第四話 【召喚編】曼荼羅
「もうええかのう」
声をかけてきた僧形の男に、わたしは息を飲む。
イケオジである。
「なんがでっきょんな?仙師よ」
イケボが響く。言葉の意味はわからないのに、きっとすばらしい言葉に違いないと思わせられる。
また、その笑顔がいい・・・いや・・・まて、まて、少し上がった眉根に、なんというか、そこはかとなく煽りを感じる。
「乞児よ、なぜヌシがここにおる?」
はは〜ん、二人は知り合いなのか。
それも、ただの知り合いなんかじゃないよね。
二人の間に流れる空気がね、もう、オラオラ感MAXでね、バッチバチって感じなわけよ。
一触即発、まさにそんな感じ。
「術を解け、乞児よ」
「これは、あんまりですよねぇ、お前さん」
不穏な空気が漂い始めたところで、今にも泣き出しそうな二匹の鬼の声がした。
なんと、前鬼と後鬼が、地べたに重ねられ、イケオジ坊主の座布団代わりに使われているじゃないか。
可哀想に前鬼、怒りからか、恥ずかしさからか、顔が真っ赤だ・・・赤鬼なんですけどね。
二匹の鬼に同情する一方で、わたしは驚きを隠せない。
だって、前鬼はゾンビを一度に何体も屠るほどの強者だよ、それを座布団代わりにしちゃうなんて、このイケオジ坊主どんだけ強いんだよって話じゃん。
前鬼と後鬼の訴えを完全に無視して、イケオジ坊主はオズヌだけを見てニタニタしている。
そう、ニコリじゃないニタニタだ。
もう、煽りを隠そうともしてないよね。
その煽りを、真っ向から受けて立つオズヌ。
「久しいのうぉ」
不穏な笑顔を浮かべたオズヌが、錫杖を両手に持って構える。
「ちょ、ちょっとオズヌ」
喧嘩はヤメてと言いそうになり、急に恥ずかしくなる。
セーラー服で「喧嘩はヤメて」ってどこの委員長ちゃんだよって話。
中身は三十路ですから、ハハハ。
イケオジ坊主も、ニタニタ笑いを引っ込めて立ち上がる。
さっと距離を取ると、腰にぶら下げた筒から、一本の筆?を取り出した。
「ククク」どちらからともなく、笑いが漏れる。
二人とも楽しんでるのが、わたしにもわかる。
二人の間の空気は、不穏は不穏なのだけど、殺気はないんだよね。
「デュエルしようぜ!」的なノリを感じる。
美少年とイケオジの力比べって感じで、わたしの胸は高鳴るのです。
オズヌが構えた錫杖を勢いよく地に打ち付ける。
轟々と風が沸き起こり、幾千万の葉が集まり渦を巻く。
オズヌが錫杖を振ると、先に付いた輪っかがシャリンとなる。
それを合図に、巻き上がった葉の群れが、猛然とイケオジ坊主に襲いかかった。
イケオジ坊主が微かに口角を上げた様に見えた。
握った筆を空に走らせる。
その筆跡が金色に輝く。その文字、見たことあるんだけど、読めないんだよね。
文字が明滅する。
オズヌの放った葉は、たちまち紅蓮の炎に包まれ、逆にオズヌに襲いかかった。
やるじゃん!術を返したイケオジ坊主に、拍手を送る。
で、術の応酬を見て、驚かない自分に、驚く。慣れって怖いねぇ・・・
襲いかかる炎を避けながら、オズヌが錫杖を横に払った。
猛る炎が、渦巻く波に変わりイケオジ坊主を一気に飲み込んだ。
「ああ」
そんな声が、わたしの口から漏れた。
完全にイケオジ坊主が負けたと思ったんだよね。
「がいな!がいな!ガハハハッ」
イケオジ坊主の声が響いた。なんと、イケオジ坊主、筆を振り下ろし、波を割っているじゃないか!?
