を進めてるところなんですよ」

「へぇ、どんなことすんの?」

「まず皆で山船を曳いて里と磐船を行き来します。で、踊り明かすんです」

なにそれ、凄く楽しそうじゃん。

「いつやるの?行ってみたい」

「まだ、先です。師走の頃になりますが、是非、来てください」

「うん、絶対行くよ」

答えながら、わたしは、こっちにそんなに長くいることになるだろうか?わからない。


「あっ、帰って来られたのではないですか」

青年が言うので、山の方に目を向ける。

なにやら掛け声らしき声が徐々に聞こえ始めた。

「ほうりゃ」「ほうりゃ」

オズヌの声だ。

「六根清浄(ろっこんしょうじょう)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」

空海の声だ。

二人は競い合うようにして庭へなだれ込んできた。

「ワレがまた勝ったわ」

「面白い冗談じゃな、仙師よ」


なんなんだ、このガキどもは!

「お客さんだよ!空海」

「おお、そうじゃった」

空海は、思い出したように使いの青年に向き直る。

「待たせてすまんかった。里長からの使い、ご苦労さまじゃ」

青年は立ち上がり、空海に向かって手を合わせる。

「里長が春の幸を持って行けともうされまして」

空海も青年に両手を合わせて神妙に籠を受け取った。


その中に、鯛のおっぽの様なものが見え、わたしは思わず唾を飲み込んだ。


使いを果たし、青年が帰り支度を始める。

「お土産は?なにかお返ししないと」

わたしは空海を振り返る。

「未(いま)だ乞児(こつじ)じゃてぇ、持って帰らすもんがないんよ」

空海は頭を掻きながら、青年にすまんと言う。

「あるじゃろうが・・・曼荼羅でも持って帰らせい」

オズヌが鬼のようなことをいう。


わたしの目に、梅の花がとまる。

なにもないよりマシだろう。

梅の枝を折る。


階(きざはし)を登り、青年の背後に立つと、髪を結っている布に梅の枝を挿してやった。

「お礼になんないけど・・・」

青年は頬を赤らめながら「ありがとうございます」と礼を言った。


空海と二人で門の外まで青年を見送った。

青年は何度も振り返りながら、里へと帰って行った。


庵に戻るとオズヌが「たまお、近いうちに吉野へ行くぞ」と声をかけて来る。

「吉野?」

それが、どこか知らないけれど、わたしに否はない。なんの予定もないし、仕事もないし。

そう、仕事がないのだ!!幸せだなぁ、めっちゃかわいい服も着てるし。


「そうそう、ねえ、この服なんだけど、誰が用意してくれたの?」

「ワシじゃ」

「ありがとう、めっちゃくちゃ可愛くない?すごい気に入ったんだけど、色も柄も最高!」

「色と柄は季節に応じて変わるがな」

「なにそれ?スゴい」

「虫除けの術もかけておいたわ」

とてつもない機能性ウェアを手に入れてしまった。


「ねぇ空海、鏡持ってない?」

「おう、あるぞ。ちょっと待って」

空海が行李から鏡と鏡置きを取り出して持ってきてくれる。

さっそくわたしは自分の姿を映す。

「誰これ?」

鏡を覗き込んで驚いた、映っているのは元の時代のわたしじゃない。

ほんとに十七歳のわたしなのだ。若返った自分を見て、テンション上がったかと言えば、逆だ。

テンションは急降下だ。だって、そうでしょ三、四歳若返れたら最高だよね。

でも、十七歳はどうよ、やり過ぎでしょ、うっとうしい年頃だ。


まあ、でも、今、着ている服にピッタリの年代であることは否めない。

そう、可愛いを思う存分、楽しめる。

そこで、全身を映そうと、距離をとるんだけど、いかんせん鏡が小さい。

しかも、元の時代の鏡に比べ映りが悪い。

それでも、わたしは存分にポーズを決めて悦に入るのでした。

「気に入ってくれたようで、なによりじゃ」


日もくれて前鬼と後鬼が夕餉の準備をはじめる。

炊事場からなんとも言えぬ香りが漂ってくる。

包丁の刃音、煮炊きの音が心地よく響く。


オズヌは壁にもたれ掛かり、外を見るともなく見ている。

夕日を背にしたオズヌの横顔がヨイ!儚げな憂いを帯びた感じがヨイ!