そして、天に向かって再び筆を走らせる。
さっきとは違う文字が浮かび上がり明滅する。
なんだっけ、この文字、お寺さんでよく見る・・・
法事の時にも仏間に掛けてたような、ちょっと太くて丸い文字。
あああ思い出せない・・・
文字は発光して天高く昇っていく。
突如、雷鳴が轟き稲光が遥か上空からオズヌの頭めがけて落ちてきた。
「オズヌ!」
さすがのオズヌもこれはヤバいと思って、わたしは叫んでいた。
なのにである・・・オズヌはやっぱり化け物だった。
バカみたいな大口を開けて、稲光をすっかり飲み込んでしまったのだった。
軽いゲップを一つして、腹を擦るオズヌ。
「乞児よ、ワレに雷鎚は相性が悪かろう」
余裕の表情でイケオジ坊主へ向き直る。
「修行が足りんのではないか?」
なんだこれ、ポケモンバトルかよ!呆れながらも、楽しんだことは否めない。
修行が足りんと言われたイケオジ坊主はといえば、シメシメという顔をしている。
「仕込んどるきんな」
そう言って、印を結ぶっていうの?両手の指をクイックイッと組んでみせた。
その瞬間、オズヌのお腹からゴロゴロと雷鳴が響く。
「こ、こりゃいかん!」
青い顔をして、オズヌは藪の中に駆け込んだ。
屈んだオズヌの姿が、藪にすっかり隠れた途端、盛大な破裂音が響いた。
その音は、朝の清々しい山々に木霊した。
これは、そう脱糞だね。って、木偶のくせにうんちすんのかよ!
すごく覗きたいッ・・・でも、それをやったらレディーとしての大事なものを損なう気がする。
踏みとどまれ、わたし。
そんな葛藤に身悶える。
「腕をあげたのぉ・・・乞児」
もとの涼しい顔をしてオズヌが藪から出てきてしまった。
グヌヌ、美少年の排便姿を拝む機会は失われてしまったのでした。
腕を上げたと言われたイケオジ坊主は、満面の笑顔を見せる。
今度の笑顔は混じりっけなしの笑顔だった。
「さて」
そう切り出すと、乞児と呼ばれたイケオジ坊主は、わたしたちを寺に招待すると申し出てきた。
どうやらイケオジ坊主は、槇尾山というところにある空き寺に身を寄せているのだとか。
その申し出に対し、二匹の鬼は舌打ちし、オズヌは不可解といった表情を浮かべる。
わたしには賛成も反対もない、ことの成り行きをただ見つめるばかりだ。
「ワレの山に、なぜにヌシの招待がいるかよ」
オズヌの言葉を聞いて、イケオジ坊主が「はぁ〜」と呆れたような溜め息を吐いた。
「仙師よ、まさか木の洞や岩穴で過ごすおつもりじゃあなかろうの?」
「そのつもりじゃが」
「女童を連れてかよ」
イケオジ坊主がわたしに目線を寄越す。
オズヌは、「ああ」と今更気付いたような声を上げ、わたしを振り向くと「問題なかろう?」と言う。
「問題あるわい!」
ガハハハと笑ってイケオジ坊主は、改めてわたしに向き直る。
「ワシは真言阿闍梨、遍照金剛、空海ちいうもんぞ」
「はあぁああああ!!!」
イケオジ坊主の名乗りに、わたしは素っ頓狂な声を上げる。
馬鹿なわたしでも知っている、あの空海!?
ていうか、わたしの実家、真言宗なんだよね。
で、法事の度にお坊さんに何度も聞かされてきた、その人が目の前にいるのか!
「お、お大師さんですか?」
思わずわたしは口走る。
「お大師さんとなぁ・・・ガハハ。そう呼ばれるようになりたいもんじゃがぁ」
空海と名乗った男が笑った。
結局、空海の寺に世話になることになって、山道を歩き出す。
山道っていうか、もう獣道でしょこれ。
大きな石や木の根を踏み越えながら進む。
「で、乞児よ、なぜヌシがここにおる?」
オズヌが、出会った時と、同じ質問を繰り返す。
「いやぁ、仙師さんに会えるような気がしよったきん、来てみたら、まんでどんぴしゃやったが」
ガハハハと空海は笑う。
「あ、あのぉ、唐に行ってらっしゃったんですね?」
わたしは割り込んで、空海に話しかける。
「そう、それじゃ、なぜここにおる?」
「そんなの帰ってきたからに決まってるでしょうが!」
馬鹿なのかオズヌはと思いつつ「あのぉ、なんてお呼びしたらいいですか?」と空海に尋ねる。
「そう、戻ってきたんやが、仙師」
空海はオズヌに答えてから、わたしに向き直る。
「空海と呼んでつかよ。それから、堅苦しい物言いはなしやぞ」
「マジかぁあ!!!」
空海からタメ口OKを貰って、テンションが上がるわたし。
「二十年と聞いておったぞ、渡唐して何年じゃ、五年?六年?」
「いや、実は三年前に唐から戻っとったんですわ。唐に渡って二年で、戻っとったんです」
「く、空海」OKが出たとはいえ、呼び捨てるのは結構、勇気がいる。
「今も生きてるってホント?」
みなが歩を止めて、ポカンとしている・・・し、しまった、時空を超えた質問をしてしまった。
元の時代で、高野山の奥の院で空海が今も瞑想を続けているという伝承を聞いていたので、つい口をついてしまった。ああっ、口ごもるわたしの背中を優しくポンポンと後鬼が叩く、後鬼にはわたしの肉体的ダメージだけでなく、精神的ダメージもお見通しのようだ。
「逃げ帰ってきたのかえ」
「いやいや、ちゃんと密教を修めてきたがな、シャンシャンと」
「ええ加減じゃな」
「仙師との出会いがあってこそやきんな」
「オズヌと空海はどういう関係?仙師って、オズヌは師匠なの?」
「こんなヤツ弟子に取るかよ、抹香臭過ぎじゃわ」
「ガハハ、いやぁ仙師はこう言うきんな、確かに何かを教えてもろたということはないんやけど、気付きをもろたんやが」
空海はわたしに振り向いて言う。
「御霊の震え、いうやつじゃな」
「そこが腑に落ちとらんかったら、仙師、とても二年じゃ帰れんかったが」
空海は、オズヌに事の成り行きを説明し始めた。
青龍寺ウンチャラ院で金剛ホニャララがどうだこうだ、わたしにはさっぱりの内容だ。
わたしは脇にいる二匹の鬼に向き直る。
「二人は古くからの知り合いなの?」
「乞児がガキの頃から知っておるわ」
前鬼は憎々しげに答える。
「そんな理由、ないでしょうが、オズヌがガキなのに・・・」
後鬼がわたしの目を覗き込む。
「お嬢よ、主様の見た目に意味があると思うておるのか、見たじゃろ?土塊ぞ」
後鬼が言う通り、オズヌの体が砕け散り、再生して、生乾きで凹んだりするところを確かに見た。
それ自体が、もうツッコミどころ満載なわけだけど、つまり、オズヌの見た目はフェイクってことなのか。
鬼がいる世界のフェイクってなんだよって、思わないこともないが。
「つまり、オズヌはガキじゃないってこと?」
「おうじゃ」
「幾つよ?」
「ワシらが出会うた時、主様は十八、九じゃったから、今年で百七十六かの・・・」
はあ!?長寿を誇る日本女性の平均寿命の倍じゃないか。
「ふざけてんの?」
「うんにゃ、ふざけおらぬよ」
そんなバカなことがあってたまるか。
わたしは真相を確かめようと、前を行くオズヌに声をかけようとする。
が、空海の声のほうが早かった。
「仙師よ、このままではどうもならん、少し急がな」
「おう、構わぬよ」
「ついてこれますか」
「なにをぬかす」
二人は競い合うように駆け出すと、その背中はみるみる内に小さくなった。前鬼まで一緒に・・・
山道をこれほど早く駆けられるものかよ。
完全に置いてけぼりである。
「どうしよう?」と後鬼の顔を見る。
後鬼はわたしの前にしゃがみ込む。
「お負ってやる」
「えっ!?」
「早く、早く」
後鬼に急かされ、わたしは恐る恐る自分より小さな鬼の背に跨った。
「しっかり掴まっておれよ、お嬢」
後鬼がマリオを乗せたヨッシーよろしく一気に山を駆け出した。
ぬおおおお!わたしは後鬼の髪を掴み、角を掴みして、舌を噛みそうになりながら叫んだ。
「ゆっくり!ゆっくり!酔う、鬼酔いするぅうう!!!」
半日近く、険しい山道を駆けに駆けて、今、わたしは東屋の縁側にへたり込んでいるのでした。
いや、駆けたのはわたしではないのだけど、それでも、もうヘロヘロで身を起こせない。
床に頬をつけたまま、小さな浴槽ぐらいある岩から、空海が桶に水を汲むのを眺めている。
山から水を引いているのか、半分に割った竹が、チロチロと岩の浴槽に水を垂らしている。
桶の水で空海は足を拭う。
オズヌは縁側に腰かけ突き出した足を、当たり前のように前鬼に拭ってもらっている。
こいつのこういうところ、好きになれそうにないなぁ・・・。
わたしも足を拭わなきゃと思いつつも、もう少しだけ寝そべっていたい。
ほんと、わたしって駄目だなぁなんて思っていると、足に触れる感覚があり、身を起こす。
後鬼が、わたしの足を拭ってくれている。
「ご、ごめん、後鬼、自分でするから・・・」
後鬼は首を横に振って、ちゃっちゃっと拭い終えてしまった。
「ありがとう、ごめんね」
後鬼のわたしへの献身ぶりは一体なんなのだろう・・・不思議だ。
空海、オズヌに続いて、わたしは這うようにして部屋の中へ入る。
板張りである。総天然板張りであ〜る。
「畳は?」
畳の上にゴロンとしたかったのに、期待を裏切られた気分だよ。
「あるかよ、そのようなものが」
小馬鹿にしたようなオズヌの声。
「ガハハハ、殿上人のような拵えは拙僧には無理じゃ」
空海は、わたしに丸い茣蓙を差し出す。
「これで、我慢してくれろ」
畳は、お貴族様のものなのか・・・わたしは急に元の世界の自分の部屋を恋しく思う。
出された茣蓙をお尻に敷いて、壁に背をもたせて、足を放り出す。
落ち着くと現金なもので、お腹がグゥとなりだした。
「前鬼、後鬼よ、炊事場にあるもんで、なにか作ってくれんか」
空海が言う。
「乞児なんぞに、使われてたまるかよ」
前鬼は組み伏せられたことを、まだ根に持っているのだろうか?