中身は100歳を超えるジジイなんだよね。残念すぎる。


蛾が一匹、部屋に迷い込んできた。

蛾はフワフワと漂って、空海の綺麗に剃られた頭に留まった。

おばあちゃんがする地味なブローチみたいで笑える。


空海は蛾を手で払うことをせず、眉を上げたり下げたりしている。

まるで、場所を変えてもらえぬかと蛾にお伺いを立てているように見えて可笑しい。


ふと、疑念が浮かぶ。

こいつは本当に遍照金剛(へんじょうこんごう)、弘法大師(こうぼうたいし)空海なのだろうか。

あの空海ならば、もっとこう威厳があってもいいと思うんだよね。目の前の空海と名乗る男はユルすぎる。

凄まじい術に曼荼羅も見せてもらったけど、弘法大師なら従者とか、弟子とかいないとおかしくないか。

オズヌですら前鬼後鬼を連れているのだ。


これは確かめる必要がある。

「空海」

空海がわたしの方に顔を向ける。蛾が飛び立った。


「空海さ、弟子とかいないの?」

「おらんの、朝廷からまだ許しが出ておらんでな」

「弟子をとるのに朝廷の許可が必要なんだ!?」

そういうことなのか、なら弟子がいなくても問題ないのか。


別のことを聞いてみよう。

「唐ってさ、どんなとこだった?」

「それは、もう」

空海はその情景を思い浮かべているのだろう、遠くを見るように目を細める。


「広大かつ、盛況」

両手を大きく広げてみせた。

「長安の都はのう、南北に二里、東西に二里十八町もあるんじゃ。その周りを二丈もある石垣が囲んどってな、百万もの人が暮らしとる。夜も篝火を焚き続けて、煌々と明け方まで市が開いとるんじゃ。いやあ、そりゃあもう、がいなじゃった」


すごく実感がこもっているのは確かだけど、誰でも言えそうなことでもある。

「へぇ〜、市かぁ、どんな物が売られていたの?」

さらに突っ込んでみる。

「天下の万物じゃ。ありとあらゆるもんが、そこで売り買いされとる。何でも揃う。遠く西域からも、珍しい織物や香料が入って来とってな。そうそう、長安では胡服みたいな西域風の装いも流行っとったんじゃ。馬や羊の皮で作った帯やら、膝まである履物やら履いてな・・・」


「女はどうじゃった?」

オズヌである。

「あのねぇ」

わたしは呆れてオズヌを見る。

見た目は紅顔の美少年、ツルツルの美少年なのだが中身はオッサンなんだよね。


よりによって、僧侶に「女はどうじゃった」はないだろう。

相手にしなくていいからと空海に目を向ける。

「それがですね!」

身を乗り出す空海。

空海、お前もか!


「御膳が整いました」

後鬼が膳を持って入ってきて、下卑な方向へと傾きかけた会話を断つ。

ナイスタイミング、後鬼。


里の青年が運んできてくれた食材が並ぶ。

メインはなんといっても鯛である。

鯛と筍の炊き込みご飯に、小皿に盛った鯛の醤(ひしお)漬けが添えられている。


「では、いただきましょう」

空海に合わせて手を合わせる。


さて、まずはこのまま、頂きましょう、鯛めしを頬張る。

白身の鯛のホロホロとした身、噛みしめるたびに旨味が口に溢れる。

筍の歯ごたえも心地よく旬を十分に味わった。


「お替りは?」

問いかける後鬼に、うんと頷いて「お湯も一緒に」と伝える。

こんもり盛られた鯛めしの山に、醤(ひしお)に浸かった鯛の身を被せる、しっかり醤(ひしお)を染み込ませたやつをね。

そして、上から湯をかける。

鯛の刺身が熱い湯に触れ、縮こまる。


わたしは椀を手に掻き込んだ。

美味い!お茶でないのはなんとも残念だが、それでも十分、美味い!

残りを一気に掻き込んだ。

「はぁ・・・満腹、満腹」


オズヌと空海が食べ終わった盆を、前鬼と後鬼が下げて行く。

わたしは自分で炊事場まで持って行った。


で、戻ってみるとオズヌと空海がオヤジ談義を再開しようとしているところだった。

「さて、女の話じゃが」

オズヌが大事なことであるというふうに口火をきる。

「さよう、女の話でございます」

空海も真面目に答える。

どうしようもねぇな、コイツラ。

なんかもう、どうでも良くなってきちゃったよ、この空海が本物かどうかなんて・・・バカバカしい。


「さっきも言うた通り、西域風が流行っとりました」

「女もそうなのじゃな」

オズヌは膝でにじり寄る。

「そうなんですわ。しかも西域風どころやのうて、そのまんま胡族の遊び女が人気でございました」

なぜか声を落として言う空海。


「くわしく」

さらに膝でにじり寄るオズヌ。

「褐色の肌ですわ」

「ほうほう褐色の肌とな」

「目鼻立ちはノミで削ったようにくっきりとしておって、瞳は大きく瑠璃色、肌は香油を纏って艷やかで」

「ほほう、そちは遊び女の肌を見たと?」

「いやいや、仙師、誤解なさってはいかんよ。胡族の遊び女の装束がそれは、もう・・・」

と空海は目を閉じて、口角を上げる。


「もったいぶるでない」

しびれを切らせてオズヌが続けろと言う。

「その装束ですが・・・薄い絹ですわ、上着は短く、腹を覗かせて、袖は手首でキュッと締め、背中は大きく開いております。袴も絹で鮮やかな刺繍が入り、それが足首でキュッと締まった形でして・・・で、金銀宝玉で全身を飾り付けておりましての。動くたびに灯火に怪しく煌めくきん、それはもう・・・」