「ほんに、ほんに」
後鬼が前鬼に賛同する。
「じゃが、お前さんよ、お嬢の腹が鳴っておる。ここは憎らしい空海のためではなく、お嬢のために、腕を振るってみるのはどうじゃ?」
後鬼のわたしへの可愛がりが面映い。
「それならしようもなかろう」
前鬼と後鬼は炊事場へと回った。
上に跳ね上げられた格子戸の枠に肘掛けて、ふと見た景色に心を奪われる。
綺麗な夕日が遠くの海を染めている。
お日様は山から昇り、海に沈む、庄内育ちのわたしには、見慣れた景色のはずが、滲みるんだなぁ。
オバアちゃんの神社と一緒だなと思う。
おばあちゃんの神社から見えた遠くの海は日本海だったけれど。
今、視界には山肌と海しかない、海は山際まで迫っているのだろうな。
「ねぇ・・・あの海って、なんて名前?」
「難波津じゃよ」
空海はそう言って、夕日に向かって手を合わせる。
難波津・・・大阪か!てか、大阪どこ行った?陸が見えない、海しかないじゃん。
「そうであった」
なにか思い出したように空海は立ち上がる。
「仙師に、ぜひ、お見せしたいものがあったんじゃった」
そう言って、奥に消えると、しばらくして、大ぶりの巻物二本を抱えて現れた。
いや、大ぶりなんてもんじゃない。
ほんとデカいんだから、軸の長さがわたしの身長の二倍以上あるんだから。
で、その一本を部屋の一方の壁に掛けて、巻を解いていく。
「!」
わたしは息を飲む。
夕日を受けキラキラと虹色の輝きを漏らし、姿を現したのは曼荼羅だった。
大袈裟に言う気はないんだけど、こんなに綺麗なものを見たことがない。
大きさに圧倒され、緻密さに引き込まれる。
何が描かれているのかわからないんだけど、大切なモノがあると迫ってくる。
もう一本は、隣の壁に掛けられた。
こちらも曼荼羅だった。
二つの曼荼羅は大きすぎて、下は床を這っている。
空海は二つの曼荼羅を拝める位置に座り直し、手を合わせた。
わたしも空海に続いて、手を合わせる。
もちろん、オズヌは手を合わせたりしない、面白くなさそうに半眼で見ている。
「こちら」
一方の曼荼羅に手を差し出して空海が話し始める。
「胎蔵曼荼羅でございましての、中心には大日如来が描かれておりまして・・・」
「わかった」
空海の言葉を遮るようにオズヌが言う。
「右が腹で、左が頭じゃ」
理由わからないことを言うオズヌ。何言ってんだコイツ!
「・・・」空海の口元が何とも言えない感じに歪んでいる。
「お前について密教を修めようなど露ほどにも思わぬ」
つまならそうに言う。
「偉そうに!バチ当たるわよ!」
空海の代わりじゃないけれど、オズヌの失礼な態度が頭にきて、そんなことを口走る。
夕日を背に、影になった空海の顔に、寂しさを隠すような微笑みが浮かんでいるような気がした。
そこへ「御膳が整いましてございます」と前鬼の声が響いた。
「有り物がアレなもんで、できた物もアレですがね」
嫌味のようなことを言う前鬼。
「ほんに、ほんに」
後鬼が被せる。
「ガハハ、未だ乞児じゃ、許してたもれ」
頭を掻きながら陽気に言う空海。先程見たように思った寂しげな表情は見間違いだったのだろうか。
御膳は雑煮だった。大根、牛蒡、里芋に餅、あっさりとした味付けだけど、美味しかった。
わたしは満足して、お腹を擦る。
煮炊き繕いは前鬼と後鬼が全てやるとオズヌは言っていたが、二匹の鬼は、ほんとによく働く。
食事の後、家の戸を閉めて回り、燭台を灯してくれる
「さて、本題じゃ」
オズヌが切り出す。
「空海、ヌシが、あそこで待ち伏せしておったということは、ヌシも感じておるのじゃろ?」
オズヌが乞児ではなく、空海って言った!