だめだ、コイツ、ただの色ボケ坊主じゃないか。


「髪は、御髪(みぐし)はどのような具合じゃ」

「髪の色は金から濃茶色まで薄く濃くといった感じで、その髪がうねっておるですわ」

「黒く艷やかな髪は持たぬか」

「もちません」

「腰はどうじゃ」

「湖族の女は馬・駱駝に乗りますきん、腰は細く締まっております」

「巻き髪に細い腰かぁ」

「嫁にする女ではございません」

ほんと、男の女性談義って、今も昔も端で聞いてて気持ちいいもんじゃないよね。

「歌、楽器はどうじゃ」

「歌も楽器も上手な者が多ございましたが、踊りこそ得意でしたな。なんとも艶(なま)めかしい踊りですわ」


「ほう舞か・・・それも艶めかしいと」

「遊び女ですきん、嫁にする女ではございません」

「君子危うきに近づかず!」

たまりかねて、わたしは空海を睨む。

「そういういかがわしい場所に行ったんだ」


「うむ、あくまで修行の一環として」

空海は少しも悪びれることなく言う。

「何が修行だよ!よくボケ坊主」

そう言い放ったわたしの顔を空海が怪訝そうに見つめてくる。


「おやおや」

空海はニタニタして続けた。

「さっき夕焼けに染まる仙師を見よった、そちの目ぇは、なかなか色っぽかったぞ」

「な、な、な・・・」

わたしは自分の顔が熱くなるのを感じる。

「いや、空海。たまおはあれぞ、時折、オヌシのことを物欲しそうに見よるぞ」

黙れ、オズヌッ。

「ち、違うし!そんな目で見てないし・・・」


「ええんじゃ、ええんじゃ、たまお」

空海は、反論しようとするわたしを片方の手を上げて制して、コホンと咳払いした。

「一切法(いっさいほう)自性清浄(じしょうしょうじょう)」

そう言って、空海はわたしの前に膝を進めてきた。

ち、近い。膝が触れ合いそうな距離だ。

なになに、なにする気?耳たぶがいっそう熱くなる。

「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」

空海は、染み渡るような声を響かせて、わたしの目の前に右の手のひらを向けてきた。


「えっ、なに?」

空海が手を合わせるようにフンフンと目で訴えてくる。

わたしは恐る恐る自分の左手を、空海の右手に合わせる。


合わせた手と手の間から、フワッと霧が湧き上がった。

一瞬にして、辺りは白い霧に包まれる。

目の前にいた空海も見えない。


わたしは、もう十七歳の佐藤たまおではなかった。

二十九歳のわたしだ。

二十九歳のこうありたかったわたしだ。

摩天楼輝く街の中を、ゴージャスなスーツに身を包み、さっそうと行く。

すれ違う男たちが振り返る。

女たちの羨望の眼差しが気持ちいい。

誰かが羨む自分に満たされる。


”だからなんなんだ”


グッチのスモールバケットバッグを邪険に腕にかけて、ふと立ち止まる。

アンニュイな風を装い、バッグからスマートフォンを取り出す。

SNSの投稿をチェックする。

”いいね”が一万八千、ふっと笑みが漏れる。見ているうちに数字はドンドン伸びていく。

10万4千、167万、1890万、1億3300万・・・

「1億?」

手に持っているスマホが熱を持ってくる。


”だからなんなんだ”


数字は伸び続ける、十億、百億、千億、兆、京、垓、杼・・・・

ひゃッ、怖くなって思わずスマホを放り投げる。


火照る頭と冷める思い。その間で、一人ぼっち。

落としたスマホを拾い上げる。

ひび割れた画面に映るわたしの姿は、皮膚がただれ、歯は抜け落ちて、まるでゾンビだ。

怯え慄(おのの)き、わたしは、再度、スマホを落とす。

スマホは通知音を鳴らしながら、地中に吸い込まれるように落ちていった。


”だからなんなんだ”


わたしは、もはや怯えも慄きもない一個の青い御霊(みたま)だ。

目の前に赤い御霊(みたま)が現れる。


わたしは青い御霊となり、クルクルと回転しながら、赤い御霊の周りを廻る。

それに応えるように、赤い御霊も回転し始め、互いに互いの周りを廻る。


求めれば求めるほど、青い御霊は震え回転し始める。

わたしは狂おしいほど、赤い御霊を求めている。


二つの御霊は回転しながら、互いを激しく求め、触れ合い、弾き合う。

互いに求めながら、弾き合い、痛みだけが残る。

何度も、何度も弾き合う。


疲れが襲う、苦しくて、悲しくて、とても痛い。

わたしは、もうヘロヘロだ。

赤い御霊も勢いを失い、わたしたち二つの御霊は寄り添いながら沈んでいく。

多幸感が波のように押し寄せては引いていく。


やがて、霧は晴れて目の前に空海がいる。

「悪くなかろう?」

空海の問いかけに、わたしは自分でも驚くほど素直に頷いた。

「すごく良かった」

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