しかも、いつにもまして真剣な顔で・・・
「仙師のお考えから、お聞かせいただけませんじゃろか」と空海。
「空海、唐から戻ったのはいつの事じゃ?」
「大同元年十月の事にございます」
「うむ、それより少し前の事、桓武が死んで、しばらくしての事じゃ・・・」
「先帝がお隠れになって、しばらくいうことですな・・・」
空海がオズヌの言葉をたしなめるように、言い直す。
「そうじゃ、桓武が死んでから、しばらくしての事じゃ」
オズヌは曲げない。
「その頃から、都に邪気が満ちはじめての、まぁ、邪気あっての都じゃからの、ざまぁ見ろと内心思っておったのじゃが・・・」
「山に漂い始めよったと」
「そうじゃ、これが、なかなか厄介での」
「仙師にしても、で御座るんな」
「とてつもない呪力じゃ・・・まあ、ワレに祓えぬことはないが、万全を期そうと」
「どなんしたんな?」
「常世から蔵王権現を召喚しようとしたのじゃ」
「ほいで」
オズヌは「これじゃ」とわたしを指さした。
「この女童が、蔵王権現!?」
眉を寄せる空海に、わたしは肩を竦める。
「どうじゃろな、わからぬ、ただ、憑代であることはわかった」
オズヌは続ける。
「いや、葛城に戻る前よ、相模のな、蝦夷の里で遭遇したのじゃ」
「どんなもんやったんな?」
「いや、姿は見ておらぬ。術じゃ、蠱毒と屍奔恨を使いよったぞ」
術の名を聞いて、空海は静かに目を閉じた。心当たりがあるといった感じだ。
「仙師よ、ワシに責があるやも知れん」
オズヌもわたしも空海の次の言葉を待つ。
「唐での、恵果阿闍梨より灌頂を授けられた際、ひとつ託されたことがあったんじゃ・・・越州に寄れと」
空海は燭台の火を見つめ続ける。
「越州の順暁阿闍梨を訪えと申されたんじゃ、順暁阿闍梨が預かっている呪物の再封印をせよとのことじゃった」
「その呪物とは?」
「詳しいこっちゃあ申されんかったけど、恵果阿闍梨、順暁阿闍梨の師であらせられた不空阿闍梨が封印なされた呪いなんやと・・・。その封印が解けんように、もう一度封印し直せ言われたんやが」
「それじゃな、空海・・・その呪物はどこにある?」
「それが、わからんきん、悩んでおるのじゃ」
「わからぬ?」
「恵果阿闍梨が順暁阿闍梨に話をしといてくれるって言いよったんや。やけど、順暁阿闍梨はもうずっと、呆けてしもうとって、何言いよるんかちっとも分からん。もう託されたって言いよるんやけど、どうしたもんかいな」
「それって、他の遣唐使に託したってこと?」
「わからんのじゃ」
空海に続いてオズヌもわたしもう〜ンと唸るしかない。
どこ行った呪物よ・・・
《人物紹介》
空海:774年〜835年 言わずと知れた讃岐が産んだ日本史上最大の天才。中国語、サンスクリット語をマスターしており、漢詩の才の誉れも高く、唐でも多くの伝説を残している。たったの二年で唐の青龍寺の恵果阿闍梨から灌頂を得て日本へ帰国。ここから華々しい出世街道を爆走し始めることになるのだが、今はまだ一人の僧に過ぎない。真言阿闍梨、遍照金剛、空海で属名は佐伯連真魚。
物語では越州の順暁阿闍梨から呪物を預かるはずだったのだが・・・
恵果阿闍梨:生没745年から803年 唐の長安、青龍寺を預かる高層。真言八祖の第七祖にして空海に灌頂を与えた師である。空海が最後でしであり、空海が「大唐神都青龍寺故三朝国師灌頂阿闍梨恵果和尚之碑」を撰した。物語では恵果は封印した呪物の再封印を依頼してこの世を去っている。
順暁阿闍梨:生没年不明 唐の時代越州龍興寺で余生を過ごす密教僧。恵果阿闍梨は兄弟弟子。最澄に灌頂を授けたという記録がある




